10月26日は「柿の日」だという。
明治28年(1895年)10月26日(土曜日)に正岡子規が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という句を詠んだ日なのだという。
正岡子規が奈良の旅を楽しんだ此の年はどんな世相だったのか。
1月 樋口一葉が雑誌「文学界」に小説「たけくらべ」の連載を開始。
3月 イタリアによるエチオピア侵入始まる
4月17日 日清講和条約(下関条約)調印。
6月17日 台湾総督府開庁。
10月 李氏朝鮮の行政区画の改編、道、県、都護府を廃止して観察府と郡にする
11月27日 - アルフレッド・ノーベルがノーベル賞設立のもととなる遺言状に署名。
12月28日 - パリのホテル・スクリーブ・パリにおいて、リュミエール兄弟がシネマトグラフを用いた有料の映画上映を行う。映画興行の始まり。
誕生
この年、明治28年(1895年)忘れてほしくないことがある。
以下は外務省のHP。
日本政府は、1895年1月、他の国の支配が及ぶ痕跡がないことを慎重に検討した上で、国際法上正当な手段で尖閣諸島を日本の領土に編入しました。
第二次世界大戦後、サンフランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は日本の領土として扱われた上で、 沖縄の一部として米国の施政下におかれました。また、1972年の沖縄返還協定によって、日本に施政権を返還する対象地域にも含まれているなど、尖閣諸島は戦後秩序と国際法の体系の中で一貫して日本領土として扱われてきました。
尖閣諸島の編入の後、日本の民間人が日本政府の許可の下、尖閣諸島に移住し、鰹節工場や羽毛の採集などの 事業を展開しました。一時は、200名以上の住人が尖閣諸島で暮らし、税徴収も行われていました。
また、現在においても、警備・取締りや国有地としての管理が適切に行われています。
古賀辰四郎によって事業経営が行われていた鰹節工場
▲古賀辰四郎によって事業経営が行われていた鰹節工場(写真:古賀花子氏・朝日新聞社)
一時期は古賀村という村ができるほど、多くの日本人が生活していた
▲一時期は古賀村という村ができるほど、多くの日本人が生活していた(写真:古賀花子氏・朝日新聞社)
外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/senkaku/page1w_000016.html
尖閣列島波高し。シナ独裁国家の魔の手から死守しないといけない。
柿の日に 尖閣思ふ 空の青 (拙作)
さて奈良は柿の発祥地と言われますが諸説あります。
シナが柿の原産地だとも言われますが定かではありません。
奈良は柿の産地も多くあり有名ですが生産量では和歌山県が柿日本一だそうです。和歌山はフルーツ王国で柿、みかん、桃となんでも美味しい。和歌山の柿はかつらぎ町、九度山町が有名です。奈良へ入ると旧西吉野村の五條市、下市町の栃原など柿山が連なっています。
日本には約1000種類の柿があり、甘柿は鎌倉時代に日本で生まれたものだそうです。
柿の季節になって最初に店頭に並ぶのは四角い甘い柿です。これは「合わせ柿」という柿です。
もともとは渋柿なのですが甘柿に変身させる技術を使って加工します。これが「合わせ柿」。柿の渋抜きには現在はドライアイスなどを使っていますが昔はお湯に漬けたりして甘くしてから出荷していました。家でやるなら焼酎につけても渋抜きできます。
このような渋抜き処理をした柿を「合わせ柿」と呼んでいます。とても渋柿だったとは思えない甘くて美味しい柿です。この品種で有名なのが「平核無柿」(ひらたねなしがき)で平で四角い形をしています。これとほとんど同じ柿ですが「刀根早生柿」(とねわせがき)という品種がありやはり渋柿で渋抜きをした合わせ柿として市場に出されます。
刀根早生柿(とねわせがき)は平核無柿(ひらたねなしがき)を元にして接ぎ木して作られた新品種です。
開発したのは奈良県天理市の刀根淑民氏です。
台風で折れた平核無柿を、試しに接木して育成したところ平核無柿より早く実をつける柿になったそうです。
また柿の王様といわれる甘柿の代表は「富有柿」です。
この富有柿は岐阜県瑞穂市(旧本巣郡巣南町)が発祥の地です。「富有」の命名の由来は、中国の古典『中庸』の「富有四海之内」に由来します。
徳があればその富は四海の内を有(たも)つという意味だそうです。まあ古典の解釈はそれとして、おいしい富有柿を食えば富が集まり幸せになれるありがたい柿だと思ってお食べください。
下記のサイトには柿の歴史がかなり詳しく書かれています。
縄文人も柿を食べていたことがわかります。
http://www.fuyugaki.com/?mode=f3#:~:text=%E6%9F%BF%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%94%A3%E5%9C%B0%E3%81%AF%E4%B8%AD%E5%9B%BD,%E6%B7%B1%E3%81%84%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
化石や遺跡、最古の書物にも柿の名が! ~古代から平安時代~
岐阜県瑞浪市の第三紀層から柿の化石が見つかる
縄文時代や弥生時代の遺跡から柿の種が発掘されている
万葉歌人で有名な柿本人麻呂は、屋敷に柿の木があったので柿本と名乗っていた
古事記(712年)や日本書紀(720年)に人名や地名で多数記述
藤原宮(694~710年)遺跡から、柿の種子が多量に発見される
平城京(710~784年)遺跡から柿の値段を書いた木簡が発掘される
日本最古の薬物辞典である平安時代の「本草和名(900年代初期)」に「加岐」として記述
平安時代の辞典「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」には「賀岐」として記述
平安時代の法典「延喜式(927年)」に祭礼用の菓子として使われ、宮廷でも栽培されていたと記述
歌人として有名な柿本人麻呂という人物がいる。これほどの有名人だがいまだに生誕地、逝去地が定まっていない謎の人物である。
此の人の生地が奈良県葛城市だという説がある。
いまも奈良県葛城市新庄町には柿本という場所があり「柿本神社」がある。近鉄電車では「大和新庄」という駅がある。当麻寺のある近くだ。
柿本人麻呂は島根県石見で亡くなったと言われているがその亡骸はこの新庄町の「柿本神社」の墓地に眠っていると地元では伝えられている。
柿本神社の本殿脇には人麿塚がある。
人麿塚
そしてどういういわれがあるのかわからないがこの神社では例大祭の4月18日に「チンポンカンポン祭」というものを催行しているという。一度どんな祭りなのか見物に行きたいと思いつつ果たせていない。
http://kamnavi.jp/as/katuragi/sinjokaki.htm
最後に柿を食べすぎると胃の中に結石ができて痛むことがあるらしいです。これは柿胃石という。柿を大量に食べるとタンニンを主成分とする柿胃石ができてしまう。当たり前ですが秋の柿の時期に発生することが特徴です。
柿を食べすぎて胃が痛むというときは柿胃石を疑ってみてください。この解消にはコーラを飲むと柿胃石を溶かすので治るといいます。柿好きの人はコーラも飲むようにすればいいかもしれません。
Posted at 2022/10/27 11:45:57 | |
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