2023年07月20日
変なタイトルですが、これが一番しっくり来るかな。
バイト代にあった労働ってわけでして雇用者が求めるスペックに合った仕事ってやつね。
労働というのは、突然ですが江戸時代から随分細分化されてると思うんですよ。逆に細分化されることにより分業と求められるスペックがものすごく下がってる。
身近なところの写真だとピント合わせだって素人でも出来てしまう。要するにピント位置を示す赤い四角が見えていればソレでOK.
逆に昔のカメラはフィルムの感度が低くて四苦八苦させられたりピントが合わなくてモノの本の最後のページに「目は大丈夫?」って書いてあったりする。
1970年代のカメラだとスプリットイメージで狙ったものがズレて見えなければピントが合ってる。
もっと昔だと写真師なんて呼ばれたこともあった。ピントはすりガラスの上に映された向こう側の人物をルーペで拡大して合わせる感じ。ほんの数ミリ程度の誤差は知らぬ存ぜぬで押し通すし人物だって綺麗に撮ってほしいものだから身じろぎは基本しない。
話を巻き戻して労働の細分化。とあるレストランでは注文を受ける人と食べ終わった皿を片付ける人が分離されてて絶対に手伝わないんだ。
いわゆる労働の細分化の典型なんですけどね。
でだ、細分化されたスペックで満足してていいのか?
言いたいことはソコなんだ。
もう少しデキる範囲を広げる努力や熟練度の改善をしないのか?
カメラなんてのは押せば写るんだけど、実際のところ押すだけじゃなくなってる。自然な表情を取り出す努力が求められてるんだ。
幼児の写真専門館だとシャッターを押すよりもタンバリンやおもちゃを振り回してる時間のほうが長い。結婚式の前撮りだと場所ぎめ(&許可申請)と衣装・周辺スタッフの準備が多いんじゃないかな。
いま、やってる仕事を見回してほしい。求められているスペックだけで安穏としてないか?
賃金分だけの仕事というのは、誰にでもデキる使い潰しの出来ない(転職できない)仕事じゃないのか?
ちょっと気になる。
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Posted at 2023/07/20 07:54:20 | |
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