
ブログの間隔が、だいぶ空いてしまいました。
結局、2月は1本だけ。
いざ書こう!とPCに向かうも、なかなか文章がまとめられない・・・
「書かない」と「書けない」になるので、気を付けないとなりませぬ。
さて、今回のお題は、WRC 世界ラリー選手権。
ラリーには、ダート主体のグラベルラリーと、舗装路主体のターマックラリーがあります。
最近は半々か、ちょっとグラベルが多いでしょうか。
それが90年代以前まで遡ると、ほとんどがグラベルラリーでした。
年間タイトルを狙う様なワークスチームは、主戦場であるグラベルで速いマシンを作り上げてきます。
その結果、Gr B以降ではターボ + 4WDが主流です。
各ラリーには、それぞれ付与されるポイントがあります。
その合計数で年間のチャンピオンが決まる仕組みです。
チャンピオンを狙うワークスチームは、当然、全戦参戦。
ところがセミワークス、プライベーターとなると、それは資金的に難しい。
そこで得意なラリーだけスポット参戦するチームもあります。
中には数少ないターマックラリーだけに、全力で挑むチームも。
今回は、そんなターマックスペシャリストを取り上げていきます。
このクルマは、1970年代後半からGr 4, Gr Bで活躍していました。
フェラーリ 308 GTB
フェラーリと言えば、サーキット。
F1は元より、70年代の365 GTB/4 デイトナ、現代の488 GTE・・・
ロードカーベースの車両でも、数々のレースで勝利を挙げています。
そんなハイパフォーマンスなフェラーリ。
舗装のターマックやフラット ダートであれば、サーキット並みのパフォーマンスが発揮出来るのではないか?
そう考えたチームがあったとしても、不思議ではありません。
そこでフェラーリの中では小柄なミッドシップの308 GTBをベースに、Gr 4仕様のラリーカーを製作し、参戦するプロジェクトが動き始めます。
このプロジェクトには、フェラーリも参画。
ですが、マラネロで作られたものではありません。
フェラーリは、ボディとエンジンを、それぞれ単体で提供。
それをラリー仕様のGr 4にまとめあげたのは、市販車ベースのレース車両を開発していたミケロットです。
スチールのボディは、一部をFRPに変更し軽量化。
リアにはオーバーフェンダーが追加されました。
ラリー仕様なので車高もアップし、ボディ補強も追加しています。
3L V8のエンジンは、圧縮比アップを始め、インジェクション化。
ノーマル比 50psの300psまでパワーアップを果たしたのでした。
まずはヨーロッパのラリー戦に1978年より参戦。
1979年のモンツァでは初優勝を挙げています。
1982年からWRCにも参戦。
スポット参戦に選んだのは、フランスはコルシカ島のオールターマックラリー、ツールドコルスでした。
この年は、Gr 4とGr Bの混走。
WRCは前年参戦したこのクルマによって、新しい時代の扉が開かれていたのでした。
アウディ クワトロ
その後の主流となる 4WD + ターボを、初めてWRCに持ち込んだクルマです。
1981年よりGr 4で参戦しましたが、当初はターボトラブルが多発。
白煙を吐くシーンが多く見られました。
そして熟成を重ねてきた、2年目。
マイナートラブルは解決され、信頼性も大幅に向上しています。
そうなるとターボパワーを4WDで路面に叩きつけ、怒涛のトラクションで疾走するクワトロに、もはや死角はありませんでした。
そして、もう1台。
後年語り継がれる事になる名車が、ここコルス でデビューします。
ランチア ラリー
エンジンは過去3回マニュファクチャラーズチャンピオンに輝いた、フィアット 131に搭載されていた、2L 4気筒 DOHC。
それをベースにスーパーチャージド化し、アバルトにより更にチューニング。
そのエンジンをダラーラで製作されたチューブラーフレームに、ミッドシップで搭載。
最後はピニンファリーナデザインのボディを纏った、世にも美しいラリーカーをエントリーさせたのです。
コルシカ島に降り立った、2台のスーパーラリーカー。
いくらフェラーリと言えども、こちらはセミワークス。
しかもラリーフィールドは、全くの未知数です。
果たして、フェラーリに勝算はあるのか?
そして幕が切って落とされた、ツールドコルス 。
序盤からフェラーリが快走し、トップに立ちます。
そのまま逃げ切れるかと思いきや、メカニカルトラブルが発生。
残念ながら2位でのフィニッシュとなりました。
ですが、この時の2位リザルト。
この記録が、今もWRCにおけるフェラーリの最高順位として輝いています。
結局、優勝したのはあの2台のどちらか?
ランチアは、初戦故のマイナートラブルに泣かされ、完走するもノーポイント。
アウディは、怒涛の4WDシステムが災いし、プッシュアンダーに苦しめられ下位に沈んでしまいました。
となると、フェラーリに勝ったのは、一体?
地元フランスの意地を見せた、ルノー 5 ターボです。
操っていたのは、世界最速の広報部長、ジャン・ラニョッティ。
ツールドコルス 、一筋縄ではいかないラリーですね。
この結果を受けてかどうか、定かではありませんが、遂にマラネロが動き出します。
フェラーリ自らが、Gr B車両を開発する事になったのです。
そのクルマとは・・・
フェラーリ 288 GTO
車名の「GTO」、これは「Gran Turismo Omorogato」の略。
オモロガート、英語で言えば、ホモロゲーションです。
つまり、FIA GTカテゴリー(グループ B)の公認車両、という意味を表しています。
308 GTB Gr B (Gr 4)からの変更点です。
V8 DOHC 4バルブエンジンは、ツインターボ化。
その為、ターボ係数 1.4を掛けて4.0L以内になる様、排気量は2855ccへ下げられています。
その結果、パワーは100ps以上アップし406ps。
そのエンジンを縦置きに変更し、前後重量配分をより50:50へ近付けています。
この大パワーを受け止めるべくボディも、308に似ていますが変更が実は似て非なるもの。
ホイールベースを110mm延長し、幅も190mm拡大し、この暴力的なパワーユニットを抑え込むべく、より安定方向で改善されています。
それでも、ミッドシップ 2WDで、406ps。
時代は4WD化していく中、果たしてこんなモンスターマシンが、コルシカ島のワインディングで戦えるのか?
そんな予感は的中しました。
288 GTOが発表された翌年の1985年、ツールドコルスではランチア ラリーで死亡事故が発生。
1986年にも、同じくツールドコルス でランチア デルタS4で死亡事故と悲劇が続きました。
もはやGr Bは、人間がコントロール出来る様なシロモノでは無くなっていたのです。
これらの事故を受け、1986年を最後にGr BでのWRCは終焉します。
288 GTOは生を受けたものの、活躍する事なく使命を終えたのでした。
その後の288GTOは、エボルツィオーネと進化し、舞台をサーキットへ。
そして、あの名車へと昇華するのでした。
フェラーリ F40
フェラーリ創立40周年を記念して、誕生したクルマ。
そしてエンツォ フェラーリが見届けた、最後のクルマでもあります。
基本パッケージは、288GTOを踏襲。
エンジンを3.0L化し478psへアップし、ホモロゲモデルからロードカーへ仕立て直されました。
戦う事のなかった288GTOでしたが、その技術はF40で活かされたのです。
歴史に「たら・れば」はありませんが。
ツールドコルスを豪快なパワードリフトで駆け巡る、288GTOの勇姿は見てみたかったですね。
ですがそうなれば、きっとGr Bの終焉がもっと早くなっていた事でしょう。