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角鹿のブログ一覧

2021年03月21日 イイね!

金峯山寺蔵王堂

 中国武漢新型肺炎病毒で世界中が悩まされているが日本の自然は桜の季節となった。
 桜と言えば吉野山が連想される。山桜の名所だ。
 しかし吉野山という山があるのかといえばそういう名称の山はないという。吉野山というのは金峯山寺蔵王堂が山頂にある山とその周辺を含めた総称らしい。 
 
 吉野山一帯は古くからいわゆる山伏が修行する修験道の聖地である。吉野山から熊野へまた高野山へと連なる山岳地はそのまま天然自然の修行道場である。
 吉野・大峯や和歌山県の熊野三山は、山岳信仰の霊地であった。古くから宗教的な修行体験を積む行者が世俗を離れて山野に伏して活動をしていたようだ。

 日本人の死生観では死者の魂は山へ還るとされており山岳は宗教的霊場そのものであった。
 そういう山岳信仰が盛んになるにつれて吉野山には蔵王大権現像を祀る金峯山寺蔵王堂がつくられ多くの宿坊もできあがり吉野山一帯が山伏の山岳修験道の道場のようになっていった。もともと自生していた山桜も蔵王大権現の御神木とされ美しい景観を求めて修験者だけでなく多くの物見遊山の客も桜見物に押しかけるようになってきた。
 
 春は桜、青葉の季節は新緑、夏にはサイクリングや研修、秋には音楽イベントや紅葉など四季を問わず吉野山は奥大和の魅力探索の人々で賑わっている。現在も山伏として修験道を学ぶ人も少なくない。悩み多き現代、出家、在家を問わず修験道への関心も集まっている。
 季節はずれてますが秋の蔵王堂風景です。
 昨年令和二年秋に撮影した蔵王堂の景観を御覧ください。

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下のリンクは金峯山寺蔵王堂サイトです。この春の御開帳の情報など。



関連情報URL : https://www.kinpusen.or.jp/
Posted at 2021/03/21 20:50:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 吉野見物 | 日記
2021年01月13日 イイね!

吉野町のとんど

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穏やかな正月明けの冬日。珍しく晴れた夕方。吉野上空を西へ飛んでいく飛行機。方向的には関空か伊丹空港か。


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昨年にくらべて寒い日が多い。とくに風が強く暴風とも言える嵐が吹きまくった。


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夜の明けるのは遅い。東の空が赤らんで朝日がまもなく上る。


どこからか白鷺が飛んできて凍てついた川で魚が来るのを待っている。この場所にはいつもこの同じ白鷺がやってくる。

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白鷺が一羽佇む前を水鳥が群れて通っていく。


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枯れ木のようなしだれ桜の古木。

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豆大福を皿に載せたら何か顔のような・・・・・。

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反対がわに回してみたらこちらも別の顔が現れた。



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集落により吉野町のとんどはまちまちに行われる。1月10日、11日、また旧来の1月14日にするところもある。これは吉野川の桜橋の下の河原での上市地区のとんどの風景。1月11日。対岸の飯貝は前日の10日にやはり向かいの河原で行った。

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少子高齢化のせいで参加しているのはほとんどが高齢者ばかりで青年の姿も子供の顔もみあたらない。動物界を代表して柴犬が一匹参加してくれていたが火を見て驚いたのかキャンキャンキャイ~ンとl吠えに吠えて飼い主により退場を余儀なくされた。犬にとんどの火や竹の爆裂する音はあわないようだ。


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こちらは隣の地区のとんど。同じ吉野川の河原で距離を開けて行う。ここでは三密はないのだがやはり誰もマスクをしている。燃え上がる炎の背後に沈む日輪がまぶしい。

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トンドの竹の燃え尽きるのは割に早い。




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向こうのほうにも別の地区のトンドの火が見える。これでだいたい終わった。午後3時に点火し4時くらいにはほぼ終わっている。

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次の日、1月12日は一転して朝から雪が降った。


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牡丹雪は重そうに空から降りてくる。


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木工所の中は暖を取る薪ストーブを燃やしている。


Posted at 2021/01/13 14:35:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 吉野見物 | 日記
2016年04月27日 イイね!

吉野川べり散歩道の風物。


アオサギの巣。吉野川べりにコロニーを作っている、毎年この川べりの林で巣作り、子育てをしているのだそうだ。まもなく鮎釣りシーズン。すでに稚鮎が吉野川には放流されている。アオサギは餌の豊富なこのあたりで暮らしている。



少し見にくいが中央あたりに二羽のアオサギの姿がある。いずれも巣の上につがいの一羽がじっとしており卵を守っているようだ。(南楢井)



桜橋近くの土手の草を刈る人。(飯貝)


道沿いに桜やチューリップなどの花が植えられおり散歩する人の目を楽しませてくれる。


見事に咲いたチューリップの花。



河原を見守るように欅の巨木にわかばが芽吹いている。(飯貝)


吉野町は昔から杉、檜の木材を運搬する水路の町として栄えた。上流の川上村から長い筏を組んでこのあたりを和歌山へと下った。このあたり桜橋のある飯貝には筏税を徴収する検査所があった。また桜橋の場所には昔は渡し船があった。



昨年、あずま屋が作られて散歩する人の憩いの場となっている。近所の人が河原の美化活動に参加して植林や花壇の整備を行っている。この場所で一杯やるのも乙なものだ。



伊勢湾台風でこのあたりは壊滅的な被害を受けたが欅の巨木はびくともしなかった。


なんという水鳥なのか温かい川辺を散歩している。(飯貝)


水田はいま田植え前の準備期間。向かい側の北楢井の山がこれから萌えあがるような新緑の時期を迎える。(南楢井)


楢井橋のそばにある不動明王で護摩が焚かれていた。(南楢井)



南楢井の山の急斜面に不動尊が祀られており信者方々が集まって儀式を行う。


火炎が煩悩を燼滅してくれるのだろうか。ときおり「エイっつ」と裂帛の気合が響く。


急斜面の階段の上に不動明王が祀られている。


このご儀式のある前に階段を上がってみた。護摩の準備がされていた。
供え物がたくさんある。右の箱のなかには火のついたロウソクがある。


この木組みが護摩を焚く場所。午前中に撮影。狭いが神聖な場である。護摩の最中にここへ上がってみようと思ったが信者でもないので遠慮して下から遠目に撮影した。午後一時くらいにはもう儀式がはじまっていた。



石垣に散った桜。


桜の散っている吉野高校の石垣。



この石垣の上に桜の木がある。


近所の人は「よしこーの桜」と呼んでこの桜の下で花見をする。地元民の花見の名所だ。


「橋屋」という集落で見かけた壁の飾り穴。


土壁に梅の覗き窓模様が粋である。



上市集落で見かけた二階屋。


この二階から見れば目の前に吉野川が流れて見晴らしは抜群だ。



吉野川ぞいの裏道。上市集落。右の白壁の家は元は筏師が泊まった木賃宿。
このあたりには筏師の宿泊する木賃宿や飯屋、居酒屋、料理屋が多くあった。


吉野川べりの斜面には人家が密集している。(上市)


かつてお祭りの「立山」に使ったであろう人形が保管されている。子どもも減ってしまいお祭りも寂しいものとなった。二度と出番はないかもしれない。(上市)



六田集落。川べりに「役行者」の石像がある。かつては「柳の渡し」にあったのだが洪水などでこの場所へ移設されたのだそうだ。



「役行者」は元は葛城の出で吉野山金峯山寺を開山したと伝えられている。


Posted at 2016/04/27 19:15:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 吉野見物 | 日記
2016年04月02日 イイね!

吉野町飯貝 飯貝御坊「本善寺」の桜。
















吉野町飯貝 奈良県立吉野高校の桜



   
 吉野町の「飯貝(いいがい)」は「古事記」の神武天皇東征に関連して地名が出ている。神話時代からの古い町である。「古事記」には「井氷鹿」、「日本書紀」には「井光」と出ている。この地名「井氷鹿」について本居宣長は吉野町大字飯貝辺りだと推定しそのことを書いている。
 いまの飯貝は「古事記」にある「井氷鹿」の転じたものであろう。
 また「いひか」「いいかひ」という音はおそらくは昔はこのあたりに「イノシシを飼う」集落があったものだろうと思う。「猪飼」(いかひ、いいかひ)という呼び名が「飯貝」になたっと想像するがそのあたりの口承も考証もまるで見当たらない。漠然とそう言われているだけだ。
だがいまでもここらは猪の里でありおそらく吉野では猪の棲息歴は長いものだろうと思う。
飯貝と吉野川対岸の「上市」とあわせて現在の吉野町の中心地である。
とくに飯貝は昔は地元所有の山林を売って資金を捻出し吉野工業高校を誘致した教育先進地域として知られている。
1476年に飯貝の地に蓮如は本善寺を創建した。
それは鄙びた山里の飯貝を当時の最先端の情報文化の一大拠点に変貌させた。
本善寺の存在が飯貝の人々の先取の気質を産んだのかもしれない。
吉野川流域には飯貝の吉野高校の上流には高校は存在しない。
その意味では吉野山間部の高等教育機関として貴重な存在といえる。
吉野高校のテススコートの左側に吉野川が流れているのが見える。
いま少子高齢化で吉野高校も地元吉野の林業の衰退とともに定員が確保できないなど存立の危機に直面しているとも言われるが伝統のある高校だけに存続とさらなる隆盛を期待したい。
ここから歩いて「飯貝御坊」と呼ばれている浄土真宗本願寺派の名刹「本善寺」に向かう。

 
「桜橋」のたもとにある本善寺。参道入口の坂道。桜も満開に近い。















本善寺の山門を潜るとそこは桜の園である。
この寺は多くの僧兵を抱えて北朝勢や金峯山寺また信長勢と戦いを繰り広げてきた門徒勢力の一大拠点だった。江戸末期には加賀から来た寺侍が寺の西側に住まって警備していたといわれる。お寺ではあるが構えは山城の観が強い。








































「蓮如上人の像」


浄土真宗本願寺派 
  六雄山 本 善 寺

◆親鸞聖人 大遠忌法要


  飯貝御坊 
  本善寺


奈良県吉野郡吉野町飯貝567
TEL・FAX  0746-32-2675   


 本善寺は、文明8年(1476年)、蓮如上人の御創建であります。
  上人自らお同行と共に汗をながして立てられた、全国でも数少ない寺院の一つです。
  吉野は、伊勢街道が通り東西交通の要所でありながら、北方からは険しい峠を越えなければ入れないという守りに最適の場所であり、南北朝時代には後醍醐天皇により開かれたもう一つの都との思いの強い場所であり、また、覚如上人と存覚上人のご教化により小さいながらも門徒集団ができていた、等々により、この飯貝の地に、仏法弘通の勇断を持って、一宇を建立されたのであります。上人は、本願寺の本の一字を取られて、『本善寺』と名付けられました。
 
  石山合戦時(天正六年)に、織田信長の命を受けた筒井順慶の吉野攻めにより消失しますが、すぐに同じ場所に再建され現在に至ります。参詣された誰もが、『懐かしい思いのするお寺ですねー』と申されます。以後、ここを拠点にして大和地方の教化が進められます。
  明応四年、蓮如上人は、上人の第十二男『実孝』が誕生してすぐ、後継住職に定めおかれます。実孝は七歳にして入山の時、父蓮如上人と親鸞聖人の御遺骨(本願寺の書付添付)を携えて来られ、今に伝わります。また、御分骨附属証文も持参され、蓮如上人以後の歴代門主の御分骨が欠けることなく伝わる本願寺派の中では比類無き寺院であります。
   以後、一家衆として、大谷家と姻戚関係を保ちながら本願寺と共に歩み、法難等も共に受けますが、一方、江戸時代には、否応なく権力構造に組み込まれ、全国に九つあった別格別院として本願寺を支える重要な寺院の一つでありました。
   蓮如上人のご因縁の土地としてご教化あらせられた由緒は、上人御真筆の『お名号』や『御文章』を始めとする沢山の文書類の法宝物、また上人ご在世中にご教化の方便として使われたという、親ら接ぎ木せられた『松柿』の遺跡等に留められています。
 蓮如上人のご遺徳を偲び報恩させて頂くには、この私がご聴聞させて頂くことであるとの思いから、当山では、従前の法座(報恩講・蓮如忌・彼岸会・永代経等)に加え、 

『蓮如上人鑚仰法話会(毎年海の日)』『蓮如上人御一代記聞書講座(年四回)』や境内の蓮如上人懐の桜・樹齢三百年の枝垂桜が三月末にいっせいに咲き乱れるのにあわせて楽しみも加えた『夜桜法話会』等の法座(法座のご案内を参照)が持たれています。近年は、近在の門信徒は勿論、近畿一円の有縁の門信徒のご参詣を得て賑やかな法座となり、蓮如上人以来の法灯が護られています。御縁があれば、ぜひともご参詣ください。

>「本善寺」HPより。






























































本善寺から見下ろす吉野川対岸の上市の町並み。上市にも3箇所の門徒寺があり飯貝、上市は本善寺の寺内町であった。














Posted at 2016/04/02 15:04:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 吉野見物 | 日記
2016年03月21日 イイね!

吉野町喜佐谷「桜木神社」 後編。

屋根のある橋を渡って境内へ入る

































 吉野川の対岸に宮瀧を見て上流へ進むと右手に「象山」がある。その山麓を右折すると喜佐谷(象谷)に入っていく。喜佐谷は両側を高い山に挟まれた狭い谷筋である。谷底には谷川とゆるい勾配の道が続く。


 桜木神社へは「象(きさ)の小川」を見下ろすように山裾の小径を登って行くと見えてくる。遠目には境内を囲むこんもりとした林が先にみえてくる。
 神社境内へ入るには地続きの道はなく左手の「象の小川」にかかる屋形橋を渡る。小川と言ってもかなり傾斜の深い谷川である。
  いまは「喜佐谷」「喜佐谷川」と書いているが昔は「象(きさ)」という字を使っていたのである。奈良の地名にはこうした漢字を変えている地名が散見できるがどういう理由で変えたものかよくわからない。
 
  江戸前期の儒学者貝原益軒翁(1630-1714)は吉野を巡り歩き源義経の事績を探訪して『和州巡覧記』という書を残している。そのなかに桜木神社についてつぎのような一節がある。

「桜木宮滝より五町ばかり、芳野へ帰る道側也。左の橋を越えて行けば小山有り。
林あり。其内に小社あり。是桜木の宮なり、其前に流るゝ水を象の小川と云ふ。名所也」とある



また万葉集では山部赤人がこのあたりの光景を次の歌に詠んでいる。

「み吉野の象山(きさやま)の際(ま)の木末(こぬれ)には ここだも騒く鳥の声かも

万葉集には大伴旅人の歌もある。

「昔見し 象の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも」

大伴旅人は60歳で九州の大宰府へ赴任している。もう二度と戻ることはないであろう故郷の奈良を偲んで太宰府にて歌った望郷歌である。大伴旅人がふるさとを思い心に想い浮かべたのがこの「象谷(きさだに)」の光景であり「象の小川」なのであった。


桜木神社境内より「象の小川」を眺める。先の方の木々の間に屋形橋がある。

 それにしても見た目には吉野のあ山間ならばどこにでも流れているような極普通の何の変哲もないせせらぎのように見える。
 だが万葉歌人は吉野といえばこの「象の小川」の風景を想い浮かべている。
 この象谷のどこが万葉人たちの心を惹きつけたのであろうか? 
 両側からこんもりとした山が迫るのだが雨を蓄えた山のせいか空気はひんやりとして冷たい。自然にそこかしこに苔が生えている。
 「象の小川」は吉野山系の水を集めて谷間を下り吉野川に注ぐ。
 日陰にはいると夏でも涼しいだろうと思われる。
 まだ冬の風が吹き抜ける早春とあって歩く人もみかけない。
 鳥のさえずりも聞こえない。
 来る季節を間違えたのかもしれない。
 それでもここには昔からの自然がそのまま残っている。
 1300年ほども前に万葉歌人の詠んだ光景と今見る「象の小川」の印象はほとんど変わらないように見える。
 

桜木神社境内の全容。

桜木神社の前は「象の小川」と「象山」、後方も山だ。
このあたりは山と山とに圧迫されるように挟まれており境内はさして広くはない。
境内に上る短い階段を上がると朱の鳥居がありすぐ境内に入る。
写真中央は拝殿。後方に石段上に権現造三間社の神殿がある。
神殿は朱塗に極彩色が施され神門を立て玉垣で囲まれている。
石灯籠と狛犬も配置されており堂々とした構えだ。
精霊の宿る自然の谷間に鎮座する清々しい神殿の聖域である。


桜木神社
さくらぎじんじゃ










堅固な石積みがせり上がるように神殿を支えている。
この石垣も桜木神社のみどころである。




桜木神社は「桜木宮」とも称され吉野の名勝の一つである。
もともとは村社として創建されたといわれるが創祀・由緒は不詳でる。
古来医薬の神・疱瘡神と信仰をあつめている大穴牟知命(大己貴命)、少彦名命を御祭神とし、同時に吉野に縁の深い天智天皇も御祭神としている。
社殿は元禄15年(1702)の建立といわれ境内に万葉歌人、山部赤人の歌碑が在る。
神社の鎮座地は吉野郡吉野町喜佐谷字トチサ423。
万葉歌に歌われた「象の小川」の傍らの景勝地に鎮座している。
末社として稲荷社がある。倉稲魂命・奥津彦命・奥津姫命がお祀りされている。↓。

拝殿。↓。

















境内奥から参道の屋形橋と鳥居を見る。



境内にはひときわ目立つご神木の大杉。










春になると桜木神社を参拝したあとで喜佐谷から吉野山方面へ向かうハイキングの人達も多く訪れる。


飛鳥時代の史跡として名高い宮瀧は吉野離宮のあった場所として知られている。
その宮瀧から見て吉野川を挟んだ対岸の喜佐谷の入り口近くにあるのが桜木神社である。
万葉人の心に吉野を代表する光景として深い印象を残した象谷(喜佐谷)と象の小川。そのせせらぎも微かな瀬音も木漏れ日も谷を渡る風もすべてはるか遠い昔日のままに在る。


★続編★
  このブログは上で終わった。
  そのつもりだったのだがこのあと少し続編を追加したい。
  というのは吉野町の古い写真を見つけたのだ。
  そこには吉野離宮とすぐ向かい側にある象谷、象山、象の小川、桜木神社の貴重な写真があった。時代は昭和2年から8年とある。
  昔の桜木神社の姿を紹介しよう。

 
№974 象の小川の邊なる櫻木神社
 (天武帝を祭る)
 昭和2(1927)年~昭和8(1933)年

 ◯この写真を見ると現在はある前方の遥拝殿がない。石段の手前には何もない。だが狛犬、石灯籠、神門、神殿はいまも位置関係は同じである。たぶん昔のままなのだろうがその後に多少は改築とか補修の手入れがされている気もする。

 

№214 大和宮瀧 遺跡地附近の景觀 2.jpg

◯飛鳥時代に吉野にあった離宮の跡である。湾曲して流れる吉野川の向かって左岸上部一帯に宮殿のあった遺構が発見されこれが吉野離宮であるとされている。写真では人家のある広い台地のように見える。
 宮瀧離宮遺跡の発掘は長年にわたり橿原考古学研究所の手により実施されてきた。現在も吉野町教育委員会による発掘調査が継続しており今年度の吉野町の予算にも発掘調査費が計上されている。
 吉野川の流れは写真上部が上流である。左の吉野離宮の土地が円形に突出している先に黒くなった山の端が見える。この山が「象山」の先端であり「象谷」はこの「象山」の向こう側に続く谷筋である。



№217 大和宮瀧 遺跡より象山を望む 6.jpg

◯向かいの一部剥げた部分のある山が「象山」である。この「象山」の左側に奥に向かって「象谷」が続いている。手前の集落は宮瀧遺跡の上に形成された家屋などである。この宮瀧遺跡の家屋の家並みと向こうの「象山」の間に吉野川が左から右へと湾曲して流れ下っている。


 №973 象の中山
 (礎石はこの桑園中にあり)
 昭和2(1927)年~昭和8(1933)年

◯「象の中山」というのは向かい側の大きな山。「象山」のこと。「礎石は・・・」という説明文はわかりにくいが写真手前の畑が桑畑なのであろう。
この台地にある桑畑の中から宮瀧遺跡の離宮の礎石が発見されたという意味である。いまは桑畑はなく遺跡の発掘現場になっている。
家並みと向こうの象山の間には吉野川が流れている。この写真は宮瀧遺跡を見下ろす場所から象山を眺めた写真である。
 


№210 夢淵
 (象の小川此所に注ぐ)
 昭和2(1927)年~昭和8(1933)年

◯これは左岸が宮滝遺跡の台地であり右岸が象山の裾野であろう。
「象の小川」がこの「夢淵「」という吉野川本流の深い淵に注いでいるという写真であろう。いまよりもずっと水量が多いが当時は上流にはダムはなく大台ケ原を水源とする吉野川上流は激しい清流の渦巻く谷川であった。
現代人の感覚では物足りないかもしれないが自然の川、奇岩、枝振りの良い松の姿など吉野らしい深山幽谷の趣を湛える見事な景勝地の景観である。

これらの昔の写真をみると吉野川を挟んでいるとは言えども吉野離宮と象山や象谷、象の小川、は分離したものではないという印象が強い。離宮から見れば朝日も象山の向こうから上ってくるのだ。
古人は吉野といえば離宮だけでなく離宮と吉野川の清流を挟んで向かい合う象山や象谷、象の小川の精妙なる光景を愛でて心に刻んだのであろう。
象谷は吉野離宮を彩る自然庭園だったと言ってもいいかもしれない。

これらの昭和初期のモノクロ写真はそんなことを語りかけてくれるようだ。
Posted at 2016/03/21 14:54:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 吉野見物 | 日記

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「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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