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2015年03月31日 イイね!

大根を貰った。




 大根をもらった。
 その人が自分の家の畑でで作った大根でデカくて重い。
 写真の短い方を量ってみたら2・2キログラムあった。
 長い方は料理用の測の限度を超えて測れなかった。
 
 ふつうの大根よりかなり太くて大きい。
 こういう品種なのか?ふつうではこんなに大きくはならないだろうと思うが・・・。
 どうして食べればいいのか。
 とりあえず少し輪切りに切ってさらに小さく切り塩を振ってつけてみた。
 塩だけで浅漬にしたらけっこうみずみずしくておいしかった。
 
 田舎にいると野菜を作っている人が多い。
 なんとなくそういう作物をもらうことが少なくない。
 これまでに貰ったものは米、しいたけ、白菜、たけのこ、じゃがいも、柿、 自家製の梅干、自家製たくわんなど。
 
  
 最も変わったところではなんと材木をもらった。
 吉野町は吉野杉が有名だが檜も多い。
 町のいたるところに製材所がある。
 大きな檜の丸太を製材して柱などの角材をとる。
 そのとき、売れる部分の木を取ったあとの残りは端材のようなもので使い道がない。
 その不揃いの角材や平たい木やいろいろとまとめて束ねてある。
 魚でいえば刺し身になる部分を切り取った残りの頭やアラや骨などの捨てる部分のようなものである。
 製材所はこの使い道のない部分を紙をつくるパルプの材料に売る。
 
 たまたま通りかかった製材所で檜の端材の束があった。
 製材所の人に「この中で二三本売ってくれますか?」と聞いたら
「好きなのを抜いて持って行けよ」と言ってくれた。
 端材といっても立派な檜の棒とか板である。
 形状のの歪みとか、厚さが一定でないなどの材木だが使うには問題はない。
 ホームセンターで買えばかなりのお金を払わねばならないだろう。
 
 材木を貰ったというの人生ではじめての経験だった。
 3メーターくらいはある材木を二本担いて帰りながらなんとなく嬉しかった。
 少しづつ切って使っているがまだ使いきっていない。
 
 それにしても材木を貰うという経験は都会ではなかなかできないだろうなあと思う。
 木材が地場産業の町ならではのことかもしれない。
 
 


  


Posted at 2015/03/31 23:49:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2015年03月20日 イイね!

昔のテレビはおもしろかった。



とんま天狗。姓は「オロナイン」名は「南公」なんて、もろ宣伝でしたね。当時大人気の大村崑でした。



「てなもんや三度笠」。まるで時代劇映画のセットですねえ。いまの大道具さんはこういうのを作るのは難しいのでは?も出演者も豪華。正司歌江さんの富山弁のセリフ頑張ってそれらしく聞こえますね。名古屋弁がなんともいい味出してます。二階の障子の影絵芝居など細部までこだわりがかんじられます。





「てなもんや三度笠」。藤田まこと、若かったね。いまだに生きているダジャレ「あったり前田のクラッカー」。当時は字幕でコマーシャルがでてたんですね。




●おまけに当時の映画を●
伴淳三郎と花菱アチャコの「二等兵物」です。そのころの田舎の映画館は、朝から晩まで一日10本だてなんかザラで上映してました。農家の人が農閑期に弁当持ちで見に来ていたから超満員。日本の大衆娯楽が映画だったころの話です。冷暖房もなく、夜は暑いので横のドアを開けると月が見えたりシてました。ドアを開けると蚊が入ってくるので映画館のお姉さんが虫殺しのアースなんかを上映中でもシュッシュと噴いて廻るのでした。この映画も実際に映画館でよく見たものの一つです。

Posted at 2015/03/20 20:26:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2015年03月16日 イイね!

三重県のお茶「飯南茶」。

 三重県の飯高町へ行ってきました。
 奈良県の東吉野村から見ると「高見山」という独立峰がよく見えます。
 登山する人には人気の山らしく大阪方面からもほとんどの土日祝日には登山者がやってきます。
 奈良県と三重県との県境に位置する山です。
 この高見山の山麓を通る国道166号線を抜けて道の駅「飯坂駅」へ行き、少し引き返して森のホテル「スメール」の茶色い天然温泉に入って帰りました。
 水曜日だったので混雑もなく「奈良と三重は近いんだな」と実感する一日でした。
 昼から出かけて夕方戻るという楽々半日コースでした。
 途中、高見山の麓にある飯高町「月出」という場所で「中央構造線」が露出している場所というのがありました。
 ここはいまから8000万年前に垂直と水平方向にとんでもない断層のズレが起きた場所です。
 というか正確に言えば日本列島を東西に横切る中央構造線の一部が露出している場所です。




↑。「月出の中央構造線を走る」
2012/08/24 に公開
日本列島を北と南に分断する大断層
中央構造線月出露頭(崖)をバイクで訪問・観察します
@三重県松阪市飯高町月出
バイク ツーリング セロー 断層 中央構造線 松阪市 月出 YAMAHA SEROW Japan touring motorcycle



 中央構造線を作った断層の規模は東西1000㎞です。
 この大断層を西からおよそのルートを見てみよう。
 まず九州の天草、八代あたりから断層が阿蘇山の下を通り、北東へルートをたどると大分県臼杵あたりから豊予海峡にはいります。佐賀関半島と佐田岬半島の北岸の沖合いの海底に断層があり伊予市上灘で四国へ上陸。焼き物の町・砥部町から西条市の丹原へ、さらに石鎚山地のふもとを新居浜から川之江、阿波池田へ。吉野川のにそって徳島市と鳴門の間を抜けて淡路島南部、鳴門海峡海底を走り、紀伊半島へ入ると和歌山の紀の川にそって東へ移動。吉野川の少し北側を、奈良県の五条、東吉野、三重県境の高見峠へとほぼ国道166号線に沿って続きます。
 高見峠から櫛田川の北側を、松阪市月出から粥見、勢和村、伊勢市へ続き、二見浦の北方で伊勢湾に突入します。
 伊勢湾を横断し渥美半島から豊橋、豊川さらに天竜川に沿って北上し日本列島を南北に走るフォッサマグナ、糸魚・静岡中央構造帯を横切り、長野の諏訪に到達。そこから関東平野へ下って群馬県下仁田を通り関東平野地下3000メートルを走り茨城県の鹿島、大洗あたりで地下へ沈んでいます。このように、巨大な断層崖は日本を南北に分ける日本最大の岩盤亀裂です。この地殻変動でどれほどの巨大な大地震、大津波が起きたか思えば想像に絶しますね。

 先の阪神淡路大震災は淡路島の野島断層などの断層帯が水平方向にずれて発生していますが、この中央構造線との関係を否定出来ないという意見もあります。
 中央構造線は過去の断層の跡なのでもう動かないとも言い切れません。


 
 おもしろいのは、この中央構造線の北側は大陸棚の端っこで、南側はハワイの西あたりから押し寄せてきた新しい海洋の陸地だということです。海側から来た海洋プレートが大陸棚へ新しい陸地を押し付けながら大陸棚の下へ潜り込んでいたのですが、8000年前にたまったエネルギーがもう辛抱たまらんと潜りきれないで爆発的に放出され、断層活動が起きた。大陸棚の端に押し寄せた海洋性新陸地がこの水平、垂直方向にズレで、1000㎞の中央構造線ができあがったのです。
  そのため、中央構造線の露頭の南北では岩石の成分がまったく異なっています。
  上にリンクしたバイク動画でも「月出」の中興構造線露頭の左右で岩石の色が違って見えました。
たいてい中央構造線の断層面は地面の下深く埋没しているので断層の断面が地表に出ている飯高町月出の露頭はほんとうに珍しいものです。
  荒っぽく言えば、中央構造線は日本列島の大陸側と海側の土地が押し付けあった末にズレて褶曲したり隆起したりしながら無理やりくっついた跡という感じですかね。
  日本列島というのは一億年ほどかかって大地と海と火と雨とその総合的なエネルギーが格闘しあって練り上げられた大自然の作った珠玉の立体彫刻のような気がしてまなりません。
  
  実はこの中央構造線は西の端は九州の天草あたりから海底を走って沖縄までつながっています。沖縄トラフという沖縄の海底断層はいまも拡大しており海底から温泉が噴き出しているところもあります。大陸から断層活動で分離を始めた日本列島はすでに日本海と日本列島を作って断層活動を終えているのですが、この断層活動に連なっている沖縄トラフ(海底断層)はいまだに活動を続けておりさらなる地殻変動を起こすことになります。その影響は日本列島にも及ぶとみられています。
  地球は生きており地殻変動も続いています。
  今後、何万年という時間の流れの中で日本列島もいまの姿を変えていくことになるのでしょう。
  
  

  
 「道の駅」の「飯高駅」。ここには天然温泉もあるのですが行った水曜日は休み。売店だけが営業していました。魚のヤマメとか、イノシシの肉、イノシシのハムなんかも売ってます。

  
  
  「飯南茶」を買いました。三重県は知られてませんがお茶の名産地で生産量は日本第三位。これまでは宇治茶にブレンドされるお茶として使われることが多かったのですが、最近では「松阪茶」「飯南茶」「伊勢茶」などと独自ブランドでも売上を伸ばしています。飯南町もお茶産地として有名で飯南茶を飲みましたがとてもこくと深みのあるおいしいお茶です。
  三重県のお茶、おすすめですよ。

 
  三種類買いましたが、どれも飯南町で生産された茶葉を使った「深蒸し茶」でした。


●関連情報URL●
「飯高駅」 道の駅。
  
Posted at 2015/03/16 17:33:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 温泉・グルメ・穴場。 | 日記
2015年03月13日 イイね!

三輪素麺「やまなか」の極細素麺「糸菊」。

今回の奈良県物シリーズでは天理市で「一徳らーめん」を賞味した。
 桜井市では、以前から食べたいと思っていた「温かい素麺」を食べた。
 これがほんとにおいしいものであった。桜井市は三輪素麺の本場であり、ぜひ素麺を食べたいと思っていたが念願叶った。
 私が食べたのは天理市と桜井市の境界に位置する「三輪素麺 やまなか」であった。すぐ近くにある自家工場で生産した素麺を提供する店であった。
 天理市と桜井市の三輪をつなぐ通称「素麺街道」がある。
 この素麺街道に面した車通りの多い国道169号線沿いの巻野内にある駐車場付きの店だ。駐車場が広く、駐車場の片隅にある小さい店だ。
 店内では自家製の「三輪素麺」はじめ各種麺類の販売しており、三つのテーブル席で素麺料理を味わうことができる。簡素な家庭的雰囲気のある店でゆっくりと寛げる。
 なんといっても、この店のロケーションが抜群である。
 近くには景行天皇陵、珠城山古墳群、巻野内石塚古墳、春日神社、相撲神社など古代遺跡がありこの一帯がかつての邪馬台国の中心地ではないかとみなされている。
 これら古代遺跡をめぐりあるく「山の辺の道」に位置しており、古墳見物をしながら歩いて散策する人たちが立ち寄るには絶好の場所だ。








天理市から桜井市に入ると国道沿いに「三輪素麺」の製麺所の看板が目立ち始める。通称「素麺街道」。

 
 ふつう素麺というと細いと思うが、三輪素麺の極細は細さの度合いが違う。大げさに言えば普通の素麺の細さのさらに半分くらいの細さであり、まさに極細である。
 「やまなか」の三輪素麺「糸菊」という極細の素麺を食べたのだがその食感が半端ない。
 三輪素麺の凄さはこの極細にしてしかも伸びやかな腰のあることだ。昆布出汁をしっかりと吸い込んだ絶妙の出汁と麺の調和感がすばらしい。
 三輪素麺のおいしさと伝統の生み出す麺作りの凄さを味わうことができた。
 ご当地の味もまた大事な旅の要素である。
 この三輪素麺の味もまた今回の奈良見物の忘れられない成果の一つだった。

 ちなみにこういう極細の素麺は機械では作ることができない。
 最後は人の手で伸ばしてつくるしかない。
 食べ物に限らず「手作り」を珍重する風潮がある。それはいいのだが、機械で作れるものを手でつくる必要はない。機械も優れており機械で作ることができるものは機械で作ればいいのである。
 それにもかかわらず手で作ったものは単に「手で作った」ものである。
 機械では作ることができないものがほんとうの「手作り」であろう。
 その意味で言えば三輪素麺の極細は人の手で伸ばしてつくる技がないと作ることはできない。
 まさに手作りの極地であろうと思う。
 こういう極細麺は冬場しか生産できないそうである。極寒の風を受けながらこの極細の素麺が生まれるというから仕事の厳しさが想像できる。
 
 桜井市が三輪素麺の生産地として有名なのは私でも知っていた。
 だいたい、素麺とかうどんとかが有名な場所は米があまり生産出来ないところが多い。したがって麦を栽培するので、麦を粉にひいてうどんや素麺を作るわけである。桜井市ではいまはおいしい米が採れるのだが昔は米栽培ができなかったのではないか。そのため古来、米よりも麦が栽培されてきた地域なのではないかと思う。また三輪山から吹き降ろす風や湧き出すきれいな水も素麺づくりに適しているというのでまさに三輪素麺は三輪山山麓の自然環境が生み出した食の傑作ということができる。


三輪素麺「やまなか」の店内風景。自社製品がいろいろと販売されている。手前左薄い紫色の和紙包装が「糸菊」。


同じく店内。うどんや蕎麦もあるがすべて自社工場で生産している。製品の種類も多くオリジナル麺つゆもあった。なぜか、くまモンもいる。
 
  この三輪素麺「やまなか」のある巻野内は三輪山の山麓斜面がなだらかに広がる纏向遺跡の中に位置している。纒向遺跡からは、弓や木製品とともにモモの種が二〇〇〇個あまり出土している。さらに獣骨・魚骨やドングリ類、酒づくりの材料ニワトコの実なども出土している。
  さらに近くには、箸墓(はしはか)古墳がある。
  箸墓古墳は邪馬台国の「卑弥呼の墓」ではないかと言われている古墳だ。
  だとすれば、女王卑弥呼はこの三輪素麺を食したのではなかろうか。
  「卑弥呼は何を食べていたか」(廣野卓著 新潮新書)という本がある。私はまだ読んでいないが、その宣伝コピーには、こんなことが書いてある。
  「日本人の祖先は何を食べていたか? 卑弥呼の食卓を飾った料理とは? 仁徳大王、文武天皇、長屋王など古代の大和王朝の宴にあがった人気のメニューとは? 木簡などの遺物から、その食世界を覗いてみると…… アワビ、エビ、カニ、焼肉、鴨、スッポン、フグ、チーズ、サラダ、そして美酒やデザートなど……。新鮮で豊かな医食同源のメニューが浮かび上がってきた! 邪馬台国で卑弥呼に捧げられたご馳走、古代の宮廷料理、遣魏使の御弁当など、垂涎の美味なる「古代の食卓」が今、よみがえる!」
  また別の資料には、卑弥呼の食事として「ハマグリの潮汁、アユの塩焼、長イモの煮物、カワハギの干物、ノビル、クルミ、クリ、もち玄米のおこわ」(内田洋行 教育総合研究所)とも書かれている。ハマグリの潮汁やアユの塩焼きなんかもう何年も見たことも食べたこともない。さすが女王だけあって現代にしてみても高級料理を食べていたんだね。
  おー、なかなかに豪華ではないか、みなさん。
  また、アマゾンの読者の感想文には、次のようにも書いてある。
  「著者は、木簡をはじめとして各種の資料、文献から古代食を推測し、再現等も実践してきた古代食研究家である。本書では弥生時代が古墳時代に移行する卑弥呼の時代から飛鳥、奈良の各時代の食を5章に分けて紹介している。
  食事が日に3回というのは、ずーっと後の時代のことであって、卑弥呼の時代の食事は朝夕の2回であった。食材は現在より多彩であったが、少量ずつであった。主食は・・・コメ、アワ、ムギ、マメなど。副食は・・・アワビ、サザエ、ハマグリ、タイ、コイ、ワカメなどの海産物、シカ、イノシシなどの獣肉、ダイコン、ウリ類などの栽培野菜、フキ、マツタケ、モモ、クリ、トチなどの山野の恵み、そして、噛み酒(古代、コメを噛みくだいて造った酒)などもあった。これらの食材の調理法や卑弥呼の日々の食事によりスリム(痩身)であり、海藻が髪に艶を与え彼女のカリスマ性に寄与したなどの著者の解説は楽しませてくれる。氷室の氷でオンザロックを味わった仁徳大王。チーズ(酥(そ))づくりを命じた天武天皇。乳製品である当時のチーズ(酥)、ヨーグルト(酪)は飛鳥時代に。グルメな長屋王の食膳にはキジ、伊勢エビ、アワビをはじめとした多様な素材を生かした料理が供せられたという。(後略)」
  なるほど和食文化はこういう古代から現代まで連綿として続いているんだな。それにチーズやヨーグルトまで自家生産しているとは驚きだ。醗酵技術がこの当時からあったとは凄いことだ。時代を考えれば、こういう醗酵乳製品は日本が人類で初めて発明したとも言えるのではないか。
  さらに主食には、麦もちゃんと入っている。


素麺のメニュー。蕎麦もコーヒーもある。アットホームな感じの店内、メニューだ。ちなみに店の名は「めん吉亭」という。


デザートの「みかん」はサービス。すぐ裏手の三輪山斜面が「穴師」という果樹農園の多い地域であり、そこで栽培されている小ぶりのみかん。とても甘みが強くたぶんみかんの原種に近いと思う。


あたたかい素麺。「やまなか」自社麺工場で生産された極細の麺「糸菊」を使っている。この極細麺はとてもおいしい。

  もう一歩、もう少しだけもうチョイ想像力をふくらませていただきたい。
  素麺の原料にまで辿り着いているではないか。卑弥呼の料理人は凄腕だったに違いないのできっと麦を粉にして素麺のようなものをつくったに違いないと私は信じたい。
  卑弥呼の食卓に真っ白な極細三輪素麺が並べられている光景が私の脳裏にはありありと浮かんでいるのだ。
  そこでかなり強引ではあるが三輪素麺こそが大和国家の日本創世の時代から食べられてきた和食の原点、和食の精華なのだと結論づけておきたい。そう思えば、邪馬台国のあっただろう土地に来て時を超えて桜井の地で三輪素麺を味わう贅沢を感じないではいられない。
  ちなみに蕎麦とかうどんらーめんを食べさせる店は多いが素麺をメインにした店が多いのは桜井市だけであろう。桜井市に来て古代天皇の古墳を散策し古式ゆかしい神社を訪ね最後に素麺を食す風流をぜひ味わってみていただきたい。
  絶品極細の三輪素麺がきっとやさしく心を癒してくれることであろう。
Posted at 2015/03/13 20:36:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | 温泉・グルメ・穴場。 | 日記
2015年03月10日 イイね!

四国に新幹線が走っている?

北陸新幹線の開通で石川県の金沢や富山が注目されている。
とくに金沢に関する話題をテレビで見ない日はないほど。
これを見て「うちにも新幹線欲しいよなあ」と嘆いているのが四国。
でもたまたま見つけたこの動画。
すでに四国新幹線が走っているではないですか、皆さん。
でもよくみたらちょっと変かなあ。
なんちゃって新幹線でも一応は新幹線だし・・・。
JR四国の遊び心に花マルをあげちゃおう。













●関連情報URL●
 「JR四国0系新幹線のもっと詳しい情報」
 動画には出ていないいろんな情報が楽しめます。
 私は昔愛媛県の最南端になるのかな?「宇和島」駅から高知県をつなぎ四万十川流域を走る「予土線」という本当にのんびりゆっくり走る列車に乗ったことがあります。
 そのとき、あまりにゆっくり走るので地元の人らしきおっさんの乗客に「えらくのんびり走ってますなあ」と話しかけたら「そうよ。降りてしょんべんしてもな、後から走っていけば追いつくからな」と冗談とも本当ともわからぬ話をしてもらったことを思い出した。
どうもこの0系なんちゃって新幹線はこの「予土線」を走り愛媛県の宇和島から高知県の窪川までを走っているようです。
 しかもこの「予土線」には、ここに紹介した新幹線のほかにも、海洋堂とタイアップしたフィギュアー満載の「ホビートレイン」とレトロなトロッコ列車の「しまんトロッコ」の合計で3列車が運行されており、これを「予土線3兄弟」と呼んで大いに売り出し中なんだそうだ。
 この詳しい内容とリンクが下の関連情報URLのサイトにあります。
 歩き遍路級0系なんちゃってJR四国新幹線、地元では大人気のようであります。
Posted at 2015/03/10 16:05:35 | コメント(5) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記

プロフィール

「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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