
忘れないうちに書いておきます。
またしても随分前の話で高知県の「いの町」に行って和紙を漉く設備を見学したときの感想からの紙のサイズに至る話
(すでに預けてあるんだけど)寝込んだ親の面倒を見ているさなかにも気晴らしで実家の様子を見に行った帰りに寄り道をすることがある。寄り道とはいえ、ものすごい距離の寄り道でして高知県なんかは近い方だったりする。
それでいの町の和紙を見に行くことになった。正確には、「いの町紙の博物館」というところで製紙の現場を見学してきた。これまでは京都府の黒谷という和紙の紙漉きをやっているところを見学してたので期待をしてなかったのが本音でしたが、ここは期待を大きくハズレて凄かった。
というのも畳1枚~2枚のサイズの和紙を漉くことができるし漉いていたようです。小さなサイズ(A3サイズとか)だと漉くための道具類に精度は要求されない。要するに漉くサイズの2倍程度の長さの範囲で直線であればよいしたわみもそんなに考えなくて良いと思う。
が、しかし畳のサイズだと良質な素材を揃えて丁寧に組み立てて何年も歪みや狂いが来ないものでないと紙を漉き続けることができない。しかも紙の繊維は水の中に・・・
そうなってくると紙という素材を作る技術は簡単にはたどり着けないんじゃないかと。真っ直ぐな竹、竹を揃えて切る道具(製鉄・鍛造)、均質な紙の原料を作る技術や自然が全部揃わないとできない。
そんな感銘を覚えて帰ってきた記憶があります。それと並行して紙のサイズも欧米の紙のサイズと日本の紙のサイズが微妙に一致していた話があってA系列の紙は大名が使っている紙のサイズに近似しているのだとか。それと、今はあまり使わなくなったB系列の紙は、商人が使っている紙で少し小さい。何事ももったいないの精神なのかな。そのへんはわからないけど。
昭和の一時期まで勤務先で使う紙の系列は、B系列でしたっけ。ノートは、B5だった記憶がある。今では、A4ですが、市販のノートも横方向にワイドなのは持て余していてA4を縦にカットしたものもあったような覚えがある。
話があっちこっちにずれまくるけど金沢工業大学の図書館の蔵書。
これをグランフロント大阪で展示されているのを見学してきたのだけど、そこで見たものは規格化される前の本がたくさんあった。大体の大きさは揃っているけど少し大きくなると全然揃ってない。
それを見る限り必要なサイズで作られている印象があった。昔の本は、聖書ばかりとは限らず建築学が多いのかな。もちろん科学もあるはずなんですが体系的ではないし化学(有機合成は明治の頃)はもう少し後だしファッションとか料理はありえない。自然科学もダビンチの前後じゃないかと思う。
それるけど江戸時代の本草綱目っていう植物誌はすごいと思うし浮世絵もカラー印刷という枠にはめると凄い芸術だと思うし工業製品でもあるのかな。もちろん、大きさは揃ってる。
とりとめのない話になってきたのでこのへんで。
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Posted at 2018/09/10 15:35:48 | |
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