
画像は使いまわしですが、まあ、そんな事もあったよねって感じでしょうか。
当時のブログは、この
リンク です。
ま、現役だったものだからね。その3月11日を調べたところ金曜日でして翌日は休みという感じでしょうか。それはさておき、クルマ通勤してたから交通面では過不足なく。翌日の土曜日、ミニカにハイオクを入れたのを覚えております。
その後、一時的に大阪に戻ることになって7月に入ってから鎌倉に戻ったかな。
とりあえず、当時のブログから現在に向かって読みすすめると悲惨さについては(それほど)書いておらずといったところかな。
また時間を見つけて読んでおきたいと思います。
そのあと(どのあと?)、勤務先ではボランティア休暇なる制度ができて、勇んででかけていった方々がおりましたっけ。うん、手が空いているなら行ってくれば良いという気分で見ておりましたが、それなりの本来の仕事があるはずなので行くのはねぇ・・って見てたっけ。
ボランティアを受け入れる方もそれなりの(怪我をしない程度の)仕事を用意して受け入れることになるから行く方も、受け入れる方も楽じゃないと思いますよ。そして「宴会が楽しい」などと申しておりました。あっちには書けない。
あと、その後の変化として1月17日に絡んで忠臣蔵関連のドラマが激減したなぁと思う。そして3月11日に絡んで
2・26事件に関する考察というか新事実といったドキュメンタリーがなくなったっけ。
それ以外では、いろんな反対運動がかなーり減った気がする。津波の被害を防ぐための「100年に一度なのに防潮堤建設は必要なのか?」という議論もあったように思うのだけど見事に消し飛んだし、豪雨災害の後にダム建設反対も消し飛んだような気がする。
反対運動で頓挫した計画自体が本当は必要だったということじゃないかな。勢いだけでの判断は良くないと思う。昭和40年代の通産省官僚が頑張って、それ以後の景気や日本の立ち位置をしっかり固められたのは、勢いと無関係に必要だと感じたからじゃないかな。もちろん、企業も必要としていたけど単独でやるにはかなりしんどい感じだし・・・・・
まとまりが無くなってきたので、このへんで。
写真は、Windows Photoでホワイトバランスをいじったよ
Posted at 2021/03/12 09:17:27 | |
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