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角鹿のブログ一覧

2015年01月20日 イイね!

東大寺大仏。









★奈良公園の鹿。誰か、餌をくれないかなあ、って顔。一度、修学旅行で来た生徒が持っていたノートを齧っている鹿を見たことがある。よほど、空腹だったんだろうね。


★東大寺の威容。たぶん、仏をつくって安置してから、後で外側に大仏殿を作ったんだろうと思っていた。でないと、後で大仏を入れるのはどうみても無理ではないか。しかし、東大寺の公式ホームページを見ると、大仏製作と大仏殿建築は、ほぼ同時進行のようだ。現在地に同時進行でつくったのか?大仏は別の場所でつくり、パーツごとに後から入れて溶接したのだろうか?いずれにしても、高度な鋳造技術や溶接技術が使われていることには間違いない。
 平生24年に内部の照明をすべて、LED化した。
 それにより電力消費量は、それまでの8分の1になったという。



★東大寺の本尊の、大仏すなわち盧遮那仏(国宝)。盧舎那仏は「蓮華蔵世界」(『華厳経』の説く世界観)の中心に位置し、大宇宙の存在そのものを象徴する仏とされている。東大寺は、8世紀の奈良時代に聖武天皇が建立された。建屋の金堂は何度か火災にあって焼失したが、その都度再建されて現在は国宝に指定されている。建物の寸法も、最初のものにくらべて相当小さくなった。大仏も大火に焼けたため、高さが一メートルほど低くなったという。ちなみに、大仏建造にはいまの金額に換算して4500億円ほどもかかったという。




●2010年8月5日 奈良新聞

 建立以来の歴史の中で経済効果は計り知れない大仏
 752年に開眼供養が行われた東大寺の大仏と大仏殿の創建時の建造費が、現在の価格で約4657億円に上るとみられることが4日分かった。関西大(大阪府吹田市)の宮本勝浩教授(理論経済学)らが試算した。
 建造にかかわった人の消費などによる経済波及効果は約1兆246億円に上るという。
 宮本教授らによると、建造当時や再建時の資料などをもとに原材料費、人件費、労働者の住居費の三つに分けて費用を推定した。
 原材料費については、大仏に使った精錬銅約500トンや大仏殿の柱材用の丸太84本などを中心に約3363億5000万円。建造に携わった人だけで延べ260万人以上とされる人件費を約1292億円、住居費を約1億7000万円と積算した。
 石材や内部装飾、東大寺の他の建築物にかかった費用は含んでおらず、実際にはさらに多額の費用が必要だったとしている。





★南大門(国宝)の偉容。、門の高さは基壇上25.46m。門の内側、左右に有名な雲慶、快慶の金剛力士像(仁王像)(国宝)がある。昔は、西大門、中御門、北大門があったが、いまは南大門しか残っていない。




★境内参道の様子。正面は南大門。随所で鹿が出迎えてくれる。境内には、昔は東と西に「七重の塔」があったと言われているが焼失していまはない。七堂伽藍に必要な塔の再建はしないのだろうか。デフレ脱却のシンボルとして政府が気前よく予算を出してくれないかなと、大仏様も思っているんじゃないだろうか。世界的な話題になると思うよ。






★大仏殿の前にある金銅八角燈籠(国宝)。各面に、音楽を演奏するれリーフが彫られている。そのなかに、尺八を演奏する仏の図がある。この図が、1300年前に尺八があった一つの証左ともなっている。このレリーフは、盗まれたことがあるという。国宝を盗むとは、ほんとに罰当たりなことをする奴がいるものだ。また東大寺正倉院の御物には、尺八が何本も収蔵されている。平成25年の正倉院展覧会には、御物の尺八一管が展示されていた。




★柱くぐり。いつころから、こういう穴が柱に開けられていたのだろうか。この日は、外国人の観光客も順番待ちして穴をくぐっていた。いまくぐっている人と、穴の前で撮影しながら見守っているのは東南アジアからの観光客だ。




★大仏の向かって右側後ろから撮影した大仏の横顔。なぜか寂寥感が感じられたので、思いつきで詩らしきものを一遍つくってみた。東大寺を訪問したのは、平生25年11月3日。奈良国立博物館で、「正倉院展」を見学したあとに、東大寺に行った。写真撮影も、同日である。ちなみに、大仏と再会したのは小学校の修学旅行以来だった。





 「大仏の寂寥」



 座ってばかりじゃなあ・・・。

 たまにゃあ、奈良の町を歩いてみたいよ。

 座り過ぎて、足が痛い。
 
 最近じゃあ、腰も痛くなってきた。

 なにしろ、1300年ほどずっと座っているんだ。

 
動こうと思えば動けるんだよ。

 なにしろ、宇宙の仏様なんだからできないことはない。

 でも、もし立ち上がったら、

 この大仏殿が壊れてしまうじゃないか。

 扉から出られないかって?

 それも無理だよ。

 どんなに、身体を細くしても扉から外へはでられない。

 まっさきに、頭がつっかえてしまうさ。

 まして俺が奈良の町を歩いていけば、

 家は潰れ、車は壊れ、人は下敷きになる。
 
 人様の大迷惑だろうよ。

 大仏としてそんな非常識なことはできないんだ。

 
でかいというのも、考えものだなあ。

 みな俺を見上げてくれるが、
 
 見下ろすってのも、あまり気持ちいいもんじゃないんだ。

 俺は、たとえれば鳥かごに入れられた籠の鳥といっしょなんだ。

 ときどき泣いたりしているよ。

 大仏が涙流したら大問題になるだろうな。

 だから、心で泣いているだけなんだ。

 そんな俺の心は誰にもわかってはもらえない。

 それが大仏の宿命というものなんだ。

 歩きたいけど歩けない。

 この宿命を試練と思って、

 俺はこれからも、ここにずっと座り続ける覚悟でいる。

 
仏の境地を悟ったかって?

 そんな境地なんてあるものか。

 みんな、ああしたい、こうしたいと、

 ジタバタしている籠の鳥なんだ。

 誰も、悩んでいる。

 誰も、苦しんでいる。

 人生に答えはなく、正解もない。

 間違いが何かも定かではない。

 そんな宙ぶらりんのまま、人は生きている。

 仏像も同じことさ。

 大仏だからといって特別なことはなにもない。

 昔も今も、これからも何も変わりはしないのだ。

 願いといわれれば、

 一度だけでいいから動きたい。
 
 作られてから一度も動いてないんだよ。
 
 ああ、座りすぎて尻がいたい。




■音楽■
  尺八 「手向」
 


●関連URL●
華厳宗大本山「東大寺」
公式ホームページ
「3Dバーチャル参拝があり、臨場感を味わえます」

Posted at 2015/01/20 23:22:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年01月19日 イイね!

関西ことば。




   先日、近鉄吉野線の踏切を渡った。
   すると、線路の近くの歩道の上で、中年の女性が向い合って、話をしていた。
   私は、通りすぎて、駅近くの郵便局へ行き、用事をすませた。で、帰りに、また同じ踏切を渡ったのだが、来る時にいた井戸端会議の女性が、まだ、喋っていた。
   えらく、長いこと、立ち話しているものである。
   そばを、通り過ぎた私の耳に、「せやせやねん」というような言葉が飛び込んできた。
   これは、奈良弁なのか、関西弁なのか、大阪弁なのか、その区分は、よくわからないが、意味は、だいたいわかった。
   「それはそうですね」
   と、いう意味だろう。
   仮に、これが、東京だと、
   「そりゃ、そうだよね」
   「それは、そうよ」
   くらいの、物言いになるだろう。
   
   二年前に、奈良に来た。一年、365日、暮らしているのだから、地元の人の会話をしょっちゅう耳にするわけだ。だが、まだ耳に馴れたという感じはしない。
   「せや」
   「せやで」
   という言い方は、最初は、耳についたが、最近は、少しは馴染んで聞こえるようになった。
   でも、自分で言うことはない。
   
   「なおす」
   ということが、洗濯物などを、片付けることだと、わかった。
   だが、なんで、そんなふうに、言うのか、いまいち、理解できない。
   
   また、奈良の人は、「おとろしい」という言葉をよく使う。
   「おとろしいて、かなんな」
   この、「おとろしい」というのは、怖いという意味ではなく、鬱陶しい、嫌だ、疲れる、というような意味なのだろうと、想像している。奈良でも、吉野地方の人だけが、使う言葉なのか、どうなのか?まだ、よくわからないが、私には、耳新しい言葉である。





   
  関西弁と、一口に言っても、地元関西の人は、たいがい納得しない。
  大阪、神戸、京都では、それぞれが、プライドをもって、「一緒にせんといてほしい」と思っているようなのである。この微妙な感情の違いは、関西圏以外の人間には、わかりづらい。そもそも、こう書けば、「なんで、大阪が先なん?」「やっぱり、京都が先です」「なに言うてんの、東京の次は大阪やで。関西代表は大阪以外に、どこがあるん?」と、まず、京都と大阪が、火花を散らし、そこに、神戸も負けじと、割って入る。そこから、際限のない、意地の張り合いが続く。実は、このテーマは、昔から延々と続く、伝統の「三都物語」なのであるが・・・・。

  
先日、テレビで、やはり、この古典的伝統鉄板ネタをやっていた。この趣向の一番のネタは、三都住民を自認する町の人々の地元自慢と、意地の張り合い、その反応である。大阪のおばちゃんが、「大阪が一番やで」と堂々の論陣を張れば、神戸マダムが「あんな豹柄を・よく着られますねえ・・・・」と、チクリ。暗に、神戸のファッションセンスの良さを、アピールする。
  大阪の若い女性三人組は、「大阪には、USJがあるけど、神戸って、何があるの?」と、鼻先でせせら笑うって、自分たちで大受けしている。
 そんな、大阪礼賛ギャルも、TV局の人間に、
「人口は、東京の次は、どこと思います?」
 と聞かれて、
「もちろん、大阪や」
 と、自信満々だが、
「二番目は、神奈川。大阪は、三番目ですね」
 と、大阪のナンデモ関西本丸説を覆されて、
「ホンマ?・・・」と言ったきり、言葉を失う。
 そのがっかり感、をテレビカメラが、ドアップで映し出す。
 背景の、道頓堀のネオンサインも、涙でゆらゆらと滲んで揺れていた。うーん、残念!
 最近は、ネオン管ではなく、赤青黄の発光ダイオードを使ったLED管に変わりつつある。この先、カラオケで大阪の唄を歌う若者が、「この、ネオン、って何なん?」と、年配者に、聞くシーンも、見られるかもしれない。
  

 「三都言葉バトル」のお国自慢の次は、ケナシである。
 お互いをケナス舌鋒は鋭く、ここが、番組の肝、見せ所だ。残念ながら、その番組の詳細は覚えていない。なにかにつけて、お高く止まっているのは、やはり、京都だったが、京都の自慢する古都のイメージが、覆されるデータが、登場した。それは、全国寺院数ランキングというもので、後に、載せている関連URLで見ていただきたい。
 「お寺の数?それは、京都が一番ですわ」
  と、京都人は言うのだが、実は、人口10万人あたりの件数で、堂々の第一位は、「滋賀県」なのである。京都は、なんと、13位と没落。寺院総数の比較でも、第一位は、愛知県で、4649寺、2位は大阪府で3,392寺、3位は、兵庫県で3,280寺、4位は、僅差の滋賀県で3,217寺。京都府は、3,074寺で第5位、である。
  そこで、なぜか、テレビに突如、登場した滋賀県民が、
「だいたいな、琵琶湖の水を飲んでいて、京都が偉そうに言うな」
 と、滋賀県民の唯一の心の拠り所である琵琶湖にかこつけて、京都をこき下ろし、溜飲を下げてみせた。
  ただ、最後に、さすがの京都である。京女の奥様風の彼女が、横断歩道を渡るタイミングを遅らせてでも、ゆるりと見返った後で、はんなりとした蜂の一刺しをみせてくれた。
 「何と言っても、京都は、千年の古都・・・・・」




  
 関西と言えば、誰しも、京都、奈良、大阪と言うだろうが、なぜ、「関西弁本家争い」となると、奈良が抜けて、京都、大阪、神戸になるのか?そこのところが、なんでだろと、いつも、思う。この番組では、珍しく奈良が登場していた。奈良の受験生の女子高生が、大阪へ遊びに来ており、奈良の魅力をアピールしてほしいと、言われていた。覚えてないところをみれば、とくに、何もなかったのだろう、か?
 ちなみに、「ある旅人が記した国内旅行記・海外旅行記」というサイトの、「全国都道府県データ」という箇所に、「奈良県の特筆すべきデータ」として、次のような項目があげらていた。
 
・奈良市は補助教育にかける金額、全国1位。
・教科書、学習参考教材にかける金額、全国3位。
・東大、京大現役合格率日本一。
・奈良市はパンの支出金額が全国1位。
・奈良県はバター支出金額、ジャム支出金額、コーヒー支出金額、全国1位。
・奈良県はソーセージ支出金額全国2位、ハム支出金額全国4位。
・奈良市は胃腸薬支出金額全国1位。
・人口当たりの飲食店の数、全国最下位。
・お酒の消費量、全国最下位。


  このなかで、「胃腸薬」というのは、眼を引く。奈良県には、高取町など製薬業界で有名な企業の集まる地域もある。ほかには、地域特産薬品ともいうべき、「陀羅尼助」という胃腸薬があって、県民には、人気がある。「陀羅尼助」は約1300年前より吉野の修験者が製造していたといわれる和漢胃腸薬で、主成分は乾燥させたキハダの樹皮である。小さい粒で、一回に20粒ほど、服用する。
 飲食店も少ない、酒も飲まない。そのくせ、胃腸薬を飲みまくる。
 うーん、奈良県民、どういう県民性なのか、よくわからなくなってくる。
 

 奈良県の県民性については、次のようなことが、書かれている。
●一言県民性:「奈良の寝倒れ」
●地域全般ざっくり
・自立心が旺盛で穏和だが、消極的傾向もある。
・他人を押しのけてということなく、比較的のんびりしていて受身である。
・成功すると住居にはお金をかけるため「奈良の建て倒れ」という言葉もある。
・仕事に対する姿勢:おおらかな気質があり、それがまわりの人間の長所を生かす場合もあるが、万事が自己流になりすぎる。

 「その他、観光情報」という項目には、
「奈良は日本には珍しく、これといった名産品が特にない。」
 とあり、ふんだり蹴ったりである。
 「柿の葉寿司」は、名産品には、入らないのだろうか。
 なんの根拠もないが、奈良県は、国宝の数では、日本随一ではないかと、思うがどうだろうか?奈良県庁の職員は、「せんとくん」だけでなく、奈良県アピール材料を、真剣に発掘、アピールしてもらいたいものだ。だが、こう言っても、ここに書かれている、「他人を押しのけてということなく、比較的のんびりしていて受身である。」という県民性なので、宝の持ち腐れ、なのかもしれない。

 
  
 テレビで、吉本芸人の喋っているのが大阪弁だと思う人が多い。
 だが、あれは、違う、という人が、かなりいる。
 ほんとうの、大阪弁は、「もっと上品で優しい響きがあります。誰も傷つけない物言いで、人の心にやんわりと入ってくる。それが、本来の本物の大阪弁ですな」
 と、言うのであるが、では、その本物の大阪弁をどこで、聞けるのか?と言えば、さっぱりわからない。本物の大阪弁は、どこかにひっそりと身を沈め、華やかに、面白おかしく誇張された、ナンチャッテ大阪弁が、流布しているのが、実際だと、言えるのだろう。   
 
 
 
   関西の言葉では、やはり、「京ことば」が、いいなと、思う。
   とくに、関東では、京女の京ことばは最高、という迷信に近いものがある。
   京ことばといえば、安田美沙子の、CMなんかが、思い浮かぶ。安田美沙子は、生まれは札幌だが、育ちは、京丹後市、宇治市。京都育ちには、間違いない。
   聞いていて、いい感じだな、と思うのだが、関西人には、「京都の人はあんな、言い方はしない」という意見が多い。京女のしゃべり方は、こうだろうな、というイメージ通りに作られた京ことば、で不自然だ、ということだろう。
   さらに、女性からは、「明らかに関東の男子の受け狙いで、キモい」、と一刀両断でバッサリだ。
   女の敵は、女、とは、よく言ったものだ。手厳しいものである。


 
  
   昔のことだが、いちど、京都の女性と出会った。その後、なん度か会ったことがある。
   そのとき、何かの用事があって、一緒に、その女性の京都の友人の家を訪ねた。
   友人の家を訪ねる時、彼女は、正面の玄関ではなく、台所の勝手口に回りこんで、中へ声をかけた。そして、友人の女性が、家の奥から勝手口に近づいてきたとき、
 「かんにんえ」
  と、言った言葉の響きを、いまも、鮮明に覚えている。
  それを、聞いて、京女は、はんなりとした、実に奥ゆかしい言葉を使うものだな、と、思った。
  忙しい中を、野暮用で家まで訪ねて、悪いですねえ・・・・、という意味が、その一言に、凝縮されていた。そう、感じたのである。わざわざ、そんなことを、説明するまでもないだろうけども。
  その京都住まいの女性は、花柳界の人でもない、出版社の編集者か、その手伝いをしているような人であった。ただ、代々、長く京都に住まっている家の娘さんであった。歳の離れた、女三姉妹の末っ子で、京都の町中に、住まっていた。
   そのとき訪問した、家は、どこにあり、どのように行ったのか、まったく覚えていない。京都市内から、バスで行ったような気がするから、少し郊外だったと思う。
   また、訪ねた友人の顔も、また、肝心の彼女の顔さえも、忘れてしまった。
   いまにして思えば、その女性に、別の意味で、「かんにんえ」と言われるような、そんな、関係になることも、ありえたのではなかっただろうか。そう、未練がましく思い返すこともある。
   もちろん、それが妄想というものであることは、自分が一番よく知ってはいる、のではあるが。



   
   安田美沙子が、「かんにんえ」と言うのは、聞いたことがない。
   しかし、せめて、その言葉を彼女から聞いてみたい、気もする。
   もし、そんな、CMが、流れたとき、関西人が、とくに女性がどういう反応をするのだろうか?
   できるものなら、確かめてみたいものである。


   京ことばで、売り出しているのは、AKB48の横山由依も、そうだ。
   木津川市出身で、奈良市のほうが近いと言われているが、木津川市も、れっきとした京都府であることには間違いない。


   京育ちというのと、京都府出身というのとは、地元の感覚では、まるっきり別人である。
   横山由依は、関西テレビで、「はんなり巡る京都いろどり日記」とか、「京都 美の音色」とか、京都売りの番組を持っている。しかし、生粋の京生まれの人から見れば、木津川市出身者に、京女だとか、はんなりだとか、言うてほしくない・・・・、という気持ちも、わからないでもない。
   単純に、「京都出身」といっても、その意味するところの「京都」は、よそ者には、なかなか理解し難いものがある。
 
  
   さて、横山由依のウリには、「京ことば」、のほかに、AKB総選挙での、あの、超絶「ふるえ芸」がある。
   この横山由依の「持ち芸」には、AKBメンバーでさえもひな壇で笑いを噛み殺すのに苦しむほどだ。彼女独特の名人芸には、毎年、磨きがかかり、総選挙には、欠かせない見せ場のひとつだ。
   昨年、彼女は、総選挙13位。だが、名前を呼ばれてからの横山由依劇場は、まちがいなく、第一位、ダントツのセンターだった。
   徳光を巻き込んでの、息絶え絶えの、歩きっぷりの真拍芸に、会場からは大声援、大拍手。マイクを前に、またまた、声にならない込み上げる感激と涙で、声にならず。
   やがて、「ちょっと落ち着いてきました、徳光さん!」とやって、会場が、大爆笑。大島優子は、大喜びで、ガハッハハ、とオヤジなみの大笑いだった。
 
  高橋みなみの卒業で、総監督に指名されたのが、横山由依だ。
   今年は、AKBのリーダーとしての、彼女の存在感は、大きくなると言われている。彼女を、「ゆいはん」と呼んで応援している熱烈な由依ファンも、今年こそ、せめて神セブンに入り、できることなら総選挙1位をゲットしたいところだろう。それは、それとして、門外漢としては、あの、伝統的な「ふるえ芸」のさらなるバージョンアップを、ひそかに、待ち望んでいる。
 なんでもない、得票と順位を読み上げられてから、中央マイクへ歩くという、たったそれだけの時間を、自分だけの花道に変え、あれだけの人気芸に仕上げたのは、AKB多しといえども、横山由依、ただ一人である。京都出身とは言っても、いわば奈良県境の木津川市出身と揶揄されてきた。それを、跳ね返すだけの不撓不屈のど根性が、横山由依の芸人魂には、滲み出ている。
  それが、総監督だった高橋みなみが、次期リーダーとして、横山由依を指名した所以でもあるだろう。

  横山由依の、声質の高い京ことばも、また、安田美沙子にはない、可愛らしさがある。
  misonoも、伏見区育ちであり、一定の人気を保ち続ける坂下千里子もときどき気を吐いている。
  京ことばをウリにするタレント市場も、けっこう激戦区で、生き残りに必死である。

 
     
   関西と、関東の、気質の違いについては、よく、言われる。
   かりに、東京と京都の違いで言えば、こういう、話を実際に聞いたことがある。金融関係の人の実際の体験談だった。
   その人は、東京から京都の支店へ転勤になった。
   そこで、営業のために、京都の会社を訪問した。すると、こっぴどく会社の人に、怒られたという。
   「私は、ふつうに、正面玄関から入って行ったんです。すると、横の勝手口から入って来い。玄関は、お客さんが、入ってくるところだ、と怒られました」



   また、同じ金融関係の若手で、大阪営業から、東京支店に転勤になった人がいた。
   その人は、こんなことを、言った。
  「東京のほうが、営業をしやすいですね。東京の人は、考えておきます、と、言えば、ほんとに、考えてくれて、後で、断るにしろ、OKするにしろ、本当に検討して返事をしてくれますからね。東京は、正直で、まじめな人が多いです」
 
  
  関西で、「考えときますわ」、と、言うのは、断りの言葉、である。
  そういう常識を知らない東京の営業マンが関西に転勤すると、「考えていただけましたか?」と、再訪問して、失敗したという話は、よく聞く話だ。
  関西の船場で、得意先の会社を訪問したところ、応接間に、来客があった。
  営業マンは、そういう状況の中で、社長に商売の話をしようとした。
  あとで、その社長から、「お客さんがいる前で銭金の話をするバカがいるか」と、怒られた。
  そんな、話も聞いた。
  ここに、いろいろ書いた体験を聞いた話は、みな金融関係の人に、伺った話だ。
  だが、どの業界であっても、同様のことだろうと、思う。
  関西の人のほうが、商人の町だけに、なにかに付けて、気配りが繊細なようである。



 
  京ことばは、別として、京都の人間は、よそ者に冷たいと、よく言われる。
  京都で、モテるのは、坊主と学者だけだ、と聞いたことがある。真偽の程はわからないが、経験的にそんな、気がしないでもない。
  京都人との、話では、「先々代の誰それが、いついつ暖簾を分けて・・・」だの、という話が、江戸初期だったり、「先の戦争で・・・」というのが、明治維新の戊辰戦争だったりすることは、珍しいことではない。100年、200年前の出来事が、いまの商売と関連して、ついこないだの出来事のように、語られるのが、京都という、一見さんお断りの、どこまでも奥深い世界なのである。
  あまり、生半可なことを言うと、ヤケドする。
  まだ、関西の新参者である。
  だが、もう、半分くらいヤケドしている感じがしないでもない。
 


 
  小学校の修学旅行で、京都、奈良、大阪と、修学旅行に来た。
  いまは、奈良住まいで、二度目の修学旅行みたいな、気分だ。
  昨年、修学旅行で宿泊した、奈良の猿沢の池の畔にあった、「魚佐旅館別館」を探してみた。
  たしかに、ここらに、あったはずだと、思ったが、旅館の看板を見つけることは、できなかった。たしかに、大きく屋根の上に旅館名が、書いてあったはずだと、記憶していた。
  そんなに、広い場所でもないので、二度ほど、猿沢の池を周回して、みたが、結局見つけることが、できなかった。

  後日、私が訪ねた数ヶ月前に、魚佐旅館は閉館したと、ネットのホームページに、経営者の言葉が掲載されていた。経営不振が原因だったようだ。昔のように、修学旅行で、ひっきりなしに客が殺到する時代は、過去のものとなっていたのだ。
  森繁久彌主演の、映画「駅前旅館」シリーズのような、旅館全盛期は、もう、過去の幻となったようだ。
 

 
  修学旅行で、魚佐旅館に泊まった、翌朝の朝食。
  椀物があった。冷めた、澄し汁の中に、素麺が、何本かゆらいでいた。それだけだった。
  そんな、汁を初めて見て、唖然としたことを、覚えている。
  しかし、修学旅行の聖地だった奈良の名旅館も、幕を閉じつつある。
  どんな思い出の欠片であっても、懐かしく貴重なもののように、思われてならない。

  一つの時代が去り、ひとつの時代の幕が開く。
  あの「雪の降る町を・・・・」という、歌のしみじみとした歌詞のように、繰り返していく時の流の中で、通り過ぎて行くのは、思い出だけなのかもしれない。
 
   


   
   
   
   ●参考情報●
   
   http://www.suginami-s.net/travelrep/world_japan/nara.html
   「ある旅人が記した国内旅行記・海外旅行記」

   
  
 
   関連情報リンクとして、次のサイトをリンクしました。 
   http://todo-ran.com
   「なんでも、全国ランキング」
   新・都道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン] 



   ★音楽★
   「鶴之巣籠」 演奏  三橋貴風  Tsuru no Sugomori / Kifu MITSUHASHI
   
  
関連情報URL : http://todo-ran.com
Posted at 2015/01/19 10:53:14 | コメント(3) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年01月17日 イイね!

壊れた時計。




「アメリカでは、時計が故障したら、捨ててしまうということです」
「へーー、それは、どうしてですか?なんで、修理しないんですか?」
「それはですね、修理代のほうが、新しく時計を買うよりも、高くつくからなんです。人件費のほうが、高くて、買ったほうが安いらしんです」
「そうなんですか・・・・・」
昭和30年代の前半、ラジオを聞いていたら、こんなことを、言っていた。
テレビのない時代だったから、ラジオ放送が、大事な情報源であり、娯楽源であった。

そんなことが本当にあるんだろうか?
意味は理解できても、実感はまるでなかった。むしろ、半信半疑であった。
新品の時計のほうが、修理代金より安い?ありえないだろう。
その時分、時計は、非常に貴重品であった。
家には、ネジ式の柱時計が一個あるだけであった。父親でさえ、腕時計を持っていたか、どうか、定かではない。もし、持っていたら、相当に苦労して買ったものだったろう。
しかし、いまなら、というよりも、だいぶ前から、日本も同じようなことが、当たり前になっている。
その証拠に、以前は、町のどこにでもあった、「時計屋」という店が、消えている。実際には、皆無ということはないだろうが、激減しているのではないだろうか。電池交換などは、時計屋でやってもらうこともあるが、以前ほど、一般的な時計修理の需要はないだろう。
いいことか、どうか、わからないが、万事、「使い捨て時代」が、消費社会の主流になっている。

35年くらい前に、中央アジアの奥地、フンザに旅をしたことがあった。
二週間くらいの旅程を終えて、帰国前に、パキスタンの首都であるイスラマバードにあるイギリス系ホテル・インターコンチネンタルホテルに、宿泊した。そのとき、携帯していた小型の目醒し機能つきの、コンバクトな薄い箱型の小型時計が動かなくなった。電池切れではない。ともかく故障して使えない。もう旅は終わりに近づいていた。壊れた時計を持ち歩くのも、荷物にもなる。そこで、何気なく、その時計をホテルの部屋のゴミ箱へ捨てた。

食事から戻ると、黒いチャドリを被った掃除係の女性が、部屋の前で私を待っていた。
このホテルは、都会でもあり、女性もチャドリは被っていたが眼だけでなく、顔も出していた。
「アッサラマレイクム」
 と、その女性が言った。
 イスラム圏では、この言葉は、通常の挨拶語である。
 意味は、(アッラーの神のご加護がありますように)ということだ。旅をして、もう、耳慣れた言葉である。この言葉を発音するときは、もちろん、「アッサラマレイクム」と、発音しても、通じるが、私は、現地風な発音を聞いて、日本語で「さらまり君」と、発音していた。そのほうが、現地風に聞こえる。
 ときどき、現地人と話をするとき、挨拶のつもりで、「さらまり君」と言うと、「あなたは、イスラム教徒なのか?」と、冗談交じりに聞き返されたりしたこともあった。
 それは、余談だ。
 
 その、女性は、手に時計を持っていた。朝、私が、ゴミ箱に捨てた小型の四角い時計である。
 この時計をくれないか、というのだ。
 もちろん、あげるよ、と言った。
 すると、チャドリのどこかに隠し持っていた紙切れを取り出した。
 見ると、英語で、この品物をプレゼントする、云々と、書いてあった。つまり、そのルーム係の女性は、
この時計を盗んだのではなく、客からプレゼントされたのだという、証明書を書いてくれというのである。紙には、ちゃんと、サインする欄もあった。
 私は、「この時計は、壊れているよ」と、言った。
 でも、それでも、構わないと、女性は言った。
 「壊れているんだけど、ほんとに、いいの?」と、念を押した。
 「それでも、いい」と言う。
  そこで、差し出された紙に、サインを書いてあげた。
  女性は、そのとき、ほんとうに、物凄く嬉しそうな顔をした。廊下を歩いて行く後ろ姿に、何か、素晴らしい物をゲットして、小躍りするような雰囲気があった。
  その後、荷物を少しでも少なくしたい気持ちもあり、何だったのかは忘れたが、非常食用のお菓子とか不要品だったと思うが、その女性に差しあげた。
  その都度、女性は例の紙を出し、そこに、私は何回もサインをしたのであった。
  私も助かる、女性も助かる?
  かもしない、この「プレゼント紙」システムは、よかったなと、今でも思う。
  
  あとで、思ったことは、まだ、この国には、修理の文化が生きているんだなということであった。
  かつての、日本がそうであったように。いまでも、パキスタンはじめ中央アジア各国には、日本から、大量の中古自動車やバイク、家電製品が運ばれ、再生して、販売され、稼働している。そこには、多種多様の修理技術が、活躍しているはずだ。かつての、日本がそうであったように。
  いま、日本では、修理の文化が衰退して久しいが、もともとこの分野は日本人の得手としてきたものではないだろうか?古い骨董の割れた茶碗など、漆と金泥で、みごとな補修がほどこされており、その品物の価値は、少しも損なわれていはいない。
  昔は、衣類のほころびを修復する「かけはぎ」というテクニックがあり、普通の主婦でも器用な人はこなせる人がけっこういた。いまは、この、「かけはぎ」という言葉自体が、死語同然である。それどころか、服を買っても、一度も着ないまま、時間が経つと、もう着られないから、と、捨ててしまうという、有り様である。修理文化どころか、使い捨て文化も通り越して、いまの日本の最先端では、使わず捨てという状況だ。ほんとに、関西弁で、言いたい。
  どないなってんねや!!(こんな、けったいな関西弁、ありまっか?)
  
  もしかして、もしかして、という歌がある。
  もしかして、あのとき、ルーム係の女性が持っていった故障した時計が、修理され、いまも、どこかで使われているかもしれない。メーカーは、日本のトップメーカーであり、機械式時計であったので、修理さえすれば、いまでも十分に、動いていてもおかしくはない。
  そう思うと、なぜか、少し楽しくなった。
  どこかで、動いて時を刻んでいてほしい、と願う気持ちにもなった。
  あの国に、もう一度、行きたいと思いながら、果たせないでいる。 

●音楽●
A. R. Rahman & The Pussycat Dolls
「Jai Ho! (You Are My Destiny) [feat. Nicole Scherzinger]」 (iTunes)
Posted at 2015/01/17 10:40:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年01月16日 イイね!

ヒロポン。



覚せい剤など、薬物の使用が、禁止されているにもかかわらず、跡を絶たない。
 昨日も、有名芸能人の薬物使用裁判のニュースをやっていた。
 私は、これまで、覚せい剤を使ったことはない。ひところ、シンナーが流行ったが、吸ってみようという、誘惑に駆られたこともない。別に、それが、偉いというわけでも、ダメだというわけでもない。薬物と無縁の生活を送ってきただけのことである。
 薬物について、学校で、「こういうものを使ったらだめだ」と教わった記憶はない。
 小学校でも、中学校でも、覚せい剤について、その効果や危険性について、学んだことはない。いまも、そうなんだろうか?昔はともかく、いま、これだけ、薬物に手を染める若者が多いのだから、小学校、中学校で、そうしたことについて、教えたほうがいいのではないだろうか。
 学校教育は、国民として必要な知識を教える場なのだが、それだけではない。
 現実に、人生を生きて行く上で、必要となる知識、直面するさまざまなリスクについて、必要な知識を教えるのも、非常に重要なことだと、思う。
 たとえば、タバコや飲酒、薬物、などについては、きちんと、有害性を教えておく必要がある。酒が、有害か、どうかは、酒好きの私にとっては、次元の違う問題なのだが、子供にも、酒で人生失敗することもあるんだ、ということくらいは、教えておいてもいいのではないか。
 また、お金や経済の知識についても、今の時代、小学校から教えておく必要がある。
 預貯金の知識だけでなく、株式など、資産運用についても、基礎的なことは教えておけば、将来、必ず、役にたつだろう。
 また、よく社会科見学などがある。消防署、工場見学などが、主な行き先かもしれない。
 それもいいが、ここは、ひとつ、犯罪予防という面からも、少年院とか、警察、刑務所とか、犯罪を犯したら、監獄へぶち込まれるぞ、ということを、教えておいたほうがいい。
 最近は、犯罪の低年齢化が、大きな社会問題化している。
 若者が、安易に犯罪に手を染めることを、防止するためにも、小学校、中学校で、犯罪と刑罰について、課外授業が必須と、思われる。
 いきなりで、なんですが、ヒロポンって、知ってますか?
 私が、まだ、子供だったころ、子供といっても、まだ、小学校に上がる前の子供だったころ、夏に、町内の公園といふか、広場のやうなところで、映画上映があった。
 夜、細長い広場に、あれは、だいたいが、横幅十メートルほど、縦幅五メートルほどの、白い布をスクリーン代わりに張った。
 布の両端は、太い竹に、縛り付けられていたように、思う。
 そこに、映写機で、映画を映したのだった。電源は、そこらの、電線から、住宅への電気の引込み線の一部に、工作し、勝手に電気を拝借していた。
 夏の夜風が、かなり、強く、白い布のスクリーンは、大きく風で波打った。
 それでも、かまうことなく、そこに、白黒の映画が、映された。
 観客は、もちろん、周りの町内の老若男女であり、広場は、大盛況の観客で、埋め尽くされた。
 ここで、上映された短い映画が、子供だった私に、強烈なインパクトを与えた。
 ここで、上映されたのが、「ヒロポンは、止めましょう」という内容の映画だったのである。
 なんでも、ヒロポンを打つと、幻覚が見えたり、廃人になったりと、ろくなことにはならないので、絶対に打つな、といふ内容の映画であった。いまにして思えば、戦後間もないころは、ヒロポンが、広く使われていたのだろう。そこでおそらくは、市役所あるいは保健所が、ヒロポン撲滅のキャンペーンの一環として、夏場に映画上映の巡業を展開していたものと思われる。
  ヒロポンを打って、幻覚を見る男の脳内イメージが、次々に、スクリーンに、映し出されていった。
  その、虚ろな目をした恐ろしい顔、顔、顔・・・・・・。白黒映画であり、スクリーンが、夏の夜風に揺れ動いており、けっこう、迫力満点だった。
  ヒロポンを打つと、こんな、中毒症状になり、廃人になるぞ。そうした、怖い実例が、次々に映し出されていった。これには、正直、ビビった。
 その後、ヒロポンと、出会うことは、なかった。もし、仮に、薬物と出会い、吸引の誘惑にかられたとしても、あの、ヒロポン映画を、思い出し、きっと、強い歯止めになったであろう。
  保健所か、どこかが、たまたま、上映した夏の映画が、自分にとっては、薬物と無縁の一生を送る、ひとつのきかっけと、なったことは、事実だ。
  大げさに言えば、映画一本が、人の生き方を左右することにもなる。
  映画といふものの、影響力の強さは、あなどってはいけない。
  いまは、映画といえば、娯楽映画だが、映画の種類は、それだけではない。教育映画とか、教養映画、実用映画、というものもある。
  映画と限定しないで、動画と言い換えれば、ネット環境も含め、もっと、広い分野での活用が可能になる。いまどき、教育動画?、教養動画?、実用動画?と、馬鹿にされるかもしれない。
  だが、そういう、古典的なアナログツールも、けっこう、役立つのではないだろうか。
  いま、ふっと、思い出したが、教育的なヤクザ映画というものもあった。
  これは、小学校のころに、映画館で見た白黒のヤクザ映画だった。少年とヤクザの友情物語のようなストーリーでだった。最後に、ヤクザは、逃げればいいものを、わざわざ拳銃で討たれて、苦しみつつ、無残な最後を遂げる。それは、少年に、大きくなって絶対に、俺のような馬鹿な人間になるんじゃねえ、と身をもって教えるためだった、というような結末であった。
ヤクザの鶴田浩二が、弾丸を喰らって仰け反り、吹き出す血を手で抑えつつ、苦しい息の下で、「いいか、ヤクザなんかに・・・」、再び銃弾命中、がくっと膝を折り、「なるんじゃ・・・・ねえ」、また銃弾が当たる、もんどり打って倒れるが、血だらけの顔をよろよりと、上げて「わ、わかったか・・・・」、見つめる少年の眼のアップ、といったラストシーンが、延々と続いた。
  映画として面白かったか、どうかは、記憶にないが、この教育的指導、のようなラストシーンだけは、覚えている。




●音楽●
「望郷のバラード」Ballad (C.Porumbescu) 演奏 天満敦子
Posted at 2015/01/16 23:03:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年01月15日 イイね!

雨。



最近の天気予報は、ほんとに、よく当たる。
今日は、一日、雨の予報でしたが、その通りになった。
 昔話ばかり、書くつもりはないのだが、私が子供のころは、小学校へも、下駄をはいていくこともあった。だいたい、誰もが靴くらいは、履いていたが、なかには、靴も買えない子供も、いた。
 また、靴があっても、下駄をはいて学校へ行っても、とくに、怒られれることはなかったような気がしている。家に帰ったら、下駄をはくことが多かった。
  女性の方も、今と違い、着物に下駄が日常的だった。 

男の子の下駄は、とくに、高下駄と言って、歯の高い桐の下駄をよくはいた。
  下駄の底に、少し分厚く高い歯が打ち込んであった。歯がちびたら、歯だけを交換できる。
鼻緒の先のほうは、裏側に止める部分があり、紐を括った上に、金属の飾りものが、釘で止めてあり、新品の下駄は、この金属が、ピッカピカに、光っていた。新しい高下駄を買ってもらったときは、うれしくて、その鼻緒を止めた金属を、なんども、裏返して、眺めた。下駄の鼻緒に、指を噛まれないように、何度も、鼻緒をこすってみたり、引っ張ってみたりして、指のはさまり具合を調節した。

学校帰りに、悪ガキどもで、石ころのある土道を歩きながら、下駄で、石をけっとばし、明日の天気を占って遊んだ。
明日の天気占いは、足を振って、下駄を、思いっきり放り飛ばし、着地した下駄が表を向いていれば晴れ、歯の方が上になってひっくり返っていたら、雨だった。下駄が横になっていたら、曇りというたわいのないものでした。
 下駄だけでなく、靴でも、やった。ときどき、飛ばした下駄や靴が、とんでもない方向へ跳んでいき、草むらに飛び込んで見えなくなったり、道の脇にある溝のドブに落ちたりした。
  探すのに、一苦労で、帰ってもドブで汚れた靴を見せては、母親に怒られたりした。
  
舗装されていない土道、覆いがなく底にドブの溜まった悪臭を放つむき出しの溝。そういう道が、一般的だった。家の前には、この、溝に、木の蓋をつけている家が多かった。ときどき、その木の蓋を勢い良く踏んで、木が折れて、怪我をすることもあった。雨ざらしだから、少し、古い木の蓋は、案外、もろいものだった。そういう木蓋は、ほとんど、手作りだった。

 月に一回は、どこの町内も総出で、ドブ浚(さら)いと言って、溝の底の臭いドブをスコップなどで掬い出して清掃する日があったものだ。掻きだしたドブは、道端に積んでおくだけなので、溝は綺麗になるのだが、ドブは道の端に上げられ、悪臭を放っていた。いま思えば、ドブを外に出したほうが、かえって汚いような気もしますが、ドブがたまると雨が降ると溝から汚水が道路にあふれるため、あんな作業を繰り返していたのではなかろうかと、思う。ドブさらえした後の、ドブの臭いを、いまも、記憶しているが、この頃は、そんな、ドブの臭いをかぐことは、まるでない。別に、懐かしい臭いでもないが、あの臭いには、子供の頃の暮らしが、みな、含まれている。個人的な、臭いの記憶遺産である。
 初恋の人の、甘い髪の匂い・・・・・などという、記憶遺産を、探してみたが、哀れ哀れ、どこにもなかった。ドブさらえの、ドブの臭いが、せいぜいとは、情けなさが、身に染みる。

また、靴といっても、いまのような、いい靴はなく、黒いゴムを型にはめて成形した、ゴム靴がほとんどだった。何のゴムだったのか、知らないが、とにかく、黒いゴム靴だった。昭和の回顧写真などを、見ると、たいてい子供は、そんな黒いゴム靴をはいている。それしか、なかったのだろう。
底が薄く、そのころは、いたるところに釘などが落ちており、よく、ゴム靴の底を貫いて、釘が足の裏に突き刺さったものだ。足の裏におもいっきり刺さった釘を、引き抜くときの痛さは、いまでも、記憶に残っている。ともかく、一気に引き抜くのが、痛みを一瞬に終わらせるコツだった。こうしてみると、ろくな思いでがない。

りんご箱も、みかん箱も、魚箱も、当時は、みな、木板を釘で打ち付けて作ってあり、その釘や釘のついたままの板切れが、あちこちに、落ちていた。それを、運悪く踏むと薄いゴム靴の底を貫いて、足の裏に刺さるという、理屈である。
 これらの記憶は、だいたい、昭和20年代の終わりころから、30年代の前半くらいの、私の育った山陰の田舎町の光景である。

いまは、雨雲の様子さえも、掴むことが可能だ。
  ネットにアクセスすれば、6時間先までの雨雲の動き予測を見ることができる。素人でも、そうした情報を知り、自分で天気予測をすることができる。人工衛星からの、情報をもとに、より細かな単位での、地域天気予測も、できるようになっている。
  だからといって、雨を晴れに変えることはできない。
  予報はあたっても、雨だからといって、病院へ行かない、というわけにも、いかない。

今日は、月一回の通院の日だった。
昨年の十二月、一ヶ月も先の通院日を予約したのだが、よりによって、こんな土砂降りの日を予約してしまったわけである。なんで、こんな日を、予約したのかと、恨み節だが、誰も、恨むわけにはいかない。病院では、いつも、診察して、後で高血圧の薬と、痛風予防の薬を貰う。
医師の簡単な診察があって、血圧を測り、聴診器で胸と背中の音を聴かれれる。
「とくに、問題ないですね」
「じゃあ、いつもの薬を出しておきます」
「来月の予約日は・・・・・」
 という決まりきったことで、終わるのがいつものことだ。
この、何もない、ということが、大事なのである。
   月一回の、専門家である医師の診察を継続して受けられるのは、ありがたいことだ。
 昨年は、診察後、大きな話題になっていたエボラウイルス感染症について、質問してみました。
 「奈良県では、一箇所、患者を受け入れる病院があります」
 医師は、そう、答えてくれた。
 だが、もし、患者がこの病院に、突然、来たらどうするのか?
 と、さらに聞いてみたが、そんな質問に、医者も答えられるはずもなく、じゃまあ、来月、お大事に、と、最後は、ぐだぐだな会話で、退散した。
   医者も、診察と無関係な余計なことを言い出す患者がいるから、いちいち、煩わしいだろう。申し訳なかった。世間話の相手をするほど、医者も、ヒマじゃないだろうし。 
 最近は、インフルエンザの流行のことばかりだが、それよりも、怖いエボラウイルス感染症は、もう、沈静化したのだろうか?新聞、テレビのニュースで放送しないことと、事件が起きていることとは、別物である。いったい世界で、何が起きているのか?ほんとのことは、皆目、知っているようで、知らないことのほうが、ほとんどだろう。

   世界のことを心配するより、さしあたり、喫緊の問題は、今日の天気である。
 今日は、病院に、行くときも雨、帰る時も雨だった。
    しかも、冷たい雨だった。春雨じゃ、濡れていこう、といった風情のある雨ではない。ただ、ひたすら冷たく、無表情な雨だった。冬の雨は、だいたい、こんなものだ。ときに、氷雨となり、もっと気温がさがると、雪になる。奈良県でも、降るときは、雪が降る。山陰ほどではないにしても、奈良県は、けっこう、よく雨が降る。こっちに、暮らしてはじめて、実感したことだ。
  
さすがに、年寄りばかりの高齢過疎化の田舎とあって、雨が降ると、病院は空いている。
  高齢者患者が、雨だとで歩きにくいので、病院にも、来ないのだ。それも、年寄りの動くのは、午前中で、午後はほとんど、出歩かない。これは、この山里に来て、経験則で知ったことである。
  町が運営している巡回バスも、午後のバスをみると、ほとんど空で、空気だけを運んでいる。
帰り際に、病院の売店に、寄ってみた。
  いつもは売りきれている「平宗」(ひらそう)の柿の葉寿司のパックが二個、残っていた。
「平宗」は、吉野町飯貝に本店がある柿の葉寿司の老舗だ。
  桜橋という吉野川にかかる橋のたもとに、「平宗」本店の工場と売店、食事処がある。売店で、この、柿の葉寿司を一パックと、明治乳業の瓶入り、牛乳とコーヒー牛乳をそれぞれ、一瓶づつ、買った。一口サイズの外郎(ういろう)が、いつも、置いてある。これも、一つふたつ買いたかったが、小銭が少なく、諦めることにした。

この、病院売店で同年輩ほどの店番の女性と、少し、話をした。
最近は、病院にも、老老介護のように、娘が父や母の介護をして、付き添って病院へ来ることが多いと、いうような話をした。すると、同居している自分の旦那の母親も高齢だが、何事も自分でできて元気なのだと、話した。
  そして、旦那が、食事したあとで、ごろっと、横になってうたた寝していると、高齢の母親が、毛布かなにか、羽織るものをもってきて、かけてやっていると言った。
「何歳になっても、子供は子供で、可愛いんだな、と、思いますな」
「そうですな」
「私は、なんもせんと、放ったらかしてますが、母親は、毛布を持ってきて、かけてやってますわ。親にとっては、子は何歳(なんぼ)になっても、子だと、思いますわ」
「そうですな」
 老々介護で、子が親の面倒をみるとは、限らない。逆に、子供のほうが先に倒れたり、痴呆になたりしたら、元気な親が老いた子の面倒みるようなことも、ないとは、いえないわな、というような話になり、なんだかんだ、ぐだぐだな話で、売店を出た。
 けっこう強い雨のなかを、病院を後にした。
 帰り道、よく吠える犬が、犬小屋の中で、雨を眺めていた。
 今日は、なぜか、吠える気配はなかった。
 犬も、雨降りで、鬱陶しく、吠えるような気分ではなかったのかもしれない。
 

 
 ●音楽●
 「フジ子・ヘミング~雨だれのプレリュード 」  
  ショパンの名曲「雨だれ」に、ふさわしくない、ぐだぐだな日記に、なってしまったことを、お詫びします。ピアノ曲というと、やっぱり、ショパンが、いいな。誰もが、そういうけど。
Posted at 2015/01/15 21:18:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記

プロフィール

「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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