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角鹿のブログ一覧

2015年04月19日 イイね!

烏の生ごみ食い散らかしを防衛する戦い。最終回。

 青い網を生ごみの袋に掛けて網の裾を重石で完全に塞いでおく。
  これで烏の被害が防げるはずだ。
  常識的にはそのはずであるが烏に人間の常識は通用しない。
  網の上に乗り下の生ごみの袋を突付き回して網そのものを破る。破った網の隙間から獲物を引き出して喰らう。二三羽が群がると被害はさらに拡大して一時間も立てば周辺は悲惨な生ごみ散乱状態になる。
  このあたりの烏が特に獰猛なのか?それともこのゴミ捨て場のデタラメさがこういう横暴な烏を育ててしまったのか?原因はわからないがこのゴミ捨て場を自分たちの餌場にして居着いている烏がいることは間違いないことである。
  網が破られるのは網が足りないせいではないのか。網を二重にすればさすがの烏も網に孔を開けるのは難しいのではないだろうか。そこでホームセンターへ行き幅5メートルの網を買ってきた。この網をコンクリートに取り付けてみた。なかなかいい感じである。
  次の生ごみの日に様子を伺った。
  この日はなぜか烏が来ていないようであった。たまにそういう日もある。しばらくは平穏な日が続いていたのであるがある日悪夢は再発した。
  ゴミ収集車の来る時間はだいたい午前10時前後である。
  私は家の生ごみを捨てに行く7時ころから監視をはじめ9時ころには必ず見回ることにしていた。
  朝7時は異常なし。だが9時過ぎに言ってみると生ごみ散乱の惨状が出現していた。
  何故なんだ?二重の網は破られたのか?仔細に点検するまでもなく原因ははっきりとしていた。
  すでにかなりのゴミ袋が二重の網の中にあったのだが一個だけ先に設置された網と後で取り付けた網との間に置かれて重石も申し訳程度に軽い石が一個だけ乗せられていた。
  これでは烏の餌食にならないほうがおかしい。
  しばし唖然として眺めていた。虚を突かれた思いであった。
  まさか二重にした網の間にサンドイッチのようなゴミ袋の置き方をする人がいるとは・・・・・。これでは何のために二重にしたのかわからない。上の網を浮かせているのがよくないのかもしれない。しかし上網を浮かせているということで網と網の隙間をつくり烏の攻撃をしにくくするのではないかと考えていたのである。だがその間隙を狙われたのである。烏にではなくゴミ捨て側の人間に弱点を突かれてしまった。
  最初から烏と人間の両面の防御を考えていたのであり人間側の「ポイ捨て攻撃」を甘く見ていたことを反省した。だがこの人間側のポイ捨て感覚から生ごみの袋を守る手段は非常に難しいものがあると痛感せざるを得なかった。傾向として最初に捨てに来る人はきちんとしているようだが後の時間に来る人がいい加減な場所へ捨てて行く傾向が強い。
  烏はそれを待っているのである。
  どこか遠くから眺めて一瞬に餌場に隙があるかないかを判断するのであろう。烏に限らす鳥は物凄く眼がいい。ぱっと眺めて隙がないと思えば襲撃してはこないようだ。
  烏との対決を始めてから私の姿を見るとさっと逃げ出すようになった。
  烏は人間の顔を覚えて人を見分けているようだった。
  そこで次の手段として見張り回数を増やすことにした。
  仮に1時間放置したままだともう完全に荒らされてしまう。だがその間に一人くらいはゴミ捨てに来るとして30分の間隔で無意識の見張りは行われていると考えた。
  その上に私が30分に一回行けば15分に一回の見張りをしていることには計算上はなるかもしれない。
  このゴミ捨て場の脇は公道であって車はひっきりなしに通る。朝は通学の中学生が自転車でかなりの人数が通ってい行く。だがそうした車や人は烏の生ゴミ漁りにほとんど影響を与えることはない。もう烏はそういう車や通学の自転車が烏に被害をもたらさないことを学習しきっておりそばを車が通っても平気なのである。
  朝7時にゴミ捨てをして点検する。それから30分ごとに監視に行く。9時前後からは散歩を兼ねてゴミ捨て場が見える範囲を往復しながら歩く。
  こういう頻繁な点検はかなりの効果をあげてきた。
  それでも烏が生ごみを食い散らかしていることもある。その場合は即ビニール袋で散乱した生ごみを回収して網の中へ入れておく。ゴミを回収する作業員の人にはなるべく手間をかけないようにしないといけない。おそらくこのゴミ捨て場は作業員の人達からは「アソコはひでえなあ・・・・ろくな奴がいない」と言われているに違いないと思っている。もし自分がゴミ回収をする立場で見ればここはあまりにもひどすぎるのだ。
  ゴミ回収の人の立場になってみれば生ごみが散乱していないほうがいいのは当然である。
  だが少しでも速く回収して次の場所へ行きたい作業員の人にとってあまりにも厳重なのも効率が悪いのではないだろうか。重石を十個も二十個も置かれていればそれを外すのはかなりの手間である。
  烏から生ごみの袋を厳守するということばかり考えてゴミ回収の手間が膨大になることを失念してはいないのだろうか。そう思えば重石やなにやらはほどほどにしないといけないなと思うのである。
  そうこうしているうちにやはりこんな「一人人海戦術」の見張り作戦はあまりにも効率が悪いと思い始めた。
  朝から5回、6回も点検してもわずか5分間でも巡回の隙を烏に狙われればオシマイである。
  これでは3時間あまり常時見張りをしていないといけないことになる。しかも雨が降る日には巡回も面倒くさくなるの。こういう頻繁な巡回を繰り返しているうちにやはり最終的には構造物をつくるしかないのだろうと思うようになってきた。最初からきちんとしたゴミ置き場を作っていればこんな烏の被害にあうことはないのである。
  これは突然思いついたことではない。最初からなぜもっとしっかりしたゴミ置き場をつくらないのかと思ってはいた。だがつくれるものならばとっくに作られているはずだ。それがないのは作れないという現実があるのだろう。そう思うしかなかった。
  そこで微々たる改善改良をしてみているのではあったが対処療法であり根本的な解決には程遠い。最初からわかっていることであった。
  烏の立場になってみればこの餌場を失うことは生命維持に直接関わることである。一家をあげて総攻撃の態勢を取っている。烏にとっては人間との戦いに負けるわけにはいかないのだろう。
  烏だけでなくここらには野生の鹿も多くさらにイノシシがやっかいだ。いま地中で伸び始めた筍をイノシシは掘りまくり喰いまくっている。山や河原には遠目に白い部分があるとそれは決まってイノシシが掘り返して喰った筍の皮なのである。
 少子高齢化でこの地域の人口は減るばかりだがその何倍もの野生生物が我が物顔で生きている。
 野生の王国の中に人間が家や畑に生物に襲われないように手製の囲いを作って暮らしているのが現状なのである。
 このゴミ捨場もそういう場所の一つなのである。
 つい先だってのこといつものように朝から5回目くらいの巡回に出かけた。
 遠目にゴミすればの脇の道路上に烏がいるのが目についた。
 何かを突っついている。この野郎!ダッシュしようと心では思うが体がすぐには動かない。
 それより速く烏は私の姿を見つけるとぱっと飛び立った。逃げたあとに白い袋が残されていた。
 そこでダッシュすればよかったのだが私はもう烏は逃げたものと安心して歩いていた。
 だがその時である。烏が猛スピードで舞い戻ると白い袋に取り付きその中から何かを咥えるとふわっと飛び上がり逃げていった。
 一瞬のできごとであった。
 あんにゃろめ!近づいてみると揚げせんべいの袋であり中にはまだたくさん入っていた。
 こんなものを食べもしないで捨てるとはどういうことだ。
 ゴミ捨ての状況をみていると開封もしない食品や丸ごとのパンの袋とかも少なくない。
 袋の中にあればわからないのだが烏が引き出してくれるので生ごみの実態がわかるのである。
 だがそれはこの際は関係がない。
 やはり生ごみの袋は食い破られそこからこの煎餅の袋だけが引きぬかれていた。
 ほかにも生ごみは詰まっているので来るのが遅ければ被害はさらに拡大していただろう。それにしても烏に舐められたものである。あのおっさんはまだ来ないだろう。だったら一個でもかっさらおうではないか。烏はこう判断して舞い戻ってきたのだ。自分の目の前で舐めた真似をされて黙ってはおられない。
  ついに最終決断を下した。  
  こうなったらやってやろうじゃないか。たとえ敵が千万人いようとも単騎決戦を挑もうではないか。
  あの烏どうして九両三分二朱。ずいぶん古いことを言ってしまった。
  江戸時代は十両を盗むと打首になった。死刑である。窃盗で死刑とはなかなか厳しい刑法があったのである。だが江戸も後半になると貨幣価値がだんだん下落し十両で死刑はちょっと厳しいのではないかという雰囲気になってきた。そこでお上は十両の死刑基準を引きあげて二十両にしたのかと言えばノーである。そこは日本伝統の解釈の変更を行い実質的な刑量のバランスを取ったのである。どういうことかと言えば仮に十七両を盗まれたと訴えでた者に対して奉行はこのように言うのである。
  「盗まれたのはその方の落ち度がないとはいえまい」
  「へい左様でございます」
  「ならば盗まれた金額が十七両というのは少し多いではないか」
  「へえ恐れいります」
  「わかったらよい。盗まれたのは九両三分二朱ということでよいな」
  「その通りでございます」
  こんな風に金額をぎりぎり十両未満にすることで窃盗犯を死罪から減免するのが普通であった。
  そこで窃盗にあった被害者は「この盗人野郎め、どうして九両三分二朱・・・・」と歯ぎしりしたという噺が人口に膾炙したのであった。
  と余談が過ぎた。
  この烏、どうしてくりょうか、と気負ってはみたが自信はなかった。
  こうなれば最後の構想を実現するしかない。
  烏対策の決定版である立体的な構造を持ったゴミ捨て場の構築である。
  だが気持ちはあっても材料がないのである。
  ゴミ置き場に何かの囲いをつくりその上を網を覆うような構造にしたい。
  正面と右側は立派なコンクリート壁があるので手前にさえしっかりとした囲いをつくって動かないようにすれば網で覆われたゴミ捨ての箱ができる。
  だいぶ前に製材所でもらってきた角材の残りがある。これは使えるが囲いになる板がそもそもない。
  そこで近くの空き地に行った。ここに野ざらしになっている板があることを知っていたからだ。もう二年ほどそのままにしてあり放置してあると思われる。
  なので貰ってきて使ってもいいだろうと勝手に判断した。
  幅は三十センチくらいで長さは二メートルほどある。厚みは二センチくらい。これはかなり重要な材料だ。
  家のベランダを探すと防風に使っている厚手のベニヤ板があった。これは薄いベニヤを何枚も重ねて厚みが一センチくらいあるものだ。水分を含み表面のベニヤがかなり波打っている。しかし強度はありそうなのでこれもベランダから取り外しゴミ捨場へ運ぶことにした。ほかにはベランダで使っていた長さの違う角材や薄い板などを二つ三つ取り外して構造材に使うことにした。
  ほかにはホームセンターで買った押入れの底上げにつかう桐板風のスノコも二枚持ちだした。
  これだけあればどうにかこうにか格好がつくだろう。
  このところ雨がよく降る。
  雨上がりの一七日の金曜日。昼過ぎから作業に取り掛かった。
  向かいの竹林ではうぐいすが鳴いている。暑いほどの陽ざしの中で限られた材料を使いノコギリとクギ、金槌さらにネジとドライバーを使いながらゴミ箱づくりを行った。
  設計図はない。目分量だけで作業を進めた。
  だんだん汗が出てきて足元がフラつきはじめた。
  なにしろ肉体労働はやったことがないので基礎体力が不足している。しかも大工とか構造物を作った経験もない。クギを打つにも何度も打ち損じをしてクギの頭を外す。そんな自分が嫌になるが嘆いている暇はない。
  二時間後どうにかこうにか囲いだけのゴミ捨て場ができあがった。
  青い網をかけてみるとなかなかいいではないか。
  材料不足は否めないがこれを第一弾として今後追加工事をしていけばいい。
  何しろコンクリートの上に木の板を立てて置いただけの囲いなので安定度がいまいちである。そこで板の足場に重そうな石を置いて動かないようにするなどなんとか強度を図る小細工をしておいた。
  専門のから見れば素人細工もいいところでとても合格にはならない冷や汗ものである。
  自分でも納得はできないがこれしか出来なかったので諦めるしかない。
  なんとか構造全体が弱体であることを理解していただきやさしく使っていただきたい。
  今日は日曜日である。
  明日が新ゴミ置き場の最初の生ごみ回収日である。
  果たして烏は撃退できるのか?










  夜の七時ころゴミ置き場を見に行った。するとなんとすでに五個のゴミ袋が捨ててあるではないか。きちんと中に入っており網もきちんと掛けられていた。
  なるほど朝にゴミ捨てに来ていたのは烏に荒らされないようにやむなくそうしていたのではないか。できれば前夜にゴミ袋を出しておけば忙しい朝にゴミ捨てくることはない。たぶんこの新しいゴミ捨て場の光景を発見した
ご婦人がたが「これなら前の晩からゴミ袋を入れておいても大丈夫じゃない?」と判断してゴミ袋を運んできたのではないかと想像された。
  果たして明日の結果はどうなるのか。
  烏はこの新しいゴミ捨て場に手も脚も嘴もでないのか?それとも何か想像もつかない新しい攻撃技を繰り出して完璧と思われる防御態勢を突破してくるのか?
  明日のゴミ回収がいささか楽しみではある。
  願わくば完全勝利を納めていることを・・・・。
Posted at 2015/04/19 19:57:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年04月17日 イイね!

烏の生ごみ食い散らかしを防衛する戦い。中編。

 もちろん排水孔にかまぼこ板を挟み込みそこにねじ込み式のフックを入れて硬さをしっかりと確かめて網を吊るすことにしたなんて、一言も言いませんよ。そんなことは断じてやってません。ましてやかまぼこ板では薄すぎて、ねじ込んだフックがぐらぐらするのでもっと厚い板を切ってそれを孔に金槌で叩き込んだなんてことは一言も言ってはいませんよ。
 そんなことをするわけがない・・・・と思いたいのだが・・・・ここらで記憶が途切れているのであります。
 それでもなんとかコンクリート壁の水抜き孔あたりになぜかフックが取り付けられてゴミを覆う横幅三メートル以上の網が見事にコンクリート壁に固定されたのであった。
 なぜそういうことが可能になったのかは読者様方の想像にお任せいたしますがだいたいまあそういうことであろうとは言えるのではないでしょうか。天よ天にまします神よこの烏退治に免じて見ないことにシてくだされ。
 というわけで全面のコンクリート壁に網が吊るされたのである。
 実はこれでもう安心と思っていた。
 だが実際にはとんでもない楽観であった。
 たしかに全面のコンクリート壁の奥に入れられたゴミ袋は網との空間も十分にありさすがの烏も諦めるしかないのであった。だが問題はゴミ捨てにお出でになる奥様方のゴミ袋投棄の仕方なのである。
 最初のほうに書いたが対策の相手は烏だけではなくゴミ捨ての仕方、具体的には奥様方の意識対策であると書いた。しかも奥様がたにご注意しないでの投棄対策が第二の課題なのである。
 それはたまたま私がゴミ捨て場にいて軽自動車にゴミ袋を積んで奥様方がいらっしゃる。
 そういうときは網を持ち上げて「どうぞ、奥へ」「あ、すみません」「いえいえ、奥の方に入れないと烏は網なんか喰い破ってしまいますんです」「え、そうなんですか?」と、さりげなくアドバイスさせていただくのですがそれもたままた出くわした場合に限られる。
 「ゴミ袋は奥へ」と何度張り紙したくなったかわかりませんがしなかった。
 過去形ではなく今も何もしていない。
 やはり現状のままで改善しないといけない。
 極端にいえば「ゴミポイ捨て」でしかも烏が手も足も出せないゴミ捨て場の構築こそ私の悲願なのであった。
 子育てしつつ会社へ急がれる奥様だって忙しいのだ。
 生ごみを捨てに来るだけで一苦労ふた苦労。その上、変なおっさんに顰め面で注意までされてごらんなさい。
 ゴミ捨てを注意されて気分悪くなり子育てに影響が出ては少子化時代に逆行することになる。
 そこは時間のある者ができる子育て世代への協力はしたいと思うのである。
 で、コンクリート壁にフックを取り付け網を設置した。
 だが結果は無残なものであった。
 ゴミ捨てに来た人はこの新たな状況をみてたしかに変わったなと理解はしてくれたはずだ。
 網の裾に重石もしてくれた。
 これでいいはずだった。
 だが烏が一枚も二枚も上手であった。
 僅かな隙間が致命傷で烏は生ごみの入った袋を食い破り道路一面に撒き散らし食い散らし電柱のてっぺんで勝利の雄叫びをあげるのであった。
 ほんのわずかな隙間、これでいいのかなという捨て方、その全てが駄目なのであった。
 烏の知能はひょっとして人間にもまさるのではないだろうか?
 そんな気がしてならない。
 ゴミ捨てをされる奥様方も勝手な私のシステム変更に文句をいうことなくついてきて下さっているということはひしひしとわかる。なかには「いつもすみませんね」などと言われる。
 私はゴミ捨て場の管理人ではない。
 お礼を言われる立場の人間ではない。
 でも言われればなんとなく嬉しい気もする。
 しかし烏をぎゃふんと言わせないで満足はできない。
 そこで考えたのは重石が足りないのでないかということだった。
 網の裾を押さえる重石はいくつもなかった。
 もしかしてゴミ捨ての奥様方が重石不足のために重石を置こうという意欲はあってもできなかったのではないのだろうか。だったとしたら重石を増やせばいいのではないか。
 そう気がついた私は吉野川の河原へ直行して河原の石を集めてはゴミ捨て場へ運んだのである。
 河原で石を探していると非常にいい形の石がいくつでも見つかる。
 なかなか趣のある石もありだんだんこの石はひょっとして銘石で価値があるのではないのだろうかなどと思えてくる。
  昼日中、吉野川の河原で石を拾っている初老の男を見た人はなんだと思ったころだろう。
  あとで、ああれは「つげ義春」の漫画「無能の人」の一場面とよく似ているなと思ったかもしれない。
  石選びをしているうちは楽しいのだが石を持って帰るのが本当に苦しい。
  県立高校の脇の坂道を重たい石を持って上がるだけで血圧が上がる。
  そこからいくらでもなさそうなゴミ捨て場までがまた思いの外遠いのだ。
  両手には重たい石を持っているのでよけい辛い。
  こうして一〇個くらいの重たい石を運んだのであった。
  
  石の多さはご婦人方の興味を誘ったらしくきれいに石を置いてくれたり石をたくさん置いてくれるようになった。
  やはり努力は報われると思いたいのだがそうではなかった。
  もっとも問題なのは手前にゴミ袋を置く人がいるとこうことである。
  前にも書いたが「奥へ」というのは鉄則なのだ。
  手前にゴミ袋を置けば間違いなく烏の餌食なのだ。
  これは九時とか九時半とか時間的に後から来る人に多い。
  すでにゴミが置かれているのをみてかろうじて網を開けて手前に押し込み石をチョンと置いて立ち去るケースである。これをぢっと遠くの電柱の上で見ている烏なのだ。
  それまで一度も来たことのない烏がこれをみて急襲するのは数秒を待たない。
  アッというまに数羽の烏がこのゴミ袋に集り喰い散らす破り散らす惨劇は数十秒で十分である。
  
  つまりコンクリート壁への網取り付け従来の四面から二面への重石の簡略化すべて正しいのである。
  しかしゴミ捨ての袋の「手前置き」これが致命傷なのである。
  確かにゴミの網なんか触りたくない。
  奥に入れるのはかなり網を上げて押し込むので網を手で持つ時間が長い。
  こんな汚い網なんか持ちたくないわ。
  だからちょっと網を持ち上げてちょっとゴミ袋を押し込んでおしまい。
  ゴミ袋が手前かどうかなんて私には関係ない。
  でもせっかく烏防衛に協力するから重石をちょっと置いてさようなら。
  これがまあ普通の奥様の気持ちでしょうしそれを否定しない。
  手前に置いて何が悪いの?
  もし烏が食べるんなら悪いのは烏でしょ?
  
  そうです。
  その通りです。
  この手前にゴミ袋を置くという奥様の行動傾向とそれを絶対に見逃さずに食い破るという烏の行動は実は一対のもので何度も繰り返されていったのである。
  これではこのゴミ袋「手前置き」という奥様の行動を否定することなく、同時にこういう手前生ごみ袋を必ず襲撃する烏をいかに防御するか、という両面防御対策が次の課題となったのである。
  ゴミう袋を捨てる奥様方は烏が獰猛なことをご存じない。
  だから烏の餌食になる。
  網の防御を四面から二面だけにしても烏軍団の常勝が続いている。
  ではどうすればいいのか?
  最終回は次回に。
  
  
  
  
  
Posted at 2015/04/17 22:46:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年04月17日 イイね!

烏の生ごみ食い散らかしを防衛する戦い。前編。

生ゴミを烏が狙い食い散らかす。
どこにでもある悩みかもしれないが私の住んでいる集合住宅のゴミ捨て場の烏被害があまりにひどいので自発的にゴミの管理をすることにした。
生ゴミの収集日は月曜日と水曜日の週に二日である。
時間は前の晩から出す人もいるので前夜からゴミ収集車の来る午前10時前後までが管理時間となる。
これまでゴミ置き場は公道に面した鉤型にコンクリートのある一画である。
ゴミ置き場の脇に公道が通っており道に立って見れば右手にコンクリートの高さ四メートル奥行き一・五メートル強の壁がある。正面は右手の壁と同じ高さのコンクリート壁が幅約三メートルくらいあり、その前は全面コンクリート床である。ゴミはこの幅三メートル奥行き一・五メートル強の床に置くことになっている。
だいたい出るゴミは大中小の三種類のゴミ袋で多くて一〇個から一五個くらい。少なくて二個か三個である。
よほど年末の大掃除などの特別なときを除いてゴミの分量はこのくらいである。
 月水の生ごみの日はもちろん「燃えるゴミ」なので生ごみばかりではないが大半が台所で出る生ごみである。
  烏はこれを熟知しており袋を嘴で破り中の残飯、野菜くず、お菓子、パン、などなど食えるものは食い散らかしてゴミ置き場が生ごみ大散乱の手の付けられない状況になる。
 ゴミを捨てるのは大体が奥様がたであるが朝ゴミを捨てて仕事に行く人が多い。
 したがってゴミを捨てたあとがどのような悲惨な状況になっているかはご存知ない。
 したがって何か烏が食い散らかした感じがあるけど・・・という程度の問題意識しか持っていないのが大多数であった。
 年に一回の住民会議でも網が古くて破れているから共益費で買いましょうということが決まっただけであった。
 それでも網が足りないのではという意見が出て網を二枚買うことになった。
 で網は置いてはあるのだが問題はゴミ袋へのかけ方なのである。
 まず青い大きめのカバーの網が二つあるのでそれをゴミ袋にかける。
 誰でもゴミを捨てに来るときにはたいてい網を一応はかぶせてはいる。
 ところが烏はそんなものは網をかけてある部類には入らないのである。
 網の上から袋を食い破り中身を引き出し落ちた残飯を網の裾のほうから嘴を入れて引きずり出しては喰っているのである。なかには網そのものを食い破って穴を開けゴミ袋を破って喰い物を引き出して喰う。
 網カバーに少しの隙間があればそこから必ずゴミ袋を食い破る。
 恐ろしいほど獰猛なのだ。
 従来の網二枚をゴミ袋にかけるという方式はほとんど烏の前には無力であった。
 これをなんとかしないといけない。
 誰に頼まれたわけではなく勝手にやり始めたのでボランティアというべきなのか好きでやっているのかともかくたった一人での烏との戦いが始まった。
 まず朝起きるとゴミを捨てに行くのだがそのとき既に生ごみが散乱し紙袋ビニール袋ちり紙などなどが風に舞っていることも度々であった。
 この散らかった生ごみをゴミつまみの道具で集め持参したビニール袋に詰めてあたりを掃除する。
 その上で生ごみ袋に網をかけ直し厳重に裾野を重石で塞ぐ。
 だがゴミ収集車が来た後で除いてみると生ごみ散乱は前よりもひどいことがしばしばであった。
 ゴミ収集車の人も散乱した生ごみを集めて持って行ってくれるのだが完全にきれいにはできない。どうしても大きなものだけをサッと集めるだけなので紙くず袋こぼれた残飯など臭いし汚いし手がつけられない。
 こういうことを繰り返していたのであるがさすがにこれではだけだと思い立った。
 烏にやられっぱなしの今の状況をなんとか打開しないといけない。
 そこで網のかけ方を工夫するべきだろうと思った。
 朝のゴミ出しで袋を置いた後じっくりと時間をかけて丁寧に網をかけ重石をきちんとしていく人はまずいない。
 ゴミ袋を置く網をかけるい重石を適当に置く。これで終わりである。
 烏の獰猛さを想像出来ていない人はこれでまあ十分だと思うのも無理は無い。
 ゴミ捨ての注意を住民の方々にすべきと言うのは当然の発想だがそれはムリだと最初から放棄していた。
 人の意識を変えるのは非常に難しい上に何の権限もない自分には注意する立場というものがまずなかった。
 したがってこういうゴミ出しをする住民を前提にして烏対策を講じないといけない。
 つまりゴミ出しをする住民対策と烏対策という二重の対策が課題になった。
 ゴミ置き場の構造をつらつら眺めて最初に考えたのは網掛けを四面ではなく二面にするということであった。
 ゴミ置き場の正面には高さ四メートル幅三メートルほどのコンクリート壁がある。
 ここに網の一辺を吊るせれば右側はコンクリート壁なので手前の裾と左の裾の二面だけを重石で防げば問題ないのではないか。網は二枚あるのでそれを並べて使えばいいのである。場合によっては横長につなげてもいい。
 ただ問題はコンクリートに網をかける場所がないのである。
 コンクリートに穴を開けるドリルがあればいいのだがそんなものを持ってはいない。もし持っていたとしてもおそらくは公共の所有物であろうコンクリート壁を勝手に壊すわけにはいかない。町の許可も必要かもしれない。
 接着剤でフックを取り付けられればいいのだが雨風にさらされる中でコンクリートにつける接着剤など思いつかなかった。しかも網の重さもあり接着したフックが外れることも容易に想像された。
 こういう思案の日々が続くなかで一つのアイディアが浮かんでは消え消えては浮かんでいた。
 それはコンクリートに等間隔に開いている孔であった。
 そもそもここにコンクリート壁がある理由はここが山の崖下であり急な崖の上には狭い遊園地がありその背後は山となっていた。自然の山のままだと土砂崩れが起きるため公道に面した山の斜面はほとんどがこうしたコンクリートか石垣になっている。
 したがってこのごみおきの場所も最初からゴミ置き場としてコンクリート防壁がなされたものではなく単に少しのスペースがあるので住民がゴミ置き場にしているに過ぎない。したがって正式にはこのコンクリートで二面を囲まれた場所は道路の一部でありやや広いだけの場所といえるだろう。そんなところにそもそもゴミを置くべきなのかどうか。しかるべき場所にゴミ置き場を作るべきではないかとさえ思う。しかし町役場は二言目には予算がない予算がないと言うばかりでありゴミ置き場を作れと言っても「金が無い」で終わりだろう。
そこで元に戻ってこのコンクリートの壁に孔が開いているのはしばらく前から気がついていた。
気がついてはいたがこに網を吊るす方法が思い浮かばなかったのである。
この孔はさきほど説明した自然の山の崖だと言ったがコンクリートを打つときに山の土に染みこむ雨水の水抜きの孔として開けられているのである。雨が振ると山に染み込んだ水がこのコンクリート壁で堰き止められて場合によってはコンクリート壁を破壊する圧力になるかもしれない。あるいはコンクリート壁の上から溢れだすかもしれない。そういうことを防止する水抜き孔なのである。
孔はだいたい一メートル間隔で上下二段になってずっと開けられている。
知ったかぶりで書いてはいるが田舎に来て初めてそういうことを知ったのである。
この孔にフックを止める場所を作れないか?
孔を覗いてみるとすべての孔にコーヒーの缶やペットボトルが詰まっていた。
ここらを歩いている通学や帰宅途中の高校生がやってイタズラだと思われた。これでは水が抜けないではないか。ほんとにロクなことをしない。で珈琲缶やペットボトルを抜いて中を覗いてみるがけっこう深い。
孔の直径はだいたい一〇センチ弱くらいである。
ここにかまぼこ板を挟めばそれがフックの土台になるはずだ。
この孔を全部塞ぐことはできないが一部を塞ぐくらいなら水も流れるのではないだろうか。
しかしこういう公共物の水抜き孔を一部とはいえ塞ぐという行為が許されるものであろうか?
もちろん許されるわけはない。
公式に申請したら叱られて却下されるのは間違いない。
しかし事情を斟酌すればまあ仕方ないか・・・・と大目に見てくれるかもしれない。
それに道路にゴミを置くという行為が許されているわけだからその若干の延長ということで許容範囲に入ることも考えられなくもないだろう。
ちょうどいい塩梅に幅三メートルほどのコンクリート壁には等間隔で三個の孔が開いていた。網を吊るすには格好の間隔である。
ただ個人の思いつきでこんなことを勝手にやっていいものかと悩んだことは事実である。
私は「燃えるゴミ」を捨てる月水が来るたびにあまりの烏の横暴を目のあたりにして怒りが湧きあがることはあっても決して収まることはなかった。
烏はカーカーと「馬鹿な人間どもめ」と嘲り笑うように鳴いてはそこらの上空を飛び回り高い電柱のてっぺんにとまっては知らん顔して下界を見下ろしていた。
電柱の上から烏に見下されると妙に怒りが沸いてくる。
許せん、絶対に許さん。今に見ておれ!
いかにその昔、神武天皇の道案内をした八咫烏の子孫かもしれないがこいつらは別種の烏に違いない。
人間を侮るとどういう目に合うか思い知るがいい。
そして誰に頼まれたことでもないにもかかわらず烏への私怨はメラメラと炎上し烏対策に本気でのめり込むことになっていった。
とまあいろいろと逡巡したあげく「コンクリート水抜き孔へのかまぼこ板作戦」を試しにやってみることにした。

 (次回に続く)

Posted at 2015/04/17 19:21:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年04月13日 イイね!

保身に役立つ相槌の言葉とは。

 ライブドアニュースを見ていたら、こんなことが書いてあった。
会話上手になるには、「投げ上手」ではなく「受け上手」になるのがいいらしい。
おもしろい話つまりボールをブンブン「投げ」てストライクを決めるのは難易度も高く緊張感のある場面では空回りしがちだ。慣れない人と向き合って会話をする時は「すしうまい」を思い出せ、と書いてある。

この「すしうまい」とは次のようなセリフである。

す=すごいですね!

し=信じられない!

う=うまい!

ま=まじですか?

い=意外!

一種の会話の「合いの手」なんだが、この「すしうまい」が上滑りしてしまうとなんだ、ということになる。
 通り一遍の「合いの手」となってしまうか、感情をうまく込めて「愛の手」にするかはあなた次第というところ。
 うまくいけば上司に気に入られほんとに「旨い寿司」にありつくことができるかもしれない。
 もちろん鮨屋では盛大に飲み食いしながら、この「すしうまい」を連発すれば「もう一軒行くか」ということになるかも?
 でも自分が話をしていて相手がほんとにこんな「すしうまい」を返してきたらどうなんだろう。
 いい気分になるのか?
 それとも「ほんとに俺の言うことわかってるのか?」と思ってしまうのか?
 思い返してこんな「すしうまい」を相手に言われたことないなあ。
 
 
 
 時は変わって江戸時代。
 戦のない平穏な時代が続くと武士も刀を持つ手に算盤をもって役所づとめの役人のようになってきた。剣術の稽古をするより世渡り上手な武士が出世するとあって無骨な武士もいささか戸惑うご時世である。
 役所づとめでは厄介な人間関係をうまく立ちまわって出世するにはどうすればいいのかが問題になる。
 そこで江戸時代の武士の智慧者が考えた「合いの手」というのが次のようなもの。
 誰かに厄介な話を持ちかけられたときどう返答すればいいのか?
 うまく聞き流して面倒な事態に陥ることはなんとしても避けたい。
 かといって親しく話かけてくれた相手の面子もつぶしたくない。
 こういう場合には次のように対応すべしという。
 
 世の中は、
 
 「さよう」
 
 「しからば」
 
 「ごもっとも」
 
 「そうでござるか」
 
 「しかと存ぜぬ」
 
 
 この5つのフレーズをうまく使い回しておけば人間関係に波風を立てずに済むという智慧だ。
 
 現代風に言えばこんな塩梅だろう。
 
 「そうそう」
 
 「でどうなるの」
 
 「もっともだよね」
 
 「そうなんですか」
 
 「よく知らないんだけど」
 
 
 
 再び江戸時代。
 
 たとえばお城で上司にあたる上役の武士がどうも殿の奥方と好い仲なのではないかと噂が立っているとしよう。
 
 登城するやいなや同僚が近づいてきてこうささやい。
 
 「つかぬ話だが、一般論としてだ、浮気はいかんと思われぬか」
 
 「さようですな」
 
 「ところが、どうも殿の奥方が●●殿にホの字らしいな」
 
 「しからばいかに相成り申すか・・・・・」
 
 「ヤバイことになりそうな。●●殿はよくて左遷じゃな」
 
 「ごもっとも ごもっとも」
 
 「昨日も実は一緒にいるところを見たものがおるとか」
 
 「そうでござるか」
 
 「お主も勘付いたことはないかな」
 
 「さて・・・・ しかとは存ぜぬが・・・・」
 
 「ま、お主もあらぬ噂を立てられぬようオナゴにはご用心ご用心」
 
 「ごもっとも ごもっとも」
 
 ま、この武士の心得は一種の保身術というものであろう。
 今も昔もどこに敵がいるかどこから矢が飛んでくるかどこに落とし穴があるかわかったものではない。
 とくに人間関係を誤ると致命傷になることが多い。
 最後に保身についてときどき読む「菜根譚」の中から一節を引用してみたい。
 
 「菜根譚」というのは「人生訓」「心の糧」として日本人にもよく読まれている古典だ。
 シナ明時代末に書かれた一種の教養書で、書いたのは洪自誠という人物。広くシナの古典から人生訓を集めて注釈を加えた随筆集である。
 日本では岩波文庫に入っているのが一番てっとり早いが、ほかにもいろんな解釈を加えた「菜根譚」が出版されている。岩波文庫本を探したがどこか見当たらないので手元にある「新釈 菜根譚」(PHP)守屋洋著から引用する。最近あったはずだがなあと本を探しても見つからないことが多い。
 単なる錯覚なのかそれともボケているのか?
 万事曖昧模糊として境目がはっきりしない。もともとそういうものだろう、としておこう。
 なぜなのか?と思い煩うよりはましだろうから。
 
 「ほめるも不可 悪口も不可」
 
 かりに相手が立派な人物でも。まだそれほど親しくないうちは、うかつにはほめないほうがいい。
 なぜなら仲をさこうとあらぬ告口をする者がでてくるからだ。
 相手が悪党だと気づいていても、まだ排除できないうちは、うっかり悪口など言わないほうがよい。なぜなら、罠をしかけられおとしいれられる恐れがあるからだ。
 (原文の漢文読み下し文を省略)
 ●この一節もまた明哲保身の術の一つである。世故、人情に対する深い洞察から生まれたものであろう。きびしい人生のなかで身の安全を保つには、このような配慮と慎重な処世が望まれるのである。
 
 
 お時間あれば「菜根譚」動画をご覧ください。











●おまけ●
 リンカーン「身内笑点」




 リンカーン「身内笑点」2




Posted at 2015/04/13 14:42:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年04月06日 イイね!

山の散歩道。

 
 家の近くに山の斜面を上がる急な坂道がありその先に山の中の集落があります。
 時間にして上り下りで一時間ほどなので散歩には好適なコースです。
まず県立高校の校舎のある坂道を巻いて上がっていきます。この学校はソメイヨシノがたくさんありもう満開を通り越して桜吹雪です。路面には散った桜の花びらが模様のようになっています。
少し登ると製材所がありました。



★すべての画像は拡大できます。★










主に吉野産の檜を角材に加工しているようです。
角材の四辺の一辺に切り込みを入れてあります。これは自然のままにしておくとひび割れが起きるということで切り込みを入れることでここにヒビが集中するので他の三辺がひび割れないということです。
また角材の端には割れを防ぐための塗料や和紙を貼り付けてあります。
 坂道を登っていくとだんだん汗が出てきます。日頃の運動不足を痛感しますね。
 二股の道がありました。
 いつもは平坦な巻き道を行くのですが今日は山の中腹にある集落の急登を歩いてみました。
 石垣の家がありました。
 吉野町には平地が少ないため山の傾斜地にも家がありほとんどこうした石垣を基礎にしてつくられています。極端な場合道路に面した玄関から入るとそこが家の三階になっており山の斜面にそって下へ二階、一階があるという構造になっています。こういう造りの家が吉野町では珍しいことではありません。
 傾斜地に家をつくるには上へ高くするよりも斜面にそって下へ部屋を作ったほうが簡単かつ安全というものです。そのため一番下には堅固な石垣が必要になるわけです。
 よく平野部といいますが平野部にはほんとうに平野が多いのです。
 山に住んでみて平野の意味が実感できました。

 山間部には山とその間の谷と谷川しかありません。ほとんどが傾斜地と言ってもいいくらいで畑もほとんどが傾斜地に作られています。
 鹿やイノシシなどの食害が多く柵や網を張っていても鳥に突付かれることもあり、たまったものではありません。













 急傾斜の災害防止対策でコンクリートの大きな土砂崩れ防止壁が作られている場所がありました。
 その一部に「平成18年 急傾斜地崩壊対策事業 奈良県」というプレートが貼ってあるのに気が付きました。なんだろうこの奈良県が行った「急傾斜地崩壊対策事業」というのは?
 なんとなく気になり散歩から帰ってから調べてみました。
 
 奈良県の公式ホームページには次のように出ています。
 
『奈良県の砂防事業は、明治30年の砂防法の制定に先立つ明治24年に、大和川水系金剛・葛城山系砂防事業として、柿本川、水越川で実施されたのがはじまりです。明治22年の十津川災害、昭和34年に吉野を中心に襲った伊勢湾台風は甚大な被害をもたらしました。
 これらの自然的要因によって発生する土砂災害を未然に防止・軽減するため、地域の安全を図り、生活基盤の整備と公共の福祉に貢献すべく、砂防事業を推進しています。』
 さらに、 「急傾斜地崩壊対策事業」を見てみると次のようにでていました。  
『 急傾斜地崩壊対策事業
 奈良県の急傾斜地崩壊対策事業は、昭和45年度に御所市小林・大宇陀町小附で実施されたのが始まりです。
 集中豪雨や梅雨前線豪雨により急傾斜地の崩壊による災害が各地に発生し、多くの尊い人命が失われるに及んで、災害から国民の生命を保護する目的から、昭和44年に「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律(急傾斜地法)」が制定されました。
 本来、斜面の管理はその土地所有者が責任を持って適正に行わなければいけません。しかし、一定の要件(※)を満たす場合は、急傾斜地崩壊危険区域に指定したうえで、県が土地所有者の皆様に代わり対策事業を実施することができます。(急傾斜地法第12条による)』
 
 




 おそらく、この急斜面の防災壁現場はこういう指定を受けて県によって工事が行われたのではないかと思われました。
  こうした災害防止工事の全国規模での所轄は国土交通省です。
   噴火や地震、台風などによる土砂崩れを防止したり川底に砂がたまるのを防ぐ防砂堰堤工事、崖崩れ防止工事などなど、防災工事が国家からの交付金予算により全国各地で行われています。
 こういう防災事業の歴史は古く、遡ればすでに明治七年に始まっていると国交省の砂防部による「砂防関係事業の概要」という報告書に書いありました。
 まだ江戸の名残の色濃く残る明治初期に明治政府が始めた国家事業が今日まで延々と続いているのですね。気が遠くなるほどの時間と予算と労力が日本列島の砂防事業に費されているのであります、
 砂防法という法律も、明治30年に「法律第29号」で制定されています。
 法律の中でもまだ二桁代というから日本の全法律のなかでも古参の法律といえでしょう。
 いかに我が国の国土保全に砂防工事が最重要であったかがわかるというものです。
 
 ちなみに憲法をはじめ刑法、民法、商法など法律の種類は多いのですが、いったい日本の法律の数は全部でどのくらいあるものなのでしょうか?

   クイズ形式にしてみましょう。

 ①300
 ②800
 ③1400
 ④2000
 ⑤6700

 さてどうでしょうか?




 
 答えは2000です。正確には1924本だそうです。
 えっつ、そんなに少ない?と私は思いました。
  もっとあるかと思っていたのですが、総務省行政管理局が整備している、平成26年8月1日現在の法令データ(平成26年8月1日までの官報掲載法令)によれば、憲法・法律の総数は、「1924」だそうです。
 ちなみに、法律すべてと、法律以下の政令、勅令、府令、省令を全部あわせて合計は「7607」になるそうです。
  法治国家日本はこの約2000の法律と約6000の各種令により運営されているわけです。
  奈良時代の律令国家と同じく法律関係の言葉としていまも律と令を使っているあたりに日本の法治国家としての歴史の継続性を感じますね。
 散歩から脇道に逸れて法律豆知識でした。
     
 さて集落を歩いていくとなぜか大きな蜂の巣が家の屋根の下にありました。
 もう蜂はいないようなので安心と言えば安心ですが・・・・・。
 竹林もあります。
 これからおいしい筍のシーズンです。吉野町でも良質の筍が採れます。



 竹の節の部分が白い輪のよいうになっているものがあります。これは筍から成長して三年目までの若い竹だけに見られる特徴だということです。
 別の場所ですが近所の竹林で出会った老人に教えて貰いました。
 その老人は「もうイノシシが先に筍を掘ってみな喰う。イノシシはよう知っとるで。土の中にある筍を鼻で噴いて掘りよるさけえ、かなんな。あっちもこっちもイノシシが食い散らかして筍の皮ばっかりや。おとろしいわ。人間はイノシシの食い残しを少しばかり喰っているだけや。イノシシを来んようにすることはでけん」と諦め顔でした。
 このあたりも少子高齢化で野生動物や野鳥が跋扈する世界になっている。
 奈良県の山間部は作物も山菜も川魚もみな鹿、イノシシなどの野生動物や川鵜、鷺などの鳥に食い尽くされています。
 数少ない人間のほうが畑も家も囲いの中で暮らしているような有り様になっています。
 以前は食害生物の駆除に猟銃免許をもつ人達の狩猟が盛んに行われていましたがみな高齢化してやめています。そのため駆除されることの少ない野生生物が繁殖し放題になって人間の食物を食い荒らし始めています。
 なぜか烏も住み着いており生ごみ収集日には集団で襲ってくるので困り果てているのが実情です。生ゴミの袋を覆う防護網なんか簡単に食い破ってしまいます。
  他所の地域も似たり寄ったりの悩みを抱えていることと思いますね。 
  いずれにしてもすぐには解決できない悩ましい問題ばかりです。


   
 この山道は新緑や紅葉など四季折々の景観を楽しめる山の集落への道です。人工の物音はまったくしない山の中でさまざまな花が咲き谷川も透明な清水です。稼働している製材所の木の香りをかぐのもこのあたりならではの趣です。
 休憩所も自販機もない坂道だけしかない道ですがときどき出会う地元の人と話をしたりすることもありお気に入りの散歩コースです。

 この散歩コースを一時間ほども上がっていけば吉野千本桜の咲き誇る吉野山です。
 早く咲くソメイヨシノはもう散り始めましたが吉野山の山桜は開花が遅くこれからが見どころの本番です。先週の4日の土曜日に上って夜桜を見ましたが中千本ではまだ五分咲でした。
今週半ばには中千本から上千本までの満開時期になるでしょう。
  今週は寒の戻りで気温低下が予測されてますのでなんとか観光客の多い週末まで満開の桜がもってほしいものです。
  まあ満開を過ぎても散る桜の風情も悪くはありません。
  先週末は雨でしたので、せめて今週末の天候の回復が望まれるところです。  



●関連情報URL● 

「吉野山桜情報リンク」

 
Posted at 2015/04/06 19:58:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記

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日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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