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くまとっどのブログ一覧

2022年11月12日 イイね!

近況報告

近況報告暫くのご無沙汰でした。

みんカラを見てはいましたが、投稿するのは燃費記録程度。

イベント再開しつつも活動する事はなく、淡々と日々を過ごしていました。


6月に社内の組織変更がありまして、上司が変わりました。

今度の方は国内外の拠点を回り、改革を進めてきた凄腕の持ち主です。

私のグループは、自動車部品担当。

しかもエンジン関連の部品です。

みなさんのご想像通り、将来展望が見込めない部署なんです。

そこに送り込まれた、Mr 改革マン。

既存業務の洗い出しをして、大変革に掛かります。

今まで良かれと思ってやって来たものが、ことごとく否定され続けます。

確かに在籍30年超のプロパー社員は、既得権益にしがみ付く抵抗勢力にしか見えないでしょうね。

新上司とは、ことごとく意見が合いません。

「なぜやらない」「どうして出来ない」・・・

逐一報告、都度批判。それの繰り返しです。

さすがに疲れました。

先日も社内で体調不良になり、そろそろキツいかなぁ・・・






大幅減給に伴い始めた、副業の食品配送。

もう1年が過ぎました。

体力的には、決して楽ではありません。

でもトラック運転している楽しさの方が、それを上回っているので続けられます。

ただ勤務が週1〜2日なので、これが週5日になると違うのかも知れませんが。

この副業、収入補完の意味もありますが、次のキャリアへの選択肢見極めの意味もあります。

本業は定年まであと5年。

65歳までは嘱託契約ができますが、それはないでしょう。

むしろ早期離脱も選択肢に入れた方が、良いのかも知れません。






そんな日常なので、日曜日は休むという名目で、ダラダラ。

なんとなく起きて、洗車とかしようかなぁと思いつつも、ダラダラが継続。

気付けば夕方で、1日終了です。

確かにのんびりは出来るけど、楽しくはないかな。

そう言えばこの時期、あまりクルマの事は考えていませんでした。

ネットとかで見た情報でも、以前なら「なにコレ?」と思えば調べたりしたのですが。

最近は、そんな事も考えられない。

なんか自身のキャパに余裕がなく、受け入れる事が出来ないんですね。

これだとどんどん滅入ってきそうなので、ここは一念発起。

先日は3年ぶりに開催された、桐生のクラシックカーフェスティバルへ行って来ました。

想像通りの大盛況で駐車場に困りましたが、やっぱり楽しいです。

初めてみん友さんにも、お会いできましたし。

この様子は、また後日紹介したいと思います。


やっぱり「楽しい」と思えるものが、日々の原動力なんだろうなぁ。

休日は一番好きな事、クルマの運転をして活力を見出す様にします。
Posted at 2022/11/12 10:23:17 | コメント(10) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2022年09月16日 イイね!

宇都宮 謎のロータリー

宇都宮 謎のロータリーコロナ禍以前は、足繁く通っていた街、宇都宮。

今はお仕事もweb会議で、出張もなくなり・・・

Wワークでお休みも減り茂木にも行けなくなったりで、最近はご無沙汰しています。

前橋から宇都宮までは、約100km。

普通であれば、高速でしょうね。

ですが私、お金はないし、R4バイパスの様なアクセルバンバン開ける道は苦手だし・・・。

なるべく1車線の道を使って、行ってました。

その道中に、これがあるんです。






宇都宮市江曽島(えそじま)にある、ちょっと歪んだ四角形の道。

江曽島ロータリーと呼ばれています。

それにしても、なんだろ、これ?

あっ、最近増えつつある、信号のない交差点?






そうそう、中央の円と放射状の道で成り立っている交差点。

環状交差点、ラウンドアバウトでしょうか?

写真で見てみましょう。





あれ? なんか違います。

ラウンドアバウトだと、時計回りの一方通行です。

でもこの道、2辺は一方通行ですが、残り2辺は対面通行です。

途中に一時停止もあるので、なんか違います。

ラウンドアバウトではないとすると、これは一体なに?

たまたま出来ちゃったのか、意図的に作ったものなのか?

最近、その答えが分かったそうで、ネットで紹介されていました。

この道には、ちゃんと理由があるんだそうです。

秘密は、この近所の建物にありました。





写真下の赤丸が、江曽島ロータリー。

上の赤い四角のエリア、ここは、スバル航空宇宙カンパニーなんです。

群馬県太田市にある本工場や大泉工場の様に、スバル関連施設のルーツをたどると、大概この会社に当ります。





中島飛行機です。

ここ宇都宮も、御多分にもれず。

航空宇宙カンパニーも、元中島飛行機 宇都宮製作所です。

しかも、ここから南へ1.6km程離れた、陸上自衛隊 北宇都宮駐屯地。

ここも元は中島飛行機の飛行場です。

敷地面積360万平行メートルだそうですが、正直なところ広過ぎてよく分かりません。

大体、赤い四角の中が、その敷地だった様です。






さて話は戻って、江曽島ロータリー。

ここと中島飛行機には、どんな関係があったのでしょうか?






時は遡りまして1947年、宇都宮の航空写真です。

右に見えるのは、中島飛行機の飛行場。

上でちょっと見切れているのが、宇都宮製作所です。

工場の左下あたりに目をやると・・・

道の交差点にある、丸いもの。

これが江曽島ロータリーです。

つまりここは、80年ほど前には存在していたのです。

一体、その目的はなんだったのでしょう?




時は第二次世界大戦の最中。

真珠湾で幕開けした時には勢いがあったものの、その後は物量に勝るアメリカの攻撃で、戦況は悪化。

遂には本土も、爆撃の被害を被る様になって来ました。

その時、徹底的に狙われたのが、中島飛行機の各工場。

宇都宮も例外ではありません。

空爆に備え飛行機を避難させるのですが、工場や飛行場では爆撃されるリスクが高い。

そこで、飛行機の防空壕と言える掩体壕(えんたいごう)を作り、そこに避難させていました。






他には森の中へ避難させるケースも。

この江曽島ロータリーの周辺では、ロータリーを南下し2本目の道と交わる左側。

ここは現在の緑ヶ丘小学校の辺りになるのですが、ここの松林も避難場所だった様です。

このロータリーを南北に結ぶ道(現 緑ヶ丘通り)は、宇都宮製作所と避難先の松林とを繋ぐ道だったのです。

飛行機の数も徐々に増えてくると、製作所と避難場所の往来も多くなり。

この狭い道で、飛行機が鉢合わせになる事もあったそうです。

そうなると、すれ違い場所が必要かと。

それで出来たのが、江曽島ロータリーだったのです。


いやぁ、驚きました。

あのロータリーは、戦争遺構だったなんて。

太田のスバル本工場に繋がる、交通量の割には妙に広い道も、飛行機関連のものだったり。

不思議な道路って、戦争遺構のケースが多いのかも知れませんね。

それにしても、この謎が解けて本当に良かったです。
Posted at 2022/09/16 10:08:00 | コメント(5) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2022年04月15日 イイね!

人助け 最初に1人になって

人助け 最初に1人になって今回は急遽予定を変更して、昨日あった出来事を。

この日は前日から気温が10度以上下がり、冷たい雨が降る一日でした。

仕事を終えて、帰宅の途につくべく、アクティの元へ。

私の通勤時間は、おおよそ30分。

朝は一刻を争うので、最短ルートで行きます。

ですが帰りは特段の制約もないので、ただ帰り着くだけ。

30分だと走り足りない私は、ちょっと遠回りをして帰っています。

いや別に家に帰るのが怖いとか、そんな事は決してありません。

この日も、ちょっと・・と言うか大分遠回りをして、赤城山山麓経由で自宅へ。

山は霧が出ていて、眼前は白く煙っていました。





暫く走ると、前方にテールライトがぼんやりと。

よく見ると・・・あっ、停まってる。

更に目をこらせば、その先には電動のシニアカーが・・・しかも逆走。

あのクルマ、よく気付いて衝突しなかったよなぁ。

何やら前方のドライバーとシニアカーのお婆さんが、会話しています。

そのうちクルマ・・・行っちゃいました。

あれ、助けを求めていたんじゃないの?

お婆さんはシニアカーに戻り、今度は正しい車線を走行し、私の横へ。

あれ? そのまま通過しちゃうの?

私から声を掛けてみました。

どうやら、知り合いの家に行く途中で迷ったらしいのです。

時刻は20時を過ぎ、あたりは霧。

場所は赤城山山麓で街灯などはありません。

しかも、この辺りに人家もありません。

このまま見過ごすのは・・・ちょっとヤバい感じがします。






訪ね先の住所は、よくわからず。

時間も時間なので、そこへの訪問は諦める様に説得しました。

そこは納得してもらったのですが、自宅までは自力で帰ると言うお婆さん。

まずは家族が心配しているだろうと、お婆さんの自宅へ電話をした方が良いかな。

お伺いすると、自宅の住所と電話番号はしっかり言えてました。

ただ自宅は・・・・ここから5kmくらいは離れている、ふもとの町。

確かシニアカーって、早歩きくらいのスピードしか出なかったはず。

しかも、バッテリー残の警告が発令中。

これ、絶対自力じゃ帰れないよなぁ。

まずは無事の知らせをお婆さんの自宅へ電話をするも、生憎の不在。

辺りは寒くなってきたし、自宅は大体わかったし、クルマはアクティだし。

私が送って行くのが、一番速くて安全じゃないかな。

最初はお婆さんも遠慮してか断っていましたが、流石に「あっ、そうですか」とはこちらも引き下がれません。

なんとか説得して、同意してもらいました。






現場には、アクティとシニアカー。

そして、お婆さんと私。

今日は通勤だったので、スロープやタイダウンベルは、持ってません。

原付ディオだったら一人で積めるので、シニアカーもなんとかなるだろう。

まずはフロントから・・・うわっ、重っ!

ボディはプラスティックなので、そこは持てません。

その奥にあるフレームを掴んで、なんとか前輪を荷台に接地させました。

続いてリアは・・・わっ! もっと重い!

そうかぁ、バッテリーとモーターが入っているんだ。

ヤベッ、全然持ち上がりません。

途方に暮れていると、遠くからヘッドライトの光が・・・

両手を大きく振り、停車を促します。

良かった! 停まってくれました。

降りてきたのは、40代くらいのご夫婦。

事情を説明して、シニアカー積み込みを手伝ってもらいました。

いやぁ、マジで助かりました。

こんなご時世ですからね、停まってくれないんじゃないか、内心ドキドキだったんです。

無事シニアカー積み込みも完了して、いざご自宅へ。

目標の建物近くまで来ると、道の記憶はしっかりしてまして。

無事にご自宅まで送り届ける事が出来ました。

よかった、よかった。






過去にも私、熱中症で路上に倒れているお爺さん、自転車の飲酒運転で転倒していたお爺さんに、遭遇した事があります。

そういう時って、周りに人がいたり、横をクルマが通過したりしてるんです。

ですが誰も、近くには行けない。

やっぱり怖いですよね。

もし大怪我していたら・・・血だらけだったら・・・とか考えると。

でも誰か一人行くと、遠巻きにしていた人が近付いてきてくれたり、クルマも停まってくれたりするんです、私の経験上。

それに近付いて来る人達は、「手伝って下さい」とお願いすれば、断ったりはしません。

私も何度かお願いした事ありますが、一度も拒否された事はありません。

大事なのは、最初の一人なんですよね。

だから私は、最初の一人になる様にしています。

もし自分で対処出来なくても、周りの人にお願いすれば何とかなります。

困っている人が助けを求めてきた時、拒否する人はいないんですよ、日本という国では。

例えば、今回のケース。

前のクルマ、突然の事で驚いたんでしょうね。

夜、霧の中から出てきたお婆さんに、話し掛けられたから。

これもがもし、走行順序が逆だったら・・・

先に私がお婆さんに出会って、シニアカーの積み込みを前のクルマの人に頼んだとしたら・・・

きっと手伝ってくれたと思います。


座右の銘のひとつ「やらずの後悔より、やっての後悔」

これも同じです。

「こんな事になるんだったら、助けてあげれば良かった・・・」

こんな思いは、したくないですよね。
Posted at 2022/04/15 11:37:44 | コメント(7) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2022年04月08日 イイね!

クルマ原体験 1970's

クルマ原体験 1970's私の生まれは、1967年。

クルマに興味を持ったのは、幼稚園に上がる前だったでしょうか。

ケンメリのトミカを買って貰ったのを、よく覚えています。

そんな私とクルマとの出逢いは、1970年代の日本車なんです。



この時代の日本と言えば・・・

大阪の万博の開催と共に、明るい未来の幕開け。

明日は今日より素晴らしい、右肩上がりの経済成長。

これからも益々発展するものだ、そう思われていました。

ところが、いざフタを開けてみたところ・・・

それまで続いていた高度経済成長という名のお祭りも、いつしか終焉。

進化目覚ましくニューモデルが発売される度に話題となった新型車にも、その影響があったのです。

1970年代に入ると一転、オイルショックに公害問題と問題山積。

スピードからクリーンへ。

時代は確実に変わっていたのです。






それまでのツケを返すが如く、クルマも暗黒時代へ突入する事になります。

どんなにパフォーマンスが低下しても、クルマを無くす訳にはいきません。

今までとは違う方向で、技術開発を邁進していく必要に迫られます。

ガソリン無鉛化、エレクトロニクス化による燃焼制御、触媒の活用により、どうにか排ガス規制をクリア。

暗黒時代の長いトンネルも抜け、1980年代には新たなパワーウォーズへ繋がっていきます。

そんな谷間の時代だった、1970年代。

1967年生まれの私には、1960年代のお祭り騒ぎは実体験がありません。

かと言って、トイレットペーパーの買い占めも記憶にないです。

当時で覚えているのは、ガソリンスタンドの日曜休業、テレビの放送終了時間の前倒しくらいでしょうか。

モータースポーツは、軒並み中止の追い込まれ、スポーツモデルも次々に販売終了。

それでも残ったクルマには、排ガス規制という重い足かせをされてしまい、走りは期待出来ないものでした。






この時代のクルマは、とにかく走りません。

私も51年規制のNAPS車、スカイライン ジャパンのTIに乗っていたので、身をもって感じています。

規制クリアさせない事には販売出来なくなってしまうのですから、仕方ありません。

クルマ本来の走る楽しさが、大幅にスポイルされているからでしょうか。

この時代のクルマは、ほとんど残っていません。



全然走らないのが特徴の1970年代車には、もう1つ特徴があります。

それは曲面多用のデザイン。

多分にアメリカの影響だったんだと思います。

その曲面の使い方も、結構きわどくて。

時にはやり過ぎ感が否めないものも、正直ありました。

特にその傾向が強かったのは、日産だったでしょうか。

当時はアメリカで「DATSUN」ブランドを展開しており、省資源を追い風に日本車の販売拡大にかなり貢献していました。

モデルによってはフェアレディZの様に、アメリカの方が販売台数が多い、そんなクルマもありました。

1970年代を象徴する日産車、まずはこのクルマ。





サニー B210


叔父が前期1400のセダンに乗ってました。

逆スラントのフロントノーズ。

クーペはリアハッチの傾斜が緩く、コーダトロンカっぽくも見えます。

私の好きなデザイン要素が、実は結構入っているんです。

ただ残念なのは、車幅に対して妙にトレッドが狭いところ。

流用するフロアパネルの影響でしょうけど、当時の台所事情もありで仕方ない部分なんでしょうね。

そういえば日産車は、暫くこの傾向がありましたね。

妙なナロートレッド。

80年代に入るまで、この傾向は続いていました。





シルビア S10


ロータリーに翻弄された女神です。

サイドウィンド後端のJラインによる、巨大なCピラー。

当時の日産車にある特徴ですね。

後方視認性が悪いとか、後席に乗ると穴に入った様な閉書感とか言われますが、私は好きなデザインです。

サイドには、尻下がりのプレスライン。

そういえば、これも当時日産車には多く見受けられました。

おそらく尻下がり好きなアメリカの趣向に、合わせていたのではないでしょうか。





ブルーバード U P610


名車510から上級移行した表れなのでしょう、「U」のサブネームが付いています。

ところで「U」ってなんでしょう?

これは「User」の略だそうで、使う人の気持ちに最優先して作られたクルマ、という意味なんだそうです。

今回調べて、初めて知りました。

当初は510も併売されていたので、それと識別する為にもサブネームが必要だったんでしょうね。

デビュー当時は「なんで510をやめたんだろう?」という印象でした。

小学校の通学路にバンとHTがあり、見ているうちにこれもアリかな、と思う様になりました。

ダイアペットのミニカーも、買って貰ったし。

こうしてみると、サニー、シルビアと比べると、大人しいデザインに見えますね。





バイオレット 710


ブルーバードの上級移行による、510の補完モデルです。

形式もブルーバード系の名前に則っています。

これもサイドのプレスラインが下がってますよね。

シルビア程ではないですが、これも同じくナロートレッド。

4ドアセダンは、当初ファストバックでした。

それが巨大なCピラーによ理、斜め後方の視界に難ありと。

後期型でノッチバックに変更されました。

マイナーチェンジで、こんな大きなプレス部品を変更するなんて、普通はやりません。

ですが、きっと販売面でかなり切迫した状況だったのでしょうね。

ちなみに私は、前期ファストバックがカッコいいと思っています。





ルーチェ


日産車以外にも、曲面多用なデザインはありました。

このクルマも、先代のベルトーネ(ジウジアーロ)デザインから一新。

抑揚の強い、アメリカンなデザインになりました。

排ガス規制については、適応が早かったロータリーエンジン。

レシプロエンジンが苦労していたNoxは元々半分程度の排出量しかないので、そこな難なくクリア。

レシプロよりかなり多かったHC, COも、サーマルリアクターによる再燃焼で無事クリアしています。

対策型エンジンは、RE-AP(アンチ ポリューション)と呼ばれていました。

四角いマフラーカッターが特徴的でしたね。

叔父がこのルーチェに乗っていたので、よく覚えています。

パネルにビルドインされた、横方向に動かすドアハンドル。

あれ、カッコいいなぁと思っていましたね。

ちなみに叔父のは、レシプロでした。







当時はクドいと思っていたデザインも、今見ればなかなか個性が強くてカッコいいものです。

そういえば、この時代はまだエアロ化前なので、風洞の結果デザインが似てくる事もなく、みな個性的でした。

ここまで書いてみて改めて思ったのですが、これらのクルマをイベントで見た記憶がほとんどありません。

排ガス規制の足かせでは知らなかったので、代替が早かったからでしょうか。

これらも時代を象徴しているので、現存数が少ないのはやはり残念ですね。
Posted at 2022/04/08 10:57:59 | コメント(7) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2021年12月31日 イイね!

趣味は、仕事となり得るのか? <対策編-2>

趣味は、仕事となり得るのか? <対策編-2>2021年も残すところ、あと1日となりました。

本業は12/27から休暇に入りましたが、私は仕事が終わらず。

結局は12/28まで仕事をして、世間様と同じ時期に休暇開始となりました。


さて、前回の続きです。

1年2ヶ月勤めた副業の中古車店、そこに代わる新たな副業を探さなければなりません。

条件は、前回と同様。

週末1日のみの勤務で、クルマ関連。

今回はそのクルマ関連を、より深掘りしました。

洗車業務より自分に合ったものって、なんだろう?

文系オタク知識を活かした、クルマ雑学ネタ?

これを仕事にするのは、難しいそうです。

燃費バトル「エコから」で鍛えられた、クルマの運転?

これなら仕事に繋げられそうな予感がします。

元々クルマの運転は、好きだし得意でした。

それも「速く走る」より「遠くまで走る」方が。

青森県大間までの900kmは、クルマを買い換える度に行ってましたので。
(そういえば、N-ONE、アクティでは、まだ行ってないなぁ)

この「エコから」には、オフ会があります。

メンバーが全国に点在しているので、開催地も全国各地です。

一晩で1000km移動する等、時間に余裕がない時はずっと高速を利用しました。

でもそれ以外の時は、なるべく一般道で行く様にしているんです。
(単に高速料金が捻出出来ないだけなんですが)

人間、続けていると、段々と適用出来る様になるものでして。

今では群馬〜名古屋の350kmは、一般道9時間が基本です。

という事で、今回は特技を生かした配送に絞って、職探しをしました。






週1勤務の配送業務、かなりハードルが高いです。

今回は時間を掛けてでも、希望に近い仕事を探しました。

食品配送、クルーニング店、牛乳販売店・・・。

応募しても、既に決定済みばかり・・・。

こういうかなり限定的な条件の案件は、競争率が高そうです。

もう求人が出たら即応募、このくらいじゃないとダメっぽいです。

求人サイトを毎日眺めながら、数週間・・・。

遂に週1日の配送業務が出てきました。

過去の反省を踏まえて、あまり深くは考えず即応募。

その後、面接を経て、なんとか採用となりました。

それが今年7月の事です。



採用も決まり、今更ながら業務内容を確認します。

勤務時間は、12:00 p.m 〜 翌日1:00 a.mの13時間。

中古車店の約2倍です。

荷物は冷蔵食品で、そのうち半分は洋菓子。

崩れやすいものなので、慎重な運転が要求されます。

配送先は、埼玉、千葉。

2ヶ所で積んで2ヶ所で降ろします。

移動距離は200km。

ん? 200kmの移動で13時間?

こんなに掛かるもんでしょうか?

移動だけなら、半分の時間で済みそうなんですが。







採用決定後、社員さんのトラックに同乗し、研修が始まります。

それで時間の内訳がわかりました。

移動時間が半分なのは、予想通り。

残り半分は、やはり荷物の積み下ろしでした。

積むのは、パレットをハンドリフターにて積み込みます。

問題は降ろす時。

パレットを降ろした後、開梱して品物毎に分別していくんです。

これがかなりの時間を要します。

おそらく積み込み時間の1.5〜2倍くらいでしょうか。

これを手作業で行いますので、終わった頃には室温5度の倉庫内でも、全身汗まみれになります。

この作業が、ちょっと大変ですね。

ですがクルマの運転は、さにあらず。

4トン車なので見晴らし抜群、図太い低速トルクでMTでも苦にならない。

普段乗れない様な大きな車に乗れて、結構楽しいです。

運転も業務なんですが、なんかそんな感じがしません。

もちろん仕事ですから、安全を最優先にして、責任持って運転しますが。

そんな4トン車、慣れれば楽だというのが、なんとなく分かってきました。






10月には研修も終了し、今は一人で作業しています。

憧れだった4トン車に乗れて、しかもお金が頂ける。

この仕事、なかなか合っているんじゃないかな、と思えています。

あとは積み下ろしに対応出来る体力づくり、これが課題ですね。



今年も1年間お付き合い頂き、ありがとうございました。

コロナ禍の影響で、イベント、オフ会もほとんどなく、出掛ける機会も激減した年になってしまいました。

来年こそは、もう少し活動的な世の中になって欲しいものです。

それではみなさん、良いお年を。
Posted at 2021/12/31 02:41:32 | コメント(6) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記

プロフィール

「@中島乗り さん スタンザに3Dr HBってあったんですね。逆スラントの3Dr、見た事なかったです。」
何シテル?   06/13 12:57
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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2023/10/06 17:02:28
【告知】令和5年、那須合同ミーティング開催日決定♪  
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2023/02/27 12:42:29
ダァ〜イアトーン♬ ポップスベスト10っ♪ 
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2022/03/14 12:53:29

愛車一覧

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