2014年12月05日
書斎の向かい側に、距離にして、300メートルほどの位置に、山がある。目測だから、もっと、距離ががあるかもしれない。もし、軍隊にいたら、こういう対象との距離を即座に測る手法なんか、教えられたのだろうと、思うが、戦後の学校では、教えてくれなかった。
ただ、小学校で使うノートには、帳面といったが、豆知識のようなものが、背面とか、その裏側に書いてあり、よく覚えている。すぐに、覚えたのは、煙突の煙のたなびき方の図が、いくつも描いてあり、煙の角度により、無風から、風力10、までを、見分けるというものだった。
無風は、煙突の煙が、垂直に上る。風力2とか、3は、少したなびく。たしか、たなびく煙の角度の度数まで、書いてあったおぼえがある。真横に煙が流れると、これは、最高の風力10となる。
学校で、習う知識も大事かもしれないが、こういう、生活の知恵、実用知識は、もっと、大事だ。
こういう、生活実用知識は、いま、子供に、どこで、教えているのだろう?
あるいは、教えていないのかもしれない。
私の子供のころは、夜道を歩いていて、道に光った場所があれば、水たまりだから、気をつけろ、という実用知識もあった。誰に、教えられたのか、記憶はないが、これは、かなり役立った知識である。
というのは、昔の道は、泥道、砂利道で、舗装した道は少なかった。したがって、雨が降ると、いたるところ、水たまりだった。雨上がりの水たまりに、青空が映り、雲が流ている。学校の帰りに、その水たまりを覗き込み、長靴でバチャバチャかき乱したり、その後に、泥が湧いてくるのを眺めたり、水たまりとの付き合いは、ながい。だが、いまは、そうした夜の月明かり、星明かりで水たまりを見分ける
実用知識など、使おうにも、あまり水たまりがない。舗装道路ばかりになり、水たまりを探すほうが難しい。
魚釣りに行くとき、路傍の石をひっくり返すと、ミミズがいて、それを、空き缶に、入れて餌にする。これなんかは、実用知識というより、常識だった。いまは、どうだろう。釣り師には、常識だろうが、子供が、釣りにいくとき、こういう知識はないかもしれない。
一度、信濃町の神宮絵画館の前に、石造りの池があり、たまたま、そこを、通りかかったら、小学生くらいの、子供が数人、釣りをしていた。小さいタナゴのような、魚が、泳いでいるのが、見えた。なんとなく、見ていると、誰も魚を釣ることができない。ひと目で、釣り方を知らないのだ。そこで、一人の子供に、「ちょっと竿を貸せ」と、言って、釣りの基本を教えてやった。簡単なことで、水深にあわせたウキ下の長さ、餌が底から少し浮く程度の長さに、調節するんだよ、と。ついでに、餌の針への付け方を、直してやった。子供が、その直した竿を手にして、池へ針を落とすと、たちまち、魚がかかった。
この、池は、水深が30センチあるかないかの、浅いもので、それにもかかわらず、子どもたちは、ウキ下をとても長くしていたので、だめだったのだ。
思い返せば、東京で、子供が自分たちだけで、子供らしい魚釣り、それも、神宮絵画館だよ!!という、光景を、見たのは、それが、最初で最後、一回切りであった。
私が子供の頃は、1年に、何十回、あるいは、100回くらいも、魚釣りに行ったかもしれない。それが、楽しみというか、遊びだった。「小鮒釣りし、かの川」という歌があるが、そのままの光景だった。田圃の中の小川で、ほんとに、二センチ、三センチほどの、小鮒を釣ったものだ。メダカもいたし、田圃には、タニシもいた。ときには、堰き止めて小川を干して、泥だらけの川底に入り、魚を取った。ザリガニもいて、カエルを捕まえて、地面に叩きつけて殺し、それを、餌にすると、ザリガニは、いくらでも、釣れた。
ええ、向かいの山まで、300メートル、という話から、書こうと思った話を脱線して、長くなった。山までの距離の、続きは、また明日にします。
Posted at 2014/12/05 17:06:50 | |
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