先日、近鉄吉野線の踏切を渡った。
すると、線路の近くの歩道の上で、中年の女性が向い合って、話をしていた。
私は、通りすぎて、駅近くの郵便局へ行き、用事をすませた。で、帰りに、また同じ踏切を渡ったのだが、来る時にいた井戸端会議の女性が、まだ、喋っていた。
えらく、長いこと、立ち話しているものである。
そばを、通り過ぎた私の耳に、「せやせやねん」というような言葉が飛び込んできた。
これは、奈良弁なのか、関西弁なのか、大阪弁なのか、その区分は、よくわからないが、意味は、だいたいわかった。
「それはそうですね」
と、いう意味だろう。
仮に、これが、東京だと、
「そりゃ、そうだよね」
「それは、そうよ」
くらいの、物言いになるだろう。
二年前に、奈良に来た。一年、365日、暮らしているのだから、地元の人の会話をしょっちゅう耳にするわけだ。だが、まだ耳に馴れたという感じはしない。
「せや」
「せやで」
という言い方は、最初は、耳についたが、最近は、少しは馴染んで聞こえるようになった。
でも、自分で言うことはない。
「なおす」
ということが、洗濯物などを、片付けることだと、わかった。
だが、なんで、そんなふうに、言うのか、いまいち、理解できない。
また、奈良の人は、「おとろしい」という言葉をよく使う。
「おとろしいて、かなんな」
この、「おとろしい」というのは、怖いという意味ではなく、鬱陶しい、嫌だ、疲れる、というような意味なのだろうと、想像している。奈良でも、吉野地方の人だけが、使う言葉なのか、どうなのか?まだ、よくわからないが、私には、耳新しい言葉である。
関西弁と、一口に言っても、地元関西の人は、たいがい納得しない。
大阪、神戸、京都では、それぞれが、プライドをもって、「一緒にせんといてほしい」と思っているようなのである。この微妙な感情の違いは、関西圏以外の人間には、わかりづらい。そもそも、こう書けば、「なんで、大阪が先なん?」「やっぱり、京都が先です」「なに言うてんの、東京の次は大阪やで。関西代表は大阪以外に、どこがあるん?」と、まず、京都と大阪が、火花を散らし、そこに、神戸も負けじと、割って入る。そこから、際限のない、意地の張り合いが続く。実は、このテーマは、昔から延々と続く、伝統の「三都物語」なのであるが・・・・。
先日、テレビで、やはり、この古典的伝統鉄板ネタをやっていた。この趣向の一番のネタは、三都住民を自認する町の人々の地元自慢と、意地の張り合い、その反応である。大阪のおばちゃんが、「大阪が一番やで」と堂々の論陣を張れば、神戸マダムが「あんな豹柄を・よく着られますねえ・・・・」と、チクリ。暗に、神戸のファッションセンスの良さを、アピールする。
大阪の若い女性三人組は、「大阪には、USJがあるけど、神戸って、何があるの?」と、鼻先でせせら笑うって、自分たちで大受けしている。
そんな、大阪礼賛ギャルも、TV局の人間に、
「人口は、東京の次は、どこと思います?」
と聞かれて、
「もちろん、大阪や」
と、自信満々だが、
「二番目は、神奈川。大阪は、三番目ですね」
と、大阪のナンデモ関西本丸説を覆されて、
「ホンマ?・・・」と言ったきり、言葉を失う。
そのがっかり感、をテレビカメラが、ドアップで映し出す。
背景の、道頓堀のネオンサインも、涙でゆらゆらと滲んで揺れていた。うーん、残念!
最近は、ネオン管ではなく、赤青黄の発光ダイオードを使ったLED管に変わりつつある。この先、カラオケで大阪の唄を歌う若者が、「この、ネオン、って何なん?」と、年配者に、聞くシーンも、見られるかもしれない。
「三都言葉バトル」のお国自慢の次は、ケナシである。
お互いをケナス舌鋒は鋭く、ここが、番組の肝、見せ所だ。残念ながら、その番組の詳細は覚えていない。なにかにつけて、お高く止まっているのは、やはり、京都だったが、京都の自慢する古都のイメージが、覆されるデータが、登場した。それは、全国寺院数ランキングというもので、後に、載せている関連URLで見ていただきたい。
「お寺の数?それは、京都が一番ですわ」
と、京都人は言うのだが、実は、人口10万人あたりの件数で、堂々の第一位は、「滋賀県」なのである。京都は、なんと、13位と没落。寺院総数の比較でも、第一位は、愛知県で、4649寺、2位は大阪府で3,392寺、3位は、兵庫県で3,280寺、4位は、僅差の滋賀県で3,217寺。京都府は、3,074寺で第5位、である。
そこで、なぜか、テレビに突如、登場した滋賀県民が、
「だいたいな、琵琶湖の水を飲んでいて、京都が偉そうに言うな」
と、滋賀県民の唯一の心の拠り所である琵琶湖にかこつけて、京都をこき下ろし、溜飲を下げてみせた。
ただ、最後に、さすがの京都である。京女の奥様風の彼女が、横断歩道を渡るタイミングを遅らせてでも、ゆるりと見返った後で、はんなりとした蜂の一刺しをみせてくれた。
「何と言っても、京都は、千年の古都・・・・・」
関西と言えば、誰しも、京都、奈良、大阪と言うだろうが、なぜ、「関西弁本家争い」となると、奈良が抜けて、京都、大阪、神戸になるのか?そこのところが、なんでだろと、いつも、思う。この番組では、珍しく奈良が登場していた。奈良の受験生の女子高生が、大阪へ遊びに来ており、奈良の魅力をアピールしてほしいと、言われていた。覚えてないところをみれば、とくに、何もなかったのだろう、か?
ちなみに、「ある旅人が記した国内旅行記・海外旅行記」というサイトの、「全国都道府県データ」という箇所に、「奈良県の特筆すべきデータ」として、次のような項目があげらていた。
・奈良市は補助教育にかける金額、全国1位。
・教科書、学習参考教材にかける金額、全国3位。
・東大、京大現役合格率日本一。
・奈良市はパンの支出金額が全国1位。
・奈良県はバター支出金額、ジャム支出金額、コーヒー支出金額、全国1位。
・奈良県はソーセージ支出金額全国2位、ハム支出金額全国4位。
・奈良市は胃腸薬支出金額全国1位。
・人口当たりの飲食店の数、全国最下位。
・お酒の消費量、全国最下位。
このなかで、「胃腸薬」というのは、眼を引く。奈良県には、高取町など製薬業界で有名な企業の集まる地域もある。ほかには、地域特産薬品ともいうべき、「陀羅尼助」という胃腸薬があって、県民には、人気がある。「陀羅尼助」は約1300年前より吉野の修験者が製造していたといわれる和漢胃腸薬で、主成分は乾燥させたキハダの樹皮である。小さい粒で、一回に20粒ほど、服用する。
飲食店も少ない、酒も飲まない。そのくせ、胃腸薬を飲みまくる。
うーん、奈良県民、どういう県民性なのか、よくわからなくなってくる。
奈良県の県民性については、次のようなことが、書かれている。
●一言県民性:「奈良の寝倒れ」
●地域全般ざっくり
・自立心が旺盛で穏和だが、消極的傾向もある。
・他人を押しのけてということなく、比較的のんびりしていて受身である。
・成功すると住居にはお金をかけるため「奈良の建て倒れ」という言葉もある。
・仕事に対する姿勢:おおらかな気質があり、それがまわりの人間の長所を生かす場合もあるが、万事が自己流になりすぎる。
「その他、観光情報」という項目には、
「奈良は日本には珍しく、これといった名産品が特にない。」
とあり、ふんだり蹴ったりである。
「柿の葉寿司」は、名産品には、入らないのだろうか。
なんの根拠もないが、奈良県は、国宝の数では、日本随一ではないかと、思うがどうだろうか?奈良県庁の職員は、「せんとくん」だけでなく、奈良県アピール材料を、真剣に発掘、アピールしてもらいたいものだ。だが、こう言っても、ここに書かれている、「他人を押しのけてということなく、比較的のんびりしていて受身である。」という県民性なので、宝の持ち腐れ、なのかもしれない。
テレビで、吉本芸人の喋っているのが大阪弁だと思う人が多い。
だが、あれは、違う、という人が、かなりいる。
ほんとうの、大阪弁は、「もっと上品で優しい響きがあります。誰も傷つけない物言いで、人の心にやんわりと入ってくる。それが、本来の本物の大阪弁ですな」
と、言うのであるが、では、その本物の大阪弁をどこで、聞けるのか?と言えば、さっぱりわからない。本物の大阪弁は、どこかにひっそりと身を沈め、華やかに、面白おかしく誇張された、ナンチャッテ大阪弁が、流布しているのが、実際だと、言えるのだろう。
関西の言葉では、やはり、「京ことば」が、いいなと、思う。
とくに、関東では、京女の京ことばは最高、という迷信に近いものがある。
京ことばといえば、安田美沙子の、CMなんかが、思い浮かぶ。安田美沙子は、生まれは札幌だが、育ちは、京丹後市、宇治市。京都育ちには、間違いない。
聞いていて、いい感じだな、と思うのだが、関西人には、「京都の人はあんな、言い方はしない」という意見が多い。京女のしゃべり方は、こうだろうな、というイメージ通りに作られた京ことば、で不自然だ、ということだろう。
さらに、女性からは、「明らかに関東の男子の受け狙いで、キモい」、と一刀両断でバッサリだ。
女の敵は、女、とは、よく言ったものだ。手厳しいものである。
昔のことだが、いちど、京都の女性と出会った。その後、なん度か会ったことがある。
そのとき、何かの用事があって、一緒に、その女性の京都の友人の家を訪ねた。
友人の家を訪ねる時、彼女は、正面の玄関ではなく、台所の勝手口に回りこんで、中へ声をかけた。そして、友人の女性が、家の奥から勝手口に近づいてきたとき、
「かんにんえ」
と、言った言葉の響きを、いまも、鮮明に覚えている。
それを、聞いて、京女は、はんなりとした、実に奥ゆかしい言葉を使うものだな、と、思った。
忙しい中を、野暮用で家まで訪ねて、悪いですねえ・・・・、という意味が、その一言に、凝縮されていた。そう、感じたのである。わざわざ、そんなことを、説明するまでもないだろうけども。
その京都住まいの女性は、花柳界の人でもない、出版社の編集者か、その手伝いをしているような人であった。ただ、代々、長く京都に住まっている家の娘さんであった。歳の離れた、女三姉妹の末っ子で、京都の町中に、住まっていた。
そのとき訪問した、家は、どこにあり、どのように行ったのか、まったく覚えていない。京都市内から、バスで行ったような気がするから、少し郊外だったと思う。
また、訪ねた友人の顔も、また、肝心の彼女の顔さえも、忘れてしまった。
いまにして思えば、その女性に、別の意味で、「かんにんえ」と言われるような、そんな、関係になることも、ありえたのではなかっただろうか。そう、未練がましく思い返すこともある。
もちろん、それが妄想というものであることは、自分が一番よく知ってはいる、のではあるが。
安田美沙子が、「かんにんえ」と言うのは、聞いたことがない。
しかし、せめて、その言葉を彼女から聞いてみたい、気もする。
もし、そんな、CMが、流れたとき、関西人が、とくに女性がどういう反応をするのだろうか?
できるものなら、確かめてみたいものである。
京ことばで、売り出しているのは、AKB48の横山由依も、そうだ。
木津川市出身で、奈良市のほうが近いと言われているが、木津川市も、れっきとした京都府であることには間違いない。
京育ちというのと、京都府出身というのとは、地元の感覚では、まるっきり別人である。
横山由依は、関西テレビで、「はんなり巡る京都いろどり日記」とか、「京都 美の音色」とか、京都売りの番組を持っている。しかし、生粋の京生まれの人から見れば、木津川市出身者に、京女だとか、はんなりだとか、言うてほしくない・・・・、という気持ちも、わからないでもない。
単純に、「京都出身」といっても、その意味するところの「京都」は、よそ者には、なかなか理解し難いものがある。
さて、横山由依のウリには、「京ことば」、のほかに、AKB総選挙での、あの、超絶「ふるえ芸」がある。
この横山由依の「持ち芸」には、AKBメンバーでさえもひな壇で笑いを噛み殺すのに苦しむほどだ。彼女独特の名人芸には、毎年、磨きがかかり、総選挙には、欠かせない見せ場のひとつだ。
昨年、彼女は、総選挙13位。だが、名前を呼ばれてからの横山由依劇場は、まちがいなく、第一位、ダントツのセンターだった。
徳光を巻き込んでの、息絶え絶えの、歩きっぷりの真拍芸に、会場からは大声援、大拍手。マイクを前に、またまた、声にならない込み上げる感激と涙で、声にならず。
やがて、「ちょっと落ち着いてきました、徳光さん!」とやって、会場が、大爆笑。大島優子は、大喜びで、ガハッハハ、とオヤジなみの大笑いだった。
高橋みなみの卒業で、総監督に指名されたのが、横山由依だ。
今年は、AKBのリーダーとしての、彼女の存在感は、大きくなると言われている。彼女を、「ゆいはん」と呼んで応援している熱烈な由依ファンも、今年こそ、せめて神セブンに入り、できることなら総選挙1位をゲットしたいところだろう。それは、それとして、門外漢としては、あの、伝統的な「ふるえ芸」のさらなるバージョンアップを、ひそかに、待ち望んでいる。
なんでもない、得票と順位を読み上げられてから、中央マイクへ歩くという、たったそれだけの時間を、自分だけの花道に変え、あれだけの人気芸に仕上げたのは、AKB多しといえども、横山由依、ただ一人である。京都出身とは言っても、いわば奈良県境の木津川市出身と揶揄されてきた。それを、跳ね返すだけの不撓不屈のど根性が、横山由依の芸人魂には、滲み出ている。
それが、総監督だった高橋みなみが、次期リーダーとして、横山由依を指名した所以でもあるだろう。
横山由依の、声質の高い京ことばも、また、安田美沙子にはない、可愛らしさがある。
misonoも、伏見区育ちであり、一定の人気を保ち続ける坂下千里子もときどき気を吐いている。
京ことばをウリにするタレント市場も、けっこう激戦区で、生き残りに必死である。
関西と、関東の、気質の違いについては、よく、言われる。
かりに、東京と京都の違いで言えば、こういう、話を実際に聞いたことがある。金融関係の人の実際の体験談だった。
その人は、東京から京都の支店へ転勤になった。
そこで、営業のために、京都の会社を訪問した。すると、こっぴどく会社の人に、怒られたという。
「私は、ふつうに、正面玄関から入って行ったんです。すると、横の勝手口から入って来い。玄関は、お客さんが、入ってくるところだ、と怒られました」
また、同じ金融関係の若手で、大阪営業から、東京支店に転勤になった人がいた。
その人は、こんなことを、言った。
「東京のほうが、営業をしやすいですね。東京の人は、考えておきます、と、言えば、ほんとに、考えてくれて、後で、断るにしろ、OKするにしろ、本当に検討して返事をしてくれますからね。東京は、正直で、まじめな人が多いです」
関西で、「考えときますわ」、と、言うのは、断りの言葉、である。
そういう常識を知らない東京の営業マンが関西に転勤すると、「考えていただけましたか?」と、再訪問して、失敗したという話は、よく聞く話だ。
関西の船場で、得意先の会社を訪問したところ、応接間に、来客があった。
営業マンは、そういう状況の中で、社長に商売の話をしようとした。
あとで、その社長から、「お客さんがいる前で銭金の話をするバカがいるか」と、怒られた。
そんな、話も聞いた。
ここに、いろいろ書いた体験を聞いた話は、みな金融関係の人に、伺った話だ。
だが、どの業界であっても、同様のことだろうと、思う。
関西の人のほうが、商人の町だけに、なにかに付けて、気配りが繊細なようである。
京ことばは、別として、京都の人間は、よそ者に冷たいと、よく言われる。
京都で、モテるのは、坊主と学者だけだ、と聞いたことがある。真偽の程はわからないが、経験的にそんな、気がしないでもない。
京都人との、話では、「先々代の誰それが、いついつ暖簾を分けて・・・」だの、という話が、江戸初期だったり、「先の戦争で・・・」というのが、明治維新の戊辰戦争だったりすることは、珍しいことではない。100年、200年前の出来事が、いまの商売と関連して、ついこないだの出来事のように、語られるのが、京都という、一見さんお断りの、どこまでも奥深い世界なのである。
あまり、生半可なことを言うと、ヤケドする。
まだ、関西の新参者である。
だが、もう、半分くらいヤケドしている感じがしないでもない。
小学校の修学旅行で、京都、奈良、大阪と、修学旅行に来た。
いまは、奈良住まいで、二度目の修学旅行みたいな、気分だ。
昨年、修学旅行で宿泊した、奈良の猿沢の池の畔にあった、「魚佐旅館別館」を探してみた。
たしかに、ここらに、あったはずだと、思ったが、旅館の看板を見つけることは、できなかった。たしかに、大きく屋根の上に旅館名が、書いてあったはずだと、記憶していた。
そんなに、広い場所でもないので、二度ほど、猿沢の池を周回して、みたが、結局見つけることが、できなかった。
後日、私が訪ねた数ヶ月前に、魚佐旅館は閉館したと、ネットのホームページに、経営者の言葉が掲載されていた。経営不振が原因だったようだ。昔のように、修学旅行で、ひっきりなしに客が殺到する時代は、過去のものとなっていたのだ。
森繁久彌主演の、映画「駅前旅館」シリーズのような、旅館全盛期は、もう、過去の幻となったようだ。
修学旅行で、魚佐旅館に泊まった、翌朝の朝食。
椀物があった。冷めた、澄し汁の中に、素麺が、何本かゆらいでいた。それだけだった。
そんな、汁を初めて見て、唖然としたことを、覚えている。
しかし、修学旅行の聖地だった奈良の名旅館も、幕を閉じつつある。
どんな思い出の欠片であっても、懐かしく貴重なもののように、思われてならない。
一つの時代が去り、ひとつの時代の幕が開く。
あの「雪の降る町を・・・・」という、歌のしみじみとした歌詞のように、繰り返していく時の流の中で、通り過ぎて行くのは、思い出だけなのかもしれない。
●参考情報●
http://www.suginami-s.net/travelrep/world_japan/nara.html
「ある旅人が記した国内旅行記・海外旅行記」
関連情報リンクとして、次のサイトをリンクしました。
http://todo-ran.com
「なんでも、全国ランキング」
新・都道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン]
★音楽★
「鶴之巣籠」 演奏 三橋貴風 Tsuru no Sugomori / Kifu MITSUHASHI