「平成」が終わりまもなく新しい御世となる。
振り返ると大災害が頻発した日本史上でも稀なたいへんな時代だった。次代はなんとか平穏な世の中になってほしいと願う人がほとんどだろう。
先日奈良県と京都府との境にある「イオン」・高の原店に行った。この店は店内を歩いていると奈良と京都との境目があってこっちは奈良、こっちは京都というなかなか珍しい店だ。
そのため南都銀行があると思えば少し行くと京都銀行がある。
イオンモールのある場所は京都府の住所で言えば木津川市である。奈良側は奈良市右京だ。
エスカレータを上がった二階のメインストリートの中頃に奈良県と京都府の境界線がある。
奈良側は鹿の絵が京都府側には抹茶と団子の絵がある。真ん中の茶色の線が県境である。
反対から見ると奈良は柿、京都は橋の欄干の擬宝珠が描かれている。この建物は駐車場を含め全階で境界線が明示されている。ちなみにゴミの分別処理なども奈良と京都はそれぞれの行政基準によって行われているということだ。
ところでこの木津川市は昔からの地名として「南山城」と呼ばれている。
これは「なんさんじょう」でもないし「なんざんじょう」でもない。何か城の名前かと勘違いするかもしれないが城ではなく「みなみ やましろ」と読む。
一般に「京都府」の中で京都市から南半分くらいの律令国家の一つを「山城国」と呼ぶ。
「山城国」の南部なので木津川のことは「南山城」と呼ぶのだろう。京都市以南を山城国とすれば木津川は南部にある。
京都府の南半分は律令国家の時代には「山城国」と言われた。
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「やましろ」は、古くは「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている。( 山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』 東京堂出版)
つまり京都は都である奈良の平城京から見れば北の方角に山となっている奈良山の向こうにある土地であるから「山の背の国」つまり「やましろ」国だという意味である。実際に近鉄線の大和西大寺駅から京都方向に行くといきなり山となり行けども行けども山の間を通り高の原駅に着いてもまだ前方にはまだまだ高原が広がっている。これが奈良山(平城山)である。
山城国は平城京に近く古くから文化が開け高麗、秦氏など渡来系の人が住んだ。平城京にもっとも近い木津川には高麗寺跡もある。大雑把に言えば京都は平城京に近い木津川から北の現在の京都市へ向かって徐々に開けていったのではないだろうか。木津川には平安時代の本堂と三重塔のある浄瑠璃寺がある。国宝の9体の阿弥陀如来像が昔のままの暗い本堂の中で静かに黄金色に輝いている。木津川には聖武天皇が一時期恭仁京を置いて都としたこともあり南山城という地域はいわば平城京の奥座敷あるいは隠れ里のようなイメージがある。
前置きがとても長くなったのだがともかくこのイオンモール高の原店に行った時下の画像のように新元号の予測がイベントとして掲示されていた。どんな新元号が予測されていたのか画像をごらんいただきたい。
「安」の字が多いようだ。
やはり「安」が人気だが「岡比」というのはどう読むのだろうか?「安世」はまさに国民の願いだろう。
そういう世の中であってほしい。
「加善」というのは国民に善行を促すようなイメージで共感する。いかなる元号になろうとも日本は加善の国であり加善の国民でありたいものだ。
「安寧」はありそうでなさそうな感じ。「和心」もいいですね。「和」も人気だけど「昭和」があるのでどうか。意表をついて「平木」・・・?
このなかに新元号があるかないか。楽しみに4月1日の発表の日を待ちたい。
Posted at 2019/03/27 14:41:30 | |
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