今回の奈良県物シリーズでは天理市で「一徳らーめん」を賞味した。
桜井市では、以前から食べたいと思っていた「温かい素麺」を食べた。
これがほんとにおいしいものであった。桜井市は三輪素麺の本場であり、ぜひ素麺を食べたいと思っていたが念願叶った。
私が食べたのは天理市と桜井市の境界に位置する「三輪素麺 やまなか」であった。すぐ近くにある自家工場で生産した素麺を提供する店であった。
天理市と桜井市の三輪をつなぐ通称「素麺街道」がある。
この素麺街道に面した車通りの多い国道169号線沿いの巻野内にある駐車場付きの店だ。駐車場が広く、駐車場の片隅にある小さい店だ。
店内では自家製の「三輪素麺」はじめ各種麺類の販売しており、三つのテーブル席で素麺料理を味わうことができる。簡素な家庭的雰囲気のある店でゆっくりと寛げる。
なんといっても、この店のロケーションが抜群である。
近くには景行天皇陵、珠城山古墳群、巻野内石塚古墳、春日神社、相撲神社など古代遺跡がありこの一帯がかつての邪馬台国の中心地ではないかとみなされている。
これら古代遺跡をめぐりあるく「山の辺の道」に位置しており、古墳見物をしながら歩いて散策する人たちが立ち寄るには絶好の場所だ。
天理市から桜井市に入ると国道沿いに「三輪素麺」の製麺所の看板が目立ち始める。通称「素麺街道」。
ふつう素麺というと細いと思うが、三輪素麺の極細は細さの度合いが違う。大げさに言えば普通の素麺の細さのさらに半分くらいの細さであり、まさに極細である。
「やまなか」の三輪素麺「糸菊」という極細の素麺を食べたのだがその食感が半端ない。
三輪素麺の凄さはこの極細にしてしかも伸びやかな腰のあることだ。昆布出汁をしっかりと吸い込んだ絶妙の出汁と麺の調和感がすばらしい。
三輪素麺のおいしさと伝統の生み出す麺作りの凄さを味わうことができた。
ご当地の味もまた大事な旅の要素である。
この三輪素麺の味もまた今回の奈良見物の忘れられない成果の一つだった。
ちなみにこういう極細の素麺は機械では作ることができない。
最後は人の手で伸ばしてつくるしかない。
食べ物に限らず「手作り」を珍重する風潮がある。それはいいのだが、機械で作れるものを手でつくる必要はない。機械も優れており機械で作ることができるものは機械で作ればいいのである。
それにもかかわらず手で作ったものは単に「手で作った」ものである。
機械では作ることができないものがほんとうの「手作り」であろう。
その意味で言えば三輪素麺の極細は人の手で伸ばしてつくる技がないと作ることはできない。
まさに手作りの極地であろうと思う。
こういう極細麺は冬場しか生産できないそうである。極寒の風を受けながらこの極細の素麺が生まれるというから仕事の厳しさが想像できる。
桜井市が三輪素麺の生産地として有名なのは私でも知っていた。
だいたい、素麺とかうどんとかが有名な場所は米があまり生産出来ないところが多い。したがって麦を栽培するので、麦を粉にひいてうどんや素麺を作るわけである。桜井市ではいまはおいしい米が採れるのだが昔は米栽培ができなかったのではないか。そのため古来、米よりも麦が栽培されてきた地域なのではないかと思う。また三輪山から吹き降ろす風や湧き出すきれいな水も素麺づくりに適しているというのでまさに三輪素麺は三輪山山麓の自然環境が生み出した食の傑作ということができる。

三輪素麺「やまなか」の店内風景。自社製品がいろいろと販売されている。手前左薄い紫色の和紙包装が「糸菊」。

同じく店内。うどんや蕎麦もあるがすべて自社工場で生産している。製品の種類も多くオリジナル麺つゆもあった。なぜか、くまモンもいる。
この三輪素麺「やまなか」のある巻野内は三輪山の山麓斜面がなだらかに広がる纏向遺跡の中に位置している。纒向遺跡からは、弓や木製品とともにモモの種が二〇〇〇個あまり出土している。さらに獣骨・魚骨やドングリ類、酒づくりの材料ニワトコの実なども出土している。
さらに近くには、箸墓(はしはか)古墳がある。
箸墓古墳は邪馬台国の「卑弥呼の墓」ではないかと言われている古墳だ。
だとすれば、女王卑弥呼はこの三輪素麺を食したのではなかろうか。
「卑弥呼は何を食べていたか」(廣野卓著 新潮新書)という本がある。私はまだ読んでいないが、その宣伝コピーには、こんなことが書いてある。
「日本人の祖先は何を食べていたか? 卑弥呼の食卓を飾った料理とは? 仁徳大王、文武天皇、長屋王など古代の大和王朝の宴にあがった人気のメニューとは? 木簡などの遺物から、その食世界を覗いてみると…… アワビ、エビ、カニ、焼肉、鴨、スッポン、フグ、チーズ、サラダ、そして美酒やデザートなど……。新鮮で豊かな医食同源のメニューが浮かび上がってきた! 邪馬台国で卑弥呼に捧げられたご馳走、古代の宮廷料理、遣魏使の御弁当など、垂涎の美味なる「古代の食卓」が今、よみがえる!」
また別の資料には、卑弥呼の食事として「ハマグリの潮汁、アユの塩焼、長イモの煮物、カワハギの干物、ノビル、クルミ、クリ、もち玄米のおこわ」(内田洋行 教育総合研究所)とも書かれている。ハマグリの潮汁やアユの塩焼きなんかもう何年も見たことも食べたこともない。さすが女王だけあって現代にしてみても高級料理を食べていたんだね。
おー、なかなかに豪華ではないか、みなさん。
また、アマゾンの読者の感想文には、次のようにも書いてある。
「著者は、木簡をはじめとして各種の資料、文献から古代食を推測し、再現等も実践してきた古代食研究家である。本書では弥生時代が古墳時代に移行する卑弥呼の時代から飛鳥、奈良の各時代の食を5章に分けて紹介している。
食事が日に3回というのは、ずーっと後の時代のことであって、卑弥呼の時代の食事は朝夕の2回であった。食材は現在より多彩であったが、少量ずつであった。主食は・・・コメ、アワ、ムギ、マメなど。副食は・・・アワビ、サザエ、ハマグリ、タイ、コイ、ワカメなどの海産物、シカ、イノシシなどの獣肉、ダイコン、ウリ類などの栽培野菜、フキ、マツタケ、モモ、クリ、トチなどの山野の恵み、そして、噛み酒(古代、コメを噛みくだいて造った酒)などもあった。これらの食材の調理法や卑弥呼の日々の食事によりスリム(痩身)であり、海藻が髪に艶を与え彼女のカリスマ性に寄与したなどの著者の解説は楽しませてくれる。氷室の氷でオンザロックを味わった仁徳大王。チーズ(酥(そ))づくりを命じた天武天皇。乳製品である当時のチーズ(酥)、ヨーグルト(酪)は飛鳥時代に。グルメな長屋王の食膳にはキジ、伊勢エビ、アワビをはじめとした多様な素材を生かした料理が供せられたという。(後略)」
なるほど和食文化はこういう古代から現代まで連綿として続いているんだな。それにチーズやヨーグルトまで自家生産しているとは驚きだ。醗酵技術がこの当時からあったとは凄いことだ。時代を考えれば、こういう醗酵乳製品は日本が人類で初めて発明したとも言えるのではないか。
さらに主食には、麦もちゃんと入っている。

素麺のメニュー。蕎麦もコーヒーもある。アットホームな感じの店内、メニューだ。ちなみに店の名は「めん吉亭」という。

デザートの「みかん」はサービス。すぐ裏手の三輪山斜面が「穴師」という果樹農園の多い地域であり、そこで栽培されている小ぶりのみかん。とても甘みが強くたぶんみかんの原種に近いと思う。

あたたかい素麺。「やまなか」自社麺工場で生産された極細の麺「糸菊」を使っている。この極細麺はとてもおいしい。
もう一歩、もう少しだけもうチョイ想像力をふくらませていただきたい。
素麺の原料にまで辿り着いているではないか。卑弥呼の料理人は凄腕だったに違いないのできっと麦を粉にして素麺のようなものをつくったに違いないと私は信じたい。
卑弥呼の食卓に真っ白な極細三輪素麺が並べられている光景が私の脳裏にはありありと浮かんでいるのだ。
そこでかなり強引ではあるが三輪素麺こそが大和国家の日本創世の時代から食べられてきた和食の原点、和食の精華なのだと結論づけておきたい。そう思えば、邪馬台国のあっただろう土地に来て時を超えて桜井の地で三輪素麺を味わう贅沢を感じないではいられない。
ちなみに蕎麦とかうどんらーめんを食べさせる店は多いが素麺をメインにした店が多いのは桜井市だけであろう。桜井市に来て古代天皇の古墳を散策し古式ゆかしい神社を訪ね最後に素麺を食す風流をぜひ味わってみていただきたい。
絶品極細の三輪素麺がきっとやさしく心を癒してくれることであろう。