
秦の始皇帝(の命令)によって漢字のフォントが決まったわけですが、決めた理由が同じ字でも地域によって少しずつ異なるってやつね。
翻って日本における方言の凄いこと。青森と鹿児島では全然通じないと思う。でもね、書いてる文字は共通だったと思う。
そして方言をベースにした記録はしてないと思うから日本全国で通じたんじゃないかな。
なお、徳川政権により日本全国の大名の締付けへの警戒から方言に関しては、間諜として容易に入り込めない壁にもなってたような。
それはさておき本題の印刷。漢字ミュージアムの説明では、漢字の数が多すぎて木版印刷をせざるを得なかったそうな。(現代の教育漢字でも千文字ちょっと+平仮名にカタカナとアルファベットがある。)
木版印刷として発見されたのが868年だそうな。
印刷が発明されたグーテンベルクの時代(1445年)でもアルファベットみたいに大文字だと26文字(大小合わせると52文字)、英文タイプライターだと数字の1と英語の小文字の l は、共通だったのでもう少し減らせたかも。なお、記号(+ ,- , / など)は、時代と使用されていた地域によって増減があったような。
漢字ミュージアムは、大人でもオススメです。
ブログ一覧 |
うんちく | 日記
Posted at
2025/08/11 17:37:43