この頑丈に作られた水路。
なんに使われていたものでしょう。
ゆるやかな傾斜があります。水は画像前方の上から流れ落ちているのですがごらんのようにほとんど水がありません。
現在水路上部の左側に見える施設は水力発電所の一部です。
写真では見えませんがこの水路の上にはさらに同じような水路があり左手の山の上の方まで延々と続いております。
現在はこの水をせき止めて水力発電所の発電用水力として利用しています。
こんどは水路の下の方を見てみましょう。
前方には吉野川の本流があります。
水路は吉野川へ向かって一直線に降っています。
人工の水路を山側の中腹から吉野川へ向かって通していることがわかります。
左の赤い鉄部分は水路をまたぐ短い橋の欄干です。
これが水路の終点、川へ注ぐ突端部分です。
川には岩がごろごろしております。
これで水路の写真は終わりですが何のための水路だったかおわかりでしょうか?
この現状の姿で水路の役割を想像するのは難しいことです。
上流にダムが二箇所できたので水量が激減しました。
昔は現状よりも水面は一㍍くらいは高かったのです。
水路の下流にある上吉野材木市場の光景。
山から切り出した檜や杉が並べられ競り市が開催され全国へ出荷されます。
現在はときには山からヘリコプターでこういう木材が宙吊りにされて運びだされます。
水路とこの木材搬出との関係が何かあるのかな?と想像できますか。
材木市場の横辺りの吉野川の光景です。
水量はほんとうに少ないですね。
では正解を発表します。
吉野町のさらに奥地の川上村など山林地帯から切り出した丸太の木材を人工水路を使って流し、先ほどの先端部分で吉野川へ入れます。そこで筏を組んで下流へ流し貯木場から材木市場へ陸揚げしていたのです。
人工水路のできるまえは最初から筏を組んで吉野川を下ったのです。
上流の宮滝あたりは激流の難所でたいへんな作業でした。
材木市場からさらに下流の桜橋付近。
左の黒い道が途切れるあたりまでかつては水面があったといいます。
手前下に石が二三個あります。
かつては対岸とこちらをつなぐ桜の渡し舟があって、この石が対岸とつなぐロープをくくる要の石だたっということです。
いまでは想像もできませんがこの吉野川を筏流しが下り、夏には吉野川名物の鮎
をとる篝火をつけた「鵜飼い」の舟が浮かび、鉄骨の橋もなく人々は渡し船で急流を渡っていました。
鵜飼いが吉野川で行われていたとはびっくりです。
ビリケンさんからコメントをいただいて昔の吉野町や筏流し光景の写真を探してみましたらこのような写真集>ふるさと吉野 懐古写真集 吉野町文化協会編 昭和61年7月12日発行が吉野町文化教会からネットに提供されておりました。リンクしてありますのでぜひ下のURLとあわせて昔の吉野川の風情をご覧ください。鮎シーズン、桜シーズンの観光と同時に町の経済を支えている林業の大動脈として吉野川の筏流しが大活躍していたことがよくおわかりいただけると思います。まさに産観一体で繁栄した豊かな光景がそこにはあります。
この吉野町懐古写真集の中に、上の人工水路で木材流しをされていたころの貴重な写真がありました。数枚をコピーしてみます。
◯この写真の説明文◯
筏流し 吉野川の上流から材木を筏に組んで水路搬出した。
大正年間に水力発電所が出来たので川の水量が減った。大滝から楢井の間は発電用の隧道を利用し筏を流した。
楢井の落筏路より吉野川にでて、妹山の土場で大きな筏に組み替えた。
上の二枚の写真は私が冒頭に写した写真と同じ場所です。まるっきり迫力が違ってみえますね。二枚目の筏の写っているのは人工水路の出口の写真と同じ場所です。
また材木市場のそばの吉野川の写真で水が少ないですねという説明の写真を載せました。この懐古写真集の同じ場所の写真がありましたのでコピーしてみます。いかがでしょうか。まったく水量が違いますね。
吉野川をはさんで左の小さい山が妹山、右の大きな山が背山です。桜橋の渡しというのは川の中に浅瀬の岩場が見えているあたりです。これだけの水量があったので大木の筏流しも十分にできたと思われます。
当時「香月楼」の写真も一枚。
大正時代の写真です。
関連情報URLで吉野川の昔の写真を見ることができます。
最初の写真に戻れば散歩のたびに「この水もない水路はやけに立派だが何なのだろう」と長いこと疑問に思っていました。いつ誰に聞いたのか材木を流した水路だということがわかり驚いたことを覚えています。
現在は国産木材の需要が減って林業は厳しいと言います。
ただいつかはこれだけの木材の資産がさらに活用される日が必ず来ると信じています。楽観すぎますかね?そうあってほしいですね。
★昔の吉野川、舟遊び、鮎、木材の筏流しの写真もあります。
大正時代の貴重な写真です。
いまはたくさん橋がかかっていますが当時は橋はありません。渡し舟です。
昨夜来の雨まじりの雪がやんだ。
朝の道。
軒下にうっすらと雪が残っている。
石垣で補強した上に家が建てられている。石垣の向こうの並びの家は空き家になっている。
川は両側の傾斜地形の底に流れている。
山と山との間、谷底に川が流れている。このあたりは河川周辺の改良工事はほとんどなされていないので蛇行する川がそのままの形で存在している。
冬のせいか川の水が枯れて川底のみえる部分が大きくなっている。
長靴を履いてでも渡れそうな浅瀬である。
水は透明でいかにも冷たそうだ。
渡っている橋の上から普段は鯉や亀がいるのが見えるが今は何も見えない。
先日はこの河原でどんど焼きをやっていた。
河原の斜面に畑がつくられている。右側の平坦な部分は稲作の田んぼである。
高齢のご夫婦で農作業をやっておられるが斜面の畑の登り降りはけっこうたいへんである。
とても立派な民家である。
だが実はこの家は空き家である。
このあたりそこら中に空き家がある。
所有者も遠隔地に住んでいる場合もすくなくない。
こうした増えるばかりの空き家をどうすればいいのだろう。
いまの町の人口は8000人を切っている。
だいたい一年間で200人くらいの人口が減っている。
限界集落からしだいに消滅集落に移行しつつある。
冬の田んぼの光景。
こちらも田んぼ。この近くまで来た時、足元からバタバタと鳥の羽音がした。
みると雉が二羽飛び立っていった。
そのあと鴨も一羽大きな羽根音を立てて飛び上がっていった。
寒さがきつく餌のない冬場は鳥も生き抜くのにたいへんだろう。
歩いていると犬がいた。右側の道路の下にある家の飼い犬だが道にまで散歩に出てきたらしい。何度も同じ道を通っているがここで犬に出会うのは初めてだった。いつもは吠える声をときどき聞くだけである。
これは別の日に見た光景である。
ずいぶんと古いバスが置いてある。何かの作業場か物置代わりに使っているのだろうか。霧の中で見にくいが正面の家の左脇に立っている木は高野槇の大木である。
正月は近所の村社八幡神社に初詣参拝。
少子高齢化の中でも村の人々が村社はじめ地区の年間行事を守っています。
今年の正月はあまり出歩かない静かな数日間を過ごしました。
ホンダの黄色 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2016/01/17 09:30:57 |
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