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角鹿のブログ一覧

2015年07月24日 イイね!

これは凄い!見たことのないヌンチャク打法。




埼玉県高校野球に登場した滑川総合高校の馬場選手。
ピンチヒッターに指名されて打席に立った。
そのときの打撃前の準備運動?なのかバットをヌンチャクのように振り回すパフォーマンスで目立つ目立つ!
試合には負けて残念ながら甲子園には届かなかった。
でもこれだけの技を会得するまでにはかなりの練習があったんだろう。
よく頑張ったと思う。
普通の監督なら「ばかな真似するんじゃない」と怒るのだろうが堂々とやっているところを見ると自由な気風の学校なんじゃないかと思います。


ちなみに我が母校、久々に地方予選で決勝戦まで駒を進めています。
準決勝は17対10なんてめちゃくちゃな乱打戦を制している。
どんなチームなのかわかりませんが、明日土曜日が決勝戦。
勝ってくれると嬉しいんですけど。
Posted at 2015/07/24 13:40:11 | コメント(3) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年07月21日 イイね!

見たことのない昆虫?

 虫の好きな人はおられますか?
  鈴虫とかコオロギとかではなく、ゴキブリとか、ムカデとかの類です。
  あまりムカデ大好きという人はおられないでしょうが私も見たら「ぎょえっ」とさけんで飛び上がり逃げ腰になる口です。
  昨日の夜、ゴキブリホイホイを買ってきて三個組み立てました。
  先日、なぜかいないはずのゴキブリが突然現れたのでびっくり仰天。捕獲すべくゴキブリホイホイを買ってきたのである。
  しかもそのごきぶり私の首あたりに突然飛びついてきた。
  払い落としたらかなりデカイごきぶりだった。ぎょえっと思ったが、そこは冷静にハエたたきで応戦し仕留めたのである。
  翌朝ベランダに出てみるとデカイごきぶりが歩いていた。
  スリッパを手にこんにゃろめ、と打ち下ろしたが狙いが外れて逃走を許してしまった。
  そこでゴキブリホイホイを買うはめになったのである。
  これを組み立てながら「もしかしてゴキブリでなくムカデだったらどうなるのか?この中にムカデもはいるのかな・・・・」と思いつつふっと振り向いたらデカイムカデがそこにいた。
  ?????なんで?
  でも間違いない長さ一〇センチ強のムカデが白い絨毯の上にぢっとしていた。
  なんでこんなタイミングよく出て来やがるのか!
  どっから来たのか?
  まあそういう詮索よりもムカデ退治が先だ。
  こないだゴキブリを仕留めた縁起のいいハエたたきを取り出し足音を殺してムカデに接近。
  バシッと打ち下ろしたら見事に命中。
  だがムカデはこんなことくらいでは死なない。生命力が強くのそのそと逃げにかかった。
  さらに二回、三回と叩きつけて動きが鈍くなったところをティッシュで捕獲して捨てた。
  その後を水で絞った雑巾で拭くなど一汗かいてしまった。
  ムカデが出たのはこれで四、五回めだ。
  最初は一人でテレビを見ていてふっと足元を見たら長さ二十センチくらいはあろう大ムカデがビンビン跳ねまくっていた。このときは「ぎょえーーーー」と悲鳴をあげて飛び上がりあやうく椅子から転げ落ちそうになった。待ちやがれ!と格闘の末に仕留めたのだが半分にちぎれてもなおビンビン跳ねまくっていたあのときの気味悪さと激闘はいまも記憶に鮮明だ。
  なにより足元に大ムカデがいたときの驚愕は近来ない驚きだった。
  それにくらべれば昨日のムカデは夏の暑さのせいかかなり動きが鈍かった。
  だが気持ち悪いことにはまったく変わりがない。
  以来ムカデ恐怖症になりコーナンででっかいムカデ用防虫剤を買い込み玄関、庭と散布しまくってきた。最近ではムカデをみないので安心していたらとんでもないことだった。


  
  そして今日、庭先に朝顔の水やりに出た。朝顔を育てて緑のカーテンのようにしている。
  朝顔に水でもやろうかな・・・・と庭に出たら朝顔の蔓の伸びるようにした網の後ろになにか黒い細い棒のようなものがあった。近づいてみるとどうも昆虫のようだ。カマキリのようだがあの例のカマキリではない。細い枯れ枝のような虫だ。
  そこで写真に撮影してみた。
  これはなんという虫なのか?そもそも虫なのか?



  撮影してからぼんやりとそのカマキリのような虫を眺めていたら上から水がバサッと降ってきた。頭から水をかけられた。
  なんだ!水に小石のようななんかザラザラしたものが混じっている。
  集合住宅なので上に四階の部屋がある。
  その中の誰かが下も見ないで水を捨てたのだ。
  うげーーーーー汚いじゃねえか!
  見上げても人影はない。このまま立っていたらまた水が降ってくるかもしれない。
  しょうがなく家に入りシャワーをあびて水と汚れを洗い流したが不愉快極まりない。
  ベランダから水を捨てるときは下をよく見てから捨てろ!
  ほんとにろくでもないやつしか住んでいない。
  さて一休みして家の中から出てみた。
  するとそこにもあの昆虫がいた。



  少し小さめだが姿は朝顔のところで見たのと同じである。
  あわててベランダでも撮影したが、写真をなんど見てもこれまで見たことがない虫である。
  昆虫みたいだが。
  よくわからないがムカデみたいに気味悪くはない。人間に噛み付く気配もない。
  ともかく夏になると田舎にはこういうわけのわからない生物があちこちから湧いてくる。
  田舎暮らしを考える都会の人に一言忠告したい。
  田舎にはでっかいムカデがいるぞ。
Posted at 2015/07/21 12:10:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年07月14日 イイね!

「大和郡山城」を見物。

 桜の花の美しいお城として知られる奈良県大和郡山市にある郡山城を見物した。
 近鉄線で京都へいくとき線路脇にちらっと城郭や櫓が見えるのだが実際に歩いて見物するのはこれが初めてである。
  大和郡山城は安土桃山時代に筒井順慶によって築かれた城である。天正8年、筒井順慶が織田信長より大和一国20万石を与えられ筒井城から郡山城に移り砦くらいの規模だった城を本格的な戦国城郭へと修築を開始した。
 1581年(天正9年)から明智光秀が普請目付として着任。大規模な近世城郭として工事を開始して奈良の大工衆を集めたことが記録されている。
京都の本能寺に主君織田信長を襲撃した「本能寺の変」は、明智光秀が郡山城に来てから一年後の天正10年6月2日(1582年6月21日)のこと。
ひょっとして明智光秀、この郡山城で築城の指揮を取りつつ「おのれ信長・・・・」と京の方角を睨みつつ謀反の計画を練っていたのかも・・・・?

 その後豊臣政権の中初期には秀吉の実弟である羽柴秀長の居城となり秀長の領国である大和・紀伊・和泉100万石の中心拠点となった。
 羽柴秀長は「秀長なくしては秀吉の天下もない」とまで言われたほどの秀才でいまも「学問の智将」と呼ばれ市民に尊敬されている。 
 豊臣秀長 は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名である。
 豊臣秀長は豊臣秀吉の異父弟であり豊臣秀吉の信頼厚くその片腕として辣腕をふるった逸材である。豊臣政権において内外の政務および軍事の両面で活躍を見せおおいに天下統一に貢献した。秀吉は秀長を隣に配して重用しまた秀長も秀吉に異を唱え制御できる唯一の人物であった。豊臣秀吉政権で徳川家康という最大の爆弾を抱えた中での政権運営の調整役であり、政権の安定には欠かせぬ人物だった。
 最終的には大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内国の一部を加え、約110余万石の大大名となるに至る。また官位も徳川家康と時をおなじくして従二位権大納言に栄進したことから「大和大納言」と尊称された。

 大和郡山城と豊臣秀長の関係は極めて深い。
 天正13(1585)年に豊臣秀長は大和・和泉・紀伊三ヶ国の天守として郡山城に入城し城主となる。
 「豊臣秀長の施策によりまちはおおきな発展を遂げる
  豊臣秀吉の弟である豊臣秀長は、筒井家の後を引き継ぎ、天正十三年(一五八五)に郡山城に入城しました。秀長は、優秀な実務派であり、秀吉の参謀役として数々の功績を立て、郡山に入ったときは、大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有しました。
 秀長の入城後、郡山は政治的、経済的に大きな意義をもつようになります。百万石の領主にふさわしい城郭を構築するとともに、箱本十三町といわれる新しい自治制度を始めました。奈良での商売を一切禁止し、近隣の町からも商人・職人を呼び寄せるなどして商業を郡山へ集積させました。そして様々な大事業を成し遂げたものの、秀長は五十一歳で死去し、在任期間は六年余りという短い期間でした。」(大和郡山市HP)
 1591年1月22日 豊臣秀長は大和郡山城内で病死。享年52歳。
 なお奈良県大和郡山市箕山町14 には豊臣秀長のお墓、大納言塚(五輪塔)がある。昭和50年に大和郡山市の指定文化財 になっている。

 このように筒井順慶と羽柴秀長らによって郡山城の基礎が築かれたと言って良い。
 郡山城の歴史について大和郡山市の「解説板」には次のように説明がある。

 筒井順慶が織田信長の後援によって、松永弾正久秀を破り、宿願の大和統一をなし遂げて、天正8(1580)年に郡山に入り、築城に着手している。しかし、本格的な郡山築城は、天正13(1585)年に大和・和泉・紀伊三ヶ国の天守として豊臣秀長(秀吉の弟)が入城してからのことである。
 慶長5(1600)年に関ヶ原の戦いが起き、西軍の敗北とともに郡山城は徳川方に接収されて取り壊しとなり、建物の全ては伏見城に移された。
 元和4(1618)年に松平下総守忠明が城主となったが、その時点で城には十分な建物とてなく、家康の命によって多くの建物を伏見城から再び郡山にもどし、近世郡山城の偉容は整った。
 享保9(1724)年甲府城から郡山に移封なった柳澤甲斐守吉里から、5代に渡り受け継がれた郡山城も、明治維新を迎えて廃城となり全ての建物は取り払われてしまった。
 

郡山城外堀のすぐ脇を走る近鉄電車。電車の中からも草に覆われた石垣や黒い瓦屋根の美しい追手門東隅櫓が見える。石垣には「郡山金すくい全国大会」の横断幕が張られていた。


郡山城へはなんと近鉄線の線路の踏切を越えて入らないといけない。どうしてこんなお城のエントランス構造になっているのかよくわからない。城の入り口に線路が横断しているのは珍しいのではないだろうか。この石垣は線路からすぐ入った場所にある。


城内の道路はよく整備されている。城郭への入口付近。突き当りを左折すると旧二の丸で郡山高校のキャンパスがある。この坂道を下校の女子高生が自転車で次々に軽快に下っていった。登校時はさすがに押して上がるのかな?


大和郡山城の威容を示すのがこの大規模な石垣である。高さ10メートルを超える本丸の高石垣が天守台を囲んでめぐらされその周りは内堀で囲われている。


郡山城の全体図。図の右下、踏切があるあたりが城への入り口となる。

 郡山城で有名なのが「逆さ地蔵」である。
 「奈良は良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の各戸に築城に必要な石の提供を義務付け、接収した。天守台周辺の野面積みの石垣には、平城京羅城門の礎石や、石地蔵、寺院の五輪塔、墓石、仏塔などがおしげもなく積み込まれている。なかには、平城京羅城門のものであるといわれる礎石が使われていたり、8世紀ごろの仏教遺跡である「頭塔」(奈良市)の石仏が郡山城の石垣の中から見つかっている。」「転用石のなかでも「さかさ地蔵」と呼ばれる、石地蔵が逆向きに置かれたものが有名で、天守台の裏手、北側の石垣にある。 石組みの間から奥を覗き込むと、逆さになった状態で石の間に埋もれている石地蔵を確認することができる。」(Wikipedia)
  関連情報URLに逆さ地蔵の詳細が出ているので御覧ください。
  全国の城のなかでこれほど転用石に石仏、仏塔や墓石などが使われて石垣がつくられているのは京都の福知山城とこの郡山城の二城だけだといわれる。

   
これは修復されたきれいな石積み。逆さ地蔵のある石垣はいまは入って見ることができないようだ。

  
郡山城二の丸跡に位置する奈良県立郡山高等学校。奈良県屈指の進学校である。歴史は古く明治26年の奈良県尋常中学校の創設にはじまり今年で120年目、卒業生は5万人を超える。私の通った高校も郡山高校と同じように藩校と旧制中学校の系譜のある学校でやはり石垣や掘割のある城郭跡の中にあったので懐かしい光景だった。


「誠実・剛毅・雄大」の校訓の下に旧制中学時代からの文武両道の精神が特徴だという。体育会系のクラブなのだろうかランニングしていた。またブラスバンドの楽器吹奏の音が城内にずっと響いていた。甲子園大会の予選もはじまるのでその応援練習だったのかな。ちなみに奈良県の甲子園常連校は智弁学園と天理高校。今年もこの二強の実力が突出しているという下馬評だ。郡山高校も頑張ってほしい。

●郡山高校野球部甲子園で勝利●

★動画説明★
1993年夏 75回記念大会の1回戦 郡山高校が勝利し、校歌斉唱するシーンです。
森本監督が率いた郡山高校の夏の勝利はこれが最後です。
□郡山高校野球部 - 旧制中学校時代を含め、夏の甲子園大会に6回、春のセンバツ甲子園大会に6回出場経験がある。 夏の甲子園大会 - 第19回・第48回・第53回・第56回・第75回・第82回
春のセンバツ甲子園大会 - 第43回・第50回・第54回・第67回・第69回・第70回



郡山高校の向かい側にある柳沢神社への入り口。内堀を越えて天守台のある城郭の中心部に入ると柳沢神社がある。

 柳沢吉里(郡山城第19代当主)は父である柳沢吉保の家督を継ぎ甲府城主となっていたが、享保9年(1724)、将軍吉宗の命を受け甲斐の国・甲府から大和、近江、河内、伊勢の4カ国、15万石余りの大名として郡山へ転封された。柳沢吉里は将軍綱吉の側近・元禄時代の幕政を主導した柳沢吉保の長男であり明治まで続く柳沢郡山藩主の初代藩主となった。以後代々の柳沢家が郡山の藩主・城主として郡山城と城下町の整備をすすめながら大和全域の経済・文化を発展させていった。したがって郡山城と郡山の繁栄は藩主の柳沢家と切っても切れない関係にある。

 柳沢吉里は郡山に養蚕を持ち込み奨励し経済を振興させた。また趣味で飼っていた高価な金魚も郡山へ運び込んだことからこの地での金魚養殖が始められるようになった。
幕末の頃には下級藩士の副業として明治維新後には職録を失った藩士や農家の副業として金魚養殖が盛んに行われた、この営みには郡山藩最後の藩主、柳沢保申の惜しみない援助があった。そして現在、大和郡山の金魚養殖は今や全国の40%のシェアを誇る郡山の一大産業となった。日本で最大の金魚産地として発展を遂げている。


柳沢神社の境内と拝殿。


石灯籠。彫刻が凝っている。


柳沢神社の社殿。大きなご神木の脇、左手奥に整備中の天守台の石垣が見える。


現在、天守閣のあった天守台は発掘調査が終わり展望台の建設を含め改修中のため入ることができない。写真パネルで整備の様子が展示されている


天守閣のあった石垣や天守閣を支えた基礎のようすが立体的に再現されている。

●郡山城を上空より撮影。

天守台の石垣の上に天守閣を支えた柱を建てるための木組を乗せる基礎石が並んでいるのが見える。


1580年(天正8年)頃の筒井順慶の時代には望楼型3重の天守があったが、1585年(天正13年)に伊賀上野城に移築された。その後、豊臣秀保によって高さ約15~20m、5重6階または5重5階の2代目天守が築かれたが、この天守も徳川二条城へ移築されたと伝えられる。なお、この5重の天守については建築学的には否定されてきたが、2014年(平成26年)の調査で天守台に礎石が発見され、存在がほぼ確実となった。

 柳沢神社と天守台石垣の一部を見た後、柳沢文庫のある方へ歩いていった。城全体が夏草に覆われてこれだけの巨大な城郭を整備し手入れするのは予算的にも大変だろうなという気がする。草むらの中の細い道をたどって天守台の東側の高台に出た。


(財)柳沢文庫。柳沢家に保存されていた旧郡山藩主の公用日記類をはじめ大和郡山市指定文化財の書画など数万点に登る古文書類を収蔵。地方史誌専門の図書館として市民や研究者に幅広く公開されている。たまたま開催されていた「郡山城の歴史」企画展を見学。入館料300円。展示のほか天守台の発掘調査映像を録画でテレビ画面で上映しており畳敷きの展示室に座って40分間視聴した。天守台で金装飾の瓦が発見されたことや天守閣の実在したことなどが確認されたという。入館者はほかにはなかったが落ち着いた雰囲気のいい資料館である。


柳沢文庫の図書閲覧室。


美しい石積みのある追手門の櫓。


復元された追手門。追手門は豊臣秀長が入城した際に築かれたといわれる。1873年(明治6年)に建物を取り壊されましたが、築城400年を記念して1980年(昭和55年)に復元された。


追手門から櫓を見る。小雨が降ってきてしっとりと風情が漂う。


追手門の脇にあった巨木の輪切り。直径は二メートルほどもある。木の裏に書いてあった説明によると「台湾で採取された樹齢1400年の檜の大木。追手門新築記念に昭和58年、浅沼組から贈られたもの。貴重な珍品なのにホコリを被っていてもったいない。


追手門東隅櫓。近鉄線電車からチラッと見えるのがこの一角である。

 いま日本は城郭ブームである。郡山城も天守台の修復が終わり城内の整備も進めば今以上に観光人気が出るかもしれない。この次は来年の花見のころに夜桜見物にでも訪れたい。これほどの大規模な城がそのまま残っているのは貴重な文化遺産である。
  これから草刈りとかお堀の清掃とか大変な作業があるだろう。
  きれいになった内堀、外堀にはせひ大和郡山名物の金魚を泳がせてほしいものだ。

★関連情報URL 「鈴鹿タウンガイド」
大和郡山城の写真と動画 詳しい解説があります。
Posted at 2015/07/14 01:40:29 | コメント(3) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記
2015年07月12日 イイね!

イゲタ醤油「井上本店」(奈良市北京終)の醤油蔵を見学。

先に「醤油の話あれこれ」を書いた。
それまで醤油にどんな種類があるとかそもそも醤油をどうしてつくっているのかも知らず醤油に関してはただ漫然とした消費者であった。しかし調べながら醤油のことを書いているうちに大量生産している醤油工業製品のような醤油もあるなかで自分なりのテーマをもって醤油づくりに取り組んでいる特長のある醤油メーカーのあることに気がついた。
日本酒も醤油と同じ醸造業界だがこちらも大量生産、大量販売型ではなく地元の米や水をうまく使って個性的な酒づくりをしている蔵元も少なくない。
前に日本酒では奈良県御所の造り酒屋「油長酒造」の「風の森」という日本酒の話を書いた。
この蔵元の酒はすべてが純米、無濾過、無加水、火入れなしの生原酒である。
ということは醸造過程での酵母など発酵の状態が生きたまま製品に残ってるため炭酸ガスが入ったままになっている。それを温度管理することで製品として提供しているのだが、うっかり瓶を振ったりいきなり開栓すると炭酸ガスで蓋がポーンと飛んでしまうことがある。
それだけにしゅわっとした炭酸ガスの混じった呑口がなんともいえず爽やかで実にうまい酒であった。
日本酒でこんなにいい酒があるのならば、醤油でも奈良県においしい醤油があるのではないか。
そこで情報収集の参考にしたのが 「職人醤油」という醤油専門の通販サイトである。
ここでは全国の個性的で優良な醤油づくりをしてるメーカーを集めて詳しく取材して紹介している。
もちろんこのサイトで気に入った醤油を購入することもできる。
「職人醤油」を見ていくうちに奈良市の「北京終」(きたきょうばて)という場所に「井上本店」という醤油メーカーのあることがわかった。この醤油屋さんは「イゲタ醤油」という銘柄で知られており創業は江戸時代末期の醤油蔵である。


「井上本店」の店舗部分の概観。この奥に広大なレンガ造りの醤油工場がある。


「職人醤油」には次のような「井上本店」社長の吉川修氏に取材した記事が載っていた。

「先代の井上平祐さんが残された下記の文章。これが井上本店が守る部分だと吉川社長は言います。醤油は単なる旨味調味料ではない・・・(中略)・・・元来、醸造は微生物が自らの生命をまっとうするために作り出す貴重な生命物質を利用させて頂くという先祖の遺産です。(京阪ジャーナル社発行 月間AGORA より)
「自分たちが食べて美味しいと感じるものを造ること。そして、国産の原料を使うこと。」この考えを基に日々改良を積み重ねています。「先代は亡くなる間際まで醤油や機械のことを心配していました。一人でいろいろ試行錯誤して種をまいておいてくれたのです。その一つ一つのことを、昔からこうだったからとそのまま踏襲するのではなくて、科学の目を持って見直し検証しているのが今の段階なんです。」

 またほかの醤油紹介通販サイトにも井上本店の紹介が出ている。
 たくさんのサイトで井上本店は紹介されているが井上本店の醤油づくりの特徴をよく伝えている二つの記事を紹介してみる。
 
 「井上本店」●奈良市
「自然の調和が生み出したコクと天然の香り 」
『五徳味噌』でもおなじみ! 5代目の故・井上平祐氏が試行錯誤の末たどり着いた“昔ながらの天然醸造醤油”。国内産丸大豆・小麦、天日塩を使用、自然気候で2年という長期間醸造、蔵付き野生酵母が自由に活躍するよう開放タンクで仕込んだ吟醸ものだ。」
(「日本の味 地醤油にこだわりの蔵巡り」)

★奈良の天然醸造醤油 「イゲタ醤油」
奈良県奈良市北京終町57
井上本店は、江戸時代末期の創業。
 もともと製氷業を営んでいた工場を買取り、現在の場所に移り、今に至ります。
 大正時代に建てられた、レンガ造りの趣ある建物で、味わいのある醤油と味噌を造っています。
 井上本店の醤油は「イゲタ醤油」として知られ国内産の丸大豆と小麦粉にこだわり添加物は非使用。
 醸造は天然酵母による天然醸造。
 最低でも1年半、通常は2~3年の醗酵・熟成を経て製品化されています。
 こだわりの原材料を使い、しっかりと熟成させて仕上がった醤油は、しっかりした旨みとコクがあり、伸びも良く、少量でもしっかり味付けでき、素材の良さを引き出してくれます。
  (「登酒店」(天理市)通販サイト)


井上本店のレンガづくりの醤油製造工場。大正時代に建てられたレンガ造りの蔵の中は温度変化がゆるやかで、醤油や味噌の発酵・熟成に適している。もともとは製氷会社の工場、倉庫であった。
 
 
  そこで全国的に猛暑となった7月10日の昼下がりならまちから歩いて「井上本店」に伺った。
  午後一時ころのことだった。店頭が醤油製品の販売所となっている。接客に出てこられた店員の方にお願いしてみた。
  「できれば蔵を見学させていただけませんか?」
  「えっつ、今からですか?」
   応対の女性が驚いた声と戸惑った表情を見せた。
  「はい」
  「あのう見学はいつでもできる限りしていただくのですがだいたい電話で事前にご予約していただくようにしてますので・・・・・」
  「ああそうなんですかですよねえ」
  「あいにく今日はこの後・・・・見学の予約が入ってまして・・・・でも少しお待ちください」
   いきなり来て大事な蔵を見せてくれなんて言うのはたしかに非常識だろうなと諦めていた。
   すると女性が戻ってきて
   「社長に話をしまして、恐縮ですがほんの短時間ならご案内しますということです。次の予定が入ってしまっているもので申し訳ありません」
   ほんと、こちらのほうが誠に申し訳ない。
   でもこういう機会は滅多にないので非礼をお詫びしながらお言葉に甘えて急いで店先から奥にある工場のほうへ入らせてもらった。
   そこにはにこにこした笑顔の吉川修社長が待っていてくださった。



先代が遺した「自分たちがおいしいと思うものを造ること。国産の原料を使うこと」という思いを基に、六代目当主の吉川修社長が昔ながらの天然醸造の醤油と味噌を造っている。写真は工場の入り口付近。レンガの倉庫内には出荷前の製品などがおかれている。


工場の内部、大豆を大量に回転しながら蒸気で蒸すタンクのような機械。NK缶という。砕いた小麦を炒り麹菌を混ぜ、蒸しあがった大豆に混ぜ醤油の元となる麹をつくる。すべて国産丸大豆、国産小麦を使用している。

   写真で見た通り蔵は時代ものの赤いレンガ壁であった。
   そこから社長の案内で醤油製造工程に沿って二階にも上がり醤油のもろみを熟成している蔵の中までガラス越しに見学させていただいた。どこからか醤油のいい香りが漂ってくる。
   また工場の一部に教室のような黒板のある部屋があった。
   机や椅子もあり50人くらいは余裕で入れそうだ。ここは見学者が多い場合の説明に使われているようだ。醤油づくりについての日本醤油協会制作の「全国しょうゆ工場見学ガイド」という小冊子をはじめ各種パンフレットもいただいた。
 「~見学ガイド」を見ると奈良県ではこの井上本店のほか、御所市森脇の「片上醤油」、桜井市大福の「大門醤油製造場」の三軒の醤油蔵が掲載されていた。


 もろみを熟成させている四角い槽がいくつもある。左下にもろみの表面がよく見える。原料の小麦と丸大豆は100%国産、塩はオーストラリア産天日塩。醸造を早める酵母添加を行わず、蔵付き酵母をはじめとする天然の有用菌の力でもろみを醸している。加温速醸も一切せず、四季の寒暖にもろみを委ねる昔ながらの天然醸造で醤油をつくるのが井上本店の流儀である。

  見学の道々、吉川社長はぶしつけな質問にもいやな顔をしないで丁寧に答えていただきたいへんに勉強になった。
 「ふつうは本醸造でも半年で醤油を完成させ販売している醤油会社もあります。それをこちらでは通常で二年、濃厚醤油などものによって三年も熟成させておられますよね。商売的には速くつくり早く売りたいというのがまあ普通に考えることだろうと・・・・それだけ熟成にこだわられるのは・・・・」
 聞いてからしまった!と思ったがもう遅い。
  これには困ったような表情で
  「たしかに本醸造では半年、一年で完成します。それももちろん完成した醤油です」
  と前置きした上で
  「うちではすべて二年熟成をしてます。そのほうが醤油としての味わい風味こく香りなど違いがあります。なぜそうなるのか理由には正直なところわからない部分があります。醤油づくりをやっていますとね、まだ未知の部分があるんですよ。醸造には人知の及ばない世界がまだまだあるんですね」と。
  なるほど吉川社長は日々この「人知の及ばない世界」と向き合い目に見えぬミクロの世界と対話をしながら醤油づくりに挑んでいるのだ。
  そのために熟成させる醤油のもろみを貯蔵する大きな仕込み槽の数も通常の醤油蔵の二倍以上も設置されている。二年熟成、三年熟成というが本気でやる気にならない限りできることではないし続けられることではない。
  そういう人に向かって「速く醤油を作って早く売ったほうが儲かるのに何を熟成の手間隙やお金をかけて悠長なことをしているんですか」というような下衆な言葉をよくぞ発したものだ。
 己はまことに愚か者であった。
  一年かけてじっくりと完成させて十分においしい醤油をさらにもう一年熟成させる。それだけの時間をかけることでしか醸し出すことのできな味わい深い醤油の世界がある。そういう究極の醤油づくりが井上本店では実現しているのである。しかも見学もOKで基本となる原料も製造手順も公開している。そこに吉川社長の経験に裏付けられた自信と探究心とを垣間見る思いがした。
  熟成という時間の醸し出す果実は天然自然の奇跡であり微生物のもたらしてくれる神秘の一滴なのだろう。奥深さの尽きない天然醸造の神秘へ日夜挑み続ける吉川社長はまさに熟成醤油の巨匠である。
  見学のお礼を言いながらも
 「突然押しかけて申し訳ありませんでした。」
 と詫びると
 「いえいえ、またぜひ予約していつでもおいでください。時間さえあればゆっくりとお話させていただきますのでね。お待ちしております」
 と、にっこり、メガネの奥の目がやさしかった。
 どこまでも醤油づくりへの情熱を秘めて親切で丁寧な吉川修社長であった。  


井上本店の商品販売所。各種の醤油が並んでいる。大から小までサイズが多いので買いやすい。醤油、麺つゆのほかに「五徳味噌」「ぽんず醤油」などもある。パンフレットに「こだわりの天然長期醸造」と書いてあるがその通りである。


地元の小学生が蔵の見学に来たようだ。その感想文が大きな紙に書いて貼ってあった。


醤油の試飲をさせていただいた。左から濃口醤油、濃厚醤油、薄口醤油、めんつゆ、そうめんつゆ。
「つゆ」はストレートタイプで化学調味料を使わずかつお出汁などを丁寧にとって作成している。「薄口醤油」は色は薄くても塩分濃度が高い。試飲してみるとそれぞれの味の違いがよくわかる。
 
  その後お店で醤油を買った。
  なんと味見までさせていただいた。
  醤油はすべて瓶詰めのため荷物が重くなるので比較的軽い360ml.の「濃口醤油」と三年熟成の「濃厚醤油」を買った。
  戻った翌日濃口醤油をおろし蕎麦と練り物製品のつけ醤油に使ってみた。
  これまでの醤油とは違って濃口醤油の名の通りに味の濃い醤油である。
  少量でも味の深さ広がりが何倍も感じられた。見た目で言えばほかの醤油が皿にさらさらと流れて広がるのに対してイゲタ醤油は表面張力が強く盛り上がって力が漲っているように見えた。やはり何かが凝縮しているのであろう。よく新鮮な卵の卵黄がぷっくらと盛り上がっている映像を見ることがあるがあんな感じだった。濃口醤油で決してたまり醤油ではないにも関わらずである。
  醤油の芳醇な香りが口の中で余韻となって広がる。旨い、うますぎる!たしかに旨い。
  「イゲタ醤油」これは只者ではない。
  しみじみ思う、奈良にはいい酒がありいい醤油がある。


関連情報URL 「職人醤油」
  
Posted at 2015/07/12 09:16:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | 温泉・グルメ・穴場。 | 日記
2015年07月11日 イイね!

「稗田の環濠集落」



京都行きの近鉄線。大和郡山市に入ると沿線には金魚養殖池の光景が続く。電車内より撮影。


大和郡山市は全国一の金魚生産地だ。走る電車の中から撮影。



「賣太」と書いて「めた」と読む。大和郡山市の稗田町には珍しい「稗田の環濠集落」がある。以前、みんからの「奈良の小仏」さんのブログで見ていつか見物したいと思っていた。それが今日実現した。この集落の解説は「奈良の小仏」さんのページが詳しいのでぜひごらんください。
このページの左にある「リンク・クリップ」にアウディの写真がありますのでそこをクリックしてください。
環濠集落の入り口に小さい橋があり「賣太(めた)橋」といいます。



「賣太神社」。稗田の環濠集落の入り口にある神社。賣太神社は「古事記」編纂に深く関わった稗田阿礼を祀る。


「賣太神社」のいわれが書いてある。


「賣太神社」境内。夕方のいっとき激しく雨が降りその後晴れて虹も出た。その後だったので境内にも水が溜まっている。


夏みかんのような大きな柑橘系の実がなっている。


ご神木のようだ。本殿の前。


稗田の環濠集落の掘割。水郷の趣だ。堀の中にはたくさんの亀がいて泳いでいる。外来種の亀がここにも繁殖している。



環濠集落の中を歩く。


奈良らしい土塀の通りがあった。
家々をこのように水路がぐるっと囲んでいる。


道路はきれいに整備されておりところどころに花壇もある。


雨上がり。水路のある風景はのどかだ。


田植えも終わり稲が育っている。昔は地名のように稗しか獲れなかった稗田だったのだろうが稲作がはじまって豊かな農村になった。


日本の環濠集落は稲作のはじまった弥生時代から作られたといわれる。この稗田もずいぶんと古い時代からの人間の営みをいまに伝えているのかもしれない。



Posted at 2015/07/11 02:29:23 | コメント(3) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記

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「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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