
明治維新の前後は、英語ができる人たちが多数いたので米国やら英国との交渉には全く問題もなかった。
*1
ただし、そういう人は、日本という国の根幹をなす一握りの人たちであった。もっと時代が下がって第二次世界大戦後には、英語ができる
吉田茂氏とか
白洲次郎(英語で喧嘩ができたようですよ)なんかの活躍もあった。が、英語ができるのは、ほんの一握りの人たちであった。
蛇足:
・阪大の基礎となった
適塾は、ものすごい人材を多数生んだ場所としてもっと知られて良いと思う。
それでも日本の近代化が進んだのは、明治の頃の教育制度やら外国語を日本に翻訳する人たちがいたからというのを忘れてはならない。(共通の日本語(標準語)を考えて普及させた人々もね*2)
身近なところだと野球(ベースボール)とかね。蹴球(サッカー)やら英吉利(イギリス)、仏に独といった国の名前も漢字で書けるようにしたしChemistryを化学と翻訳したりとありとあらゆるものを日本語に置き換えていった成果が現在の日本の基礎をなしている。
蛇足:
鎧球は、いかにもという感じではないと思う。
昔(1990年代経ったかな)、とある展示会(なんだったかは忘れた)に行ったとき、中国人に質問する機会があって英語から中国語に変換するとき「どうしてます?」と尋ねた覚えがある。その答えは、まず英語から日本語に翻訳されたものがないか探す。見つかれば、日本語の漢字で英語を置き換えるんだそうな。その後、日本人が英語発音をそのままカタカナに置き換え始めると中国では、英語の発音のまま無理がない範囲で中国語に置き換えるようになったとか。(新しい製品は、それぞれの企業が決めるんじゃないかな。)
英語を現地語に置き換える作業は結構膨大で時間を要する。いまでも「翻訳できない言葉」があるし翻訳しないでそのまま使ってるものがある。バジェットなんか日本語に訳すると予算でしたっけ。英語から日本語に置き換えられて・・・意識高い系の人が目眩ましに英語のまんまで使うようになった例じゃないかな。
これ、明治の頃に翻訳をする努力がなければ全部英語のままだったはず。特に教科書として広く国民に教えることができる環境があるのは素晴らしい。
現時点における開発途上国の教育を考えてみる。英語から、その国の言葉に翻訳する労力と英語のまま教科書を輸入することを比較して早々に諦めてしまう国のなんと多いことか。というのも翻訳を享受できる国民の数にも依存するわけで人数が少ないと英語のままに文献や教科書を受け入れるとなれば、その国の教科書における大半が英語で教育が行われる結果になる。その影響で何が恐ろしいかというと国語を忘れるんだ。面倒だから英語で会話してしまおうというやつね。
明治維新の頃はいうまでもなく江戸時代も含めて教育の重要性が広く認識されていた。知っている範囲だと藩校という教育機関があった。岡山に
閑谷学校という庶民のための学校がある。現地に行ってみると・・・(いまでも)山の中にあり、設置された江戸時代の初期だと近隣に人が住んでいるのかと勘ぐりたくなるほど。
蛇足:韓国と台湾に日本の国立大学が設置されたのは有名なのかな。日本国が設置したのではなく現地の総督府が作ったとか。台北帝国大学のリンクは
こちら。朝鮮帝国大学のリンクは
こちら。
*1:長い平和が続いた日本人にとって外国人との交渉に慣れてなかったのが問題点ではあったかな。ただ、外交に関しての丁丁発止をやってのけた記録はあるようですが。
*2:鎖国という長い平和は、方言という言語の多様性を生んだ。薩摩弁と津軽弁に共通性はない(と思う)。もちろん、江戸弁と大阪弁の違いもあるので外部から来た人間の話し言葉によって出身地が推し量れる。
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随分昔に書いて下書きになってたのを掘り出してきた。
Posted at 2023/05/28 18:20:00 | |
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