
別件があったので関東に行ってきました。ということで、あちらに残してあるミニカを駆っての旅です。
だいたいのルートは、鹿島神宮→宿泊→伊能忠敬記念館→香取神宮→秦野(泊)→山中湖→都内。山中湖は一人だったら、湖面に映る富士山を期待して早朝に行くかもしれなかったのですが、ちょい遅めでした。
で鹿島神宮。要石まで散歩してきましたが、神社の杜が巨大で(すごいなぁ)という感想のみ。この日は、神宮の近くにあるビジネスホテルに宿泊。サッカー関連の客が見込まれるのかな。
翌日は、伊能忠敬記念館。ここに行くまでのルートは平凡な道なのですが、遠景にかすむ田園風景が素晴らしくて・・・わき見してます・・・現地に。駐車場に入れてオープンまで待ってみてきました。
元々は、
2005年かな。それ以来なので10年ぶりみたいな感じです。改めてみてみると、紙の巨大さと書き損じの無い記入、ほぼ均一な文字の太さ(7poくらい。当時の筆と同じものは無いそうです)、毎日のブレのない測量。1回で完璧をこなす感じですよ。そして当時の地図と現在の地図を重ねての比較があったのですが、現在までに何度も地震があったはずなので、日本の地形が変形していても不思議は無いはずだから、誤差は無かったと思っても不思議ではない。
紙のほうは、
紙の博物館を見てきたのが無駄じゃなかったと思います。使われ方を想像できなかったのですが、日本地図とかだと無理は無いし均質な紙を作る技術も重要だと思う。墨とか筆、測量隊を支える宿場のサービスも当時の日本のすごさを物語るものだと思う。
そのあと香取神宮に。ここでも要石を見てきました。どうやら鹿島神宮の要石をついをなすものだとか。両方を見て正解。そのあと延々と一般道を走って飽きたので高速に切り替えて秦野に一泊。
翌日は快晴でスタートも比較的早かったので渋滞も無く山中湖に。たぶん、撮影スポットは沢山いただろうなと思いつつ、目的の場所で5時間くらい撮ったかな。
16時に撤収して中央高速で都内まで戻ってミニカを返して大阪に。まあ、便利な世の中だと思います。伊能忠敬の時代だと2週間はかかる旅程を5時間くらいでこなしてしまいましたから。
Posted at 2015/05/17 11:04:37 | |
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ミニカでお出かけ | 日記