2021年03月14日
今朝は朦朧とした時間に不思議な林檎の物語が頭の中に浮かんでまして、忘れないように弄り回しつつ&無口のまま朝ごはん(パンですけど)をいただいて・・・
(絶対に家庭内で感染しないだろうなという保証付き)
PCの前に座り込んで書いてました。
大体の形になったところでなにかの揶揄じゃないかと思ったのですが、それ以上も書けないので投稿します。
物語はりんごを持った二人(?)とタネの数や、食べ切れたのがいつなのか。
丁字路に植えてからの物語は、どうなるのかが思いつかない。
Posted at 2021/03/14 08:28:13 | |
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2021年03月14日
その林檎は丁字路に生えていた。
赤い実が目に停まった瞬間から枝が葉が小さくなり幹も根も吸い込むがごとくなくなっていくのを驚きとともに見ていた。そして・・・
空中に2枚の葉をつけた枝だけになった林檎が浮かんでいた。
恐る恐る手を差し伸べると林檎は飼い猫のように手のひらに乗った。落ちる感覚もなにもない。下を見ると、いままで生えていた木の痕跡を示す穴が空いていた。
改めて林檎に視線を戻すと赤い部分が更に熟してきた。そう、りんごを見た瞬間にお腹が空いていて食べたいと思っていたのを思い出した。
小さなナイフを取り出して赤い部分に沿って切り取り線のようになっているところに切込みを入れる。なぜか、刃がそれても切り取り線からはみ出さない不思議に疑問を抱かない。ちょうど、食べ切れるだけ2つ、切り出した。膝に林檎を置いて食べ始める。意外にボリュームが有ってお腹いっぱいになった。ふと、林檎を見ると切り取った部分は埋まっていて青くなっていた。
ここから僕たちの不思議な物語が始まり、それまでの悩みや苦労は徐々に収まってきたように思う。
どうやら林檎は、苦労を食べているんじゃないかという気がするんだ。たとえば、遠くまで歩くとしよう。普段は背嚢に入れて歩いているが、徐々に大きくなってくる。重さはそれほど感じないけれど、大きくなって背嚢に収まりきれなくなる頃にお腹が空いている。のどが渇いているときは瑞々しく、そうでないときはたっぷりのボリュームを与えてくれる。もちろん、切り取り線の中だけしか食べられない。こんな便利な林檎だけれど林檎に頼ってしまうと林檎は赤くならないし食べられないのは何度か体験した。そんなときは必ず何某かの手段があったのをやらなかったためだ。
そのうち、とあるところでりんごを食べているときに不思議なおばさんに会った。そのおばさんは、丁字路に生えていたことや切り取り線の不思議などを言い当てた上で、こういった。
もしも食べきることができるようになったら種が必要なだけ出てくるから1個は丁字路に植えるように。残りは持ち歩いて植える時が来たら勝手に根が出てくるから、そこに植えて暮らすのがいいよと。
さて、食べきることができるようになったのか、どうかは、この文章を読んだ皆さんが考えてください。何かの例えかどうかも。
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Posted at 2021/03/14 08:22:20 | |
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