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角鹿のブログ一覧

2015年11月28日 イイね!

囲碁の大会に出場したこと。

囲碁、将棋、麻雀・・・・・うまくはないですが全部、できます。
思えば私の親父が道楽もので子供のころに親父が囲碁、将棋、麻雀、魚釣り・・・・などやっていたので見よう見まねで自然と覚えたわけです。
ただいずれも上達するというわけではなく漫然とできるという程度です。
囲碁は子供のころに新聞の囲碁欄をみてその通りに並べてみたら親父が帰宅してしばらく碁盤を眺めていて「これはおまえが打ったのか・・・・わしでもこれは打てん」と言っておりました。
高校時代に囲碁の強いという友人に出会った。
そこで彼の家に行き囲碁を打ったのだがまるっきりダメだった。
「なんでここに打つのか?」
「・・・・・」
「石を打つには意味がないといけない。君がここに石を打つわけがわからない・・・・」
「・・・・・」
まあ初心者のうちは高段者からみればこんなものである。
まるっきり棋理もなにもわからない状態だった。
それでもなぜか囲碁を打つのに興味を覚え独学で勉強した。
おりしも私と同年代の石田芳夫本因坊が「置碁大全」とかいう本を出版していたのでそれを買って勉強したことを覚えている。石田芳夫本因坊はコンピュータと言われて終盤の読みの正確さで無類の強さを誇っていた。
昭和30年代には囲碁界は坂田栄男、藤沢秀行、橋本宇太郎などのベテランをはじめまだ高川秀格(格)、呉清源も健在だったように思う。若手というか中堅というか加藤正夫、 趙治勲、林海峰、大竹英雄、竹宮正樹など個性派棋士が活躍していた。
若手の棋士も好きだったが私は高川秀格と呉清源のケレン味のない棋風が好きだた。

たまたま東京で仕事をしていた業界の囲碁大会というものがあった。
その会社でよく囲碁を打っていた相手にけっこう強い人がいた。
その人から「いっしょに囲碁大会に出ないか」と誘われた。
そこで市ヶ谷の日本棋院で行われた東京●●業界の囲碁大会なるものに出場することになった。
大会は有段者の部、級の部というものに分かれていた。
そこで級の部に出ることにした。実力は自己申告であった。
会社の囲碁好きで私を誘ってくれた有段者の部に出る人が「まあこういう場合は実力は弱く申告したほうが勝つ確率が高い。だいたい誰もがそんなふうに下げてくるんだよ。で君はまあ一級か二級だろうが五級にして申告しておいたから頑張れよ」と言ってくれた。
そこころ自分の実力は自分で判断できなかったのでそんなものかと思ったくらいだった。
会場は日本棋院の「幽玄の間」だった。参加者は三〇人くらいだったろうか。
プロ棋士のタイトル戦も行われる部屋である。いささか緊張したが出場した以上戦うしかない。 
最初の対局者は私に対して黒石をもった。
ということは六級の申告者である。
打ち始めてみるととても六級の打ち手ではない。同じ会社から有段者の部に初段自己申告で出ている実力二段の人と同じくらいかあるいはそれ以上の技量であることはすぐにわかった。
じりじりと押されて形勢は不利になった。
相手はもう鼻歌交じりで周りの対局をちらちらよそ見しながら楽々と打っている。
こういう場合には起死回生の勝負を仕掛けるしかない。
たまたま相手の囲っている隅に飛び込めばなんとかなるのではないかと目をつけた。
相手はもう隅を囲って安心しているがその中に眼をつくる余地がありそうな気がした。そこで果敢に打ち込み相手の意表をついたこともあったのか相手の陣地の中で生きることに成功した。ということは囲碁の分かる人にはわかると思うのだが隅を囲っていた相手の石が全滅してしまい逆転で辛勝した。
相手は本当に強い人だったがなんとか第一回戦を勝利したのである。
相手は六級とはとても思えない実力だと思ったのだが大会はすでに始まっているのでともかく対局者と申告された手合で戦うしかない。
ついで第二局が始まった。
いまこれはまったくどんな囲碁だったか記憶にないが勝利した。
ここで昼食になった。
囲碁会館の一階にはレストランがある。そこで同じ会社の有段者の出場者といっしょに食事した。
「どうでしたか?」
「いや負けたよ」
「・・・・」
「昼から君しか残ってないから頑張ってくれよな」
「はい」
午後の対局が始まった。
第三局も勝った。
この対局中に気分が悪くなった。
極度の緊張で昼ごはんを食べたのだが吐き気がしてきた。
そこで対局中にトイレに駆け込んでゲゲーーと吐き戻してしまった。
素人でもこういう緊張する勝負になると胃が痙攣してくるのである。
胃が痛くなるという経験はこのとき初めて味わった。
最後は決勝戦であった。
もうこのころには有段者の決勝戦も終わり「幽玄の間」はざわざわとしていた。
私の打つ最後の級の部の決勝戦だけが行われていたのである。
そこかしこで自由に対局する参加者もいて談笑の声がしていた。
それでも大会の主催者はじめ大勢の人々が私の対局を囲んで見守っていた。
いまでも覚えているがどういうわけかこの決勝の相手は拍子抜けするほど弱かった。
決勝戦まで出てくるのだから弱いはずがない。
しかし極度の緊張で実力が発揮できないこともある。
だが油断大敵、真剣勝負であるからには自分は精一杯戦うだけである。
対局がはじまりしばらくしてどうみても私の勝ちが揺るがない形勢になった。
すると対局中の碁盤を囲んで立って見ている人から
「力が違いすぎるわ」
「こりゃあとても級の部の手合じゃない」
「こんど出てもらうときは二段ででてもらわにゃあ」
とかわざわざ揶揄する無責任な声が聞こえてきた。
この決勝戦の対局中、いっしょに有段者の部に出場した会社の人がいつの間にかわざわざ私の隣に碁盤を持ってきて誰かと碁を打っていた。
しかもときどき咳払いしながら下手な冗談をいいつつ碁を打つのである。
自分は負けたが後輩の私を隣でさりげなく激励してリラックスさせてくれていたのである。その気遣いには対局中からわかって知らん顔して対局に集中していたがほんとうに力強く思えて有り難い気がした。
周りはもうこの対局で終わりだという騒々しさでいろんな声を聞きつつ勝負は終わりつつあった。
自分は周りの声のように有段者ほどの実力があるとは思えなかった。
しかしそういう雑音に惑わされないようにしながら最後まで丁寧に打って勝利し思いがけず優勝ということになった。
繰り返しになるが終わった後に感じたのは最初の対局者が一番強かったということである。
十中八九負けていたので起死回生の一手を放たなければ私は一回戦負けでおそらくは相手が優勝していてもおかしくはない実力だったと思う。
勝負のアヤとは不可思議なものである。
決勝戦が終わりふと周りを見ると先に帰った人も多く人は少なかった。
表彰式で優勝盾と賞品をいただいた。
賞品は銀座松坂屋の仕立券つきのワイシャツ生地であった。
暮れなずむ市ヶ谷の駅でお堀に映るネオンサインを見ながら先輩と分かれて中央線に乗ったことを覚えている。
今思い出してもこれほど真剣に緊張して囲碁を打った経験はこのときだけである。






Posted at 2015/11/28 23:58:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年11月26日 イイね!

酒の肴。



今日は寒いので芋焼酎を飲もうかな。

「さつま白波」というよく売られている鹿児島の焼酎を買って来た。

酒のツマミがないので冷蔵庫を見たら安いししゃもがあったので焼くことにした。

ガスで火をつけ少し網を高くして焦げないように焼いてみた。

網の位置をあまり高くしたのでなかなか焼けない。

そのうちだんだん疑問に思えてきた。

たかがこんな安物のシシャモを5、6匹焼くのもこんなにガスを燃やして時間もかけるのは資源の無駄ではないか。

シシャモといえば北海道に本物のシシャモをとる町がある。

値段はびっくりするほど高いが味は今焼いている代用のシシャモとはまったく違う。

本物の生シシャモを買って焼いて食べたことがある。

小さいにも関わらずウロコがしっかりと着いており大きな鮭にも似た風格を感じた。

それに代用シシャモは卵をもつメスが珍重されるが本物のシシャモは身の多いオスがいい。

しかし関西のスーパーの鮮魚売り場では本物のシシャモをみたことがない。

シシャモではないが「目光り」という魚もフライにすると絶品である。

値段は安いがこれまた売っているのをみたことがない。

などとあれこれ思いつつ焼いているとだんだんシシャモの身がぷっくらとしていい感じで焼けてきた。

そうなるとどういうふうに仕上げていくかに興味がわき、網の位置やガスの強弱を加減しつつ菜箸でひっくりかえしてみたりシシャモの位置を変えてみたりといそがしくなってきた。

最終的に焼き目をつけるために焼き網の位置を下げて焦げないyようにしつつかなり時間を掛けて焼き上げた。

エネルギー資源の無駄、時間の無駄、ほんと無駄だらけだがなぜか小さい充実感があった。

コンビニにいけば焼いたシシャモがパックに入って売られている。

そのほうが経済的かもしれない。

しかしこういう安ものの代用シシャモをじっくりと焼いて食べるのもまあ一興か。

今日はみかんと柿を買いに行った店に150円でカブの甘酢漬けを売っていたので買って来た。

シシャモの皿の右にあるものだ。

酢がよく利いているが酢のものは酢が効きすぎていても気にはならない。

ゆずが二切れと赤唐辛子が入っていた。

ゆずの香りが薄かったのでゆずの皮を削って少し足してみた。

シシャモの味はやはり丁寧に焼いただけあって二、三割はおいしく感じた。

まあ手前味噌ということで。




Posted at 2015/11/26 23:32:14 | コメント(5) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年11月25日 イイね!

玉ねぎの皮の茶。

「玉ねぎの皮の茶」

ためしに作ってみました。

これくらいの小さい玉ねぎ3個。


表の茶色い皮を取りました。

洗って小鍋にいれて煮ます。






こんな感じです。

5分くらい煮てみました。

水の量は一リットルくらいです。

淹れたあとなので分量が減ってます。











色はきれいな琥珀色です。

苦味が少しあるような・・・。

でもそんなに気にはなりません。

とても飲みやすくおいしいです。

体によさそうなのでこれからも作ってみようかな。

高血圧にもよさそう。




参考までに栄養などのデータ情報を。

http://matome.naver.jp/odai/2139774893186503401
NAVERまとめ


市販品もあるようですね。


★関連情報URL

  手作りの方法。
  「たまねぎの皮のお茶  クックパッド」

Posted at 2015/11/25 14:01:40 | コメント(4) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年11月22日 イイね!

日常の風景。


ゴミ捨て場の全景。

カラスを撃退できています。

この前はけっこう車が通ります。

以前、あまりにもカラスの襲撃にあってゴミ捨て場が生ごみの散乱状態となりやむなくゴミ箱をつくるというブログを書いたことがあります。その後、だんだん補強を重ねて現状はこんなふうになりました。いまではカラスも諦めて近寄らなくなり平穏なゴミ捨ての日々が続いております。
  ただこう写真で見るとホームレスの家のように見えて見栄えが悪いですね。
  ベビーベッドの床板や襖は引っ越しする人が捨てるというのでもらって打ち付けたものです。強度は抜群で必要なんですがあまり美的ではないなあ。実際には青い網に隠れてさほどは目立たないんですけど少し見栄え良くする対策を考えてみようかな。
  ふだんは生ごみの量は容量の4分の1くらいで余裕なんですが年末年始にはこれがたぶん満杯になると計算しています。いまはゴミよりも上から落ちてくる落ち葉や小枝、あけび
などなどの落下物が網を汚すのが問題です。工夫して網を斜めに吊るしているのですがこれでも落ち葉がわんさか溜まります。
 また落ち葉は周辺の下にたまるのでときどき掃き掃除してしております。
 地面に草の生えないように吉野川の河原から石を拾ってきてかなり撒きましたがまだ十分とはいえません。石運びはけっこういい「運動」にはなりますが近頃は少しさぼっています。下はコンクリートなのになぜか草好き勝手に生えてくるんですよね。湿気が多いせいでしょうか。



吉野川です。橋の上から。川底にコンクリートの長い基礎が見えますが昔は右側からここまで土地があって建物が建っていました。
右側は大きな中州だったそうです。
しかし大水が出て中洲の上まで水に流されてしまったので中洲の向かって左側を半分弱削り見えませんが向かって右の川を埋め立ててこのような広い川幅にしたそうです。
川の中にあるコンクリートの基礎はその名残だそうです。





橋の上から見下ろすと流れはとても澄んでいました。



橋の上から川面を眺めてみるとこんな感じです。望遠ズームレンズを使いました。


橋をわたって歩いているとコンビニがありました。その角に柿の葉寿司「平宗」の旗があったので撮影してみました。


同じ町内会の柿の葉寿司老舗「平宗」のノボリ旗。適度に風が吹いてはためいていました。前の道を右へ行けば五條へ行き、幟旗の道をこっち側へくれば桜井市へいけます。




写真の上の方にお堂が見える。急な階段をそこまで登ることができる。急傾斜に建っているお寺である。
ほんとに何の変哲もない風景なので紹介するのもどうかなあと思うのですがこんな風景でお茶を濁して本日のブログにします。
Posted at 2015/11/22 20:09:05 | コメント(3) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年11月14日 イイね!

脳天大神へ行ってみた。②



金峯山寺蔵王堂直下の樹林に囲まれた深い谷底。谷川に沿った狭隘なこの地に脳天大神は人里を離れた修行場としていまも修験者はじめ修行僧がひっきりなしに訪れる。道の正面にあるのが本殿である。川の右手はお百度参りの回廊。

  


お百度参りの回廊が灯りに照らされて荘厳である。堂宇は狭い谷に沿ってぎっしりと建てられている。おそらく長年にわたり山肌の崖などを削って修行場を造営してきたものと思われる。


   
崖にそってさまざまな神仏の石像が並んでいる。右は脳天大神の由来でもある大蛇石像である。

 
受験生の合格祈願の絵馬も多く奉納されている。脳天大神ということで受験にも霊験あらたかと言われている。


この昭和36年の脳天大神の写真は脳天大神の詳しい解説、写真のある「みどりの木ブログさんからお借りしました。たいへんに珍しい写真です。

 吉野山山域は熊野まで続く山岳霊場としての古い歴史をもっている。
だが脳天大神のある場所が霊場として知られるようになったのはさほど古いことではない。というよりも新興霊場として人気を集めているといったほうがいい。
戦後、金峯山寺の大僧正が滝修行の行場を探して吉野山中を歩いている時偶然にここで頭を割られている蛇を見つけて供養をしたという。
 すると大蛇が蔵王権現の化身として夢に現れた。供養の礼を述べ頭に関する悩みを聞いてやるとお告げがあった。そこでここの祠をつくりお祀りをしたところ頭に悩みを持つ人々の信仰を集めるようになり霊験あらたかと評判を呼んでしだいに今日の脳天大神の姿をみるまでになったと言われる。
 この上の写真は昭和36年ころの脳天大神の様子。小さい祠があるだけでまだ神社の体裁もない。
 もし脳天大神に願いを叶えていただけるなら、煩悩物欲の権化となり我利我利亡者だらけの末法濁世を生きる人間の頭の中味をかち割ってまっとうな脳と入れ替えてもらいたいものであります。
南無脳天大神、よろしくお頼のもうします。
 南無?一応ここはお寺なので仏式で。というか日本では古来神も仏も一緒なんでお寺も神社も同じことなんですね。明治政府の廃仏毀釈というわけわからん政策が混乱の元だと思います。日本は神仏混交、神仏習合で何の問題もなくやってきたのであって八百万の神さまにありがたくお守りいただいてきたんだと思います。



手を清めるのは龍の吐く山水で。けっこう勢いがありました。


脳天大神本殿の内部。


護摩が焚かれていた。


本殿奥の祭壇。

 
この鳥居の上につづく階段を登っていけば蔵王堂のそばに達する。
ここを昇り降りして蔵王堂と脳天大神を往復すればもはやそれだけで立派な修行である。おそらくは滝にうたれなくても貪瞋痴の煩悩も風の彼方にたちまち消え去り身も心も洗われ煩悩即菩提生死即涅槃という仏心にも通じる境涯に達すること間違いないし、でありましょう。ぜひ挑戦してみていただきたい。この恐ろしく急勾配の階段を見上げただけで即ギブアップした私はしょせん縁なき衆生は度し難し、の類なのでありましょう。
 



 
滝行を行う修行場。申し込みは社務所へ。 滝行修行場の内部。








 以上、ふもとから歩いて見物してみた「脳天大神」の紹介でした。
  
 吉野山の花見の季節においでになり体力に自信のあるかたはぜひこの吉野山中にある秘境霊場・脳天大神を訪れてみてはいかがでしょうか。ちなみに脳天大神から吉野山の蔵王堂までの階段は450段ありほかにも斜面の上り道があるなど上りも下りも楽できません。しかもここは修行の場なので観光地のようなロープウエイとかありません。
 物見遊山気分の便利さ快適さとは無縁の本物の修行の場というものが吉野と熊野の山岳霊場の特徴かもしれません。
 いまだに山伏は大峰山などの剱岳で厳しい修験道を守っています。
 また奈良や京都からみれば吉野は山奥のどん詰まりかもしれませんが実は逆だという見方もあります。実は熊野が表、吉野は裏だという捉え方が古くからあります。
 もともと黒潮の海路がが日本の主要交通路だった時代には和歌山、熊野こそが日本の表側であり和歌山、熊野の人々が暑いい夏場に吉野にきて避暑を過ごて冬にはまた和歌山、熊野に帰っていった、という人の流れがあったと言います。
 この海から山へという人の往還により塩蔵鯖が吉野に運ばれて柿の葉寿司が生まれたというのは間違いないことでしょう。下北山村といった熊野と吉野をつなぐ険しい峠道の山の中に柿の葉寿司の老舗があります。
  吉野の剱岳の山の中で鯖の柿の葉寿司が生まれていることを思えば和歌山、熊野の山岳交通路は紀伊半島の「鯖街道」だったと言うことができます。
  話がどんどんそれますのでこの件はまた別の機会に。

Posted at 2015/11/14 20:08:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記

プロフィール

「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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