2015年01月16日
覚せい剤など、薬物の使用が、禁止されているにもかかわらず、跡を絶たない。
昨日も、有名芸能人の薬物使用裁判のニュースをやっていた。
私は、これまで、覚せい剤を使ったことはない。ひところ、シンナーが流行ったが、吸ってみようという、誘惑に駆られたこともない。別に、それが、偉いというわけでも、ダメだというわけでもない。薬物と無縁の生活を送ってきただけのことである。
薬物について、学校で、「こういうものを使ったらだめだ」と教わった記憶はない。
小学校でも、中学校でも、覚せい剤について、その効果や危険性について、学んだことはない。いまも、そうなんだろうか?昔はともかく、いま、これだけ、薬物に手を染める若者が多いのだから、小学校、中学校で、そうしたことについて、教えたほうがいいのではないだろうか。
学校教育は、国民として必要な知識を教える場なのだが、それだけではない。
現実に、人生を生きて行く上で、必要となる知識、直面するさまざまなリスクについて、必要な知識を教えるのも、非常に重要なことだと、思う。
たとえば、タバコや飲酒、薬物、などについては、きちんと、有害性を教えておく必要がある。酒が、有害か、どうかは、酒好きの私にとっては、次元の違う問題なのだが、子供にも、酒で人生失敗することもあるんだ、ということくらいは、教えておいてもいいのではないか。
また、お金や経済の知識についても、今の時代、小学校から教えておく必要がある。
預貯金の知識だけでなく、株式など、資産運用についても、基礎的なことは教えておけば、将来、必ず、役にたつだろう。
また、よく社会科見学などがある。消防署、工場見学などが、主な行き先かもしれない。
それもいいが、ここは、ひとつ、犯罪予防という面からも、少年院とか、警察、刑務所とか、犯罪を犯したら、監獄へぶち込まれるぞ、ということを、教えておいたほうがいい。
最近は、犯罪の低年齢化が、大きな社会問題化している。
若者が、安易に犯罪に手を染めることを、防止するためにも、小学校、中学校で、犯罪と刑罰について、課外授業が必須と、思われる。
いきなりで、なんですが、ヒロポンって、知ってますか?
私が、まだ、子供だったころ、子供といっても、まだ、小学校に上がる前の子供だったころ、夏に、町内の公園といふか、広場のやうなところで、映画上映があった。
夜、細長い広場に、あれは、だいたいが、横幅十メートルほど、縦幅五メートルほどの、白い布をスクリーン代わりに張った。
布の両端は、太い竹に、縛り付けられていたように、思う。
そこに、映写機で、映画を映したのだった。電源は、そこらの、電線から、住宅への電気の引込み線の一部に、工作し、勝手に電気を拝借していた。
夏の夜風が、かなり、強く、白い布のスクリーンは、大きく風で波打った。
それでも、かまうことなく、そこに、白黒の映画が、映された。
観客は、もちろん、周りの町内の老若男女であり、広場は、大盛況の観客で、埋め尽くされた。
ここで、上映された短い映画が、子供だった私に、強烈なインパクトを与えた。
ここで、上映されたのが、「ヒロポンは、止めましょう」という内容の映画だったのである。
なんでも、ヒロポンを打つと、幻覚が見えたり、廃人になったりと、ろくなことにはならないので、絶対に打つな、といふ内容の映画であった。いまにして思えば、戦後間もないころは、ヒロポンが、広く使われていたのだろう。そこでおそらくは、市役所あるいは保健所が、ヒロポン撲滅のキャンペーンの一環として、夏場に映画上映の巡業を展開していたものと思われる。
ヒロポンを打って、幻覚を見る男の脳内イメージが、次々に、スクリーンに、映し出されていった。
その、虚ろな目をした恐ろしい顔、顔、顔・・・・・・。白黒映画であり、スクリーンが、夏の夜風に揺れ動いており、けっこう、迫力満点だった。
ヒロポンを打つと、こんな、中毒症状になり、廃人になるぞ。そうした、怖い実例が、次々に映し出されていった。これには、正直、ビビった。
その後、ヒロポンと、出会うことは、なかった。もし、仮に、薬物と出会い、吸引の誘惑にかられたとしても、あの、ヒロポン映画を、思い出し、きっと、強い歯止めになったであろう。
保健所か、どこかが、たまたま、上映した夏の映画が、自分にとっては、薬物と無縁の一生を送る、ひとつのきかっけと、なったことは、事実だ。
大げさに言えば、映画一本が、人の生き方を左右することにもなる。
映画といふものの、影響力の強さは、あなどってはいけない。
いまは、映画といえば、娯楽映画だが、映画の種類は、それだけではない。教育映画とか、教養映画、実用映画、というものもある。
映画と限定しないで、動画と言い換えれば、ネット環境も含め、もっと、広い分野での活用が可能になる。いまどき、教育動画?、教養動画?、実用動画?と、馬鹿にされるかもしれない。
だが、そういう、古典的なアナログツールも、けっこう、役立つのではないだろうか。
いま、ふっと、思い出したが、教育的なヤクザ映画というものもあった。
これは、小学校のころに、映画館で見た白黒のヤクザ映画だった。少年とヤクザの友情物語のようなストーリーでだった。最後に、ヤクザは、逃げればいいものを、わざわざ拳銃で討たれて、苦しみつつ、無残な最後を遂げる。それは、少年に、大きくなって絶対に、俺のような馬鹿な人間になるんじゃねえ、と身をもって教えるためだった、というような結末であった。
ヤクザの鶴田浩二が、弾丸を喰らって仰け反り、吹き出す血を手で抑えつつ、苦しい息の下で、「いいか、ヤクザなんかに・・・」、再び銃弾命中、がくっと膝を折り、「なるんじゃ・・・・ねえ」、また銃弾が当たる、もんどり打って倒れるが、血だらけの顔をよろよりと、上げて「わ、わかったか・・・・」、見つめる少年の眼のアップ、といったラストシーンが、延々と続いた。
映画として面白かったか、どうかは、記憶にないが、この教育的指導、のようなラストシーンだけは、覚えている。
●音楽●
「望郷のバラード」Ballad (C.Porumbescu) 演奏 天満敦子
Posted at 2015/01/16 23:03:02 | |
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