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この牛乳瓶に入ってるりんごジュースのお話
昭和38年に建てられた実家は安作りで柱は3寸柱で初めはお風呂がなかった。初期投資の抑制が目的やったらしい。
たぶん5年後の昭和43年くらいにお風呂が増築されたようだ。増築といっても風呂の場所はあってガランとしてたんだと思う
もちろんその時代は薪で火をくべるタイプで隣のトトロに出て来るサツキとメイが住む借家のイメージそのままのお風呂
ガスでスイッチですぐ沸くという代物ではなかく、それなりに労力が必要なのである
その風呂は底の板が浮力で浮いて来ることはなかった
昔のお風呂は五右衛門風呂的にフタを開ければ風呂底の木が湯に浮いているのがデフォルトで、選択肢の一つとして風呂底に固定されたタイプがあったんだと思う
で、お風呂ができるまでの期間、家族5人は毎日400mほど歩いてか、自家用車(家業なので車がある)で通っていたみたいである
僕も小さい時はお風呂屋さんに通った記憶があり、その間の行き来を車で行った記憶もあるし自転車の荷台に乗ってたこともあった様だ
冬場は帰り道は寒かったことだろうと思う。まさしく神田川の世界
世間で共通の仕様なのは番台で、男湯と女湯が隔てられているが小さい時は母親と一緒に女湯に入っていた。風呂の中でのことは一つも記憶がないが、男湯と女湯を隔てたのれんは苦もなく行き来していた
ところで、お風呂から上がると十円だか三十円だか忘れたけれどたまには牛乳を飲んだ記憶がある、毎回ではなかったと思う
我が家は男3人兄弟で、とある部分は上下関係がしっかりあった
番台から眺められる場所にある牛乳の入ったショーケースには画像にある牛乳瓶入りのりんごジュースもあった
気づいた頃からその透明で金色に輝くジュースが気になっていて、ある時それが飲みたいと親に言った
そこんところに上下関係が出て来る
勿体無いだとか贅沢だとか散々言われた事は記憶にあり、言葉は忘れたもののずるいだの言われた。
で、三男坊の特権で買ってもらえたと思うが、そのときの味が金色に輝く見栄えに期待通りの素晴らしい味だった
でもその時だけだったと思う。一回だけね。
自分もそんなにしょっちゅう買ってはもらえないと思っていたし贅沢な感じも持っていた
同じ範疇にフルーツ牛乳もあってこの味も幼い頃の思い出の味、たまーに買ってもらえたんだと思う
今コンビニで買い物する時、飲み物はだいたいハウスブランドの93円のお茶にするけれど、たまにフルーツオ・レを買う
りんごジュースではなくなぜかフルーツの方。あんまし最近りんごジュースを見かけないこともその一因ではある
甘くて美味しい、懐かしい思い出の味である
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おもひで | 日記
Posted at
2020/11/08 19:10:18