2015年01月06日
いい白菜を貰ったので、白菜の塩漬けを作った。
漬けて4日目だが、さっき、様子をみたら、もう大丈夫なので、重石をどかして取り出し、容器に入れた。
漬けた分量は、大きめの白菜の半分の量だ。
そういえば、昔は、漬物器というものがあった。プラスチックの丸い容器で。蓋の内側にバネがあり、蓋をして、バネを上の取っ手でねじり込むと、重石の代わりになる。白菜をザク切りにして、塩と刻み昆布を入れて、つければ、一日で、食べることができた。
いつの間にか、その、容器はなくなったのだが、ときどき、白菜漬けを作っていた。
今回は、米を研ぐためのプラスチックのボール状の容器を使った。ビニール袋に白菜の4分の1カットを入れ、塩を適量バラマキ、昆布茶の素を大さじ一杯くらい振りかけて、プラスチック容器に入れ、その上から、使ってないダンベルを乗せて重石にした。
もう、4分の1は、カネのボールに、やはり、ビニール袋に入れた白菜を入れて、重石には、石の窯と、半分ほど入った醤油瓶を乗せた。
最初は、白菜も硬いので、重石がバランスよく乗るように、注意しながらやっていた。
水が上がってきてからは、ビニール袋に穴が開いており、漬けている水が漏れだしたりしたので、ビニール袋を取り替えたりして、余計な手間がかかった。やはり、プラスチックの漬物樽があれば、こういう変な手間は必要ないなと、反省したが、すでに遅い。
白菜は、あまり、重石をかけて漬けすぎると、水分が抜けて硬くなる。重からず、軽からずという、重石の塩梅が、やはり、素人には、難しい。三日目の昨日、重石を半分くらいにしたが、それでも、重すぎたのか、水分が抜け過ぎて、やや固くなっていた。
ほんとうは、もっと、うまい漬け方があるのだろうけど、よくわからない。
鷹の爪は、辛くなるので、入れなかった。
にんにくは、入れたほうが、よかったかな、と、思うのだが、にんにく自体が、なさそうなので、入れることができなかった。
明日から、少しづつ、食べてみようかと、思う。
ゆずがあれば、少し、皮を削っていれれば、香りがよくなるだろうが、ゆずがあったか、よくわからない。あればいいし、なければ、ないで、それも、それなりだ。
最近は、なるべく、ないものねだりは、しないようにしているが、やはり、ここは、こうだよな、なんで、あれがないんだよ、だいたい、ないのが、おかしいんじゃないか、(この先、カット)という気持ちは、やっぱり、なくならない。
いま、思ったが、みかんの皮を入れると聞いたこともある。やはり、香りがよくなるのだろう。みかんなら、いっぱいあったので、皮をいれるのは、可能だった。でも、そのときは、そういう発想がまったくなかった。
白菜の塩漬けが古漬けになって、少し酸っぱくなったあたりのものは、鍋にすると、絶好である。シンプルに、酸っぱい白菜漬けと、豚肉で鍋にする。北京の冬の定番料理の鍋、「酸菜火鍋」である。
白菜といえば、かつての北京の冬の光景であった。
ビルやアパートの前、階段の踊り場などには、どこでも大量の白菜が山積みされていた。冬の食糧難を、配給の白菜で凌いだ時代が長く続いていた。誰もが貧しく、誰もが豊かさを夢見ながら、誰もが、国家とともに生活苦に耐えていた時代であった。
そのころ、冬の白菜は、別名を「愛国菜」と、呼ばれていた。作りすぎて大量に売れ残った白菜の処理に困り、政府が、「愛国者なら、白菜を買え」と、大々的キャンペーンをしたことから、「愛国菜」の呼び名が生まれた。
いまは、そんな時代が、嘘のように、シナでは、誰もが成金になれる時代になっている。
正月のテレビを見ていたら、血色の良いシナ人の観光客が、東京のデパートで買い漁った福袋をごっそり両手に持ち、「これから、まだまだ、100万円くらいは、使うつもりだ」と、嘯いていた。
いったい、北京は、どんな様子なのか。
北京に住んだことはないが、何度も、行った事がある。
北京にも、行って経済成長による変貌ぶりを見てみたい気がするが、何分、冬はPM2・5が凄まじく、そんなところへ、わざわざ、行く気にもならない。
早く、冬の北京の 抜けるような青空を、少しでも取り戻してほしいものである。
王府井の一角で、「東来順」は、まだやっているのだろうか。
名物の羊のしゃぶしゃぶ、涮羊肉・を食べる客で、店内はいつも、満席だった。
前門の「老舎茶館」では、京劇や川劇や漫才、民族演奏を楽しむ北京っ子で、賑わっているのだろうか。
白菜を漬けたことで、脈絡なく、いろんなことが、思い出されてくる。
朝からの雨が、夜になっても、まだやまない。明日も、雨の予報である。
Posted at 2015/01/06 22:40:34 | |
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身辺雑記 | 日記
2015年01月06日
「雪になった」
「腹が減った」
「戦争になった」
誰が、そうしたのか?誰のせいで、そうなった?この、「誰」という、主語を探そうと思えば、決して、「誰」は、一人あるいは、一つではない。
自分のせいでもあり、他人のせいでもあり、誰のせいでもなかったりする。
それなのに、主語を上げているならば、主語は際限ないほど、多くなるはずだ。主語は、いくつもある。主語は無限にあると考えるのが、日本人である。したがって、日本語の主語は、一つだけでなく、複数であり、多数だ。
したがって、その多数、無限の主語を一つに限定しないで、すべてを包含する存在を、述部から見た「題目」「主題」と、捉えるのが、日本語の構造である。あくまでも、述部目線であり、述部によって「題目」「主題」「テーマ」が決定される。
日本語は、述部だけでも成立する。特定しない不特定の題目が、省略されている。これを、省略された題目と位置づけておく。文章に書かれない題目は、いわば、「仮定の実在」というものである。
数学の幾何で、「仮定の線」を想像することで、現実の問題が解けるという問題がある。そうなると、仮定、架空の線ではあるが、現実に役立つ線であり、虚でありながら実の必要条件になっている。
人間の営みや運命には、こうした、特定できない偶然、複数の要因、原因、条件などが、複雑に絡み合っている。それを、あえてひとつの主語に、限定しないで、漠然と仮称しておくのが、「題目」「首題」の存在である。
これに対して、明確な、主語→述語、という、因果関係を特定して示す、「主語述語構造」には、イェスか、ノーか、あれかこれか、という、二者択一の一神教的な絶対性を基本とする世界観がある。
たぶん、一神教徒は、一神教世界では、原因結果が不特定で複数あることは、頭で理解できても、心情的に、そういうあやふやさが、気持ち悪いのであろう。しかし、八百万の神々を認める寛容さと、多神教を否定しない、無差別非原理主義の世界観を持っている多くの日本人にとっては、世界を支配する統一原理が、唯一神に限定されることのほうが、理解不能である。
昔、都市銀行の若い銀行員に、話を聞いたことがある。
ロンドン駐在から帰国し、東京の某支店勤務についたばかりだった。
「銀行員として、心がけていることは、何か」というような質問をした。すると、彼は、たとえば融資案件を検討する場合ですが、先輩の副支店長に、言われたある言葉があると、言った。
「これで、いいのか?どこかに、問題はないのか?決して、物事を一つの角度から見るのではなく、スルメを何度もひっくり返してあぶるように、物事は、いろんな角度から、ようく、見ることが大事なのだ」という、言葉を、心に置いて、拙速のないように、心がけている、と、言った。
それは、ただ、慎重に、ということだけでもない、もっと、深い意味をもって居るように感じられて、いまでも、よく覚えている。
物事を多面的に見極める、日本文化の多面性、多様性それが、融資というビジネス面でも、活かされているのではないかと、感じられた。決して、機械的、固定概念で決め付けない、思考の柔軟性、とでも、言えようか。
最終的には、ひとつの結論を出すにしても、イエス、ノー、のほかに、イエスに近いノー、ノーに近いイエスもあり、イエスでもノーでもない、イエスでもあり、ノーでもある、様々な選択肢があるのである。
囲碁将棋、相撲、あるいは、競馬、競輪、競艇、サッカー、ラグビー、野球、柔道、剣道などなど、勝負事一つとってみても、勝因や敗因は、一つに特定できない。
「勝負に負けた」
「試合に勝った」
という、結果があるだけで、勝因、敗因は、それらしきものはあっても、一つに特定、限定できない。
日本人の感覚には、「試合に負けて、勝負に勝った」、とか、あるいは、その反対とか、はたまた、「負けるが勝ち」とか、いったい、勝ち負けの基準自体が那辺にあるのか、わけがわからない、有り様である。
勝ち負けの原因結果を、一つに絞り込むことは、到底、不可能である。
しかし、主語を確定する作業、すなわち、一つの主語を選択するということは、主語となるうるかもしれない他の要素を排除するということである。そこでは、事象の原因を、ひとつに特定するためには、あれやこれや、あれもこれも、という無差別多神教的な世界観は、決して容認されることはない。
しかし、主語、述語を限定しない、「題目+述部構造」(題述構造)の日本語では、因果律を限定しないで、無限の因果律が絡み合う人間の営為や運命、現象を表現して、その核心を過不足なく表現することができる。
題目述部構造は、主語述語構造に比べて、表現対象が漠然としている。誰が、何が、何をしたのか、必ずしも明確ではない。
それは、迫ろうとする対象の因果関係が、特定し、選別し、掴みきれないものであるからであり、その現実を日本人が、おおむね追認しているからである。
主語、述語を、きっちりと、決めたくても、実際には、現実問題として、決められないことが、ほとんどである。したがって、主語、述語を、決めることに意味を見出さないのである。現実世界の中で、揺らぐ対象の姿そのものを表現するには、主語と述語を限定することは不可能である。
揺らいでいるものは、揺らいだままで、いいではないか。
この、自然体こそ、日本語表現の特徴であり、日本語の文法構造は、表現の背後にある日本人の世界観と密接に結びついている。
現実世界の実相というものを、日本人は、万物は流転するものであり、諸行は無常である、と認識している。この日本人の精神構造や世界観が、日本語の文章構造にも、現れていると言えないだろうか。
「叱られた」
この文章に、特定された題目は、ない。ただ、述部だけがある。
述部の「叱られた」しかない文章である。
ただ、文章の背後には、叱られた自分がいる。あるいは、叱られた人を、見ている自分がいる。叱られた、原因は、叱った人にあるかもしれないし、叱られた本人にあるのかもしれない。あるいは、まったくの誤解によるもので、「叱られる」ようになった原因をつくった真犯人は、別にいるのかもしれない。
ただ、主語を特定できない何かの不明の原因により、叱られている人がいるという状況を、この文章は示している。
そういう、状況をすべてふくめて、この文章は、完成しており、不完全ではない。
誰が、どこで、何を・・・・5W1Hが、ないと、不完全な文だ。英文のような、主語、述語、目的語といった構造が完璧な文だ、とは、必ずしも言えない。
世界は、神秘であり、曖昧なもので、満ちている。
曖昧で、ファジーなものは、完璧ではないから、劣っており、不完全であるという発想が、そもそも、間違っているのだろうと、思う。日本人の考える完璧さは、必ずしも固定化したものだけではない。曖昧なものは、曖昧なままが完璧なのである。
日本の五重の塔の、中心にある「心柱」は、宙吊りになっており、地震があれば、揺れ動くことで、揺れの衝撃を緩和、吸収する構造になっているという。それで、1300年もの、不倒記録を更新しつづけているのである。
この、五重塔の揺れの吸収構造は、現代の超高層ビルにも、応用されているという。
すべてを塗りつぶさない日本画の余白の美、半熟卵とか、半熟ふわふわオムレツとか、曖昧でいて完成されたものは、無数にある。
洋服は体のサイズにあわないと、上着もズボンも、装着不可能である。主語述語の対象固定化構造の見本みたいなものである。
しかし、着物は、背丈はもとより、痩せ、太め、胸元、腰元、あらゆる体型変化に対応でき、肉体的な欠点もカヴァーできる万能性をもっている。しかも、模様、色彩も織り染と変化に富み、帯や半襟などの付属品も含め、なによりも着る人を美しく引き立てる。
文章で言えば、題目+述部構造は、着物のような「万能表現」を可能にする文章構造であろうと、思う。
最後に、余談だが、NHKテレビの朝ドラマで、ニッカウイスキーの創始者の「まっさん」が、放送されている。これを、ときどき、ちらっと、見るだけだが、あまり、見る気がしない。
それは、この、ドラマの作り方に、原因があるのだろうと、思う。
日本で、本場のスコッチを凌駕する、世界最高のウイスキーができた。
こういう、表現は、自然なもので、日本人に、違和感はない。しかし、この、ドラマは、「わしは、日本で初めてのウイスキーをつくるんじゃあ」と、主人公が、耳にタコができるほど、叫びまくっている。しかも、そのそばに、西洋人女優が、「ワタシガ、マッサンヲタスケルノ、ツマナノダ」と、青い目を光らせている。
つまり、二人の「主語」が、自己主張する「主人公のドラマ」となっている点が、そうなんだろうか、という根本的な違和感を感じさせる。肝心のウイスキーは、どこに行ってしまったんだろうか?
この、ドラマの本当の主人公は、ウイスキーという異文化の飲みもの、だ。
そのバッカス(酒の神)の恵みを、まっさんと、よき理解者の異人妻が、いかにして、日本で実現するかという魂の物語であるはずだ。
日本人で、「この酒は、わしが作ったぞ」と、豪語する杜氏や酒蔵の社長はいない。あくまでも、自分の苦労はさておき、皆を慰労して、「今年も、いい酒ができた」と、感謝の心で、喜んでいるのが、酒造り職人の風情である。 つまり、酒づくりという、日本の伝統文化、先人の知恵、酵母という自然の恵みと神秘、水や酒米、などなどの「題目」、「首題」、の前に、謙虚な感謝の心を持つ述部、がある、という構造である。
おそらく、ニッカウイスキーの創始者夫妻も、そういう職人の心をもっており、その心意気に共鳴して協力、助力を惜しまなかった多くの人々の応援で、この偉業を成し遂げたのだろうと、思う。
だが、この、ドラマは、「わしが、ウイスキーを作ったる!」「アタシノ、ナイジョノ、コー、ナノヨ」という、日本の職人魂や日本の夫婦像と似て非なるドラマになっていることが、日本人の心に響きにくい原因だろう。それが、私の印象である。
楽しんでご覧になっている人には、水をさすようで申し訳ない。
昨夜、テレビ東京の、「日本総本家」、日本の職人という、番組を少し見た。そのなかで、奈良の呉竹という墨メーカーの依頼で、墨の型枠彫刻をつくっている奈良の職人を紹介していた。この人は、たしか、85歳で、ものすごい、神業としか思えない繊細な彫り仕事をしている。この分野では、日本に、この人しかいないという職人である。
それでも、「まだ、先代の技術には、追いつかない」として、先代の名跡を継ぐことなく、修業していると、語っていた。職人の技への敬虔さを、思い知らされる姿だった。
あの、「お宝鑑定団」で、お馴染みの陶芸評論家の、名セリフは、「いい、仕事をしてますねえ」だ。まさに、これこそ、作った職人の名は伝わっていなくても、その名は、作品そのものに秘められている。
「誰が」、という主語ではなく、「何を」、という「述語文化」こそ、日本文化の特質のように、思う。
Posted at 2015/01/06 12:15:46 | |
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