随分前からプログラミング教育が施行されておりますが・・・・ちょっと異論を申し上げたい。
というのもマイクロコンピュータ黎明期にプログラミングの勉強がもてはやされておりましてね。現役の頃にグループを作って勉強を(ちょっとだけ)した記憶があります。もちろん、いまのEテレで講座なんてのがあったような。
典型的な先生役のおじいちゃんみたいなのがプログラムの組み方なんかを教えてたような。冷静になって考えると5年も経っていない歴史におじいちゃんがでてきてもねぇ・・・。何事も見た目が大切なのはわかりそうだけど初心者から見れば(そうなんだ)としか思えないですよ。
なにしろ大学生の頃の
ビル・ゲイツがPDP-10を使って
アルテア8800のシュミレータを作ったプログラミング言語を使ってプログラムを作ろうというものだから年寄の出る幕ではない。⇒要するに年寄りが作ったものではない。
そして数年の熱狂的な嵐が冷めてみるとプログラムを書ける人は何人が生き残ったのかな。
ま、無駄だとわかっていてもやることに意義があるのは間違いない。ただ、丁寧にしつこく文法を理解して進め、センスがあるとプログラマになれるんじゃないかな。
マイコンの世代からパソコンの世代に切り替わったあと汎用機のプログラマに話を聞くことがあり「どんな人がプログラマになってるの?」って尋ねると「文系の人が多いんじゃないかな」と。
私自身、一時期にFORTRANなんてのをやったことがあるけどすっかり忘れてる。もう一回やり直すと思い出すかもだけど数値計算だけでは魅力に乏しい。計算だけならエクセルでも十分にこなせるし、それなりのデータ量でも関数を仕込んでおくと答えがすぐに出る。これは便利ではないかな。
かといって今の時点でGUIを含めたプログラミングは意外と難しい。当時だと・・・文字列の処理とかね。フロッピーに保存してあるデータを読み取って必要なものを見つけたら表示させるだけで意味があったような。ただし、grepとかなんてのがすでにあって・・・横道にそれた。
ま、目指す人は結構居たけど挫折した人もそれなりに居たってこと。
教育が目指すべきコンピュータリテラシーとは、まず日本語の理解と社会常識の理解が土台にあってのことであるはず。
小学生からやるのは英語くらいで十分じゃないかな。
(その前に日本語をしっかりやっておかないといけませんが)
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Posted at 2021/10/21 21:39:54 | |
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