• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

くまとっどのブログ一覧

2022年08月16日 イイね!

群馬でいちばんの山

群馬でいちばんの山無事、夏期休暇を迎えられました。

本業は自動車業界なので、毎度恒例の9連休。

最近では、平日バイトを入れたりするのですが、今回は週末のレギュラー以外なし。

結果、7連休を満喫しております。
(有難い事です)



夏休みといえば、お出かけ。

海・・・は群馬にないので、山へ行ってみましょう。

ここ群馬は、山が多いんです。

南は埼玉から続く関東平野ですが、後は、ほとんど山。

赤城、秋名(榛名)、妙義と揃い踏みです。

これらの山、前橋、高崎の市街地からは、せいぜい1時間程。

お家から、ちょっと走れば峠道。

まるで走り屋育成コースの様な環境なんです。

そんな山ばかりの、群馬県。

そう言えば一番高い山って、どこだろう?

地元前橋の赤城山ではないのは、確かですが。






調べてみました。

正解は、日光白根山、標高2578mです。

「日光」と名が付く通り、山頂は栃木県との県境。

県内にもう一つ白根山があるので、それと区別する為、頭に「日光」と付いています。

(ちなみに、もう一つは「草津白根山」です)

こんな高い山、根性も体力もない私には、到底無理。

それでは・・・逆に一番低い山って、どこだろう?

調べてみたところ、前橋の隣、伊勢崎市にある事が判明。

近所なんで、早速行ってみます。






山の名前は、八寸権現山(はちすごんげんやま)。

群馬一低い山は、平成の大合併前の伊勢崎では、これでも市内最高峰の山だったそうです。

登山道入口にそびえ立つ、赤い鳥居。

この道は、中腹にある蓮神社(はちすじんじゃ)への参道も兼ねています。

山頂を極める前に、まずはお参りを。






こちらが、蓮神社。

無事登頂出来る様にと、二礼二拍手一礼。






神社正面には、幾つもの鳥居と長い階段。

こちらがメインの参道なんでしょうね。






再び登山道まで戻り、改めて山頂を目指します。

この辺りは、4合目くらいでしょうか。

舗装だった道も、土に変わりました。






振り返ってみます。

澄み渡る晴天だったら、赤城山が臨めたんでしょうね。

真夏のどんより空気で、それは叶わず・・・。






無事、山頂に到着。

登頂時間は、まっすぐ来れば5分も掛からないです。

山頂には、石造りの宝塔と標柱がありました。






山頂の標高は、91m。

ちなみに周辺との標高差は、20m程だそうです。






頂上付近、クロマツの隙間から、伊勢崎の街を臨みます。

群馬の場合、低山だと思われていたものが、実は古墳だったりします。

事実、この八寸権現山にも、山麓付近に直径20mくらいの円墳が30基程あったのだとか。

しかし、この山は古墳として作られた、人造物ではありません。

自然に出来た、純然たる「山」でした。






この日のお供は、スバル360。

日中は30度を越えますが、夕方になれば、幾分過ごしやすくなります。

あまり良い環境でなかったが、熱ダレする事なく、無事完走。

クラッチ修理以降は快調です。


群馬で一番のものが、こんな近所にあったなんて。

長らく住んでいますが、これは新発見でしたね。
Posted at 2022/08/16 01:59:11 | コメント(4) | トラックバック(0) | 群馬 | 日記
2020年03月13日 イイね!

群馬県唯一のものと不思議な展示品

群馬県唯一のものと不思議な展示品群馬県東吾妻町のイベントに行った帰り道、ちょっと寄り道をしました。

まずはここ。






安中市にある新幹線だけが停車する駅、安中榛名。

その駅前にある交差点です。

ここには、群馬県唯一で実証実験中のラウンドアバウトがあります。

聞き慣れない言葉ですね、ラウンドアバウト。

和訳すると、環状交差点となります。

海外ではよくある交差点です。

代表的なものは、これですね。





お馴染み、パリの凱旋門がある、シャルル・ド・ゴール広場です。

ここに導入される道の数は、実に12本。

それなのに、この交差点には信号がありません。


通過にあたり、それぞれの導入路から環状路に入り、そしてゆっくり回りながら、目的の道へ向かって環状路を出ます。


この構造のメリットは、信号がない為、渋滞が緩和が期待出来ます。

また停電しても、ちゃんと機能します。

デメリットは、通行量が多過ぎる場合は、環状路から出られなくなる可能性があります。

また逆に、渋滞を誘発することもあるかもしれません。


この安中榛名の交差点ですが、この時はほとんど交通量がありませんでした。

正直なところ信号機がなくても、問題ないです。

ですが朝夕のラッシュ時では、信号機が必要になるのでしょうね。

そのくらいの交通量であれば、これもアリなのかと思います。






続いて向かったのは、高崎市吉井町にある牛伏山。

ここの山頂ちかくには、展望台があります。






北を見渡せば、前橋の街並みと赤城山(曇ってます・・)。

この辺りでは高い山になりますので、見晴らしは良いです。






駐車場には、YSRがポツン。

この日はガラガラでした。

ここに来た目的は、この景色もありますが・・・

展望台の中に展示されている、高崎市吉井町の特産品を見に来たのです。

それは、ちょっと不思議なものでした。






セガ サターン



すみません、上の蛍光灯が映りこんでしまい、上手く撮れていませんでした。

でも、なぜにこれが郡馬の山の上に?


この部品を作っていたメーカーさんが、ここ吉井町にあったそうです。

そこで当時バリバリに量産していたセガサターンを、地元の特産品として展示したみたいです。

ということは、ここの展示場、長い間、展示品の改定がされていないのでしょうね。

結果、懐かしのゲーム機が、時代を越えてここに鎮座する、という事になったみたいです。


なんだか、タイムスリップでもした様な気分になりました。

だから秘境とか言われちゃうんでしょうかね・・・群馬って。
Posted at 2020/03/13 10:04:54 | コメント(4) | トラックバック(0) | 群馬 | 日記
2018年05月23日 イイね!

前橋クラシックカーフェスティバル 2018

前橋クラシックカーフェスティバル 2018今年も、前橋中央通り商店街で開催されたイベントに、行ってきました。

今年のテーマは 「アメ車」。

アメ車かぁ・・・あんまり知識がないんですよね。

メインの会場に展示されていたのは、シボレー コルベット。

流石にこれは分かります。

3代目のC3ですよね。

年代的には、次モデルC4も対象になっているのですが、大半がC3でした。


続いては、こちら。





フォード マスタング コンバーチブル



私の中で、「マスタング」といえば、このモデル。

子供の頃、プラモデルも作りました。

クーペボディのマッハ1でしたけど。

当時は「ムスタング」と呼ばれていましたね。

確かプラモは、フォグが横型でした。

これは縦型になっていて、最終の1973年モデルだそうです。



アメ車は以上です。

他にも出展車はあったのですが、ここで書ける程の知識を持ち合わせておりませんで・・・



ということで、ここからは得意な日本車のご紹介を。





コロナ ハードトップ 1600 S


日本初のセンターピラーレスのハードトップです。

ただし三角窓付き。

ちなみに、宿命のライバル、510型ブルーバードはというと・・・






こちらは、三角窓なしのセンターピラー付きクーペでした。



コロナ ハードトップは、叔父が乗ってました。

小学生の夏休み、このコロナに乗せてもらいました。

当時はエアコンなどは当然なく、助手席に吊り下げるクーラーが一部の車にあったくらいでした。

コロナには、まだどちらもありませんでしたね。






でも、コロナの窓をフルオープンにすれば、車内は風に満たされて、気分爽快。

でも、実際の風は、「そよ風」と言うよりは「暴風」だった様な・・・







あっ、思い出しました。

三角窓の開閉は、このダイヤルで行っていました。

普通の三角窓は、窓本体にロックが付いていて、直接窓を押して開閉していました。

ですが、コロナはこのダイヤルで開閉していたので、技術的に進んでいる様でカッコよかったですね。





プリンス グロリア


「プリンス」名で発売開始された、最後のグロリアです。

販売終了となる1年前に合併した為、車名が途中から「日産 プリンス グロリア」となりました。

そして、次の縦目モデルからは「日産 グロリア」に。


合併にあたり、プリンスは「車名にプリンスの名を残す」と要望し、それは承認されていた様でした。

なので生産過渡モデルは、合併後「日産 プリンス ○○」という車名に。

ですが、その次モデルからは、「プリンス」名は廃止され「日産 ○○」と・・・


「プリンス名は残すはずでは?」との問いに、日産は「要望通り残している」と。

つまりプリンスは、ずっと「日産 プリンス ○○」と言う車名にしたかったそうなのです。

ですが日産は「グロリア」「スカイライン」の車名のみを、合併後も変えずに残す、そういう意味だったそうです。





今でこそ、フロントグリルは樹脂製です。

ですが、当時は金属のプレス品をメッキしています。

しかも、穴のひとつひとつも、プレスで打ち抜いているんですね。

何年も使うプレスの打ち抜き型で、これだけの穴をきれいに開けるのは、なかなか大変なことです。





ベレット 1600 GTR仕様


ホイールまで含めて、きれいにオリジナル状態が保たれている1台でした。

外観は1600GTR仕様ですが、ベースは1800GTだそうです。





テールパイプは、やや中央よりから出ています。

そういえば、PF60(FR) ジェミニ ZZも、同じ様な位置から出されていました。

これは、いすゞの伝統なんでしょうかね?





スカイライン 2000 GT-EX



私もスカイライン ジャパンに乗ってましたが、うちのはTI。

やっぱり、6気筒のGTには憧れがありました。

この緑色も、珍しいですね。

イベント仕様車が多い中、この車はものすごく使用感がありました。

なんとも日常を生きている感じが、いいですね。







ィアット 501S


実は詳細がわかりません。

くまさんが乗っていたので、パチリ。



今回は、出展車両が少なかったですね。

例年の70%くらいでしょうか。

「アメ車」というテーマが、ハードルを上げていたのでしょうか。

その影響なのか、来年のテーマが既に発表されていて「軽自動車」だそうです。


そういえば・・・

今年は、スバル360、ミゼット MP型が各1台しかありませんでした。

スバルの地元、群馬なのに、なんとも寂しい限りです。

別にアメ車以外でも、当然出展は出来るのですがねぇ。


来年は、もっと台数が増えれば、いいですね。
Posted at 2018/05/23 10:04:38 | コメント(7) | トラックバック(0) | 群馬 | 日記
2018年05月18日 イイね!

浅間記念館

浅間記念館浅間サーキットの企画展で嬬恋まできたので、ここも行っておかねばなりません。

鬼押出し園の隣り、長野原町営 浅間園の中にある、浅間記念館です。

えっ? 長野原町営?

調べてみると、公道を使用した第1回浅間高原レースのスタート/ゴール地点は、長野原町でした。

前々回のブログで「コースは全て嬬恋村」と記載してしまったので、訂正させて頂きました。

失礼しました。





浅間山界隈で行われた全3回のレースのうち、第1回のみ公道レースでした。

コースの一部は、今でも現役の公道です。

ですから、当然同じ道を辿ることが出来るのです。





例えば、この幕で有名なスタート地点。

当時は、こんな模様でした。





このスタート地点は、今も公道です。





国道146号線、北軽井沢の交差点南側にあるコンビニの駐車場に、この碑はあります。

ここをスタートして、国道を南下する(写真だと手前側)ルートでした。



再び、浅間記念館に戻りまして。

ここは、浅間開催時の1950年代から1970年代までの、代表的な車両が展示されています。

多くのバイクは、私がわかる年代の1つ前のイメージでした。

では、展示車のご紹介を。





丸正 ベビーライラック SF


ライラックは、丸正自動車製造のブランドです。

ブランド名は、創業者 伊藤 正さんの「藤」にちなんで、付けられました。

このベビーライラック、ヘッドライト一体のタンクが斬新ですね。





ベロ ソレックス

あのキャブレターで有名な、ソレックス製のモペッドです。

自転車+50ccエンジンと、これこそ正に「原動機付き自転車」ですね。

これ、なんだか見覚えがあるなぁと思っていたら、ダイハツで1974〜1977まで販売されていました。





ヤマハ スポーツ350R1


1960年代、当時の主流は250cc。

そんな中、1967年誕生したフラッグシップモデルが、350ccのR1です。

でもこのバイク、ある出来事をきっかけに有名になります。





1968年、東京府中で発生した3億円事件。

犯行で使われた偽白バイが、この350R1だったそうです。





スズキ GSX1100S カタナ

これが、ここでは最新のモデルになります。

デビューは1981年。

これは2000年に発売された最終モデル、ファイナルエディションです。

ひょっとしたら、初めて見たかも。





ホンダ CR110 カブレーシング

1962年に誕生した、市販レーサーです。

このバイク、なんと50ccのDOHC 4バルブ。

しかも、カムギヤトレーン。

もうテクノロジーが凄すぎて、逆に異常とも思えてきます。

名前の「カブレーサー」なのですが、エンジンベースがスーパーカブだからだそうで。

でもカブは横型エンジン、カブレーシングは前傾エンジン・・・う 〜ん?

今回初めて知ったのですが、このロングタンクの市販レーサーは中/後期仕様。

初期型は、公道走行可能なスクランブラーだったそうです。





いや流石に、これ、もてぎにあったかなぁ?

あの50cc DOHCエンジンを、合法的に公道で走らせることが出来たモデルがあったとは。

今まで知りませんでした。

そして、トリはこのバイクです。





陸王 750cc プロトタイプ

日本のハーレー ダビットソンですね。

その成り立ちは、ハーレーにインスパイアされたものかと思っていました。

そうしたら、さにあらず。

陸王モーターサイクルの起源は、日本で生産ライセンスを取得していた、日本ハーレーダビットソン モーターサイクルなんですね。

実は正規ものからスタートしていたとは、知りませんでした。

ここに展示されているプロトタイプは、1960年製。

陸王が倒産した年に誕生し、奇跡的に廃却を逃れられた、現存する唯一のものだそうです。


ここまで古いと、私の知識では全然太刀打ち出来ません。

それ故に、いい勉強になりました。

このあたりは景色がいいので、コース跡の公道を走りながら、思いを馳せてみるものいいものですよ。
Posted at 2018/05/18 10:07:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | 群馬 | 日記
2018年05月08日 イイね!

浅間サーキット物語 <嬬恋郷土資料館 企画展>

浅間サーキット物語 <嬬恋郷土資料館 企画展>群馬県嬬恋村の郷土資料館で開催中の、企画展を見て来ました。

ここ嬬恋村は、1955年に開催された「第1回 浅間高原レース」の開催地です。

しかもこの時のコースは 、嬬恋村と長野原町の一般公道を閉鎖したもの。

さすがに一般公道でレースは危険すぎ?

ということで、2年後の1957年、第2回大会からは新設されたクローズドコースでの開催となり、通称も「浅間火山レース」となりました。

コースになったのは「浅間高原自動車テストコース」、ここも嬬恋村にあります。

以降、終焉となる1959年までの全3回、全てコースに嬬恋村が含まれていました。

ちなみに、このコース、「サーキット」ではありません。

当時のオートバイメーカーは、今よりもはるかに規模が小さく、自前のテストコース等は、到底所有など出来ません。

そこで業界団体とメーカー19社が、新車開発の場として共同建設したのが、このコース。

なので、「テストコース」でした。

実質は「サーキット」でしたけどね。





第2回以降のコース図です。

全長は9.3km、牧草地にコースはありました。

驚くのは、その路面。





ダートなんです。

砂利もあるのですが、ほとんどは火山灰。

ですが当時の日本、国道1ケタ路線でも未舗装は当たり前。

テストコースと考えれば、現代の舗装路サーキットよりも現実的かもしれません。

ここを舞台に争われたのは、125cc, 250cc, 350cc, 500ccの全4クラス。

フカフカの火山灰の上を、全開で疾走する500ccのバイク。

かなりの恐怖が伴ったのではないかと、想像に難くありません。





そんな特殊な路面環境ですから、参戦するバイクも「浅間スペック」になっています。

これは1959年の最後の年に参戦したもの。

昌和製作所 クルーザーSL 浅間レーサー です。

エンジンは125cc。

キャブがクランクケース横につくロータリーディスクバルブ方式、通常とは逆の後方排気と、かなりチャレンジングな技術を投入しています。

そんな昌和製作所、翌年の1960年、日本高速機関(ホスク)を吸収合併し、大型4ストエンジンの技術を得ます。

ですが1960年、ヤマハに買収され、現在はヤマハ モーターパワープロダクツとなり、ゴルフカート、発電機等を生産しています。





ちなみに、1970年に発売された、ヤマハ初の4ストバイク、XS-1(650cc)。

このエンジンには、昌和製作所の技術が生かされていると、言われています。
(ヤマハのHPには、トヨタ2000GTの技術が生かされている、ともありますが・・)





ここからは嬬恋村郷土資料館の隣にある、鎌原(かんばら)観音堂のお話を。





正面の石段に掛かる橋の下ですが、なぜか階段が続いています。

一体、どういうことなのでしょう?

実はこの階段、現在は15段ですが、元々は50段あったそうです。

見えなくなった部分は、1783年に発生した浅間山の大噴火による土石流で、埋没してしまったのです。

その土石流の高さは、およそ6.5m。

当時ここにあった鎌原村は、村全体を土石流に覆われてしまい壊滅してしました。

村民570人のうち、村外にいた人と、この観音堂に避難できた人だけが生存し、その数はわずか93人。

鎌原地区は、その成り立ちから「東洋のポンペイ」とも呼ばれています。



今回は、YSRで行きました。

基本的にはずっと上り坂です。

ですが、急勾配箇所は少なかったので、なんとか流れについていけました。

ですが、郷土資料館直前に立ちはだかる最後の急坂。

ここは2速 8000rpmでも40km/hしか出ず、後続車が気になってヒヤヒヤでしたね。

まぁ、私がダイエットすれば、相当登坂性能は改善されると思いますが。
Posted at 2018/05/08 10:13:26 | コメント(4) | トラックバック(0) | 群馬 | 日記

プロフィール

「@中島乗り さん UDの意味、時代と共に変わりますね。私が学生の頃、先生からは「ユニフロー ディーゼル」の略だと教わりました。」
何シテル?   05/30 12:53
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

エコからオフ in 呉 追加情報 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/10/06 17:02:28
【告知】令和5年、那須合同ミーティング開催日決定♪  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/02/27 12:42:29
ダァ〜イアトーン♬ ポップスベスト10っ♪ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/03/14 12:53:29

愛車一覧

ホンダ N-ONE ホンダ N-ONE
2019年購入 インサイトが追突事故により修理不能となり、代替えしました。 購入候補 ...
ヤマハ YSR50/80 ヤマハ YSR50/80
1999年購入 当時RZ250Rに乗ってましたが、ビビリィな私、とても性能を使い切って ...
スバル スバル360 スバル スバル360
2019年購入。 ヘッドランプリングの黒塗装、大型のテールライトから、1968年の52 ...
スズキ ジェンマ スズキ ジェンマ
2017年購入 「購入」と言っても、物々交換で入手しています、スバル最中と。 友人がお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation