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角鹿のブログ一覧

2015年05月29日 イイね!

「美しき天然」「お富さん」など。

ときどき不意に脳内にメロディーが蘇ることがある。
何の脈絡もなく音楽が蘇る。
それはコマーシャルの一節だったり何かの流行歌のさびだったりする。
そういう状態になるとのべつくまなくそのメロディーやら歌詞やらが蘇り一日になんどとなく脳内はその手の音楽で占領されてしまう。
ときにはクラシックも登場する。比較的よく出てくるのがドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第4楽章の冒頭である。

じゃあぁーーじゃぁあじゃぁじゃーじゃあぁじゃじゃんぅーーーーじゃあぁーじゃぁじゃぁじゃあぁじゃああぁーーーー。

あの印象的な迫力満点の大音響が響きはじめると文句なく圧倒される。
しかもひとしきり区切りがつくまでつい聴き入ってしまうので端から見ている人にはこの人は少しおかしい人ではないだろうかと思われはしないかと少し心配である。
この曲を初めて聴いたのは中学二年生のときである。
音楽の女の先生がレコードを持ってきて「新世界より」という曲を聴かせてくれたのである。
あとで「なぜこの曲をかけたのか?」と聞いてみた。
先生は「この曲を二年生にはレコードで聴かせるということになっているから聴かせた」と実につまらない答えであった。「この曲はこれこれこうで素晴らしい」とか言うかと思ったがそうではなく聴かせることになっているから聴かせた、というのであった。
なぜそんな音楽教育の方針があったのだろう。

いまふっと思い出したが小学校の音楽では「はーるかなるスワニー河 そーのぉーしもぅー(下)・・・」などとアメリカの歌を歌わされた。
何でそんなアメリカの川の歌を日本の小学生に教えたのだろうか?
文部省が学校で教えるべき名曲だとして選定したのではあろうが・・・。
どんな基準で学校で教える歌を選んでいるのであろうか。
このあたりいまもってよくわからない。
世界の歌を教えて国際人に育てようという意図でもあったのだろうか?
学校ではそんなアメリカの歌も習ったのではあるが、家では春日八郎が調子よく歌う「お富さん」なんかを歌っていた。どこでもいつでも浮かれたように「お富さん」流行りだった。




「粋な黒塀見越しの松に仇な姿の洗い髪・・・・死んだはずだぜお富さん生きていたとはお釈迦様でも・・・・えぇさおううぅ玄冶店(げんやだな)ぁーー」
などとラジオに合わせて意味もわからず歌っていた。
この「お富さん」は日本中に大ヒットしていたのである。
調べてみるとこの歌は昭和29年8月にキングレコードから発売されている。
ということは私が8歳の時だ。まだ小学校の低学年だがそんな子供だったがこの歌を覚えているほど大ヒットした歌だったのだ。

とはいえ、まだ小学生の子供のことであり歌の意味はよくわからなかったが「玄冶店」(げんやだな)を「げん夜だな」と思い込んでいた。なにか「げん夜」という夜があるのだろうと思っていたのだ。「玄冶店」というのは日本橋あたりの屋敷や路地の総称だとわかったのはずいぶん後のことであった。
切られ与三郎とお富さんの噺は歌舞伎にもなりよく知られていた。それを歌謡曲にしたところ春日八郎の美声とともにあっという間に広まったのである。いまでは到底考えられないがチャンバラや時代劇はいまでこそ廃れた感があるものの当時は時代劇が娯楽の王道だったのである。


★市川雷蔵の与三郎、 淡路恵子のお富で映画化。大映映画。
富士真奈美や中村玉緒も出演している。「大映スコープ 総天然色」と右上に書いてある。


  切られ与三郎といえば、歌舞伎でも与三郎・お富の流転の人生を描いた世話物『与話情浮名横櫛』として演じられ人気を博した。
  映画でも「お富さん」がヒットした5年後の昭和35年、与三郎を市川雷蔵、お富を淡路恵子の両主演で上映されている。
  江戸の大店の養子・色男の与三郎は身を持ち崩し木更津の藍染め屋に預けられているのだがそこでお富と出会う。まずいことにお富は地元の網元でヤクザの親分・赤間源左衛門の愛妾であった。この与三郎とお富は互いに一目惚れでいい仲に。だが二人のの濡れ事は赤間親分の知るところとなり親分は激怒。「やっちまえ!」と与三郎は子分どもに膾に切り刻まれ簀巻きにされて木更津の海へドブンと放り込まれてしまう。これで一巻の終わりと思いきや、漁師に助けられて一命を取り留めた与三郎、江戸へ出て全身の切り傷を売り物に悪名をはせる。一方お富も情事がばれて子分どもに追いかけられ逃げきれずもはやこれまでと海にザンブと飛び込んだ。それきりお富も死んだと思われていた。
 ある日、与三郎はならず者の蝙蝠安とつるんで玄冶店にある質屋へ強請に入るがそこで与三郎は片時も忘れたことのない恋しいお富とばったり再会、なんとお富も一命をとりとめこの質屋の主の妾におさまっていた。この劇的な再会の場面が春日八郎の歌う「お富さん」の歌詞となっている。
  この玄冶店で再会する場面が歌舞伎でも見せ場のひとつ。
  三幕目、源氏店妾宅の場より与三郎の名科白がこれだ。
  
与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
お 富:えぇっ。
与三郎:お主(のし)ゃぁ、おれを見忘れたか。
お 富:えええ。
与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ) 命の綱の切れたのをどう取り留めてか
木更津からめぐる月日も三年(みとせ)越し江戸の親にやぁ勘当うけ拠所(よんどころ)なく鎌倉の谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
面(つら)に受けたる看板の疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに切られ与三と異名を取り押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんじだな)
その白化(しらば)けか黒塀(くろべえ)に格子造りの囲いもの
死んだと思ったお富たぁお釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁお主(のし)ゃぁ 達者でいたなぁ
安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ帰(けぇ)られめぇじゃねぇか



映画「切られ与三郎」。与三郎とお富、玄冶店再会の場面。蝙蝠安が強請るがあとで与三郎が登場。

 と・・・・歌舞伎芝居は展開するのであるがこれが実話を元にした噺であるというから驚きだ。与三郎は実は大網の紺屋職人であり、掘畑の網元である親分の妾といい仲になり切り刻まれて簀巻きにされて海へ叩き込まれ一命を取り留めるまではほぼ実話だという。その後、この与三郎の本物は改心し江戸へ出て長唄の名跡芳村伊三郎を継いで4代目となり名を上げたというからこれまた驚きである。芝居では切られ与三郎は悪党だが、実際の人物は悪党とは大違いで、まじめに稽古を重ねて長唄界の頂点を極めている。
ちなみに与三郎・お富は芝居で作られた名前であり与三郎の本名は大網白里町清名幸谷の藍染屋の次男・中村大吉という。長唄がうまく大網と東金の中ほどにある堀畑の茶屋へ長唄を唄うために足繁く通っているうちにお富とねんごろになる。お富の本名は「おきち」といい茂原の出である。おそらくは掘畑に棲む網元でヤクザの親分・山本源太左衛門に身売りされた妾の身であったと思われる。よくあるパターンとはいえ、若い二人の仲は悲劇に終わり、そこから波瀾万丈の切られ与三郎の憂き世渡世が始まるのである。
 やはり当時江戸一流の芝居戯作者の手になると名前からして大吉・おきち、が与三郎・お富、と仇っぽい美男美女に変身してしまうからさすがである。映画、市川雷蔵の与三郎はさぞかしニヒルな凄みがあったであろう。いまだに見る機会がないがいつかは観たいものである。
  
 さらにもうひとつこまかいことだが、この歌舞伎でもお富さんの歌詞でも「玄冶店」は「源氏店」となっている。これは、江戸時代は歌舞伎の狂言芝居において、江戸市中の実在の地名を舞台に乗せてはいけないという決まりがあったからである。
 江戸時代は歌舞伎が大人気であり幕府もその江戸市中、江戸庶民への甚大な影響力を知悉していた。芝居で取り上げられると世間では心中が流行ったり、近松模様が流行ったり、庶民の悪風や着物柄の流行にいたるまで狂言芝居によって現実の民心が右往左往掻き乱されていくのである。
 こういう歌舞伎芝居の興行は江戸幕府にとっては実にやっかいな存在であったに違いない。
 いまでこそ歌舞伎のイメージはいいが江戸時代は遊郭とならぶ「二大悪所」と言われ風紀紊乱の源であるとお上に目をつけられ常に取り締まりの対象となっていた。したがって歌舞伎芝居はあくまで絵空事であるという建前を崩してはまかりならん、というお達しがあったのであろう。したがって芝居での源氏店は架空を装ったもので実在の玄冶店の謂であることは誰もがわかって芝居を見物していたものである。


★「美しき天然」
 
さて話を元に戻してレコードで聴かされたドヴォルザーク「新世界より」は曲は記憶に残らなかったがそのときの先生との会話はいまだに記憶している。
若いまだ独身の先生であり家もそう遠くないので知っていた。高校に入り通学路の関係でその先生の家の前を通ることがあったが、ときどき先生が自宅でピアノを弾いていることがあった。
一度高校の帰りに先生が自宅の前に出て来ていた。
挨拶すると、「●●君、これ見て」とまだ目も開かず毛も生えてないぐにゃっとした鳥のひなを見せてくれた。
なんでも雀の子なのだが巣から落ちて鳴いていたから拾ったのだそうだ。
「その辺の電柱の上に巣があると思うのでこの鳥を返しておいて」
 とごみょごみょ動く黄色い嘴の雀の赤ん坊を渡されたことがある。
「じゃね」と先生は家へ戻っていったのだがそもそも雀の巣なんかどうして見つければいいのか?
しばらく電柱を見上げて巣を探してみた。どこに巣があるのかさっぱりわからない。
その後の記憶はないがあの雀はどうしたのだろうか?思い出そうとしてもその先は思い出せない。

またこの先生ではないのだが、やはりそのあたりを歩いていると家の中からおばさんに引きつった声で呼び止められたことがある。おばさんは窓を明けて身を乗り出していた。
「なんですか?」
「いま家の中に蛇がいたんだけど逃げ出してそこらにいるかもしれないので捕まえて」
 という。蛇が逃げた?そこで家の前の花壇とか草むらを棒でつついたりして捜索したのだが蛇は見つからない。
「見つけてよ。その辺にいるから。また入ってくると嫌だから・・・」とおばさんは言うのだがいくら探してもいない。家の横のほうにも回ってみたが蛇の姿はなかった。
「もうどこか逃げてしまったんじゃないか・・・・」ということで捜索中止を許して貰ったことがある。
いま思えばなんでそういう面倒なことを見ず知らずの通りがかりの人に頼むのかほんとうに意味がわからない。けっこう身勝手な人が多いものである。


★「ちんどん屋」。大編成で演奏する「美しき天然」(天然の美)。

話が迷走しているが書こうとしたのは突如として脳内に浮かぶ音楽の話である。
サーカスの「ジンタ」もよく蘇る。
「ジンタ」という名前はジンタッタ、ジンタッタというワルツのリズム擬音から来たものだそうだ。
したがって「ジンタ」は三拍子のワルツ曲が多かった。
サーカスは子供の頃には数少ない娯楽の一つであった。
木下サーカス、矢野サーカスが来ると学校で揃って見物に行った。
サーカスの楽団が演奏する呼び込みの「ジンタ」に、誰もが心を踊らせたものだった。
あのジンタの音がいまでも記憶に残っている。
なぜか子供のころ悪さをして母親に怒られると「サーカス団に売るぞ」と言われたものだ。
子供の身売りなんかも実際にあったのだろうか?
なかでも「美しき天然」という曲がサーカスのジンタで有名だ。
子供のころから耳に馴染んだ「美しき天然」。
もともとこの曲はサーカスの曲として作られたものではない。
長崎県佐世保の九十九島などの光景を曲に描いた名曲である。

調べてみると明治時代に佐世保の海軍軍楽隊長・田中穂積氏が、作曲している。
「佐世保女学校」という当時のエリートだった女子教育の女学生のためにつくられた曲だという。
しかも日本で最初に作られたワルツ曲らしい。

たーラリララ・・・た~リラー・・・・たリラリーララー・・・・。ジンタッタ、ジンタッタ・・・・。

なんとなく哀愁に満ちたメロディーが何度聞いてもすばらしい。
「美しき天然」はサーカスだけでなく「ちんどん屋」の曲としても大ヒットした。
世間には楽しく明るい歌だけが受けるのではない。
日本人の心にはそこはかとなく侘びしさのある歌が好まれ傾向がある。
この「美しき天然」のメロディに漂う哀感がこの歌が巷の超ロングセラーズとなっている要因なのかもしれない。もともと長崎県佐世保の女学校の愛唱歌だったものがいまや全国区で堂々の日本の名曲の地位を不動のものにしているのである。




↑の、動画は、二胡がややたよりなさげにテキトーに旋律を弾いているように見えるが曲自体のよさに支えられ哀愁に満ちてどことなく放蕩的ないい味を出している。それにもまして、男性の鐘と太鼓の技が抜群にうまい。よく二胡を盛り立てて二胡をリードしている。やはり合いの手というのはとても大事なのである。
主旋律、メロディが車なら合いの手は車を走らせる道路なのである。
ドン、チチチン、ドンドン、チチチチ、ドンチチチン・・・・この切れの良い合いの手が二胡の旋律を巧みに乗せて二胡を励ましながら誘いながら先へ先へと運んでいく。

やはり「美しき天然」しみじみといい歌だと思う。
サーカスもちんどん屋もやや廃れたかもしれないが「美しき天然」の名曲は少しも色褪せてはいない。
日本人の心の琴線に触れる曲だと思う。
「お富さん」を大人から子供まで歌いまくった時代はもう二度とは戻らないだろう。
まさに戦争に負けて日本は絶命寸前、切られ与三郎のように満身創痍の時代であった。
そこから不撓不屈の精神で蘇った日本の姿はまさに切られ与三郎の流転人生、そのものであった。
「お富さん」の空前のヒットはそうした時代背景とは無縁ではないはずだ。
それはともかく、「美しき天然」はいまの小学校や中学校でもぜひ教えてほしい。
子供たちにも歌い継いでいって欲しい「日本の歌」である。


★おまけ★
 



●関連情報URL●
二木紘三のうた物語「お富さん」。
Posted at 2015/05/29 01:18:30 | コメント(2) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年05月15日 イイね!

毎日暑い日が続きますね。

こないだまで寒かったんだがいつの間にかもう夏日だ。
春はどこへいったんだろう。
最近春が短い気がしてならない。
まだ梅雨は来ていないのにこの暑さはどうみても真夏日。
春と秋が短く冬と夏がいきなりやってくるような気がする。
やはり日本の気候は変わったのだろうか?

先週畑でトマトとキュウリの苗を植えた。
両端に杭を打って横に竹を通して固定。
縦に細い棒を打ち込み固定した。
この棒の根本に苗を植えてあるので成長すれば棒に絡みつくという想定である。
苗には稲の籾殻と藁をかけておいた。
こうしておけば苗のそばに雑草が生えてこないからである。
昔福井県の大野に旅した時畑に稲の籾殻を撒いているおじさんがいた。
何をしているのかと訊いてみたら「里芋を植えてその上に籾殻をかけているんだ」という。
なぜそんなことをするのか?と訊くと「こうしたほうがおいしい里芋ができる」と答えてくれた。大野は里芋が有名である。やはりいろんな手間暇を惜しまない里芋づくりをしているのだなと思った。
トマトとキュウリの苗のほかピーマンと唐辛子を一本ずつ植えておいた。
二年前に植えたみかんの苗は鹿に若芽を齧られたせいかまったく成長しない。だが枯れてはいないので畑のすみでそのままにしてある。
スナックエンドウがいま収穫の時期なので少し摘んでおいた。

畑の大部分では前に植えたじゃがいもの芽が出て伸びている。
これから土寄せをしなくてはならない。
そうしておけば梅雨前には収穫できるだろう。
だが畝の間が非常に狭い。
ほんとうは間隔を十分に空けて植えないと地下でジャガイモが大きく育たない。
しかしあまりに用意した種芋が多すぎたので全部植えるために窮屈になってしまった。
おそらく小さいジャガイモになることだろう。
まあ、しゃあんめい。

この日の畑仕事で左手の指が痒くなった。
蚊か何かに食われたのか?
翌日左手の甲全体が膨れ上がり熱を持ち痒さが増してきた。
ぶよにやられたのか?
わからないけど以前も一度やられ首筋が腫れ上がった。
あれから一週間ほどしていまはやっと腫れは引いたが抑えると痛みが残っている。
田舎の畑にはなにか分からない虫がいるので要注意である。
畑仕事を舐めて手袋もしないでやったのが原因である。
痛いし痒いし非道いめにあった。

苗を植えると水やりが欠かせない。
早く雨が降ってほしいのだがなかなか降らない。
雨乞いをしたい気分になる。
昔から雨乞いの祈祷や踊りなどがあるが農民は雨をありがたく思っている。
天候が農作業に物凄い影響を与えるのだ。
昔聞いた話だが天気予報で「今年は空梅雨でしょう」と長期予報をラヂオが流した。
空梅雨とは田植えや其の年の米作に大きく影響が出る。
この空梅雨予報を聞いて悲観した農家の人が自殺したという。
天気予報の影響は大きさということである。
昨今予報技術は進歩しているのだろうが梅雨の予報はかなり難しい。
梅雨入り、梅雨明けなどの天気予報の的中率はどうなのだろう。


また天気予報は軍事情報、機密情報でもある。
先の大東亜戦争でも天気予報は開戦と同時に発表禁止になった。
気象予報と軍事作戦で日本軍が世界を驚嘆させた作戦がある。
昭和18年7月に敢行された「キスカ島撤退作戦」がそれである。
日本軍は北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島から守備隊を撤収させる作戦を立てた。このときキスカ島は周辺海域は連合軍艦船に包囲されていた。
この敵艦船に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。
アッツ島は陥落しさらにアメリカ寄りにあるキスカ島にいる守備隊6,000名余は完全に孤立してしまった。レーダーを始めとする米軍の哨戒網は厳重であり撤退作戦は不可能に近いと思われた。
このとき軍部は中央気象台(気象庁の前身)に「救出艦船がキスカ島へ往復するのに必要な10日間、この海域に濃霧が発生し途切れない日時を予報せよ」という命令を出した。
これを受けたのが中央気象台の長期予報班であった。
作戦の成功はこの地域特有の濃霧の発生にかかっていた。当初は7月11日と決められていたが霧は出ない。だんだんと時期を遅らせながらも作戦決行日は決断できない。
 一か八かの決断は作戦失敗となる。焦りと重圧の中で予報班は不眠不休で予測に取り組み、あらゆる情報を集めては分析する日々が続いた。
 そして最終的に予報班は霧の晴れる高気圧を避け濃霧の発生するのは7月22日から7月31日までの10日間しかないと予測した。このこの10日間を除き前後は不可能という結論を出し軍部へ報告した。6000人の命がこの濃霧発生予測にすべて託されたのだ。
 軍部はこの予測をもとに作戦を練り幌筵基地からの艦隊が満を持して出撃したのである。
 結果的に予測が的中し濃霧は一度も晴れることなく艦隊を隠し続けキスカ島撤退は大成功を収めたのである。
 実はこの話を聞いたのはかなり以前のことだ。
 話を聞いた相手の人は相楽正俊氏という人物である。この相楽氏はキスカ島撤退の作戦で濃霧予報を的中させたそのときの中央気象台長期予報班OBであった。
 相楽氏を訪ねたのは昭和52年だった。当時の自宅であった埼玉県の公団住宅にうかがった記憶がある。家の中は気象予報に必要な通信機器とかファックスとがぎっしりと詰まっていた。話を伺う間中、通信網から入ってくる気象情報を記録するドットプリンターがキーキーという音を上げ続けていた。
 記憶されている人もいるかもしれないが昭和52年に「富士山大爆発」を予言した本を出版し話題になった。その富士山大爆発の予言をしたのが相楽正俊氏である。会った目的は話題沸騰しれいた富士山大爆発についての話を聞くことであった。ひとしきり富士山爆発についての話を聞き終えてから中央気象台時代の話になり「キスカ島撤退作戦」の話になった。
 どのように濃霧の出る期間を的中させたのかという細部にいたるまでの話を聞いた。
 覚えていることは長期予報担当の少数の人間でやったこと、日本兵の命がかかっているため予測が外れたら死ぬ覚悟でいたこと、作戦が成功して天皇陛下からの恩賜のタバコをいただいたことなどを淡々と語ってくれた。
 そのあと、なぜいまの天気予報が当たらないのかという話になった。
 其の理由は二つあると相楽氏は言った。
 ひとつは戦後はアメリカ式に延長予報をするようになったこと。アメリカ大陸は幅が広いので西から東へ天気が移っていくため延長予報をしていればだいたい的中させることができる。しかし日本列島は南北に長いし地形も複雑なので西から東へという延長予報では的中させることは難しい。
 二番目に気象庁は役所であるということだ。
 現場の予報官が天気予測をしても上司にハンコをもらわないといけない。その上司もさらに上の上司のハンコを貰わないと予報を出せない。したがってそういうハンコを上へ上へと貰っていくうちに、最前線の予報官が予測した天気予報はだんだん無難なものに変形していき結果として的中からは遠ざかっていく。
 「もしいまのような役所仕事の体制だったらあのキスカ島撤退の長期予測なんかできなかったよ」
 相楽氏はそう言い切った。
 相楽氏は当時大手総合商社の長期予報をする気象会社の仕事をしておりだいたい10年先までの気象予測を行っていた。この長期気象トレンドをもとに、5年先、一年先というふうに短期予測を出していくのだと話してくれた。
 大手総合商社は世界の穀物の売買を扱っている。気象変化により豊作や不作など小麦相場も変動する。そうした穀物取引と気象の地球規模での長期予報は密接に関係してくるのだ。
 また個人的に世界の人とも交流があって「ヨーロッパの知り合いから連絡があってスキーに行くので天気を予測してくれと言ってきたので教えてあげた」などとごく普通のことのように言っていた。
 「いまは日本にいても世界の情報が手に入るので予測は難しいことではない」とも。
 もう30年以上も昔の話である。
 いまなら当時よりもっと詳しい気象情報をリアルタイムで入手できる。
 だが情報がいくら豊富であっても予報はやはり人間のやることであり的中させることは難しいことかもしれない。
 そう思えばキスカ島撤退の濃霧の10日間を予測した相楽氏はじめ中央気象台の長期予報班は奇跡を起こした伝説の男たちなのだ。
 その仕事は空前絶後の神業というほかはない。
 この相楽氏については、キスカ島撤退作戦を担った気象予報班の一人であることはほとんど知られていない。それよりも昭和52年9月の「富士山大爆発」を予言したことのほうが有名である。しかも相楽氏は「爆発しなかった」ということで世の中の大パッシングを受けた。
 だが富士山は爆発しなかったが、一年後の昭和53年10月三宅島が大噴火を起こした。
 その3年後には伊豆大島も二年連続で大噴火した。
 広義には相楽氏の予言は当たったとも言える。
 だが予言は外れて富士山は爆発しなかったではないか、人騒がせな人物だという非難の声のほうが大きかった。
 地震とか噴火とかという予言は直接的に人々の生活に直結するため影響が大きい。どこそこに地震が来るかもしれないというだけでそのあたりの地価も不動産価格も激減する。
 実際問題としてかなり危険ではあっても予測を出すのはなかなか難しいのだ。
 相楽氏は富士山が爆発すると予言したが三宅島が大爆発した。
 この伊豆七島の大噴火と富士山大爆発との因果関係はあるのかどうか。
 当時は火山と地震の関係は多くの地震学者は否定していた。
 いまもそうかもしれないが、当時の日本の地震予知連絡会は東大地震研究所を中心とする東大の地震学者が予算からなにからすべてを握っており火山学者だの地質学者だの門外漢の学者が地震予知を研究していても相手にもされないという風潮があった。まして気象庁OBが地震予知をするなど論外だったに違いない。
  そう思えば相楽氏はそうした閉鎖的な日本の地震予知の状況に大噴火のような風穴を空けた人物であることには間違いない。
  今日では火山と地震の因果関係に注目する地震学者も少なくない。
  また地震予知ではなく地震防災という角度からの研究も自治体や行政との連携で幅広く行われるようになってきた。
  言ってしまえば身も蓋もないが自然現象は予言できるものではない。
  どんなに科学が発達しても地震予測は不可能である。
  最大限の備えをすることが何よりも大切なことだとしか言うことはできない。
  明日来るかもしれない。
  だが100年も500年も1000年も来ないかもしれない。
  地震とはそういうものである。
  
  今日もまた日中は28度Cという暑さである。
訂正します。奈良も三〇度を超えたそうだ。
  暑いはずですわ。
  運動不足なので歩こうと思ってもこの炎天下ではなかなか出て行く勇気がでない。
  歩くのは夕方にして日が陰ってからにしよう。
  今日は昼前にゴミ捨て場のカラス防御構造物の補強工事をした。
  といってもパネルを貼ったり、木の枠組みを何本か追加して強度を強めたくらいの大工仕事である。雨や風でベニヤを張り合わせた板がぼろぼと剥げ落ちはじめたので上からパネルを貼ってみた。ブサイクな出来には違いないがこれによってカラスの被害は完全に防御することに成功している。カラスが三羽、四羽たかっているが見に行っても被害はなにもない。いい調子だ。
  しばらくはこのままで様子を見て行きたい。
  最近ではこれまではできなかった生ごみの夜出しをする人も少し増えてきた。
  忙しい朝ではなく夜に出してもカラス被害がないので安心である。
  そういう意味ではゴミ捨て方法や時間の選択肢が広がり改善されてきたとも言えるだろう。
  さて夕方になるにはなったが室内の熱気は逃げず蒸し暑さがこもる。
  だんだん散歩よりも冷蔵庫に入っている冷たい缶ビールの誘惑のほうが強くなってくる。
  この繰り返しで日々が過ぎていけば・・・・・。
  ケセラセラなるようになるわケセラセラという流れになるのではないか。
  明日は明日の風が吹くと悟ったような事を言いつつだんだん視界がぼんやりとしてくる。
  なにかせねばならぬという意思が脳内の暑さで溶け出していく。
  とりあえず少し休憩してから次の行動を考えることにしよう。
  そうそれがいい。
  少し休憩してからだ。
    
  
Posted at 2015/05/15 16:10:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年05月12日 イイね!

うなぎに代わる「なまずの蒲焼き」。

 夕方のテレビを見ていたら、うなぎの蒲焼そっくりの「ナマズの蒲焼き」ができたというニュースをやっていた。
 うなぎ味のナマズを開発したのは近大マグロで有名な近畿大学だ。
 そのニュース記事は次の通り。

 香ばしい匂い、こってりした脂……。ウナギのかば焼きに見えるが、実はナマズだ。近畿大学の研究者と鹿児島の養鰻(ようまん)業者が協力し、養殖ナマズのエサを一工夫したところ、ウナギに似た風味になった。9日からウナギ料理店で試験販売し、顧客の声をアンケートで集める予定だ。絶滅が危惧されるウナギに代わり、夏の主役になれる!?
「ウナギ風味のナマズ」作りに取り組むのは、近大水産経済学研究室(奈良市)の有路(ありじ)昌彦准教授(40)と同大学院1年の和田好平(こうへい)さん(22)。近大はクロマグロの完全養殖など食の安全・安定を探る研究者が多い。有路准教授は約4年前に調査、研究を開始。昨年、鹿児島県・大隅半島でナマズとウナギの両方を育てる牧原養鰻の協力を得て試行錯誤を重ねてきた。
↑。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150508-00000019-asahi-soci



大和郡山市 うなぎの「かわ原」の「なまずの蒲焼き」。

いま、この近代うなぎ味なまずの蒲焼きは実際に店で食べることができる。
うなぎ味のナマズの蒲焼は、奈良県大和郡山市の「うなぎの川はら」、奈良三条店の二つの店舗で食べられる。
まだ試験的な導入なので数に限りがあり、売り切れになることもあるかもしれない。
料金は2000円くらいでうなぎの半額ていど。
ナマズは、淡白な味で焼いてもいいし天ぷらもうまいし鍋でもいい。埼玉県吉川市では昔からなまず料理がよく食べられているという。

 私も一度だけ外国でナマズの鍋料理を食べたことがあるがふつうに美味しかった。
 コラーゲンもあり白身で淡白な味だった。
 しかも日本ではそこら中の川や池、沼で勝手に繁殖しているので食べ放題。
 うなぎに代わって日本人の新しい食材として期待されている。
 近大マグロで培った養殖技術でこれからもっとおいしいナマズの蒲焼が提供される日も間近い。
 
 富山県では、蒲焼きと言えば「どじょうの蒲焼き」だと聞いたことがある。
 なまず、ドジョウなど形態の似ているものはだいたいがうなぎの代用品になるのかもしれない。
 日本人は昔から{代用食」を工夫して食べてきた。
 代用食といえば戦争の話と一体化して語られることが多いがそればかりではない。
 現代ではダイエット向けにカロリーの少ない代用食もある。

 コロッケは安くっておいしいが、あれの元はフランス料理で豪華な料理なのである。
 それを日本人がじゃがいもを使って安価でおいしい代用食の「ころっけ」を開発した。
 言ってみればコロッケはフランス料理の代用食である。

 エビの代用食では「ザリガニ」がうまい。
 エビよりうまいという人も多い。

 また天ぷらでおいしい「キス」だが、私は味は似ているが「ハゼ」の天ぷらのほうが「キス」よりうまいと思う。
 代用食侮る無かれ。
 これからはナマズが本物のうなぎに取って代わるかもしれない。

 関連情報URL「うなぎの川原」
Posted at 2015/05/12 19:11:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年05月11日 イイね!

なんとスピード違反で罰金684万円!

「秒刊SUNDAY」というニュースサイトをよく見ている。

けっこうおもしろいニュースが配信されている。

今日何気なく見らた
「マジかよ!フィンランドでスピード違反したら罰金は700万円?」
というニュースが出ていた。

The New York Timesに紹介されていた記事が元ネタだ。
さて、その記事の冒頭は・・・・。

フィンランドでビジネスマンとして働いているReima Kuislaさん。先日スピード違反で捕まってしまいました。そして、当然のように、罰金を払うことになったのです。制限時速の50マイル(約80キロ)のところを64マイル(約103キロ)で走り抜けた彼は、警察に捕まってしまいます。さて、気になる罰金ですが、5万8,000ドル、日本円でなんと約684万円だったというのです。約20キロオーバーでの罰金がこのお値段、フィンランドという国は、どうしてこんなに破格の罰金を科せるのでしょうか?

あとは関連情報URLにリンクしておきましたので御覧ください。



出典 gbtimes.com

フィンランドはIT大国。携帯電話の「ノキア」を生み出したのもフィンランドだ。この写真はプログラマーのリンダ・リカウスさん。フィンランド・ヘルシンキ出身。「Rails Girls」(レイルズガールズ)という女性向けのプログラミングワークショップを開催している。現在世界で227の都市に彼女の創始したコミュニティが拡大し一万人以上が参加している。
Posted at 2015/05/11 10:56:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年05月09日 イイね!

散歩道で会ったお婆さんの話。

先日夕方散歩していたら犬に引っ張られるように老婆が向こうから近づいてきた。
  幅3メートルくらいの細い田んぼの間の一本道である。
  見ると老婆の後ろに軽トラがだんだん近づいてきた。
  そこで老婆の後方を指さして「後ろを見ろ」と合図を送った。
  だが、何を思ったのか薄笑いを浮かべ私を見つめて老婆がずんずん接近してくる。
  「後ろお!」
  「車だよお」
   と指+声を出してもなおも笑顔をさらに浮かべて犬に引かれてこっちへ近づくばかり。
  老婆も犬も道の真中にいるので軽トラも真後ろで半ば停止状態で困っている。
  私はさらに道路を逸れて道の横に移動した。
  老婆も犬も私に接近してきたので道が少し空いた。
  ようやくぎりぎりで軽トラは老婆の脇をすり抜けて行きましたが・・・・。
  もう車なんかまったく老婆の意識の外である。
  ふつう道を歩くときは車には注意する。当たり前だがこの老婆は車なんか眼中にないというオーラが漂っている。
 「どこから来たのか」
 と聞くと橋を渡り信号のある交通量の多い道路を渡って歩いてきていることがわかった。
 道の脇には田んぼがありその先は川が流れている。このけっこう幅広い川の橋を渡り対岸の村からこちらがわへやって来たのだ。
 突然、老婆が奇妙なことを言い出した。
 「しいたけ栽培している人の家は知りませんかな」
 「しいたけ?」
 何のことだ?


吉野郡窪垣内にある「紀の川」と「高見川」の合流点。大雨が降ると増水の危険が高い。奈良県吉野郡吉野を流れることから「吉野川」と呼ぶが「河川法」上での正式名に「吉野川」の名前はなく「紀の川」が正しい河川の名称である。「紀の川」の上流にある大きな支流名は「高見川」と「丹生川」の二つである。


 長くなるのでできるだけ詳細を省いて話を進めるのだが、老婆が言うのにはこのあたりにしいたけを栽培してる家があるのでそこに行きたいのだと言い出した。
 私もこのあたりに詳しくない。
 たまたま近くの家にいる若い衆が出てきたので聞いてみたが知らないという。
 そこで少し遠いが村の端っこにある顔見知りの農家まで婆さんを連れていった。
 あの人だったら詳しいはずだ。
 ピンポンを鳴らすといい具合におじさんが出てきてくれた。
 そこで事情を説明してしいたけ栽培の事を聞いてやった。
 「しいたけ栽培は二軒やっているが、商売しているのは一軒だけだなあ。でも今日は山の桜公園にしいたけを売りに行っていて家にはまだ帰ってないなあ。奥さんは今日は公民館で手芸の会に出ておったが、もう帰っているかどうか・・・・・」
 さすがに狭い村のことである。村の端と端に位置しているその家の者が今日どこで何をしているかまで全部知っている。こういう村の空気感は驚くべきものである。
 それはいのだが、老婆の話が辻褄があわない。
 川の向こうの村からこちらの村へ嫁いだ人が大きなしいたけを持ってきてくれた。そこで、そのしいたけを買って親戚へ送ってあげようと思って買いに来た。しかしどこに家があるのかわからない、という。
 だが農家のおじさんはしばらく思案してから、「川の向こうからこの村に嫁いできた人はおらん」と断言した。
 この人はもう高齢でこの村付近のことはすべて知っているので間違いない。

 お婆さんの言うことをどこまで信用できるのだろうか?
 そもそもそういう嫁さんがいないということになれば、このお婆さんにしいたけをくれた人とは誰なんだろう。ほんとうにしいたけを貰ったことがあるのだろうか?
 してみるとこの老婆は何か錯覚しているのか、記憶が朦朧としているのか・・・。
 じゃあそのしいたけをクレたという人に電話してみればどうか、と言ってみたが老婆は何やらむにゃむにゃというばかりで埒があかない。
 どうもおかしいなとは思っていたが「こりゃあやっぱし痴呆だな」とわかった。
 
 ところでなぜ私がこの農家のおじさんを知っているのかというと散歩のおりよく顔を合わせるからである。
 せんだってもこの農家のおじさんに畑から収穫したばかりの「わけぎ」を貰った。ついでにその御礼を言った。
 「酢味噌でぬたにして喰ったらおいしかった」と言うとニコニコ笑っていた。
 この人は畑も田んぼもやっていて何でもつくる根っからの農民だ。顔も日焼けして真っ黒で散歩のときによく立ち話をする。いまはじゃがいもやスナックエンドウを植えている。こないだはじゃがいもの畑を見せてくれたがかなり芽が伸びていい塩梅だった。畑のそばでじゃがいもの上手な植え方を細かく聞いたが本題と関係ないので省く。
  家は川のそばにあるのだが畑は川の土手の斜面にある。相当に急勾配な畑だがそれを毎日昇り降りして畑仕事をしている。年齢はもう七〇歳も半ばあるいは後半かもしれない。
  このあたりは高齢でも斜面を苦にしないで畑仕事をしている人が多い。
  別の場所でそういう老婆に出会ったので「よくあんな高い場所へある畑へ毎日行かれますな」と言うと。
  「慣れですわ」と一言返ってきた。
  それはそれとして夕方であたりも暗くなってきた。
  このお婆さん早く川の向こうの家へ返さないと危ない。
  そこでそれ以上はやめて家へ帰れと促した。また明日出直しなさいと。この川べりの散歩コースは往復で一時間なのだが、この日は老婆と出会ってしいたけ探しをしていたため一時間半もかかってしまった。  
  

吉野郡「津風呂湖ダム」。奈良盆地は大きな河川が無く、水の確保が極めて難しい地域である。
津風呂湖ダムからは奈良盆地へ農業用灌漑用水を送る一方で、奈良市・生駒市・大和郡山市・天理市・桜井市・宇陀市・香芝市・大和高田市・橿原市・葛城市・御所市の11市と北葛城郡・生駒郡・高市郡の15町村に上水道を供給している。


  こういう老婆が実際にいるのである。
  あとで「あの人はおかしい」と近所でも要注意になっていることがわかった。
  思い出したら去年の暮にこの老婆と会っていた。川の対岸になる老婆の家のそばで会ったことがあった。
  そのとき、犬はもう二回りほど小さかった。
  私はその老婆の顔を忘れていた。しかし犬のことは覚えていたので、老婆に会ったことを思いだしたのである。 
  老婆はしょっちゅう徘徊しているかというとそうでもない。
  いわゆる「まだら呆け」状態なのであろう。
  普通にしている面も多々あるので拘束されてもいないし家族はみな働きに出て老婆は一日一人で過ごしている。
  母が寂しいだろうと息子が子犬を与えていたらいつか大きくなってしまった。
  犬は凄い力を出しているので老婆は引っ張り回されている。
  あっちへふらり、こっちへふられて道路を渡って川の向かい側の村まで来ているありさまだ。
  橋の手前にある交差点は地方ながら主要な国道なので交通量も非常に多い。そこをまだら呆けの老婆が犬に引っ張られて道路を横切るのである。信号を見て渡ればいいのだが、果たして信号なぞ目に入っているのかいないのか怪しいものである。
  正直、この交差点での交通事故を起こす危険性が非常に高い。
  
  こういう老婆の場合、どうすればいいのだろう。
  こういう場合はすべて家族が工夫するしかないのだろうか。交通事故の危険性があるのだが警察に言っても対応はしてくれないのだろうか。
  保健所、町役場、町会議員、区長・・・・相談してみてもどうなんだろう。
  相談された方もどう返答すればいいかわからないかもしれない。
  このままでは村の人なら軽トラも注意してくれるだろうがたまに走る知らない車なら危険度は増す。
  車だけではなくなんでもないところにも危険はいくらでも潜んでいる。
  思わぬことも起きるかもしれない。特に危ないのが野生動物だ。
  イノシシや鹿も出くわしたらこういう老婆は即やられるに違いない。

  道でよく黒いバイクに乗っているおばさんを見かける。あるとき、この人の前歯が欠けていることに気がついた。
  たまたまこの人を知っている人がいて
 「あの人は早朝に新聞を配達していてバイクで鹿に正面からぶつかり、前歯が何本も折れたのだ」  と教えてくれた。
  朝で明るくなかったのだろうがそれにしても鹿に顔が激突するとは・・・・。
 
  また去年町の病院の待合でなにげなく地元の人の会話を聞いたのだが・・・・。
  知り合いが軽自動車に乗っていてイノシシと出くわし追突されたらしい。
  イノシシを避けようとしたがぶつかられてハンドルを切り損ねた。
  そのまま道路から田んぼへ車もろとも転がり落ちて半身不随になってしまった。
  いまだに寝たり置きたりだ、と話していた。
  その話を聞きながら、あまりにもこの人は気の毒だと思った。
  まだあのバイクの女は前歯だけで済んだからましだったのかもしれない。
  鹿に激突してバイクが転倒して竹藪にでも転がり落ちていたら大怪我しているだろう。
  ちなみに鹿や猪にぶつかっても自動車保険は適用されないのだと例の町の病院で半身不随の知り合いの話をしていたおじさんは言っていた。
  あれからときどきこの道を散歩するがしいたけ農家を探していたあのお婆さんにはまだ会っていない。
  あの農家のおじさんのじゃがいもは順調に伸びており畑には草一本生えていない。
  手入れが行き届いている。
  梅雨前にはおいしいジャガイモが収穫できることだろう。
  
Posted at 2015/05/09 12:20:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記

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「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
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