
青春18きっぷの使用期限は9月10日まで。
最後の1回分で碓氷峠(横川-軽井沢)を旅します。
信越本線の横川-軽井沢間は1997年9月30日に翌日の長野(現北陸)新幹線開業に伴い廃止された区間です。
今年の3月3日の信越本線の旅ではこの区間を碓氷バイパスを通るJRバス関東 碓氷線で通過しました。
今回はこの横川-軽井沢間の碓氷峠越えにスポットを当てて旅をしたいと思います。
最寄りの駅で青春18きっぷの5回目欄に日付け印を押して貰い旅スタートです!
高崎まではいつもの様にグリーン車です。
荒川を渡り埼玉県に入ります。
なんか雲行きが怪しくなってきました。
高崎が近づく頃には小雨が降って来ました。
高崎に到着。
信越本線 横川行きの電車に乗り換えます。
徐々に山深い景色になっていきます。
天気はなんとかもちそうかな。
25分程で横川に到着。

この横川から軽井沢の間は鉄路が途切れていますので、今回はかつての鉄道ルートに近い道を歩いて軽井沢を目指します。
軽井沢まで約16km歩くことになるので先ずは腹ごしらえです!
駅前にある荻野屋本店です。
荻野屋は横川駅開業と同時の創業、130年の歴史があります。
横川駅の駅弁、峠の釜めしを食べます!
包み紙は峠の釜めし60周年記念のものです。
21年振りの峠の釜めしです。
やっぱり美味しですね!
荻野屋本店近くの側溝の蓋をよく見てみると・・・

なんとアプトのラックレールを再利用したものでした!
何度も来ていますが、初めて気が付きました。
いよいよ出発です。
横川駅を10:10に出発です。
横川駅を出発すると前方に見えるのが碓氷峠鉄道文化むらです。
この北側にアプトの道の起点があります。
アプトの道は横川-軽井沢間の廃線跡を活用した遊歩道です。
旧熊ノ平駅まで行けます。
横川-軽井沢間は日本の鉄道で最も急な勾配66.7‰で峠越えする難所でした。
1893年4月1日に開通。
当初はアプト式で急勾配を克服。 でもアプト式蒸気機関車で80分を要していました。
1912年には日本で最初の電化がされアプト式電気機関車で40分まで短縮されました。
そして1963年7月15日にやや北側をほぼ並行するルートで新線が開通。
一般の鉄道と同様の粘着式となりました。
しかし66.7‰という急勾配。 ここを通る全ての列車に横川-軽井沢専用の機関車2両を連結し、昇りは後押し、降りは機関車の強力な制動力を使って降っていました。
その横川-軽井沢専用機関車EF63です。

碓氷峠鉄道文化むらで動態保存されていますので、今でも走る姿を見ることが出来ます。
以前に録画した碓氷峠鉄道文化むらのEF63です。
暫くは碓氷峠鉄道文化むら沿いを進みます。
碓氷関所方面の分岐があります。
碓氷関所です。
アプトの道に戻ります。
ここから碓氷峠鉄道文化むらが一望出来ます。
動態保存のEF63の留置線横を通り進みます。
ここからは廃線跡の上り(降り)線が遊歩道になります。
レールが埋まっています。

こうやってレールの上を歩いていると懐かしい車窓の記憶が蘇ります。
30キロポストです。
信越本線起点の高崎から30km地点であることを示しています。
上信越自動車道の下をくぐります。
線路脇には保線用の電話等の設備がそのまま残っています。
信号機も残っています。
30.8キロポストです。
ここに旧丸山変電所があります。
旧丸山変電所到着10:54。

レンガ造りの建物です。
廃線跡の一部が観光鉄道になっています。
その観光鉄道の丸山駅です。
歩いている途中で観光列車とすれ違いました。
徐々に勾配がきつくなってきました。
31キロポストです。
鉄橋です。
鉄橋の上にありました!
勾配を示す標識!

65.0‰です。
鉄橋の下は清流です。
こうやって写真を撮ると急勾配であることがよく分かります。
線路の上を歩けるのはここまでです。
結構登ってきたことが分かります。
アプトの道は一旦日帰り温泉施設へ誘導されます。
観光鉄道の峠の湯駅です。
ここが観光鉄道の終点です。
到着11:12。
この辺りで標高500m位です。
横川駅は標高387mなので113m位登りました。
その2につづく。
Posted at 2018/09/15 22:58:04 | |
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