飛鳥川の奥地に「結界」を見た。
かなり珍しい光景だった。
結界についてWikipediaには次のような説明がある。
「結界(けっかい、Skt:Siimaabandha)とは、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。本来は仏教用語であるが、古神道や神道における神社なども、同様の概念があることから、言葉として用いられている。大和言葉では端境(はざかい)や「たんに境」」ともいう。」
仏教では修行の場所などには結界があり、神道でも神の依代となる磐座や鳥居や注連縄、囲いのある境内などは聖と俗との境界を示す結界となっている。
茶道においては茶室などは結界であるし商売においては店先の暖簾なども一種の結界である。
飛鳥川の結界というのは集落の入り口にあたるあたりに川をまたいで空中に注連縄を張りそれが結界となっていた。ぼんやりと見ていれば見過ごすようなものだがよくみれば紛れもない結界なのである。
まず明日香村の石舞台から飛鳥川に沿って県道15号線を南に進んでいった。
稲穂の伸びている棚田が美しい。のどかな里山の風景が広がる。
この県道15号線は高取川の谷を飛鳥川にそって南北に通る狭隘な山道であり吉野と明日香をつなぐ古い峠道である。
石舞台のある明日香村の中心地からだいたい4㎞ほどの地点に稲渕集落がある。
最初の結界は稲渕集落の入り口に架かっていた。
ここに立派な橋があってこの橋をまたぐかたちで長い注連縄が天空に張られていた。知らない人が見たら「なんだろうな?」で終わってしまうだろうが、この結界の中心に吊るされているのはなんと男性のシンボルだそうな。そう言われてみれば、まあそんなかたちをしているようにも見える。
この男綱結界は長さは80m、重さは300kgにもなる。
毎年1月に稲渕集落の行事として結界を作成し結界を張る神事が執り行われるという。
この結界を少し登って行くと「飛鳥川の飛び石」というものがあった。
これは昔の橋がわりに設置されたものである。飛鳥川はさほど川幅が広くないために石を並べて浅瀬を渡るという簡単な橋なのである。
飛鳥川(あすかがわ)は、奈良県中西部を流れる大和川水系の一級河川。奈良盆地西部を多く北流する大和川の支流の一つである。
明日香川とも綴る。流域は古代より開けた地で、古歌にもしばしば詠まれた。飛鳥川の延長は22 kmでありそう長くはない。高取山北東麓に発して明日香村中央部を北に向かって流れ下り、橿原市、田原本町などを経て川西町保田で大和川に注ぐ。
飛鳥の岩橋、飛び石とも。昔はこういう石が橋の代わりだった。浅瀬ならこれでまあ十分なんだろう。
大水で石が流されればまた元に戻して何度でも使える。場合によってはこういう石に丸太を渡せば少々深い場所でも大丈夫。
飛鳥の岩橋は「日本百名橋」の番外となっているそうだ。
まあ橋というには橋らしくもないので番外で十分か。
ただこういう石もいつからあったとはわからないのだがそれこそ飛鳥時代からあたっと言ってもいい。このあたりの地形や風景はほとんど変化していないので往古の姿そのままに現代の生活遺跡とも言える昔風がそのままに残っているのだ。
この結界もまたその一つなのである。
稲渕集落から飛鳥川にそってさらに緩やかな坂道を2㎞ほど登っていくと栢森(かやのもり)集落になる。
ここにもまた結界がある。

空中に注連縄が張られているのは稲渕集落の男綱結界と同じではあるが、中央に吊り下がっているものがなんとなく丸い。これは女性器を象徴したもので女綱結界と呼ばれているそうだ。
「綱掛け神事」が行われるのは、稲渕では毎年1月第2月曜、栢森では旧正月である。
稲渕の男綱は神式で行われるがこちらの女綱は仏式での儀式が行われるのだという。
飛鳥川の結界は古来から五穀豊穣子孫繁栄悪霊退散を願い行われているものだ。
しかもいまも集落総出の行事として毎年張り替えられている。
こうした伝統行事があるのも古代空間そのものの飛鳥川流域らしい風習である。
関連情報URL 奈良、明日香村栢森(かやのもり)の棚田
Posted at 2015/08/27 22:01:51 | |
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飛鳥見物。 | 日記