年末から、元旦のかけて、粉雪が吹雪いては止み、吹雪いては止むの、繰り返しで、山も川も、白と灰色の濃淡に染まり、墨絵の世界のような薄化粧だった。
なんでもない景色でも、粉雪が吹雪くと、別世界のような趣のある光景に、一変してしまう。
雪景色は、日本の自然に、よく似合う。
「雪国」は、川端康成の名作と言われている小説だが、あの書き出しは、ことに、有名である。たしかに、冒頭の一節は、印象に残る。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が 止まった。」
この、「国境」を、「くにざかい」と読むか、「こっきょう」と読むかで、議論がある。
◆山里の雪景色 その1
この小説は、越後湯沢温泉の温泉旅館で芸者をしていた駒子と、主人公の出合と、思い出を綴ったもの。冒頭部分は、列車に乗って、上越国境の清水トンネルを抜けたときの情景を描いたものだ。この、清水トンネルが、上野国(群馬県)と越後国(新潟県)の境という意味であるので、「国境」)(くにざかい)と、読むべきだという意見がある。
そうではなく、一般的に、越後国境は、「えちごこっきょう」と、言うから、わざわざ、「くにざかい」と言うのは、おかしいと言う、意見もある。
作者の川端康成自身が、はっきりと、ルビでも、つけておけば、はっきりしたんだろうが、いまだに、この、読み方論争には、決着がついていないようだ。
それよりも、最初の一行の、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」には、主語がない。もし、主語を「私」として、普通に書けば、「夜汽車に乗った私が国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」となるだろう。あるいは、「夜汽車」が、主語なら、「私の乗った夜汽車が、国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」となるだろう。
それでは、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」は、主語の欠落した不完全な文章だろうか?
そうではない。日本語は、この文章のように、主語がなくても、立派な文章として、文法的に成立する。
川端康成も、文法論として、自覺していたか、どうかは、別として、この日本語の特徴を巧みに、使いこなして文章を書いている。
このあたりが、作家の筆法として、実にうまいと、思う。日本語には、主語はない。主語がなくても、成立するのが、日本語である。これを、文法論として主張し、「主語」という文法用語を廃止すべきと、説いたのが、文法学者の三上章である。

◆山里の雪景色 その2
日本語の文は、主語+述語という構造とは別に、「題目‐述部」からなる「題述構造」を採ることがきわめて多い。しかも、主語がなくても文章としてきちんと成立している。つまり、日本語の文章は、述部に中心を置き、主語がなくても完全な文章となる。
たとえば、「ハマチの成長したものをブリという。」も、主語はないが、主語はなくても、完成した文章であり、何の問題もない。
「お前に、惚れたぜ」
なんていうセリフも、主語はないが、立派な文章である。
もっと言えば、「惚れたぜ」だけでも、文章としては、成立する。
もし、これに、無理やり主語をつけて、
「俺はお前に、惚れたぜ」
などという文章のほうが、よほどおかしいし、違和感があるだろう。
「惚れたぜ」
「うれしいわ」
という、省略の世界こそ、和語の粋、なのである。
そういう感覚で言えば、英語で、「I love you 」(私はあなたを愛する)なんて、なんとも、野暮でどうしようもない。
三上章は、日本語は、助詞「は」を伴う「題目」と、それ以下の「述部」で成り立つ「題述構造」をしている、と、説いた。

◆山里の雪景色 その3
「象は鼻が長い」
この文章の、「象は」は、主語ではなく、「象について、これから述べますよ」という「題目」を示すものであり、「鼻が長い」は、「象は」を受けた「述部」である。しかも、この、「題目」は、文章を超えても、有効だと、説いた。
つまり、日本語は、主語+述語、という構造ではなく、主題を示す題目と述部からなる構造をもっていると、説いたのである。
したがって、次のような文章も、題述構造を理解していれば、文章として過不足ない文章となる。
「象は、鼻が長い。大きくて、力も強い。日本では、動物園に行けば、見ることができる」。
この文章で、大きくて以下の文章に、いちいち、「象は」と、入れた文章は、それこそ、間違いではないが、稚拙で、違和感がある。助詞の「は」は、別格の助詞であり、文章の主題、題目を示すのである。
もともと、日本の国語文法というものは、明治になって、西洋にある文法を取り入れて出来上がったもので、西洋式の主語、述語という概念を、無理やり日本語にあてはめて作ったものだ。そこには、なんでも、西洋化することが近代化で、いいことだという、西洋崇拝があったのだろう。

◆山里の雪景色 その4
だが、主語のない文章など、ありえないという西洋の文法と、述部に重きを置く日本語とでは、文の構造があまりにも、違い過ぎる。西洋では、主語がないものでも、主語のない文章はありえないために、形式主語などを考案して、無理やりに、主語をつくる。いわば、偽者の主語「it」で、時刻を言うときでも、主語として、itをつける。いわば、西洋は、絶対的な主語信仰の世界で主語の明確化がないと、何もはじまらない。いわば、主語、主体という自己の責任を明確にする世界観で成立している。
これに対して、日本では、主語よりも、述部が重要で、何を考え、何を言うのか、するのか、どんなものなのか、どういう常態なのかという、展開部が重要になる。「誰が」よりも、「何を」「どうする」というほうに、重きをおくのが、日本人なのだろうと、思う。
逆に、「誰が」という行為の主体を明確にしないことで、万事に婉曲さを好み、あえて自己主張を避ける謙遜さ、遠慮深い人間性、また、それを否定的にみれば、どうにでもとれる、うやむやな曖昧さ、自己隠蔽による責任回避、が強いと言えるかもしれない。
「家庭の主婦が、夕食の準備をすませて、家族を食卓に来るように呼ぶ時、普通、「ごはんができました」と言う。「ごはんを作りました」とか、「ごはんを作ってあげました」という表現は、文法的には正しいが、決して使わない。つまり、「私」が主語になる文ではなく、「ごはん」が主語になる文を用いるのである。このような無意識のうちに行われている表現の選択にも、実は日本人の考え方が反映されていると考えると興味深い。」
(みんなの教材 読解「日本語の特徴」)
つまり、米を研いで、水加減し、炊飯器のスイッチをいれたのは、自分かもしれないが、それで、「私がご飯を作りました」というのは、あまりにも、おこがましいという気持ちが、無意識に働いているのだろう。
米を作ったのは、お百姓さんであり、運送してくれた人、販売してくれた人、お父さんが働いてくれてお金を稼いでくれるから米が買えるという主人への感謝、などなど、自分以外の恵みにより、初めてご飯が炊けるのである。
また、お日様や、水や大地のすべてがあって、米ができるのであって、すべては、自然の神様のお恵みである。そういう、自然への感謝、飢えることなくおいしい食べ物が食べられる暮らしへの感謝、など、日本人の根底にある「万物への感謝の気持ち」が、あるからこそ、私という主語を控え、ごはんを主語にした「ごはんができましたよ」という言い方が自然に出てくるのだろう。
日本語の文章での、述部に重きを置くというのは、自分を主語にするのではなく、あらゆるものごとが、「神様の恵み」という主語であり、我が身は述語であるという発想があるように思われる。よく言われるが、私が「生きている」のではなくて、「生かされている」のだ、という言い方にも似ている。
主語をあえて主張しない「感謝する心」が、日本人の文章には、宿っているように思われる。
どっちがいい、悪いということではなく、東西の間には、イギリスの詩人キプリングの書いたように、「西は西、東は東、両者永遠に相逢うことなし」という本質的な違いがあるものなのかもしれない。

◆柿の葉寿司 下市町「やま十」。
東西問題を、取り上げれば、じゃあ、南北問題は、ほおっておいていいのか、という人がいるから、国際問題に、首を突っ込むのは、ややこしい。
日本人で、この、西洋と東洋という問題について、よく考えていた人がいる。江戸末期、盛岡に生まれた思想家の新渡戸稲造で、英文で「武士道」という本を書き、いまだに、よく読まれている。5000円札の肖像になったので、知る人も多い。たまたま、彼の書いた一文を、「青空文庫」で目にした。そこには、洋の東西について論じたあとで、大和民族の役割について、こう、書いている。
「殊に昔より日本人は国外の思想や文化を鑑識する事を以て得意としている。現に我国の今日あるは外国に負うこと多きに見ても明あきらかである。近頃メーソンという米国人が『東方の光』の題の下に一小冊を公にした。その中に印度は宗教霊的の天恵に富み、支那は礼儀芸術の道に篤あついけれども、両民族とも功利活用の才能に乏しい。独り日本人のみが人類に欠くべからざる三徳と称すべき、霊妙の作用と美的観念と応用の能力を平等に兼備すると歎賞している。ウッカリ人の誉詞ほめことばには乗れないが、同氏の言は確かに我民族の特長を挙あげたものと思わるる。この活力と才能を有すればこそ、メーソン氏のいう西洋の功利的文化を咀嚼そしゃくし得る東洋人は同胞のみなのだ。西洋人は到底日本人ほど印度の霊妙、支那の技芸の蘊奥うんおうを研きわめ得ぬから、結局東西の文化を悉く咀嚼し世界的完全なる発達を遂げる者は大和民族ならんか。」
(「東西相触れて」新渡戸稲造 1928年・昭和3年。)
たしかに、日本は、アジアの中にあり、東洋世界を最もよく理解している。それと、同時に、西洋の考え方も、生活スタイルもよく理解している。東洋には、太陰暦の旧正月を依然として固持している国もあるが、日本は、西洋文化の、太陽暦、新暦にいち早く切り替えている。
東西を比較して弁証法的に新しい価値観を生み出すという発想だけでなく、日本は、これから、世界にはない日本文化を、これからの世界標準として打ち出していくことも、新たな役割と、言えるかもしれない。
外国から日本へ来る人々が、日本では当たり前のことに、驚いたり、感心したりする光景を見ることがあるが、案外、日本人は日本のよさを、知らないのかもしれない。
円安も手伝って、外国人観光客が、いま、日本発見の旅、ディスカバージャパンを、やって楽しんでいる。
せっかく、関西に暮らすことになったのだから、今年は、地元の奈良をはじめ、ディスカバー関西、の年にしたい。