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角鹿のブログ一覧

2015年07月09日 イイね!

「越前おろし蕎麦」風の冷麵。


 「越前おろし蕎麦」を食べたいものと思っているがなかなか行く機会がない。
 かつて福井には何度も私用で行ったことがある。日本海の海の幸、豊かな山の幸にも恵まれて食べ物も豊富でおいしい。
 一番最初に行ったとき若狭町から三方五湖をめぐり最先端の漁師町の民宿に一泊した。その家のそばに巨大な蘇鉄の木があって「これは日本一大きい蘇鉄だ」と言われた気がする。
 たしかに巨大な蘇鉄であり屋根よりも高そうだった。
 宿代は安かったのだがよければ魚をいかがでしょうと、と言われた。
 「鯛かひらめを一匹夕食に有料ですが出します」と。
 鯛もひらめも一匹5000円だった。宿代が5000円ほどだったので合計で1万円だった。
 ひらめは見事なもので食べきれないほどの分量でおいしかった。
 翌朝は残ったひらめを煮付けて出してくれた。
 この短い半島は梅栽培も盛んで梅農園があちこちにあった。
 半島には入り江が多く海水浴場で夏場はにぎわうということであった。
 福井県にはほかにも若狭湾、小浜湾、敦賀湾など趣のある海岸線が多くのんびり旅をすれば四季折々の旅情が楽しめる。冬に雪が降ったときの入り江の情景などは日本海ならではの荒涼とした灰色の景観を楽しめる。
 福井県でとくに印象の深いのは九頭竜川である。
 とても大きな川でこの川を遡る旅を何度かした。
 川をカヌーで上るのではなく九頭竜川沿いに勝山市、大野市、そしてもっとも奥の和泉村(いまは大野市と合併)まで行き九頭竜ダム湖を見学した。
 この奥はもう岐阜県である。たしか岐阜県側も郡上市という奥地である。
 福井県の最奥地九頭竜湖の奥にあった大野郡石徹白村が越県合併で当時の岐阜県郡上郡白鳥町の一部になった。岐阜県との境界の集落なので大野市へ出るよりも白鳥町のほうが近いというわけで福井県を離れて岐阜県に移動したということもあった。
  九頭竜ダム湖のあたりは人家もない。
  昔は銅や亜鉛の採掘で栄えたのだがいまは鉱山が閉山されてさびれる一方である。
  私が行ったときは山が赤茶けていた。とっくに銅の採掘、精錬は終わっているのに精錬のときにでる有毒ガスで山が枯れいまだに樹木が回復していないのである。
  福井県は南は京都に接し、北は石川県に接する。
  南北に長くまた東西にも日本海から山岳地帯まで広がっている。
  いわゆる北陸地方と言われる越前、越中、越後は日本文化の中核の存在、日本のなかの日本だと思っている。


写真・食育のさきがけ福井県
(福井県農林水産部販売開拓課)


  で、越前おろし蕎麦はどうした、という声も聞こえて来そうなので先を急ぐことにする。
  なかなか越前へ旅できないのでならば越前おろし蕎麦風の蕎麦を自分で作って食べようと思いたった。まず蕎麦はスーパーで売っているふつうの茹で蕎麦を買ってもいいし乾麺の蕎麦でもいい。
  湯がいて冷水にとり盛りそば風に器にいれる。
  蕎麦を湯がいている間に大根をおろしに擦る。量は多目がいい。
  で盛り蕎麦に大根おろしをたっぷりと載せる。
  その上に麺つゆでもいいが私はふつうの濃い口醤油をかける。
  これで蕎麦を食べれば越前おろし蕎麦もどきとなる。
  最初食べて思わず「うまい!」と思った。
  蕎麦と大根おろしと醤油が抜群のハーモニーを奏でるのである。
  これだけでももう大満足であった。
  越前おろし蕎麦にはもちろん蕎麦もなにもかも及ばないだろうが雰囲気だけは味わえる。
  薬味には細い葱、かつお節の細かくスライスしたもの、刻み海苔などをトッピングすれば大根おろしと絡まって味の変化を楽しめる。
  これは蕎麦だけでなく細めのうどんでも素麺でもなんでも冷たい麺類なら大根おろしは絶妙のマッチングをもたらしてくれる。七味唐辛子を少しふりかけてもおおいしいし好きな人はキムチを入れてもおいしいだろう。
  これから暑い夏で冷たい麺類がおいしい季節。
  大根おろしを使った「越前おろし蕎麦」風のいろんな冷麺を工夫してみられても楽しいでしょう。
Posted at 2015/07/09 21:30:32 | コメント(6) | トラックバック(0) | 温泉・グルメ・穴場。 | 日記
2015年07月06日 イイね!

醤油についてのあれこれ。

夏になると素麺を食べたくなりますね。
とくべつに夏でなくっても冬からあたたかい素麺を食べているのでまあ素麺は常食です。しかも奈良県は三輪素麺の本場ではないですか。奈良に引っ越してきてからは三輪素麺一辺倒です。地産地消ではないですが奈良は素麺がおいしく感じる気候風土があります。
ところで素麺と醤油とはなんとなく関係がありそうです。
小豆島は素麺づくりが盛んですが同時に醤油づくりも盛んです。
ソニーの創業者の一人盛田昭夫さんのご実家も醤油づくりのメーカーだったと思います。いまは丸金醤油という名前の醤油を作っていると思います。
素麺をおいしく食べるには醤油が欠かせません。

で地元話になりますが、近所に吉野名物の葛菓子老舗があるのでよくその前を通ります。
昨年はこの葛菓子屋さんはずっと家の中を工事していていつ終わるのかと思うほど工事してました。
まあそんなわけで内部工事なので外観は全然変わらないので見ていてあまり面白み?はないのですが工事も終わり営業も普通に再開されましたので一度新築?工事完了記念に葛菓子でも買いに行こうかと思っておりました。
 今日この家の近くにある米屋兼燃料店へ宅配便を出しに行きました。その帰りにこの葛菓子屋さんに立ち寄りました。この店の葛菓子は上品な味でとてもおいしい。
  すると葛菓子のショーケースの後ろの棚に醤油瓶が置いてあるのに気がつきました。
 店の人に「醤油もあるんですか?」と聞くと、「うちは醤油のほうが古いんです。葛菓子は後から・・・・」と言われました。へー、そうだったのか。たまたま、宅配便を出した店に三輪素麺の木箱があり聞くとこの店の独自のルートで仕入れている三輪素麺なのだという。ぱっと見て細さ、艶などいいものだとわかったので木箱の素麺を一㎏をビニール袋に小分けして入れてもらい買ったのです。
「これは二年のひね物です。毎年仕入れますが二年経ってから出してます。国内産小麦を粉にしたものを使ってますので輸入小麦とは味が違いますで・・・・」
まあ一度試しに食べてみようと買ってみた。
で葛菓子屋さんでこれまで見たことのない醤油を見た。やはりこれは買いでしょう。
 この醤油は仕込から全部自家製造である。そんな大規模な工場はないのだがそこそこの規模でつくり続けているという。
 奈良県は酒造りが盛んである。ということは醸造が盛んに行なわれているということであり同じく麹菌を使う醸造産業である醤油づくりも盛んだということになる。酒蔵、醤油蔵があるということはそれが成立するほどの消費力があるということである。奈良は邪馬台国以来飛鳥宮、藤原宮、平城宮との日本の古都であり日本随一の大消費地であった。 
 醤油は奈良県の隣の和歌山県湯浅が発祥の地とされているが昔は奈良も和歌山も同じようなものだった。とりわけ和歌山と奈良の関係は深いがあまりに話が拡散するので元に戻る。
 二年ものひね素麺と地元産の地場醤油をゲットしたからには試食しないわけがない。
 というわけで早速家に帰ると素麺を試食してみた。
 結果発表します。
 素麺→100点満点で120点。予想した以上にいいものでした。
 醤油→????????
 自分の判断できる想定外の甘みに衝撃を受けました。甘辛く濃い関東風の蕎麦の割り下のような濃厚な味を感じました。
 九州の人には:申し訳ないが福岡県柳川でうなぎを食ったときの「なにこの甘さ!」というほどの甘い醤油でありました。
 こんな甘い醤油が吉野にもあったのか?!
 そこで一升瓶に目を近づけて見ました。
 ラベルには「新式醸造醤油」とありまして、「サッカリンNa」「甘草」「アミノ酸」などと調味料名が書いてありました。醤油にこんなに調味料が入っているとは知りませんでした。
 なんか味付け醤油?なのかなあ。だから甘いはずだな。
  あまりに甘い調味料の味がして面食らったというのが正直な感想だ。
 そこで初めて見た「新式醸造」ってなんだろう?という疑問に取り付かれてしまった。
 ほかの醤油はどうなんだろうと地元のほかの醤油の空瓶を見てみたら「こいくちしょうゆ(混合)」と書かれていた。
  こちらの醤油にも甘味料(ステビア、甘草)、アミノ酸、カラメル色素などと表示されており今日買ってきた新式醸造醤油と同じように甘味料、調味料による味のついた醤油であった。
  しかしこちらは醸造方式はただ「混合」とだけ書いてある。
 なんだろうこの「混合」というのは?
 でいま使っている中身入りの醤油を見ると「天然醸造」とラベルに書いてあるが製造方法などを書く欄には「こいくちしょうゆ(本醸造)」と書かれている。
  天然醸造と本醸造、どうちがうのだろう?
  これは三重県名張市の醤油メーカーの醤油だ。
 だんだん頭が混乱してきた。
  醤油に私は無知だった。少し衝撃を受けた。
 そこでネットで検索してみた。醤油の種類、製造方法などなど少しづつわかってきた。
 その結果、醤油には次の三種類があることがわかった。
 「本醸造」
 「混合醸造」
 「混合」
  さきの「新式醸造」というのは「混合醸造」の別名のようである。
  また「混合」とだけ書かれていた醤油は混合醸造の略なのか、それとも混合醤油のなのかどっちなのだろうか?「混合醸造」と「混合」とはどうちがうのだろうか?
  こういう短い表示だけでは素人に表示の意味がわからない。
 でさらにいろいろと調べてみるとそれぞれ、次のような違いと特色があることがわかった。

★本醸造方式
 本醸造方式とは・・・醤油の製造方法では最も伝統的で最も一般的な作り方である。原料となる大豆と小麦を、麹菌や酵母など微生物の力によって、 長期にわたり発酵・熟成させたもの。つまり、タンパク質を分解して種々のアミノ酸に変える工程を、すべて麹菌がつくる酵素の働きで行う。本醸造でつくられたしょうゆは色や味、香りすべてにおいてバランスのとれた品質のよい醤油といえる。
 醤油生産の約8割が本醸造方式で製造されている。
 蒸した大豆と砕いて炒った小麦を混ぜ、そこに種麹をを加え「麹」を作りる。それを食塩水と一緒に桶に仕込み「諸味」を作る。更に攪拌をしながら醸造させて醤油をつくる方法だ。
 製造期間はつくりかたにより早くて半年、ふつうは一年かかる。メーカーによってはさらに熟成させるため仕込んでから二年、三年かかる製品もある。
 大手メーカーのものは、原料の大豆は輸入された外国産の脱脂加工大豆、外国産小麦、塩が使われるのが一般的といわれる。


「職人醤油」より。

★混合醸造方式
 混合醸造方式(新式醸造方式)とは・・・本醸造方式でつくった「諸味(もろみ)」に大豆(脱脂加工大豆)などの植物性タンパク質から作るアミノ酸を加えて作る醤油である。
 大豆など高タンパク原料に濃塩酸を加え、加水分解してつくったものをアミノ酸液という。うまみ成分のアミノ酸液を加えることでアミノ酸液特有の旨味を活かした醤油の作り方だ。 醤油の消費量の約16%が混合醸造方式(新式醸造方式)で作られている。
 当然、化学調味料、人工甘味料、防腐剤、着色料を加え、味や体裁を整える。

★混合方式
 混合方式とは・・・本醸造方式または混合醸造方式で製造した生醤油とアミノ酸液とを混ぜて作る醤油製法のこと。この方式では醸造するための仕込み期間を必要としないためすぐに醤油ができる。
 醤油の消費量の約4%がアミノ酸液混合方式で作られている。
 ほかの方法では麹菌を使っているのに対し混合は100%化学合成で作られる。大豆や小麦グルテンを強酸液に入れタンパク質を分解しアミノ酸を作り苛性ソーダで中和してできたアミノ酸液に味付け着色し防腐剤を入れて作る。業務用、加工用原料となる比率の多い醤油だ。

  いまは「混合醸造」という名称になっているが、「新式醸造」という名前も消えたわけではない。
  新式とついているので最新式の醸造方法と思われるかも知れないが実は戦後の食料難の時代に生まれた醤油の醸造手法なのだ。
  それまで日本では大豆をまるごと使う本醸造でしか醤油を作っていなかった。しかし終戦後は食料不足であり醤油づくりに必要な大豆も小麦も入手困難だった。そこで日本を占領したGHQがアメリカから大量の大豆を日本へ救援物資として提供してくれた。だが占領軍の食料担当官であるアップルトンという女性が醤油製法にクレームをつけた。食料や油にもなる大豆を丸ごと一年も寝かせて醤油をつくるような無駄なことをするならば醤油業界にアメリカが提供する大豆は回せないというわけだ。当時の日本で行なっていた本醸造では麹菌の力を借りて大豆を分解してアミノ酸をつくるので大変に時間がかかる。いまもある本醸造がこれである。

当時アメリカにも醤油があった。主に在米華僑が醤油をつくっていた。その方法はまず大豆の油を絞り残った脱脂大豆に塩酸を入れて化学的に分解してアミノ酸液を作成していた。アップルトン女史は超時間短縮できるこの方法で醤油をつくれと言ったのである。もちろん日本の醤油メーカーもこの製造方法は知ってはいたがなにぶんこの脱脂大豆と塩酸でつくった醤油は臭くて飲めたものではなかった。だが大豆と小麦をどれだけ多く獲得するかが醤油産業の死活問題だった。
「こんな醤油は誰も買わないし、作るつもりもない」などと大口を叩ける状況ではなかった。そこで醤油業界も知恵を搾り臭い醤油を改良するために麹を混ぜて一ヶ月以上寝かせて搾る方法を考案し、これならなんとか日本人もあきらめて使ってくれるだろうとアップルトン女史を説得して生まれたのが「新式醸造方式」というわけである。このあたりのいきさつについてキッコーマンが次のような解説をしているの。

●国内の醸造しょうゆの危機とアップルトン女史の活躍

  第二次大戦終結後、日本は食糧不足で、しょうゆの原料となる小麦や大豆などは大幅に不足した状況にありました。化学的に製造したアミノ酸液で醸造しょうゆを増量した「アミノ酸液混合しょうゆ」や食塩水をしょうゆの搾り粕で着色した「代用しょうゆ」なども出回っていたのです。
1948年(昭和23年)になって調味料の原料として大豆ミールが放出されることが決まり、醸造しょうゆ業界とアミノ酸業界へどのように配分するかが問題となりました。当初、GHQ(連合国軍総司令部)経済科学局では原料の歩留まりと製造期間を重視し「醸造しょうゆ業界2、アミノ酸業界8」の比率で原料を配分することを内定しました。
 
 しかし、当時GHQの担当官だったアップルトン女史は、当社が「新式2号醤油製造法」を開発したことを聞き、「消費者の希望を調査した上で配分の決定をし直そう」という上申書を局長のマーカット少将に提出しました。上申書が採用されて調査を行なったところ、消費者の8割が醸造しょうゆを支持。この結果をもとに両業界の話し合いを設け、「醸造しょうゆ業界7、アミノ酸業界3」の配分比率が決まりました。醸造しょうゆは存続の危機を免れたのです。

  「私がおいしいと思うのですもの、アメリカはもちろんヨーロッパの主婦だって、使ってみればしょうゆの素晴らしさがわかると思うの」。アップルトン女史は醸造しょうゆのよき理解者で、自らもしょうゆでステーキソースをつくり、お客にふるまうほどの愛用者だったのです。


★写真説明★ 「新式2号発表会」当日、野田醤油の工場を訪れたアップルトン女史。右端は日本醤油協会会長・正田文右衛門氏(1948年8月)

●危機を救った醸造技術の開発と特許の公開
アップルトン女史が注目した当社の「新式2号醤油製造法」は、大豆の窒素利用率を大幅に上げ、醸造期間も短縮し、しかも良質のしょうゆの製造を可能にする画期的な技術でした。
1948年(昭和23年)8月に当社は特許の無償公開に踏み切り、広く業界で使用されるようになったのです 。
「キッコーマン国際食文化研究センター」
http://www.kikkoman.co.jp/kiifc/tenji/tenji14/america01.html

  いまでは大豆を使う「本醸造」が80%のシェアを占めているが戦後生まれの「新式醸造」もしだいに改良されておいしい醤油がつくれるようになった。そのうえ本醸造醤油に対しての価格競争力もありいいまでも一定の消費者層を根強く獲得しているのだ。新式とは名がついているが70年ほど前の新式であることから今では別名の「混合醸造」というネーミングが使われることも多い。ただ「新式醸造」という名前にはそうした戦後の食糧難時代のエピソードが秘められており味のある名称でもある。
 ところで醤油には油の字がついてはいるが誰でもわかるように醤油に油成分はまったく含まれていない。
 醤油の原料の大豆にはもともと18%の油分が含まれている。だからこの油分を搾って大豆油をとるのだ。だが醤油の原料として丸大豆を使う場合当然油分が含まれている。
 そのため丸大豆を使う場合は製造過程で最終的に油抜きが行なわれている。
 したがってオイルの残った醤油というものはない。
 丸大豆ではなく脱脂大豆を使う場合はそもそも最初から油分がない。脱脂大豆にはこういうメリットがあるので大豆油の搾りかすを使った醤油だというのはひどい言いがかりである。
 製造過程で油を廃棄するのなら最初に大豆油を絞って油として使用し、残った脱脂大豆を醤油づくりに使うほうが原材料資源の有効活用になるとも言えるだろう。
 また原料費のコスト低減にもなり脂抜きをする必要もないので油分除去の手間も省ける。
 醤油に「脱脂加工大豆使用」と書いてあれば大豆油を搾ったあとの脱脂大豆を使っているということだ。この「脱脂加工大豆」を使った醤油が全体の80%から85%だといわれる。
 残りが脱脂しないで油分を含む大豆を丸ごと使う「丸大豆使用」醤油である。
 丸大豆もほとんどが輸入大豆であり丸大豆のうち国内産丸大豆は10%くらいと少ない。
 こういう国産大豆、国産小麦を使う醤油は国産にこだわりのある醤油づくりを志向した醤油である。

 いま醤油くらいはおいしいものを、という本物志向が強い。
 そこで丸大豆使用で本醸造の高級醤油に人気が集まっている。
 丸大豆を使うと製造工程の中で油分の脂肪酸、グリセリンなどに分解されて醤油に溶け込み風味、香り、深みのある芳醇な味わいの醤油に仕上がると言われている。大豆に19%含まれている脂分もいい味の醤油をつくる上で重要な役割を果たしているのである。ただこの丸大豆使用醤油の製造では最後に醤油に浮いてくる油分を抜き取る作業工程が必要となる。
 醤油あぶらは江戸時代には灯火油として利用されていたが明治になり灯油に切り替わると醤油油の灯油需要は消滅した。将来は食品や医薬品に利用できるかもしれないといわれているがいまだに画期的な利用法は開発されていない。この醤油あぶらはおそらく大半が廃棄されていると思われる。ただ醤油メーカーによっては醤油製造工場の燃料油に利用しているケースもあるようだ。醤油を搾ったあとのカスもメーカーによっては加工してボイラー燃料に利用されている。
  
  また本醸造醤油のなかには「天然醸造」と書いてある醤油がある。
  本醸造には人工的な温度管理で醸造を早める「温醸」と人工的な温度管理をしないで四季の自然の温度変化のなかで醸造をしていく「天然醸造」との二通りがある。
 「天然醸造」と書いてあるのは「温醸」の人工的温度管理をせず古来からの醸造方式で作られた醤油である。
 同時に、天然醸造を名乗るには、
1. 「本醸造」の製法によって作られている
2. 酵素の添加など、「醸造の促進」を行っていない
3.化学合成された 「食品添加物」を使用していない
 という条件もクリアしないといけない。
 天然醸造は最低でも一年かかる。だがこれを速くするための人工的温度管理、酵素添加をすれば「天然醸造」とは表記できない。 
 「温醸」では三ヶ月から半年で醤油ができあがる。
 だが「天然醸造」では少なくとも一年がかかるのだが、表記ではどちらも「本醸造」としていいことになっている。
  醤油を購入される前に醤油瓶のラベルをよく眺めてみるといろんな発見があるかもしれない。
  「本醸造」と書いてある醤油には輸入した脱脂加工大豆を使い温醸や酵素添加物で半年ほどで作られている醤油もあれば国内産丸大豆を使い天然醸造で二年間かけて熟成させた醤油まで幅広い製品が存在しているのだ。

  ここでこれまで書いてきたことをおさらいする意味で醤油瓶に記されている基本的な表記についてまとめてみたい。
 醤油の表記は簡潔に書かれているが中味は簡単なようでそうでもない。
 醤油の容器には必ず内容など正しく表記することが農水省の醤油業界への指導により定められている。容器にはどこかに四角い囲みがあってその中に醤油の「名 称 原材料名 内容量 賞味期限 保存方法 製造者」が明記されている。
 最も基本となるのが「名称」だ。ここには、この醤油がどんな醤油なのかという醤油の種類とその製造方法とが書かれている。
 たとえば
 「こいくちしょうゆ(本醸造)」
 「たまりしょうゆ(混合)」
 「しろしょうゆ(混合醸造)
  などの表記がそれだ。
 醤油の種類は 「こいくちしょうゆ、うすくちしょうゆ、たまりしょうゆ、 さいしこみしょうゆ、しろしょうゆ、しょうゆ」の6種類でありこれ以外の醤油はない。醤油の種類はかならず「ひらかな」で表記しないといけない。
 この中で最後の「しょうゆ」というのは何だろうと思われるだろうがこれは二種類以上の醤油をブレンドした醤油はすべて「しょうゆ」と書くことになっている。たとえば「こいくちしょうゆ」と「たまりしょうゆ」を混ぜたとすれば単に「しょうゆ」と書かねばならない。これにさらに「しろしょうゆ」を混ぜた場合も「しょうゆ」である。
 次に醤油の種類の後ろに(   )がありそこに書かれているのが醤油の製造方法である。
 醤油の製造方法は「本醸造 混合醸造 混合」の三種類しかない。
 ここで「混合」と書かれていれば「混合醤油」なのだがほかにも「混合」と表記される場合があるのでかなりややこしい。
 それは異なる製造方式の醤油を混ぜた場合にどのように表記するかという問題だ。種類の異なる醤油を二種類以上混ぜた場合はすべて「しょうゆ」と表記されるのでわかりやすい。
 製造方法の異なる醤油をブレンドしたときの表記は次のようになる。 

  異なる製造方式のしょうゆを混ぜた場合の製造方式
  本醸造+混合醸造 → 混合醸造
  本醸造+混合 → 混合
  混合醸造+混合 → 混合
  本醸造+混合醸造+混合 → 混合
 
  まず「混合」という表記は「混合醤油」のことであり「混合醸造」の略式表記ではない。前にこの疑問を書いたのだがここではっきりとした。
  さらに「混合方式」で生産された混合醤油が混ぜられている醤油はすべて「混合」と表記されている。ただブレンドの中味は「混合」だけではわからないのでどう見分けていいのか頭の中が混合じゃない混乱する。
  少なくとも「混合」と表記されていれば「混合醤油」が入っているということは間違いない。
 
  次に原材料名である。
  原材料名は、「食品原料」と「食品添加物」に区分して記載されている。
  複数の「食品原料」「食品添加物」を使用する場合それぞれの区分ごとに重量の多い順に区切って記載されている。
  たとえば「 大豆、小麦、食塩、ぶどう糖、水あめ、調味料(アミノ酸)、アルコール 」というような表記である。ここで注意したいのは大豆の表記だ。
  「丸大豆醤油とラベルに書いてあるのに原材料名には大豆と書いてあるが丸大豆じゃないのか?」という 疑問を持つ人もいるかもしれない。もっともな疑問だがあくまで原材料なので「大豆」としか書いてはいけないのである。したがって丸大豆醤油でも原料名には「大豆」とだけ表記されている。「黒大豆」や「青大豆」「白目大豆」なども原材料名には「大豆」としか書いてはいけない。
  もし丸大豆でなく大豆油を搾ったあとの脱脂大豆を使用している場合は「脱脂加工大豆」と表記されているのですぐわかる。

  おもな食品原料と食品添加物は次のようなものだ。
●食品原料
 大豆、脱脂加工大豆、小麦、食塩、米、アミノ酸液、砂糖、ぶどう糖、ぶどう糖果糖液糖、水あめ、みりん、醸造酢、米発酵調味料、清酒等

●食品添加物
  甘味料(甘草、サッカリンNa) 着色料(カラメル)またはカラメル色素 保存料(安息香酸Na、パラオキシ安息香酸) 酸味料、 調味料(アミノ酸等) V.B1、アルコール等

  このほかに醤油のラベルにはいろんな情報というか宣伝文句jが書かれている。ただここでも誤解を与えるような情報表示は禁止されている。いくつかの用例を示してみる。
  高級醤油に書いてあるある「熟成・長期熟成」の表記は以下の基準を満たしていないといけない。
  ①こいくち・たまり・さいしこみであること。
  ②本醸造であること。
  ③もろみの熟成期間が1年以上であること。
  ④醸造期間を併記すること。醸造期間は端数を切り捨てること。たとえば1年半を2年熟成としてはいけない。1年と書くこと。また「足掛け3年熟成」もだめで2年と表記しないといけない。
 
 このようにけっこう醤油ラベルの使用用語の基準も厳しいものがある。
 ほかには「手造り」という文句は「天然醸造であること、麹蓋、筵で製麹し手入れは人手で行なうこと、もろみの攪拌は手作業で行なうこと、が条件となっている。
 また「丸大豆」という用語は「脱脂加工大豆」をいっさい使用しない場合のみ表記が許される。
 最近は「生醤油」「生引醤油」という商品もある。「生(なま)醤油」の場合は「生」に(なま)とルビをふって「生(き)」醤油と誤解させないこと、火入れを行なわす火入れと同等の殺菌処理を行なうこと、また「生引醤油」の場合は①たまりしょうゆであること、②本醸造であること、が条件となる。

 高級醤油の通販で人気のサイト「職人醤油」ではこのあたりを次のように解説してある。
「●生醤油とは
 生と書くとしぼったそのままの醤油というイメージだと思いますが、熟成させた諸味を搾った液体は「生揚醤油(きあげしょうゆ)」と呼ばれます。そして、この「生揚醤油」は市場に出回ることはほとんどありません。酵母菌などの微生物が生きている状態だとプラスチックの栓はすぐに開いてしまいます。

醤油に「生」の文字を使う際には「なま」と読むか「き」と読むかの標記をするルールになっています。「なましょうゆ」の場合は、火入れを行わない代わりに膜(フィルター)で精密なろ過をすることで火入れ殺菌と同等の処理をしたものを「生(なま)醤油」と表示することが認められています。

一方、「生(き)醤油」は純粋という意味で使われており、食塩以外の添加物などを加えていないという意味で使われています。 」(「職人醤油」HPより)
 最近では熱殺菌、精密濾過も行なわず菌・乳酸菌が生きたままの発酵状態の生搾り生醤油を冷蔵管理商品として発売しているメーカーもあり醤油界も活況を呈している。

  このほか醤油にはさまざまな表示がある。
  それらも勝手につけていいものではなく「しょうゆの表示に関する公正競争規約」「しょうゆ品質表示基準」などに細かく規定されている。
  健康志向で「減塩」という醤油表示もよくみかけるが、これは「100g中の食塩量が9g以下のものでなくてはならない。また「うす塩」「あさ塩」「あま塩」「低塩」はそれぞれの種類の醤油の通常の食塩量にくらべて80%以下のものとされている。
 このほかに「特級」「上級」「標準」、「超特選」「特選」「特性」「特吟」「上選」「「吟上」「優選」、など
醤油の品質に関する表示も醤油を買うときの一つの目安になる。
  これらの等級表示はうまさの指標といわれている「窒素分」の含有量やエキス分などで決められている。
  醤油の品質基準(等級)にはJAS規格によって「特級」「上級」「標準」の3段階に分けられている。
  JAS規格に合格したJAS認定工場の醤油にはJASマークとその上に醤油の等級が書かれたマークがついている。



  ちなみに「特級」は「さいしこみしょうゆ」の混合醸造方式が特例で認められるほかはすべて「本醸造方式」が要件にされている。特級と書いてあればまず本醸造方式で作られた醤油だと判断できる。仮に混合方式の醤油に特級と表示すればこれは違反となる。

  「超特選」、「特選」という表示は「特級」ランクの醤油にだけつけることができる表示である。
  うまみ成分の窒素やエキスがそれぞれの種類の「特級」よりも10%多いものが「特選」となり、「特級」よりも20%多いものが「超特選」となる。 
  「特級」の醤油でさらに「超特選」という表示がついていれば最高ランクの醤油ということになる。
  こういう品質を判定するために科学的な成分分析はもとより醤油の色、味、香りなどを調べる官能検査が(財)日本醤油技術センターにより行なわれている。
 こうした品質基準はさきほどの「~公正競争規約」「~表示基準」などで細かく規定されているがあまりにも専門的で複雑すぎて素人にはよくわからない。ただこうした醤油のJAS規格のよる表示はメーカーが自分勝手に表示をすることはできないのでおいしい醤油を選ぶ目安として信頼していいだろう。

 ただ、JASに加盟していないメーカーはこの表記をすることはできない。
 JASマーク、JAS規格は食品の安全性を保つ意義があり有用であることに間違いはない。
 だが醤油メーカーによっては加盟コストがかかるため脱退している会社もある。JASも一つの基準と考えスーパーの店頭で「特選丸大豆醤油」これゲットもいいだろうが、自分でおいしいと思う納得のいく醤油を手間隙かけて探してみるのもいいだろう。
 輸入した大豆、小麦、塩を使う醤油もあれば、国産地場の大豆、小麦、塩にこだわる醤油づくりをしている職人気質の会社もある。

 また大豆については「遺伝子組み換え大豆ではない」ことを表示しなくてもいいことになっている。しかし業界で自主的なガイドラインを決めて表示されるようになっている。
  アレルギー表示では大豆を使っていることは想像できるため小麦についてだけ表示すればいいことになっている。しかし念のため大豆についてもアレルギー表示をしたある場合が多い。
  
 新式醸造(混合醸造方式)醤油であっても味は千差万別である。
 今回初めて買って甘すぎると感じた醤油もあればさらっとした風味のある混合醸造醤油もある。
 また日本全国の地域の味覚によって好まれる醤油は違うとも言われる。
 醤油には製造方式、原材料の違いと同時に土地土地で好まれる風味の違いもあって複雑かつ奥が深い。
 関東の醤油のキッコーマンは日本の醤油の代名詞のような存在だがもともとは江戸時代に紀州の醤油職人が房州へ移住して作り始めたのが関東醤油の起源である。
 ただ個人的には切れのいいきりっとした関東の醤油の味がいかにも醤油らしくて好みである。
 ところが関西人が東京へ行ってうどんでも食おうものならその真っ黒い醤油味に「これが出汁かいな!」とびっくり魂消るという話はよく聞くのだがこれまたわき道に入り込むのでここでやめる。
 一概に天然醸造がよくて混合醸造が悪いという単純なものではない。ただ価格差は厳然としてあり天然醸造のほうが値段は少し高い。やはり新式醸造(混合醸造)や混合醤油は製造期間が短縮できるぶんだけ価格も安いのだろう。

  製造方法によって醤油の味が決まりそうなものだがそうでもない。
  天然醸造だと思い込んでいた醤油が実はよく見たら混合醸造だたっということもあるだろう。
  醤油に三種の製法の違いがあることが初めてわかった。さらに製造方法だけでなく、丸大豆醤油など原材料や製造過程の工夫の違いなどもありさらに多くの醤油が日進月歩でつくられている。
  最近では酸化を防ぐ工夫をした容器入り醤油で風味を損ねない新商品も人気だ。
  今回入手した地元産の甘みの強い醤油は刺身や煮物などに使えばいい味になるだろう。
  いろんな味の醤油を使い分けるのも味覚領域を広げることにもなる。
  味噌汁も赤味噌、白味噌、麦味噌などいろいろと使えば飽きることもない。
  これまで日本酒にはあれこれ小うるさいことを言ってきたが、醤油にはあまり関心がなかったのだがいい機会なので地元の奈良県にあるいろいろな醤油を試してみようと思う。
  とりあえず三輪素麺にもっともあう醤油を探してみることにしよう。
  醤油探しの旅、というほどの大げさなものではないが醤油や味噌の違いを楽しむのも日本人ならではの贅沢なのかもしれない。
   最後に醤油の色は何色と言えばいいのでしょうか?
  谷崎潤一郎の「陰影礼賛」という本に日本の風情を語る珠玉の文章がある。障子越しのやわらかな光線は日本的であるなどという文章を読んで鳥肌立った。
  そのなかで谷崎は醤油の色も取り上げておりこれが日本の色だと書いている。ここでその箇所の文章を引用してもいいが示唆するあたりでとどめるのが天然本醸造の趣なのかもしれない。

 
 
★関連情報URL「職人醤油」 醤油についての情報が満載です。
Posted at 2015/07/06 20:42:23 | コメント(3) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年06月29日 イイね!

じゃがいもを収穫した日のできごと。

 28日の日曜日は畑でじゃがいもを掘った。
春先、4月ころだと思うがジャガイモの種芋を植えた。
種芋はニキロほど買い、半分とか4分の1に切って植えた。
農業は素人なので年寄りに教わり言われた通りに全部種芋を植えた。
ところが後で年寄りに畝の間隔が狭いと怒られた。
畝の間が狭いとジャガイモが「大きくならんで」というのだ。
「そうは言っても全部植えるには畑が狭いので間隔を詰めるのは仕方ないですよ」
と反論したところ、
「種芋は余ったら余ったでいい」
と言われた。
 それならそうと最初から言ってくれればそうしたのに・・・・・。
 なかなかそういう間隔じゃないそういう感覚の臨機応変は難しいわ。
 にわか百姓には年季の入った古老百姓の考えはすぐには理解できない。
 最初のころ畑に入って手伝ったのだが「それはなんとかの苗だから踏んだらあかんで」とか「そっちも踏んどるのは☓☓の芽だ」と怒られる始末。だいたい雑草が多くて草か苗か芽か何がなんだか分かるもんか。しかも「畑でなになにの苗を踏んだ」と何度も何度も言われていい加減耳にタコができるわ。
 それにそのことがあって一年以上も経って何かの折に「畑に水をやりに行こうか」と年寄りに言ったところ断られた。そのときは何とも思わなかったのだが後のちあのときは「畑にやあ▲▲の苗が伸びとるで踏まれたら困るで行かんでもええで」と言われたのだとわかり何とも情けない思いをした。
 わずかに二本三本の苗を踏んだことで何か犯罪者のようにいつまでも言われなければならないののか。実際には五本六本くらいは踏んだかもしれない。ほかに草と間違えて何かの苗もけっこう抜いてしまったしなあ。やはり自分は農業にはむいていないのかもしれない。
 それっきり畑は鬼門だと思うようになっている。
 一度は夕方の畑でブヨか何かに刺されて手と首が熱を持って腫れ上がるほど虫毒にやられた。腫れが引くのに一週間、だいたい治るのに二週間はかかった。
 畑にはろくでもないものが待ち受けているのだ。
 それでも今年は手がないのかジャガイモの種芋植から収穫までやらされているのである。
 
 相手は高齢なのだが畑仕事の超有段者である。それは間違いない。もう畑仕事を60年以上もやっているのである。有段者も有段者それも高段者なのでド素人には言われれた通りにやっても言われたこと自体がそもそも理解できてないのでろくなことにはならないのだ。
 またあまりうまくできてこりゃええわと次から次へとあれやれこれやれと期待されても困る。
 ほどほどに下手で怒られているくらいがいい塩梅だ。
 年寄りは高齢で思うように体が動かないので自分で作業することはできない。そのぶんだけ口が多くなりああだこうだと言うのでわかってはいても耳煩いものがある。そのほとんどは「私しゃあこないに草だらけにはしたことがないわ」と二言目には言う。そりゃあ毎日畑に着ていれば草も生えないだろうが誰が毎日畑に来ることができるのか?
 誰だって草だらけの畑はよくないとは思っている。
 でも普段から草引きができないからたまに来て大汗かいて草引きをしているのである。
 だから理想と現実は違うのだとなまくら百姓が言っても大御所には通用するはずもない。
 もう聞いて聞き流し聴かぬふりしてできることだけやるしかない。
 畑へ来ただけですでに疲労困憊しているのが現実なのだ。ここらの年寄りを見ていると肌は日焼けして黒褐色でみるからに肉体の鍛え方が違う。
 夏場の草刈りを一日中やっても「ああ疲れた」という程度である。
 こっちはそんなことをしたら間違いなく死ぬわ。
 
 なにしろ素人の農作業はめちゃくちゃ疲れる。
 使う筋肉も違うし種まき、肥料やり、はたまた草取りだの収穫だの腰の折り曲げを何回何十回もやらねばならない。
 機械をつかうほどの広さはなくまさに猫の額ほどの畑だがそれでも素人には重労働である。
 畑仕事をすると日頃の運動不足が身にしみてわかる。
 毎日こんな畑仕事をすれば脂肪を燃やし肉体を鍛えるにも最高だろうなと思うのだがただ思うだけなのである。
 たしかにジャガイモを植えた後を見ると最初の二畝の間は広々としているが345畝と行くにつれて畝間がほとんどないに等しい。しかし植えたものは仕方ない。いまさら植え替えることもできなにので後は運を天に任すしかない。
 昨年にイノシシに入られたので畑の柵を頑丈にしてある。
 今年はイノシシの被害はないだろう。
 また昨年はそばの種を撒いたのだが新芽が出たら鹿に入られて新芽を全部鹿に食われた。
 鹿の入った網を補修して頑丈にした。だがもう今年は蕎麦は諦めた。
 それから3ヶ月くらい経った。
 葉が茂り、じゃがいもの花が咲いたのだろうと思う。あまり畑に見には行かなかった。
 ただ今年は雨が少なかったので地元の人に訊くとじゃがいもはたいがい小さと言っている。
 しかもうちの畑は間隔の狭い密集型植え込みなので輪をかけて小さい可能性が高い。
 そこで収穫時期を遅らせて掘ることにした。
 こないだ、梅雨前にトマトとキュウリを植えに行った時じゃがいも畑はかなり葉が茂っていた。
 28日の日曜日つまり昨日だがやっとじゃがいもの収穫に行った。
 結果はかなり意外によいできだった。
 直径80センチくらいの大きめのザルに4杯ぶん収穫できた。
 大きさは握り拳くらいのけっこう大きいのから中くらいのもの大きめのむかごくらいの小粒のものまでバラエティーに富んでなかなかの出来であった。
 素人目に心配したよりもずっといいできだった。
 毎日畑仕事をしている近所のお爺さんがいつものようにいつもの畑にいた。
 通りがかりなのでジャガイモを見てもらったら「ようけえええのができとるな。それだけできりゃ上出来だわ」と褒めてくれた。
 このお爺さんの畑は昨年はトマトが実り明日収穫というときにカラスにヤラれて全滅だった。
 今年は用心のために網がかけられていた。少しトマトが色づきはじめている。
 となりにナスが植えてあった。
 お爺さんのジャガイモはすでに収穫を終えてそのあとをきれいに土をならしてあった。
 「ジャガイモの後に何か植えますか?」
 「うんにゃもう何も植えん。前は豆なんかを植えとったがもう歳で作るのもおとろしわ」
 「じゃあこのままで・・・・」
 「白菜を植えるまではな。黒いビニールシートをかけておく」
 「ビニールシートをかける?」
 「せや、ビニールをかけておくとな草が生えんで」
  なるほど、それでよく畑に黒いビニールがかかっているのか。
  じゃがいも畑はもう雑草だらけだった。じゃがいもを収穫して雑草を全部抜いてあとの土を盛る作業をしたので午前中、汗だくになった。秋の白菜までほおっておけば間違いなく草が生い茂る。それをまた抜いてから白菜を植えるのは考えただけで気が遠くなる。
  そこで来週でも黒ビニールを買ってきて畑にかけておくことにする。
  じゃがいもは掘ったばかりで土が付いている。
  それをダンボールを広げた上にひろげて干した。干して表面を乾燥させておくと保存できるということだ。濡れたままにして箱に入れておくと腐るそうだ。
  小屋の中には前に収穫した玉ねぎが吊るされ昨日掘ったじゃがいもが並べられている。
  昼飯を喰って缶ビールを一杯飲んだら猛烈に眠くなった。
  
  それもそのはずだ、日曜日の朝はサッカーワールドカップカナダ大会で「なでしこジャパン」とオーストラリアの試合があり朝5時ころからテレビ観戦応援していた。
  前半は得点が入らずどうなることかと思ったが後半に一点をゲットしてそのまま押し切って勝利した。やれやれよかった。
  後半に途中出場した岩渕選手がシュートを放ったが惜しくも防がれてコーナーキックを得た。
  そのとき守りの要の岩清水選手が監督の指示でゴール前へ駆け上がった。
  何かが起きる予感がしていた。嘘ではなくテレビを見ているとここらで一点入るんじゃないかという雰囲気がなんとなく伝わってきたのである。
  宮間選手が左サイドから右足でキック、ゴール前に上がったがいったんは防御陣のヘディングでボールがはじき飛ばされた。そこに前から猛然と走りこんできた宇津木選手が強烈なキックを放った。
だが背の高いオーストラリア防御陣が二人三人とたちはだかり惜しくもゴールははじかれた。
だがそのボールが前へ詰めていた岩清水の前に転がった。
 ここがチャンスと岩清水も素早くボールを足先で捉えてゴール前右側で短くキック。だが間近にいた防御陣の脚に当たり、防がれたボールがまた岩清水選手の前に転がった。もうこの辺は選手が密集しゴール前は両チームの選手入り乱れての大混戦となった。
  岩清水は跳ね返ったボールを巧みにキャッチすると倒れながらも粘って眼前の相手選手二人の脚の間からボールを向こう側に蹴りだした。この岩清水選手の倒れながらの超絶技巧の一蹴りが奇跡を呼んだ。
  その向こう側にいるであろう仲間の存在を信じて倒れた岩清水の一念を受け止めたのが岩渕選手である。目の前に飛び出してきたボールを右足で素早くゴールへ蹴りこんだ。ゴールキーパーは何をすることもできないで呆然とそのすばらしいシュートを見送った。
  テレビではこの宮間選手のコーナーキックから岩渕選手のゴールまでの一連の動きを何度も繰り返して放映していた。この一連の流れは何度見ても凄いなと思う。
  遠くから走りこむ宇津木選手がボールに追いつきシュート、跳ね返されるところを岩清水選手がシュートさらに防がれたボールをキャッチして相手選手二人の壁をかいくぐる機敏な足技のキック。まるで針の穴に糸を通すような精工なキックが通った。
 そのとき岩渕選手は向こう側のゴール前にいたのだがその左後ろには大儀見選手が陣取っていた。もしボールが少しでも角度を変えて出て来たら大儀見選手が蹴りこむ段取りができていたのだ。
 この絶妙な二段構えの岩渕、大儀見選手の位置取りに思わず唸った。
 つまり相手ゴールの前になでしこの選手がコーナーキックからの一段攻撃、さらに外れた場合の二段攻撃、さらに三段攻撃を想定して自分のポジションをキープしながら詰めていたのである。
  このゴール前の無秩序のように見える大混戦のなかでなでしこのFW陣は作戦的なシステムの動きを維持してゴールのタイミングを待っていたのだ。
  こういう先先の動きを読む冷静さと実践感覚、それに即応できる瞬発力はなでしこの底力であろう。
  さらに言えば、このときの動画を見ればわかるがオーストラリア選手の足は止まっていた。
  防御陣の動きはかなり鈍い。
  高温の中で後半になってオーストラリア選手の動きがぱたっと止まってしまった。同じ暑さの中でなでしこは動き続けた。やはり日頃からどれほどの苦しいトレーニングを積んできたかが一目瞭然である。試合の最後まで動き続ける体力、走力などは一朝一夕に鍛錬できるものではないだろう。
  次のイングランドを破れば待望の決勝へ進出する。
  なでしこジャパンの選手は一戦一戦と勝ち上がるごとに自信をつけてきているようだ。次の戦いもぜひ勝利をおさめて決勝で悔いなく戦ってほしいと念願している。
  となでしこジャパンの優勝を念願したところで疲れてしばし仮眠した。
  
  うとうとして目覚めたのは3時過ぎである。
  テレビをつけると競馬を中継していた。
  第56回「宝塚記念」レースだ。
  白い馬がパドックをゆっくりと歩いていた。一番人気の「ゴールドシップ」である。競馬はまったくやらないのだが前回ゴールドシップの出た競馬、春の天皇賞をたまたま見た。
  ゴールドシップはゲートに入るのを嫌がり大暴れした。
  後ろ向きに入れようとしても抵抗していた。押されても、引っ張られても動かず飛び跳ねては後ろ脚を蹴り上げていた。5分ほどの格闘の末、目隠しをしてようやくゲートに入った。
  他馬を長い間ゲートの中で待たせたまま猛烈に暴れてゲート入りを拒んだ挙句レースが始まると猛然と走って一着になった。
  今回もいちばん人気で15番の馬券を買われた人も多いだろう。
  アナウンサーがしきりに「今日は素直ですね、落ち着いてますね」としきりに言う。前回の入り渋りを見ているので猫を被ったような大人しさはかえって不気味である。
  ゲートへ近づくとすんなりと入った。
  あれっ、全然嫌がらないなあ・・・・・こういうこともあるんだな。
  カメラの角度が前方からの映像に切り替わる。全頭がゲートに入ったのでスタートの映像を前から流すためだ。すると何かゲート内がざわついいた。一頭の馬が少しバタつく動きを見せた。その途端、15番の「ゴールドシップ」が興奮したように激しく馬体を揺らした。そして前足を上げて狭いゲート内で後ろ脚で突っ立ってしまった。
  中継のテレビで「アーーーーー」という悲鳴にも似た女性アナウンサーの声が上がった。
  いったん立ち上がったものもすぐに前脚を下ろしたが再び大きく完全に立ち上った。
  そのときゲートがバッと開いた。
  まさに波乱はスタートに待っていた。そしてゴールドシップの競馬はスタートで始まりそこで終わっていた。これがゴールドシップだ、と言う人が多い。
  またゲートの中で仁王立ちになり出遅れたときそれを目撃していた観衆は悲鳴をあげるのではなく大爆笑したという話もある。
  一斉に走り出す競走馬たち。だがゴールドシップはまだゲート内で突っ立ったままである。
  一秒二秒・・・・他馬はもう芝生を蹴って5メートル10」ートルと駆け出している。
  ようやく脚を下ろしたゴールドシップが最後尾でゲートを出た。そのときもう先を行く馬群とはかなりの差がついてしまった。
  最後尾の一人芝居の名役者は悠然と我が道を行くのであった。
  その後もやる気をなくしたようなゴールドシップの動きを鞍上の横山典弘騎手もどうすることもできなかった。単勝1・9倍という圧倒的な一番人気になった本命馬ゴールドシップは15着と競馬にならなかった。

騎乗した横山典弘は「あの馬らしいね」と振り返る。
 「返し馬はいつもどおりだった。ゲートに入ってからもおとなしくしていたのに、あとちょっとでスタートというところで唸って、ああいう形になってしまった。なぜなのかは彼に訊かないとわかりません。買ってくれたお客さんには申し訳ないですが、これも込みでゴールドシップなんです」(Nunber web)
 「なぜなのかは彼に訊かないとわかりません。」
  横山騎手のこの言葉は名言として競馬史上に残るだろう。
   大暴れするわ気性は荒いわおまけに走る気になれば滅法強いわ。
   奇想天外な馬である。
  
 早朝からなでしこジャパンサッカー試合の観戦、畑でのじゃがいも収穫作業、夕方は宝塚記念のゴールドシップの大爆笑競馬を観戦。もう昼間の畑作業で手足腰は筋肉痛状態。早めにダウン、とにかく疲れた一日だった。 
Posted at 2015/06/29 21:16:15 | コメント(4) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年06月27日 イイね!

米軍のレーション。

小学校の入学式。
なぜか校庭に御座を敷いてその上に何段かの人が立つ場所をつくり前に子供が二三列、後ろに親が二三列、という小学校の入学式の集合写真がある。いまはたいてい講堂などで記念写真を撮影するのだがなぜそんな場所で撮影したのかわからない。講堂のなかでは光が暗かったのだろうか?
小学校の入学式はたぶん昭和29年くらいだろう。
ふと、いま思った。
私の生まれた山陰のT市はその2前年に市内が全部焼失する大火に見舞われていた。
だから入学式を行う講堂が再建できていなかったのかもしれない。
この小学校のある場所も全部丸焼けになったのだから。
私の家はこの小学校のすぐ傍にあった。この大火ではこの一帯というかT市市内は全部燃えた。それほどの大火だった。小学校も全部焼失したはずだ。
だから私が大火の翌年に入学した小学校は昭和29年当時で4階建ての鉄筋校舎だった。そのころは木造の小学校がほとんどだった。この文章を書いていて、なんで校庭で入学式の写真を撮影したのか?という疑問がはじめて氷解した。
まだ鉄筋校舎はじめ学校はまだ再建中だったのだ。
一年何組だったのか?二組だったような気もするが。入学式を終えて教室に入ると机は二人一組の机だった。机の表面に板があり、そこを持ち上げると中が物入れだった。
いまにして思えば、地元の大工さんたちが一生懸命に資材のない中を作ってくれたのだろう。
敗戦間もない中で、しかも地元は大火で焼失したなかでの小学生の入学式である。
地元の人にとっては戦後の復興を担い地元の将来を担う子供たちの出陣式のような思いで入学式を見守っていてのだろうと想像する。それも、いまにして思えばの話である。
となりには女の子がいた。村田さんだか、田村さんだか、ぜんぶひらかなで名前が書いてあった。その女の子とは話した記憶がないが、酒屋の娘だったという記憶がいまにしてある。なぜそう思っているのか根拠はまったくない。
一年生の担任は小林先生という丸々と太ったおばさんのような先生だった。50代くらいだったかもしれない。小学校の先生にはふさわしいようなお母さんのような先生だった。にこやかないつも笑顔の先生の表情を記憶している。
小学校には一二年が持ち上がり、三四年が持ち上がり、四五年生も持ち上がりの二年ごとに担任が変わる三段階だった。
一年生のときか、二年生のときか清水先生という女のやはり小太りの先生が何かの授業で来たことがあった。この先生はいまにして思えばまだ30代位だったような気がする。この先生の言ったことを今も覚えている。
「戦争が終わったとき」と言った。
戦争が終わった?戦争があったことも、戦争がなんだったかも、まったく理解できていない小学一年、二年生だった。そのと清水先生は「わたしはバナナが大好きでしたが戦争中はバナナが食べられなかった。それで戦争が終わったのでこれでバナナが好きなだけ食べられると思うとうれしかった」と言った。戦争が終わったてからまだ10年も経ってはいない時期である。もしかして清水先生はもう少し若かったのかもしれない。
「戦争が終わったのでバナナが食べられる」といった女の先生の言葉をなぜか覚えている。
ただ戦争が終わったことと無関係に、当時はバナナは高級品でとても食べられる果物ではなかった。
この先生はいいとこのお嬢さんだったのかもしれない。
子供心に、戦争というのは食べ物が好きに食べられないことなのかな、と漠然と思ったことは記憶している。
食べ物の話といえば、T市の大火災で全国から義捐物資が送られてきた。
おもに古着などだった。戦後間もない時期なので全国が生きるのに精一杯の時期だたっと思う。
そのなかで、「レーションの配給がある」という情報が流れた。
まだGHQが日本にいた時代である。見たことはなかったが、T市にも連合軍の進駐軍兵士がいた。
たぶん日本政府は大火災の支援物資として米軍の期限切れの戦場食料であるレーションをタダ同然で貰い受けてT市へと配給したのだろうと思う。
レーションの配給がはじまった。
子供は一人一箱、大人は一人三箱だったように思う。
火事で焼け出され親類の家に同居させてもらていたのだが、親子五人だったので合計9箱のレーションを貰うことができた。
この親類の家でレーションを開けた。物凄く分厚いダンボールの四角い箱の中に、丸い銀紙に包まれたチョコレートがあった。タバコもあった。緑色の缶詰に豆とかいろんなものがはいっていた。ティッシュペーパーもあった。
このなかで豆の缶詰の味が記憶に残っている。
これまで食べたことのない味だった。
その後もときどきアメリカ製のビーンズの缶詰を食べてみたがあのレーションの缶詰の香りと味とは少し違う。
もういちど食べてみたいと思う缶詰の味なのだがいまだに出会うことはない。
親類の家の人にもレーションを分けてしばらくはこの米軍食料を食べて過ごした。
レーションのダンボール箱はとても頑丈だったので、その後も長く家にあって衣類などを入れる衣装箱かわりに使われていたことを覚えている。茶色いダンボールの上には黒い文字で英語がなにか印刷されていたがなんて書いてあったか子供には理解できなかった。
ただこのレーションがアルファベットを見た最初であることは間違いない。
 東北大震災でも米軍や自衛隊のレーションが配られたという話は聞いたことがない。
 もしかしたら最初で最後の火災支援物資としての米軍レーションの配給だったのかもしれない。
 朝鮮戦争が終わるか終わらないかの頃である。
 いやT市の大火はまだ朝鮮戦争のさなかだたっと思う。
 被災者に配られた米軍のレーションももしかしたら朝鮮戦争向けに大量に作られたものだったのかもしれない。朝鮮戦争というが朝鮮半島は戦場でありマッカーサーは東京にいて戦争の指揮をとり、東京が朝鮮戦争遂行の本部であった。あのときのレーションがどのようにしてアメリカから日本へ空輸されどのように配布されたのかわからない。
 ともかく米軍の軍事物資を日本政府が手配して大火災災害の支援物資に投下したのは間違いない。誰がそんなことを考えてどんなふうにアメリカに交渉して実現させたのだろうか。
 戦後とは言え、まだ戦争が日常にあった、そんな時代だった。  
Posted at 2015/06/27 22:11:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年06月26日 イイね!

「無用の用」


「無用の用」という言葉がある。

誰が言い出した言葉なのか知らないが折にふれてこの言葉の意味を考えてきた。
世の中にはちょっとみれば「無用」に思えるものがけっこうある。
しかし無用のように見えても実はなにかの「用」にたっているものだ、というほどの意味である。

「無用之用」とは、荘子の言葉だという。

人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり
人皆知有用之用而莫知無用之用也。

無用だと思われているものこそ実は有用なのだとシナの思想家・荘子は主張した。
「荘子」は世の中が有用性だけを追い求めるので、そういう一面的な価値観ではなく一見「無用」なものまで視野に入れ多面的な価値観への転換を説いたという。だがそうした提言を世間の人々はなかなか理解してくれないと嘆いていたようだ。
有用の用は誰でもわかる。
だが無用の用はなかなか目には見えない。
たしかに人は「有用」のものは有り難がるが「無用」のものは切り捨ててなんとも思わない。
とくに女性ほど「無用」に見えるものへの視線は厳しい。
何かに役立つかも・・・・と思って置いていたら勝手に捨てられたという経験は枚挙に暇がない。
気に入って長く着ていたセーターもいつしか姿が見えない。
訊くと「古いし汚いから捨てた」
ここで気持ちを整えるのに数分は最低要するのではあるが・・・・・これを言い出すと延々と長くなるので短く事態を指摘しておくにとどめる。

ひとつの喩え話をする。
道路というものはけっこう広いのだが人が実際に足で踏んで歩く幅は道路幅全体からみればかなり狭い。だとすれば歩かない部分の走路の残りは無駄であるのかといえばそうでもない。
人間の歩く幅が50センチメートルくらいとして、50センチ幅で左右が垂直に切り立った高さ10メートルほど、長さ100メートルほどの壁を製作し、さあこの上を歩いてください、と言われて歩けるだろうか。
実際にやれば10人中半分くらい壁から墜落するだろう。
そこで左右に二三メートルの幅で余分な道を付けてやればだいたい完走できるだろう。
この一見無用に見える部分が無用の用だと言えばわかりやすい。
世の中は合理化ばやりだが、極限まで無駄を排して効率的に物事を進めればいいよいうなものだがそうでもない。無用の用も大事なのではないかと思うのである。
体脂肪は少ないほうがよいと言われるが。たしかにそうだろうが万が一山で遭難したりしたとき体脂肪が多いほうが生き残りに役立つこともありうる。
玄関に花が一輪活けてある。
なかったとしてもどうということはないだろう。でも花のある暮らしというものは何かの潤いをもたらす効用があると思われる。
また別の観点から言えば、「無用」「役立たず」と見えることによってかえって「有用」になっているという解釈もある。
動物、植物など人間社会に有益であったり能力があるために捕まえられたり酷使されたり切断されたり、殺されたりもする。しかしそうした全く役立たずのものは人間社会に役に立たないことで実は長寿を全うすることができることもある。何が幸いになるかわからない。
無用のものでも存在している景色はそう悪くはない。
そう考えることにしている。
ひょっとしたら最近何かと話題になる「ゴミ屋敷」は無用の用の究極の塊なのかもしれない。
たしかにいつかは役立つ資源であるのかもしれない。
だが過ぎたるは及ばざるが如しということも考えるべきことであろう。

「無用の用」という言葉から新しい言葉をいろいろと考えてみた。

★「無欲の欲」
 無欲は欲がないことだが、よく考えれば、欲がないことではない。
 「無欲という欲」がある。
 欲には限りがないのでいかに欲を制御するかが誰にとっても人生の難題でもある。欲を持たないことができればいいのだが、そこはなかなか煩悩未練の人間には難しい。また欲望は人生を切り開く原動力にもなるもので全否定することはできない。欲望を捨てたスルメのような干からびた人生というのも考えものだ。
 そこで欲を持たないという後ろ向きの自粛的引き算ではなく、欲心を打ち消すべく新しいキャラクターとして「諦めよう」という気持ちが持てるように「諦念」という概念を積極的に持ちだしてみよう。
  ふなっしーのように、事あるごとに「諦めナッシー!」と諦念をブシャーと吹きかけて大暴れする「負」の存在であるところの「負ナッシー」の登場である。。
 こういう「諦め」という概念を足し算していく発想をもってみればどうだろうか。
 欲しい欲しいという「欲(ほ)ッシー」VS「負無(ふな)ッシー」の対決はどっちに勝利のお裁きが下るのだろうか。
 まあ「欲ッシー」が勝つだろうがそこで登場するのが「価値ある諦め」という「負ナッシー」の兄貴分だ。
 諦めるにも敗北的な諦めではなく、あえてここらで諦めるという「諦念の価値」を感じさせてくれる諦めである。
 株式投資ではこういう局面がしばしば出てくる。
 株が上がる、ここらで売るか、いやまだまだ・・・・・で売りどきを見失い大損した。
 株では「見切る」ことが大事と言われる。
 つまり「見切り千両」という発想こそが「価値ある諦め」ではないだろうか。
 欲望の奴隷になるのではなく自分の判断で諦めていく、この「価値ある諦念」を実行することは決して人生の敗北ではない。
 未練心をきっぱり捨てて俺も生きたや仁吉のように・・・・。
 まとまりがさっぱりつかないこところでここは仕方無く諦めて終わりとする。  

「無限の限」
 欲には限りがない。だからこそ無限の欲心に従うのではなく無限だからこそ限度を弁えなければならない。無限欲心の奴隷になれば身の破滅である。腹いっぱいなのにまだまだ食べれば胃袋が破裂して死んでしまう。飲んで酔っているのにさらに飲めば正体を失ってしまう。
 いつまでもあると思うな親と金。無限だと思っていても無限でいてほしいと思っていても父母にも寿命があり金にも使えば限りがある。すべからく無限と思わず物事の限を自覚して「知足」すなわち「足るを知る」ということが大事である。足るを知れば粗末ないっぱいの飯でも無限の有り難みを感じることができよう。逆に足るを知らない人は豪華絢爛な屋敷に住んでたらふくご馳走を食べてもまだまだ足りないもっと欲しい、もっといいものがあるはずだと飢える心に支配され常に満たされないのでいつまでも、どこまでも餓鬼の心に苦しめられる人生でしかない。
  物事には無限なようでいてやはり限りはあるものと知れ。ということである。

★「無私の私」
 無私であるが、無私であるということを自覚している私がいる。
 無私でありたい。だが無私の心はつねに曇ってくる。だから毎日、日々の修行が大事なのであり靴の塵を毎日払うように心に積もる塵も日々払うことが大事なのである。仏教説話を読むと、釈迦の弟子で毎日毎日草履のホコリを払っていて、ついに仏の境涯を会得した弟子の話が書いてある。
 少し長くなるがこの話を簡略化して紹介してみる。

 兄の マハーパンタカは 生まれつき非常に賢かった。 
 釈尊の教えを聞き出家を思い立ち父母の許しを得て出家した。
 仏の教えを聴いて熱心に修行したので間もなく阿羅漢の悟りを開くことができた。
 マハーパンタカは楽しみを 弟にも 分けてやりたいと考え弟のチュッラパンタカを出家させた。
 ところが、弟のチュッラパンタカは 兄とは違って たいへんな愚か者であった。
 チュッラパンタカは 四ヶ月かかっても経文の一節を暗唱することができなかったのである。
 兄のマハーパンタカは お前には悟りを開くことは無理だと言い弟を精舎から追い出してしまった。
 嘆き悲しんでいると彼の前に立つ影があった。
 それは釈尊であった。
 「わたしといっしょに来るがよい 」
 釈尊は 彼を連れ帰ると、一枚の布を与えて「 お前は この布切れを持って、わたしのもとへ来る人々の 衣のほこりや 履物のどろを払うがいい」と言った。
 それから毎日彼はその布切れで 釈尊のもとに 教えを受けに集まって来る弟子たちの衣や履物をぬぐった。
こうして 何年かたったある日彼はふと考えた。
「 今 わたしが手に持っている布は、初めは きれいなものだった 。それが いつの間にか こんなに汚れてしまった 。人の心も この布切れと同じだ 。わたしは心の塵あかを取り除かなければならない 。」
これを見通した釈尊は 彼の前に立った。
「 チュッラパンタカよ、よく気がついた 。汚れているのは この布切れだけではないのです 。心の中の ちりやあかを 取り去る事こそ 大切なのです 。」
 釈尊がこのように唱えた時、チュッラパンタカは 阿羅漢の悟りを 得ることができたのであった。
「 仏弟子の告白 」 ( 岩波文庫より)
 
★「無心の心」
  無心であるが、無心というのも無心という心の一つの形といえる。おれはつねに無心だと思っていてもけっこう毎日邪心に惑わされている。それが人間であり煩悩未練の徒輩なのである。

★「無知の知」
 無知は知らないことだが、無知であることを知っているという知がある。
 ソソクラテスは「知には限りがないので自分は有知だとうぬぼれてはいけない。知の前に謙虚でいよう」ということを言ったのだと思う。しごくあたりまえのことだと思う。自分は物知りだと威張っている人は愚かしい。知には限りがないので日々これ学び、日々これ勉強であり、修行である。
 
 「無用の用」という言葉から思いついてあれこれと書き連ねたがこの文章もまた「無用の用」であると思っていただければありがたい。読んだだけ時間の無駄といえばそれまでではあるが・・・・。
 でもそう考えれば人が生きる上で世の中なくてもいいものだらけのような気もする。
 「無用の用」が氾濫して押しつぶされそうなこの消費社会。
 人生も見方によれば無用の用、そのものかもしれない。
 だから問答無用「無用の用」は不要だという禅の一喝!「断捨離」が流行るのか・・・・。
 あなたは「無用の用」派ですか、それとも「断捨離」派ですか?
 この問は難しすぎる。        


       
BGM★「昭和ブルース」 天知茂   
Posted at 2015/06/26 15:55:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記

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「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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