昨夜は早々に就寝したため
朝5時にしっかり目が覚めてしまいました。
1週間あっという間でしたが、大変疲れました。
先日私が小学生の時に綴った文集みたいなのが出てきました。
2分の1成人式みたいなタイトルで、
自分の親と子供本人がそれぞれ、その時の思いを原稿用紙1枚ぶんくらいに
書いて残したクラスの思い出の文集で懐かしくなりペラペラと読んでしまいました。
ほとんどの親はその子供が生まれた時の事をありのままに書いており、
私達子供らは日常で思っていることを書いていました。
みんなどうしているのかなんて想像もつきませんし考えた事もありませんでした。
ただ、その文集を読んで思ったのは、
どの親も、文の最後に「思いやりのある優しい子に育ってほしい」と書いていました。
今自分が親になって分かる事ですが、
どんな親も子供に対して思う気持ちは共通であり、
どんな親も自分の子供が不幸になって欲しいなんて、思う人はいないんだと。
文集には頭が良くなって立派になってほしいとか書かれていませんでした。
ただただ「思いやりのある優しい人間に・・」と。
どの親も子供を思う気持ちは一緒で、その言葉の重みを感じました。
今の若者はって言われても、やはり誰かの子供であって、
ジジイババアと言われても、やはり誰かの子供だった。
今懸命な「呼びかけ」にも所詮他人事だよって思うかも知れないけれど、
本当は誰かが必ずあなたの事を思ってて、心配していて、誰かが誰かを思っている気持ちが存在することを忘れてはいけないと思いました。
私は母親と仲が悪く今年もコロナと言う理由で
会いに行っていませんが昨年は1度も実家に足を踏み入れてませんし
その前も多分・・・
年輪のように深く刻まれたその互いの溝を
今更何も無かった事にはできませんが、
離れていても、会えなくても、こうしてここに書いて出してくる自分は
本当は、やはり思っているのでしょう・・
その時や今は何も感じられず、尖って自分勝手で生きても
いつか「誰かが思っている」「思っていた」ことを知ることができれば、
人生が変われるかもしれないですね。
そのいつかは分かりませんが・・・