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2019年06月04日 イイね!

上田信行同志社女子大教授のゼミによるワークショップ研究会in吉野

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吉野町で開かれた同志社女子大学上田信行教授ゼミ主催によるイベント。
中央の黒い服が上田信行教授。2019年5月4日。 ●写真はクリックすると拡大します。以下の写真も同じです。


「地方創生」という言葉だけがいま亡霊のように日本列島をさ迷っている。
 「ああせい」「こうせい」「そうせい」と言われても地方は相変わらず「少子高齢化」という現実に為す術もなく地盤沈下していく一方である。
 ひとつ言えるのは定住者だけに限定した「少子高齢化」という固定概念からは新たな発想は生まれにくいかもしれない。
 いま話題になっている「ふるさと納税」という仕組みが画期的だったのは「定住者」という既成概念を破壊したことである。結果として納税の流動化が起こり赤字だらけの過疎の村に全国から寄付金が集まるという現象が起きている。
 地方行政が「定住者」という固定概念をいかに超えることができるのか。
 それが地方創生の一つのポイントだろう。
 人口減少や過疎化を嘆いていても何もはじまらない。
 観光客、通過人口、労働者人口、季節・夜間・性別・スポーツ・外国人人口、さらに詳細な趣味や嗜好などの個別要素などなど非定住人口を地域活性化にいかに取り込んでいくか。ありきたりだがそういう「発想」が問われているのだろう。
 ひとつだけはっきり言えることは山間部や過疎地域に若い定住者を呼ぶにはその大前提として情報インフラを整備しないと無理ということだ。空気もきれい水もきれい自然も多くて空き家も多い・・・・。それに加えてインターネットはじめ最新の情報通信システムが安価に提供できないと仕事世代の若者を呼ぶことは難しい。
 
 最近考えることはいわゆる過疎地域において「地域の平均年齢」とは何か?ということ。
 地域定住者の平均年齢だけは高くでもたとえば観光客が住民数の何倍、何十倍、何百倍も来るような地域は非定住者の年齢を加味すればまたその地域の別の顔が見えてくるのではないだろうか。
 過疎の村の活性化を考えるとき定住者の増加だけでなく流動人口、通過人口、季節人口など「非定住者人口」を増やすのは重要な視点であろう。
 たとえば人口3000人の村へ年間で30000人の観光客が来れば大雑把に人数だけは35000人の村と言えないだろうか。
 奈良県で言えば高松塚古墳やキトラ古墳など貴重な文化財で知られる明日香村がある。明日香村の人口は約5000人だ。だが年間でざっと70万人の観光客が来ている。これに着目して星野リゾートも数年後をめどに高級ホテルを建設する。
 人口減少の続く「少子高齢化」の村であっても明日香村が周辺町村と合併しない理由もそこらあたりにあるだろう。
 
 直接これまで述べた過疎地活性化とは関係ないのだが私の住んでいる地区で異色のイベントがあった。それは同志社女子大学の上田信行教授が開催したイベントである。
 今月5月4日(土曜日)吉野町で開かれた上田信行教授の上田ゼミの学生が企画し実行する「ワークショップ(研究会)イベント」(正式名称は失念)に参加した。参加というよりちょっと覗いてみたというほうが正確である。
 その様子を少し紹介してみたい。
 上田信行教授は「ワークショップ」という言葉がまだ一般に知られていなかった1990年代からワーショップを実践的に研究してきた人で現在は「同志社女子大学」(現代こども学科)の教授をされている。

 このイベントは「もし興味あればどなたでもおいでください」とビラが貼られており地元住民にも公開されている。上田ゼミ主催での吉野町でのイベントは毎年開催されているのだが参加するのは初めてである。


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 会場は吉野川の辺りに建っている建物である。コンクリートの打ちっぱなしという斬新なデザイン家屋。室内は吹き抜け風で天井が高く二階、三階部分が空中のロフト風で上下の区切り感がない構造となっていた。
 集まっていたのは上田教授のゼミ生はじめ学生、教育者、社会人、など関西が多いが中には東京から参加した人もいた。 

 吉野町は現在の公称人口は7000人ほど。少子高齢化が進んでおり町を歩いても人に出会うことは少ない。いても老人がほとんど。いまでは限界集落からワンランク昇格して消滅集落と呼ばれている。そんななかで若者が60人くらい結集して活気ムンムンだった。この日の吉野町の一日平均年齢は上田ゼミのおかげで少しだけ押し下がったことは確かだ。
 上田ゼミへ足を踏み入れ大勢の若者を見て最初に感じたのはそんなことである。
 
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あらかじめ製作されたイラスト入の映像による情報提供もスムーズに行われていた。

 この日のワークショップはゲストにプロのゴスペラー歌手を迎えていた。
 音楽と教育研究とコラボしたワークショップの研究会のようだ。最初に上田教授が自ら一階から三階まで参加者の間をかいくぐりながら「ここでは写真を見せながら自己紹介をしています」など会場全体を案内してくれた。恐縮至極。とにかく参加者の若さと活気が伝わってくる。

 いったん外へ出て敷地内から吉野川を眺め一息入れる。
 地元の御婦人がたも数名が参加していた。そこではなぜか上田教授を囲んでいきなり「井戸端会議」を始めている。これもまた日本の伝統的なワークショップの一つ?なのかもしれない。 
 
 やがて室内に全員が集合して上田ゼミの女子学生を中心にイベントが開催された。
 ゼミ生から最初に今日の研究内容の紹介があった。
 「今日はさまざまなテーマや意見ががあるけど一言に集約して「本気」でやろうと言うことです。」今回のイベントはゼミ生が終始参加し企画から実行まで担当しているようだ。
 単純明快な言葉に賛同の拍手が飛んだ。
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ゼミ生による研究発表風景。「本気」というキーワードがクローズアップされた。


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二階や階段にも参加者がいる。

 
 ついで日本語も堪能なゲストスピーカーとして「スティーブン マーフィー重松氏」(心理学者・スタンフォード大学)の話があった。一部英語も混じえながら「Sawbona(サウボーナ)」の歌と其の意味についての解説があった。
 スティーブン マーフィー重松氏のプロフィールを紹介する。
 心理学博士。スタンフォード大学の「ハートフルネス」というマインドフルネスにもとづく変容的教育プログラムの開発者。東西の智慧と科学を統合したプログラムを日米の組織向けにも開発している。ハーバード大学より心理学博士号を取得し、東京大学での教授職を経て、現職に至る。著作に『スタンフォード大学マインドフルネス教室』(2016)、From Mindfulness to Heartfulness: Transforming Self and Society with Compassion (2018), そしてスタンフォード式リーダーシップについての近著(2019)がある。
 
 
 「Sawbona(サウボーナ)」というのは南アフリカ共和国のズールー語で挨拶として使われている言葉である。「ズールー語」(Zulu、isiZulu)はもともとは現在のタンザニアに住んでいた「ズールー族」の言葉である。南アフリカ共和国では約1000万人のズールー族によって話されているという。
 南アフリカで挨拶のときに必ず使われる「サウボーナ」」(ズールー語)は「こんにちは」という挨拶語。この前の南アワールドカップでも「サウボーナ」」という挨拶が話題になった。
 
その意味を直訳すれば英語の「I see you」となる。
「サウ」は「わたしたち」そして「ボウナ」は「見ている」。
つまり「私たちは見ているよ」となる。
これが昔から連綿として使われているズールー民族の挨拶だという。

 これについて「スティーブン マーフィー重松氏」はこんな説明を付け加えてくれた。
 
 「I」も「you」も個人ではありません。
 「いつも自分の後ろには先祖がいて民族がいて・・・そういう背景の広がりをもつ」私という感覚です。
 「See」は「相手を尊敬」するという意味も持っています。
 
 それでは皆で「Sawbona(サウボーナ)」の挨拶をしましょう。
 ということで誰でもいいので向かい合って胸の前で両手を合わせて合掌し相手の目を少しだけでもいいので見つめあって「Sawbona(サウボーナ)」と言いましょう。
「Sawbona(サウボーナ)」というのは 「I see you」という意味です。
 言われたほうは「ンコーナ」(ここにいます)と答えましょう。
 「I am here」という意味です。
 
 「I see you」 
 「I am here」
 「サウボーナ」(見えています)「ンコーナ」(ここにいます)
   
 これは実際に南アフリカでは日常の挨拶の光景だという。では実践してみましょうと司会が促した。
 会場のあちこちでこの挨拶が行われた。
 私もそばにいた女子大生と挨拶をした。若い現役の女子学生と次々に間近に目を見合って 「I see you」 「I am here」などと言うのはなんとも気恥ずかしい。おそらく今後もこんなことは二度とはないだろう体験だった。
 そうこうしているうちにだんだん誰もが和気藹々となってきて「サウボーナ」の挨拶めぐりも盛りあがってきた。
 手を合わせ合掌しながらお互いに目をみつめて挨拶する。
 これは日本人には馴染み深いアジア系とくに仏教式の挨拶に感じられる。

 挨拶だけでなく次には歌が入った。
 「Sawbona(サウボーナ)」
 「I see you」
 あなたをみつめている・・・・・・・。
 
 独特の瞑想的な音楽にのって挨拶を繰り返しつつ「Sawbona(サウボーナ)」の歌を全員が大合唱した。
 参加者がだんだん気分的にも客席の後ろのほうから前へ出てきていつの間にか誰も彼も目に見えないステージの上に上がっていく感じがする。
 これが上田信行教授の提案している即興的かつ体感的ワークショップの一つなのかもしれない。
 
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平安時代の念仏僧。空也上人像。

 それにしてもこの 「Sawbona(サウボーナ)」という挨拶は非常に哲学的ではないか。
 
 「I see you」 「I am here」
 「あなたが見えています」「私はここにいます」
 
 お互いの相手の中に何を見ているのか。
 この会話はまるで禅問答のようにも思える。
 私の解釈ではそれは「相手の存在価値」ではないだろうかと感じた。
 相手が「あなたが見えているよ」というのは相手の存在価値をありのままに丸ごと認めての存在承認だろう。
 そう言われた自分は相手がありのままの自分をすべて受け入れてくれたことを自覚する。
 まさに無限抱擁と言ってもいい。そこには孤絶も孤独もない。
 これを相互に言いあうのである。
 
 まるで巷で神と仏が出会ったときにこんな会話を交わすのではなかろうか。深い意味がここにはある。人間のなかに神また仏という至高の存在を見出して相手への深い尊敬の念を表す。それがこの挨拶なのではないだろうか。
 そう、この挨拶を交わすとき人は相互に神と仏になるのだ。
 崇高にしてかけがえのない存在になることができるのだ。

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 「I see you」 と花に言えば 「I am here」と答えてくれるかも。
 見るもよし 見ざるもよし されど 我は咲くなり

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「I see you」  「I am here」 音楽の世界もこういうメッセージのやりとりなんだろうな


 これが仏教と縁のないアフリカ南部のズールー人の挨拶であることに驚く。広大無辺の荒野とか砂漠というものは人をおのずと哲学者に変えていくものなのだろうか。
 体験してみてわかったのだが日本人ならばすんなりとこの言葉は理解できるだろう。
 相手が誰かは知らないけれども自分も相手もその背後には先祖がいる。その先祖をずっと遡っていけば民族や国境を越えて人類の発祥にまでたどりつく。
 さらに其の先は地球の誕生であり宇宙の始まりであり・・・・。もはやそこまで行けば目の前の相手は「命」でありその源の宇宙そのものである。
 
 我即宇宙 宇宙即我 
 
 今日初めて会った相手さえも同じ生命体から分かれたもう一つの自分そのものである。
 永遠の彼方から近づいて出会い挨拶を交わしてまた永遠に去っていく。
 
  この「私」はあらゆる関係性から断絶された「私が」の「我」ではない。
  「I see you」
  「I am here」
  この挨拶は存在しないものを「ある」と錯覚している自我からの発信ではない。
  相互の関係性を確認する言葉のやりとりではないだろうか。
   
  サウボーナの言葉と歌により宇宙的存在としての我を瞑想的に感じる体験をすることができたようだ。

  
                                              
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ゴスペラーの歌手(向かって右)を紹介する上田信行教授。



  
  「Sawbona(サウボーナ)」に続いてゴスペラー歌手の登場である。
  この次に歌うのは「翼をください」という歌である。歌ったことはないが聞いたことはなんとなくある。でも会場の若い人々はよく知っている歌のようだ。プロの唱導のもとで全員が歌う「翼をください」。
  だんだん会場はロックコンサー会場のように。ロックフェスに参加したことはないけどそんな感じ。地元の主婦も私のようなおっさんも仲間いりしてこの日一番の大盛り上がりの一時となった。

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「一遍聖絵」。一遍の布教に人々が押し寄せえいる。

 いま 私の願いごとが
  かなうならば翼がほしい
  
  この背中に 鳥のように
  白い翼 つけてください
  
   ・・・・・・・
   
  この大空に翼を広げ
  飛んでいきたいよ
  
  悲しみのない 自由な空へ
  翼はためかせ 行きたい    
 
 会場は歌とあわせて躍動する人たちの熱気で一つの渦巻きになっていった。
 「人をプレイフルにする空間」をワークショップの体験で提案されている上田教授の気持ちが伝わってくるようなイベントだった。
 上田教授はコンサートの前に「憧れの人とかプロフェショナルといっしょに同じ作業をすることで自分もそういうレベルになれたかもという疑似体験をすることができる」と話していた。
 この日は参加していたゴスペラーのプロ歌手の人たちと一緒に「翼をください」を全員が熱唱した。こういう体験は参加者にとってはじめての経験だったことだろう。
 疑似成功体験を持つことでワンステップの向上心につながる。
 これも上田メソッドのワークショップの方法論なのかもしれない。わかったようなことを書いていますがこのあたりは私の生半可な理解でありたぶん正確ではないかと思われます。そのくらいに読み流していただければ幸いです。
 
上田ゼミの研究会場は誰もが一体になって歌い踊るロック会場のようになった。
その中で私の脳内には不意にと「一遍は中世の極楽ロックの大スターだった」というフレーズが浮かんだ。
 日本にも中世には日本式「ロックフェスティバル」というものは存在していた。
 念仏信者による欣求浄土を願って唱名しながら踊りまくる。
 それが「踊り念仏」である。
 
 「踊り念仏」といえば一遍が創始したと言われている。
 鎌倉時代末期に登場した念仏聖が一遍である。一遍はその生涯を遊行しての念仏の布教に費し阿弥陀仏による浄土往生を説いた。一遍が布教の中で生み出したのが「踊り念仏」である。
 その生涯を描いた絵巻物である「一遍聖絵」には一遍の行く先々で南無阿彌陀佛の名号を唱えながら集団で踊りはじめ乱舞し熱狂する人々の姿が克明に描かれている。
 
  それよりも早く平安時代の空也が「踊り念仏」をしたのではないかとも言われている。
  空也も一遍も共通するのは寺院に籠もった高僧ではない。遊行して念仏を広めた生涯を布教の旅で過ごし路傍の民草を教化し続けた「巷の聖者」「捨聖」である。寺も持たず家も持たず家族も持たず・・・・すべてを捨てて一身を信じるところの阿弥陀仏への信仰に捧げながら路傍に生きる人々のために自身の宗教的情熱を費し路傍に死んでいった。それが聖というものの生き方である。そこには仏教というものの理解を「捨ててこそ」という生涯の実践で示した信仰者の姿がある。
  日本において浄土思想を集大成しこの世とあの世を区分し地獄と極楽の違いを如実に示したのは「往生要集」を著した平安時代中期天台僧・「源信」(恵心僧都)である。
  源信よりも少し早く空也上人は独自に念仏の功徳を唱えた。
  空也は遊行聖の一人であり「念仏聖」「阿弥陀聖」また主に京都で布教したため「市聖」などと呼ばれていた。
  私が思うには空也は「踊り念仏」の開祖ではないだろか。
  「踊り念仏」で知られる「時宗」開祖の一遍に空也が影響を与えたのは確かだろう。空也上人の像が残されているが口から六体の仏像(阿弥陀仏)を吐き出している独特の姿をしている。これは南無阿弥陀仏の六字名号を意味する阿弥陀仏だと言われている。
  
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川の上につくられたステージで「踊り念仏」が行われている。


  私は空也上人の像を見たが胸の前に小型の鉦を吊るしており手には鉦を叩く専用の棒を持っている。通俗なことを言えばこの姿はちんどん屋に似ている。おそらく空也は鉦を叩きながら「南無阿弥陀仏・・・・なんまんだぶつ・・・・」と唱えつつ踊ったものだろうと想像する。法然や親鸞は立派な袈裟をつけた衣装を身にまとっている。求道者としての世界は重なるものがあろうが空也や一遍のような「聖」(ひじり)の生き方とは残された肖像の外見から見てもやや違う。
  集まった衆生もその空也の姿に念仏を唱和しつつ踊りの輪が広がったものだろう。 
  平安時代の空也に始まった「念仏聖」の系譜は大雑把に言えば高野山の念仏聖すなわ高野聖に受け継がれた。そして鎌倉時代に一遍という念仏聖の一大スターを生み出す。「踊り念仏」で一世を風靡した一遍は平安時代に始まり日本の中世に沸き起り巷を席巻した浄土信仰の一つの集約的な到達点である。
 「一遍聖絵」(いっぺんひじりえ)を仔細に見ていくと大勢の人々が一遍の行く先々に集まって「踊り念仏」に参加しあるいは見入っている。
 
  現代のコンサートやロックフェスティバルの熱狂は多くの参加者を巻き込んで会場をどよめかしている。
  たぶん一遍という念仏聖の大スターを迎えた信者たちもこんな風に熱狂して踊ったのだろう。
  一遍は高野山にも入り念仏聖として活動している。高野山は平安時代に空海が真言密教の修学道場として開山した。その後高野山は弥勒浄土であるという高野山の浄土信仰として広まるのだがそれだけではなかった。高野山の谷別所などに念仏僧が隠遁しはじめる。
平安時代中期になると阿弥陀信仰が高野山に広まりやがて高野山阿弥陀信仰の一大拠点となっていく。念仏を布教する高野聖によって高野山は極楽浄土を願う人々の阿弥陀信仰の浄土となる。いわば現世における阿弥陀浄土が高野山であるという高野聖の勧進を伴った布教によって高野浄土の人気が全国的に沸騰し納骨埋葬が相次ぎやがて奥の院は卒塔婆の林立する日本の総菩提所になっていく。高野山はいまは真言宗一色だが中世には念仏のメッカであった。
  一遍の影響もあり高野山には「時宗」念仏が大流行して真言密教は金剛峯寺や根本大塔を中心とする真言の学侶によって修学される一方で奥の院を中心とする菩提所は阿弥陀信仰に席巻されていく。
  一遍が去った後でも高野山では盛んに「踊り念仏」が行われている。
  高野山はまさに「極楽ロック」「念仏ロック」の聖地となっていくのだ。
 
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「踊り念仏」の拡大図。表情から体の動きまで仔細に描かれている。
 
  一遍は身分は最下層の私度僧でありいわば乞食坊主の「聖」であるがその影響力は半端ない。
  源信、法然、親鸞などの念仏思想の進化を踏まえ念仏思想の究極に到達している。それは南無阿弥陀仏という六字名号には絶大な力があって南無阿弥陀仏を一遍(一度、一回)唱えるだけで悟りが証される」という教義を説いた。「一遍」名前もそこに由来するのだろう。

  さらに「信不信を問わず」すなわち阿弥陀仏を信じていなくても関係なく南無阿弥陀仏と唱名するものは極楽浄土へ行くことができると説いた。仏の本願力は絶対であるがゆえに信じるものはもとより信じない者にまで及ぶと一遍は説いた。 この大確信をもとに一遍は「踊り念仏」と「賦算(ふさん)=南無阿弥陀仏の御札を配る行為)とであまねく衆生を極楽浄土へと導いた。阿弥陀仏への帰依の確信は法然も親鸞も超越しているのではないだろうか。
 
  一遍は信者の「時衆」を率いて遊行(ゆぎょう)を続けた。一遍聖絵を見れば一遍の訪れる先の路傍には誰からも相手にされない賤民(穢多・非人)さらに顔に包帯を巻いた癩病患者、両手に下駄を履くいざりなどの病者などもひしめき合うように集まっている。みな一遍に救いを求めて集まっているのである。
  「踊り念仏」は絶対他力を信じる人々からの阿弥陀仏への感謝の心の発露である。
  いささか一遍と踊り念仏の講釈が長くなった。
  「翼をください」の大合唱の輪のなかで私の脳内は中世へワープして一遍の「極楽浄土・念仏ロック」の世界をさ迷っていた。
  
  この大空に翼を広げ
  飛んでいきたいよ
  
  悲しみのない 自由な空へ
  翼はためかせ 行きたい 
  
  大音響と歌声と若者たちのウエイブ。ときに手を突き上げて飛び跳ねる。
  ゴスペラーズのプロの唱導により皆の歌声がうねりとなり会場は一体化していった。
  
  もしこの場に一遍がいたならば・・・・・。
  私の脳内の妄想の世界での一遍の言葉を再生すればこんなふうになるだろう。
  
  翼がほしい 白い翼つけてください・・・・・
  カモンベイビー ナムアミダブツ  いつでもどこでもなんでも ナムアミダブツ
  
  その願い 一遍 叶えてしんぜよう
  ラッパー 一遍 教えてあげる 
  
  (注・悪乗りはやめよう。・・・・私のココロの声)
  
  阿弥陀仏様はすでにその願いを聞き届けておられる
  飛んでいきなされ どこまでも もうすでにあなたたちの背中には 極楽浄土へ羽ばたいて行ける
  南無阿弥陀仏の 翼がついているのだから 
  
  阿弥陀仏のあらゆる衆生を救うという本願を信じなさい 
  その歓喜の気持を込めて さあいっしょに  
  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 いっしょに歌いなされ 踊りなされ
  
  一遍の叩く鉦の音が「翼をください」の大合唱に重なっていく。
    
  ミニロックフェス状態の輪の中でそんな妄想に突き動かされていた。
  若者たちの「翼をください」の熱唱はうなりながらなお続いていた。
                          おわり 


●「Party of the Future 2019に参加して」
URLのリンク。↓ 

このイベントに参加された松下 慶太氏(実践女子大学人間社会学部・准教授。)によって当日の様子がレポートされていたのでリンクさせていただいた。あわせてご覧いただければ当日の雰囲気がよりおわかりいただけるかと思います。
Posted at 2019/06/04 20:44:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記

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