昨年の4月に
三十三間堂にて千手観音を見てきたのですが、そのとき思ったのが
一人の仏師が大量に同じものを作ったわけではないってこと。
よくよく観察したり尋ねてみると複数人の仏師の手になるものだそうな。
共通する特徴があるものの微妙な違いもあるのかな。
この三十三間堂ができたのは1155年より後なので、大量生産の技術というものはなかったと思う。
大量生産の話が姿を現すのは、米国の南北戦争ですね。北軍の銃を1丁単位での仕上げから
まったく同じパーツを精度よく仕上げた後組み立てる手法です。今じゃ、当たり前なんですが
当時は、1丁単位での仕上げだったそうな。
それからさらに時間を未来にシフトさせるとフォードがT型を大量生産して値段を下げてしまいましたっけ。だれもが最新の技術を享受できる様になったのですが、みんな同じものを使ってるってのが
面白くないってところもでてきた。
身近なところではファッション。誰とも同じではないもの、組み合わせで楽しんでます。
逆に制服だとみんなおんなじってところもあるはずなんですが、着崩したりしてね。
まったく同じように作ることを強いられた三十三間堂建立のころ。そして、同じように作れるようになって初めて他人と同じではないものを求める。
なんか贅沢かもしれないけれど、自分が自分であるありようを求めているのかもしれない。
Posted at 2010/11/15 21:54:26 | |
トラックバック(0) |
経済 | 日記