2020年12月14日
子供の頃のお祭というと非常に楽しみで獅子舞が出たり、お小遣いを握りしめての露天商から買い物という思い出があります。
そして成人してからのお祭りといえば非日常の中の参詣やら、子供連れでの楽しみになってたっけ。
正直なところ裏方の面が全く見えてなかった。それが、子供が小学校に通うようになってから裏方の役目がポツポツと回ってきて断れずに10年続けたとかして(たいへんだなー)と思いつつこなしていたら会長職が回ってきた。
最初は10年以上前だったかな。なんとかこなしつついろんな会合に顔を出して裏面を眺めてると地域の基礎を支えてる人のなんと多いことか。そして、予算とか人使いの方法なんかも見えてきた。べったりくっついてるわけでもないから、なーんとなくこなせたんですけどね。
それが、昨年、なんと2回めの会長職ですよ。これまたけっこう大変でしたが、なんとかこなせました。が、やはりサービスのみの提供を受けるのになれてる人と、そうでないひとのギャップが見えてくる。言いたいのはこのギャップじゃないんですけどね。
このブログを書くきっかけは、4年くらい前から某所にでかけて色んな人と付き合っていくと裏面で支えている人達の姿が見えてきたんです。ちょっと距離をおいているので冷静に見れます。
そこから見えてくる、お祭りとは・・・・
(太平の世が続いた江戸時代の)人の流動性がなかった頃のお祭りとは、「ここにこんな男(女)がいる」ってやつですよ。まず持って逃げられませんし、しっかり役割を果たす必要がある。これが強制的にやらせるなんてことにはならなかったと思います。
なにしろ、子供の頃からのお付き合いがあり、「できること/できそうにないこと」の見切りがすでに終わってる状態からの役割分担が行われたと思う。
裏方でも目に見える、お御輿やら神事だけでなく裏方の裏方になるお祭り会場の準備やら料理を準備したり、人の手配(役割分担という人事)やら予算(寄付を募ることトータルでの収支管理)という一つの企業体のようなものじゃないかと思う。全体としての役割やら祭りを作り上げる作業を通して考えて見るに・・・。そこに住んでいる人たちの大規模な顔合わせの場が、お祭りのような気がする。
毎年の役割分担が「同じ」かもだけど、それでも男手と女手の割り振りはできる人に頼まれるだろうけれど、できない人には頼まない・・・はず。
これは、さらりーまん時代にも同じようなことがあった。どちらにも傾いてない中立派としての組合だったのですが、役員の依頼は「できない人」にはしない。
それを人事やら上司が見ていて「こいつは大丈夫」となると役員の任期が終了するとちょっと上の仕事を任されるようになって・・昇進につながってた。
そう、お祭りとは人事評価を下すための試金石だったんですよ。もちろん、正式なトレーニングを受けさせてしまえばそれなりにこなせるようになります。が、トレーニングなしでどれだけやれるかというあたりの評価をするにはちょうどよいかも。
見ている人は見ているんですよね。逆に見えてない人には見えてないってやつです。
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Posted at 2020/12/14 11:28:33 | |
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