吉野町飯貝 奈良県立吉野高校の桜
吉野町の「飯貝(いいがい)」は「古事記」の神武天皇東征に関連して地名が出ている。神話時代からの古い町である。「古事記」には「井氷鹿」、「日本書紀」には「井光」と出ている。この地名「井氷鹿」について本居宣長は吉野町大字飯貝辺りだと推定しそのことを書いている。
いまの飯貝は「古事記」にある「井氷鹿」の転じたものであろう。
また「いひか」「いいかひ」という音はおそらくは昔はこのあたりに「イノシシを飼う」集落があったものだろうと思う。「猪飼」(いかひ、いいかひ)という呼び名が「飯貝」になたっと想像するがそのあたりの口承も考証もまるで見当たらない。漠然とそう言われているだけだ。
だがいまでもここらは猪の里でありおそらく吉野では猪の棲息歴は長いものだろうと思う。
飯貝と吉野川対岸の「上市」とあわせて現在の吉野町の中心地である。
とくに飯貝は昔は地元所有の山林を売って資金を捻出し吉野工業高校を誘致した教育先進地域として知られている。
1476年に飯貝の地に蓮如は本善寺を創建した。
それは鄙びた山里の飯貝を当時の最先端の情報文化の一大拠点に変貌させた。
本善寺の存在が飯貝の人々の先取の気質を産んだのかもしれない。
吉野川流域には飯貝の吉野高校の上流には高校は存在しない。
その意味では吉野山間部の高等教育機関として貴重な存在といえる。
吉野高校のテススコートの左側に吉野川が流れているのが見える。
いま少子高齢化で吉野高校も地元吉野の林業の衰退とともに定員が確保できないなど存立の危機に直面しているとも言われるが伝統のある高校だけに存続とさらなる隆盛を期待したい。
ここから歩いて「飯貝御坊」と呼ばれている浄土真宗本願寺派の名刹「本善寺」に向かう。
「桜橋」のたもとにある本善寺。参道入口の坂道。桜も満開に近い。
本善寺の山門を潜るとそこは桜の園である。
この寺は多くの僧兵を抱えて北朝勢や金峯山寺また信長勢と戦いを繰り広げてきた門徒勢力の一大拠点だった。江戸末期には加賀から来た寺侍が寺の西側に住まって警備していたといわれる。お寺ではあるが構えは山城の観が強い。
「蓮如上人の像」
浄土真宗本願寺派
六雄山 本 善 寺
◆親鸞聖人 大遠忌法要
飯貝御坊
本善寺
奈良県吉野郡吉野町飯貝567
TEL・FAX 0746-32-2675
本善寺は、文明8年(1476年)、蓮如上人の御創建であります。
上人自らお同行と共に汗をながして立てられた、全国でも数少ない寺院の一つです。
吉野は、伊勢街道が通り東西交通の要所でありながら、北方からは険しい峠を越えなければ入れないという守りに最適の場所であり、南北朝時代には後醍醐天皇により開かれたもう一つの都との思いの強い場所であり、また、覚如上人と存覚上人のご教化により小さいながらも門徒集団ができていた、等々により、この飯貝の地に、仏法弘通の勇断を持って、一宇を建立されたのであります。上人は、本願寺の本の一字を取られて、『本善寺』と名付けられました。
石山合戦時(天正六年)に、織田信長の命を受けた筒井順慶の吉野攻めにより消失しますが、すぐに同じ場所に再建され現在に至ります。参詣された誰もが、『懐かしい思いのするお寺ですねー』と申されます。以後、ここを拠点にして大和地方の教化が進められます。
明応四年、蓮如上人は、上人の第十二男『実孝』が誕生してすぐ、後継住職に定めおかれます。実孝は七歳にして入山の時、父蓮如上人と親鸞聖人の御遺骨(本願寺の書付添付)を携えて来られ、今に伝わります。また、御分骨附属証文も持参され、蓮如上人以後の歴代門主の御分骨が欠けることなく伝わる本願寺派の中では比類無き寺院であります。
以後、一家衆として、大谷家と姻戚関係を保ちながら本願寺と共に歩み、法難等も共に受けますが、一方、江戸時代には、否応なく権力構造に組み込まれ、全国に九つあった別格別院として本願寺を支える重要な寺院の一つでありました。
蓮如上人のご因縁の土地としてご教化あらせられた由緒は、上人御真筆の『お名号』や『御文章』を始めとする沢山の文書類の法宝物、また上人ご在世中にご教化の方便として使われたという、親ら接ぎ木せられた『松柿』の遺跡等に留められています。
蓮如上人のご遺徳を偲び報恩させて頂くには、この私がご聴聞させて頂くことであるとの思いから、当山では、従前の法座(報恩講・蓮如忌・彼岸会・永代経等)に加え、
『蓮如上人鑚仰法話会(毎年海の日)』『蓮如上人御一代記聞書講座(年四回)』や境内の蓮如上人懐の桜・樹齢三百年の枝垂桜が三月末にいっせいに咲き乱れるのにあわせて楽しみも加えた『夜桜法話会』等の法座(法座のご案内を参照)が持たれています。近年は、近在の門信徒は勿論、近畿一円の有縁の門信徒のご参詣を得て賑やかな法座となり、蓮如上人以来の法灯が護られています。御縁があれば、ぜひともご参詣ください。
>「本善寺」HPより。
本善寺から見下ろす吉野川対岸の上市の町並み。上市にも3箇所の門徒寺があり飯貝、上市は本善寺の寺内町であった。
◯近鉄線「郡山駅」の駅前風景。
「金魚の町」として全国的に有名な大和郡山城の城下町・大和郡山市。
いま恒例の春の「お城まつり」が行われています。郡山城の桜見物と地域をあげてのお祭りイベントで賑わいます。
少し桜に早いのですが3月26日(土曜日)に大和郡山市に遊びに行きました。
金魚と同時に大和郡山市は昔の奈良県一帯の総称である「大和」の政治経済文化の中心地です。
とくに大和郡山城城主の柳沢家は江戸時代に柳原吉保、吉里をはじめ六代にわたって大和郡山を発展させた功労者です。
柳沢吉里は、大和郡山に養蚕を持ち込んで奨励し、経済を振興させました。また、趣味で飼っていた金魚も運んだことから、この地での金魚養殖が始められるようになり今日の金魚養殖日本一の礎となりました。
◯駅前にボランティアガイドのおじさんがいて親切に案内してくれます。
市内地図など情報もたくさんあってさすがに観光都市です。
そこに金魚のゆるキャラ?くんが登場したので記念撮影をしました。
◯観光案内所のそばにある「大和郡山市まちなか案内」板。地図の中の周辺部の青く塗られた部分は金魚の養殖池です。
◯近鉄駅前の風景。正面のお城のような建物はなんだと思われますか。あれは警察の派出所です。城下町らしい建物です。
◯道を歩いてみればマンホールの蓋にも金魚が。
◯柳町通りを歩いて行くと窓の中に猫がいました。猫窓。全部で5、6匹いるみたいです。
◯猫窓。通りすがりの人に大人気。地元の人が「猫は台の下にいるんだけど全部はなかなか上がってこないよね」と言ってました。
◯柳町の突き当り附近にフリーマーケットがありました。郡山八幡神社の入り口附近です。
◯旧大門のあった場所に電話ボックスの金魚鉢があります。この小さい広場もフリマになっていました。
◯水もきれいです。中には本物の公衆電話もありますね。
この柳町はじめ大和郡山の旧市内で町家の雛祭りが2月末から3月上旬に行われました。それを取材された奈良の小仏さんの写真がありますのでリンクしました。城下町に伝承されてきた趣向を凝らした雛人形が、町家の屋内の様子とともに観覧できます。
大和な雛まつり” 大和郡山市内は雛祭り真っ最中! 「奈良の小仏さん」ブログ。
◯柳町の大手門附近。郡山八幡神社の参道。
◯神社の境内では子どもが遊んでいました。開放的な神社です。
◯正面、昔は旅館だった「花内屋」。旅籠といった感じの古い建物です。
◯旧花内屋旅館のあたりに残る外堀の跡。
◯少し歩いて金魚養殖池を見物に行きました。ここは池の淵に家が建っています。家の中から釣りができそう。水上家屋の雰囲気が気に入りました。
◯金魚の養殖池の広がる風景。金魚田というそうです。こういう広い金魚養殖池が大和郡山市一帯に数多く広がっています。
◯金魚田を見晴らす土手道の上には地蔵尊がありました。
◯一面の金魚養殖池。水深は浅いです。
◯再び柳町へ戻り金魚の電話ボックスあたり。かつてはここに郡山城の大門があった場所です。いまは銭湯がありました。
◯少し歩くと町家が広がっています。
◯昔風情の残る路地。
◯この家は民家を利用したレストランです。
◯洞泉寺。この付近はお寺が多くかつては外堀の内ではあっても人家から少し離れた寂しい場所だったと想像されます。ここにかつては花街いわゆる遊郭がありました。
◯洞泉寺のすぐ門前にある遊郭の建物。二階屋で大きな構えです。
◯洞泉寺の門前通りには遊郭が並んでいた。壊さないで残されています。
◯三階建て遊郭の美しい格子窓。立派な建物である。
◯ここも遊郭の建物が残っている。洞泉寺遊郭は1956年の売春防止法施行とともに営業廃止となった。
◯遊郭は廃止されたが建物はいまも保存されている。貴重な風俗文化遺産と言えるだろう。
◯この路地の突き当りが「洞泉寺」。昼間はお寺参りに行く人が多かっただろうが夜ともなれば艶めかしい灯りに脂粉の香漂う花街に一変したことだろう。二階から三味線を爪弾く音色も暗い提灯灯りの路地にこぼれ落ちたのであろうか。
◯町の案内が貼られている。
◯いまでは見かけることもない家の前にあるゴミ箱。
◯格子戸の木造三階建ての遊郭。
◯突き当りは洞泉寺とは別のお寺である。大和郡山の花街はここから歩いて10分ほど離れた東岡町にも残されている。今回は郡山城のお城まつり見物が主なのでそちらへ急ぐことにした。
◯洞泉寺の裏手にスーパーの「オークワ」がある。ここでお昼の弁当を買った。「オークワ」は和歌山県に本社のある和歌山、奈良ではよく知られた大型のスーパーマーケットである。オークワ駐車場の前に牢屋跡と外堀があった。大和郡山城の城下は非常に広大なものである。
★関連情報URL★
大和郡山市のホームページ
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