
今年マツダは、創立100周年。
わが家で初めて購入したクルマは、マツダ車でした。
1970年式 ファミリア ロータリー セダン。
コスモに続くロータリー搭載車となった、2代目ファミリア。
最初はクーペが誕生し、続いて搭載されたセダンが、うちのクルマとなりました。
このクルマは、叔父の買い替えに伴い、譲ってもらったものです。
家に来たのは、確か小学校低学年頃だったかな?
1975年頃かと思います。
当時、世間は排ガス規制真っただ中。
その対策に追われ、新型車は軒並み大幅パワーダウンされていました。
そんな中での未対策ロータリー車でしたから、その速さは街中で断トツ。
「シグナルGPで負ける気がしない」 そんな事をうそぶく父でした。
ですが、その反動も大きく、燃費が5km/Lぐらい・・・
しかもエアコンなし。
クラッチ板交換等、大物整備を要する様になってきたので、そろそろ買い替えかなぁ。
そんな話も出ていました。
これが、うちに現存する最古の本です。
1977年発行、ドライバー別冊、ファミリア特集。
父が買ったのか、私が買って貰ったものか、定かではありません。
確かなことは、次期マイカー検討用に購入したものです。
ファミリアの代替ですから、第1候補はやっぱりファミリアなんですよね。
この時代は、まだ「パワー」「速さ」とは、無縁の時代。
そんな中、新しい価値観への幕開けとなる、このクルマが誕生します。
ホンダ シビックです。
コンパクトなサイズで広い室内を両立させる、2ボックスデザイン。
寸法制約の多い軽自動車にはありましたが、普通車では先駆けの採用でした。
大衆車の王道、カローラ、サニーは、3ボックスセダン。
独立したトランクがないとライトバンの様だ、なんて言われる時代だったんですね。
新しいパッケージを採用したシビックは、第3の勢力として俄然注目されていました。
もっとも2ボックスデザインの他に、後に時代を大きく変えたCVCCエンジン搭載していたから、注目されていたのは、そちらかもしれませんけれど。
この頃のマツダ台所事象。
コンパクトカーからマイクロバスまで、フルラインロータリーを目指すも、オイルショックで頓挫。
その影響を受けて、財務的には非常に厳しい状況下にありました。
そんな中、起死回生を狙う4代目ファミリアに、大きな期待が掛けられていたとしても無理はありません。
時流に乗り2ボックスデザインは採用したものの、FF化までには至らず。
投資面からパワートレインは先代流用となったので、FRとなりました。
そういえば当時、同じく2ボックスなれどFF化未採用のモデルがありましたね。
トヨタ スターレットです。
トヨタのFF化移行は、もの凄く慎重でして。
なかなかFF投入しなかった上に、FF投入後もFRを残して併売したりとか・・・
石橋を壊わす勢いで叩いてから、それでも、すんなりとは渡らない、そう言わんばかりの慎重ぶりでした。
逆に、そのおかげでKP61は名車と言われる事になったんですけれどね。
前期丸目では、軽量さからの省燃費性能を声高にアピールしていたKP61。
ですが後期角目になると、希少となったFRで逆にアピール。
走りのコンパクトカーとして、人気を博しました。
片やファミリア。
こちらもタコメーターを装備した、スポーティーグレードのGFを設定していました。
この2台、排気量も同じ1300で、パワーもほぼ同じ。
ただ車体が100kg重かった為か、ファミリアにはスポーティーイメージは浸透しませんでした。
スポーティーカーでもなくFFでもない、ファミリア。
それでも販売は好調なものでした。
実際、父とは近所のディーラーにも足を運びました。
私は気に入っていたんですね、ファミリア。
特にこのフロントマスク。
当時大ヒットしたコスモAPのイメージなんだそうです。
ライトは2灯になってますが、グリルにその雰囲気がありやなしや。
でも私にはコスモAPの様な流麗さではなく、ちょっととぼけたおマヌケさんに見えて、可愛らしく思っていました。
もし、ここでファミリアを買えば・・・
当時私は10歳の小学生。
免許取得までは、あと8年です。
ということは、そのくらいだったら買い換えないはずなので、初のマイカーはこのファミリアかも?
そんな事もちょっと思っていたりもしました。
あと、このファミリアですと、映画の話は外せません。
幸せの黄色いハンカチ です。
現地北海道で知り合った3人が織りなす、ロードムービー。
その脇を務めるのが、このファミリアです。
実は観た事なかったのですが、今回ブログ化するにあたり、ちょこっとだけ観ました。
ラストシーン、本当に驚かされました。
感動のシーンなのに、ほとんどセリフがありません。
どう解釈するかは、観る側にゆだねられている様です。
最近のものは説明が多く、余白がない感じ。
あまりにも説明が多すぎて、自分で感じる部分が少ないと思っています。
その観点から観ると、驚くほどに説明がありません。
あと、今回わかったこと。
黄色いのはハンカチであって、ファミリアではなかったんですね。
その後、いろいろと検討を重ねた結果、代替車はこれになりました。
日産 パルサーです。
父は元々日産党。
ファミリアに乗っていたのも、たまたま譲ってもらったから、それだけの理由です。
そこまでマツダへの思い入れは、なかった様です。
ただ同じ日産のコンパクトカーでも、サニーにはいきませんでした。
これはファミリアREが来る前、ほぼ自家用車の様に乗っていた社用車が、チェリーバンだった影響でしょうね。
という事で、結局うちにファミリアは来ませんでした。
だからと言って幸せも来なかったかというと、そんな事はありませんでしたね。