大淀町の近鉄線「六田(むだ)駅」近くの歩道を歩いていたら道路向かいに掲示板が出ていました。たぶんこの家は寺院だろうと思います。
掲示板を拡大して撮影しました。
なるほどそのとおりだね、と。だが単純明快な言葉ですが実践するのは簡単そうでなかなか実際にはそうはいかない。強風の中を前を向いて歩くのはそう容易なことではない。
掲示板左に書かれれいる「修正会」とは何の意味だろう。
何かを修正する会なんてことはなさそうだ。
調べてみると下のようなことでした。
● 修正会
1月1日 修正会(しゅしょうえ)
新しい年の始めにあたり、天下泰平や人々の幸福を祈って行う法要です。「修正」とは、正月に修する法会(ほうえ)、の意味。起源は中国の年始の儀式にあるとされ、日本では平安時代以降から広く行われるようになりました。
(浄土宗 ホームページより)
●正月に祈修する法会(ほうえ)
「修正会」は、正月に祈修する法会(ほうえ)という意味で、古くから諸大寺で営まれてきたもの。現在東大寺では、正月七日に金堂大仏殿でこの悔過(けか)の法会をお勤めしている。
「悔過」とは、礼仏して罪過を懺悔(ざんげ)することにより、「天下泰安」「風雨順時」「五穀成熟」「万民快楽」等を祈願することをいう。
8世紀中頃、官大寺等で行われていた「吉祥天悔過会」が「修正会」の源流であるともいわれているが、法華堂に安置されていた「国宝 吉祥天立像(塑像)」(※1)も、この「吉祥天悔過」の本尊だったのかもしれない。その後「吉祥天悔過会」は諸国の国分寺でも広く勤められるようになったが国分寺の衰退と共に廃絶し、かわって平安時代になると「薬師悔過」などが「修正会」として諸寺院諸堂で盛んに勤められるようになった。
東大寺でも、平安時代には講堂などで元日から7日間にわたって「修正会」が勤められ、また鎌倉時代になると大仏殿の主要な法会の一つにもなり、夜は舞楽が演ぜられるなど、厳粛で盛大な法会が営まれていた。しかし、応仁の乱から続く戦乱の時代をむかえるに至って、東大寺は伽藍の多くを焼失するとともに、この「修正会」も続けることが出来なくなってしまった。
現在営んでいる「修正会」は、江戸時代になって再興されたもので、正月7日に大仏殿で初夜・後夜の法要をお勤めしている。
(華厳宗 東大寺 ホームページより)
仏教寺院で行う元旦のおつとめのことを修正会と呼んでいるようです。
ついでに「修」のつく熟語を調べてみた。
「修身・修得・修養・修練・修道・修行(しゅぎょう)・修学・修了・修好・学修・独修・自修・専修(せんしゅう)(せんじゅ)・必修・履修・研修」
このなかで「専修」という言葉はとても重要な意味をもっている。
浄土宗は「専修念仏」とい。南無阿弥陀仏・・・・・念仏を専ら声に出して唱える。それだけが人間救済の道である。
これは日本仏教おけるあるいは世界宗教における革命的な言葉である。
あまたある宗教また仏道修行のなかで、ただひとつ念仏を唱えるだけで誰でも救われると法然は説いた。宗教で必ず誰でも救われると説く宗教はほかにはないだろう。しかも輪廻転生して何千年何億万年も修行しても救われるかどうかも保証されない宗教がいくらでもあるなかで念仏を唱えるだけであなたは必ず救われると説いた法然の悟りや確信は画期的である。
大雑把なことを言うと釈尊の説いたインド仏教が世俗を断ち切って出家しひたすら煩悩滅却の修行をし輪回転生の業苦からの解脱と涅槃の境地をめざす「悟りの仏教」であるならば法然、親鸞、日蓮など日本で生まれた仏教は世俗のなかで煩悩のままであっても信じ、念ずるならば万民衆生さらには草木までも罪障消滅して安心立命の仏の境地、極楽浄土に行けるという究極の「救いの仏教」である。
このような仏教のパラダイムシフトを成し遂げたのは日本仏教である。
そのなかでも釈迦仏教からの長い阿彌陀佛信仰の系譜に基づいて阿弥陀仏への帰依という他力本願、専修念仏を樹立した法然である。
鎌倉時代は仏教の教えでは世は釈迦の威光も途絶える末法となっていた。
戦乱、疫病、飢饉などどこかしこも死骸で満ちておりどこにも救いがない絶望的な世の中だった。
そういう世相のなかで日本では誰もが救われるという救いの仏教が生まれていった。
救いこそが絶望の淵からの仏教に求める衆生の最後の希望だった。
それが日本仏教の大きな特徴である。
上を向いて 歩こう
前を向いて 生きよう
朝のこない 夜はない ←これは蛇足です。
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Posted at
2021/01/17 16:25:30