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ミセガワのブログ一覧

2014年05月05日 イイね!

FSW アタック編 前篇

FSW アタック編 前篇さてアーカイブズもいよいよ核心の部分に入っていきましょう。

2005年4月に2分11秒20で始まったタイム。そのシーズンのうちに2分6秒93までタイムアップしました。その後もコンスタントに7秒台は出せるようになり、これがさし当りの自分のスタンダードな走り。タイヤは2005年12月に筑波で下ろした245/40R18のA048 Mコン、リムは9Jとやっと正しいタイヤとホイールのセットアップに辿り着きました。当初235/45R17を使用していた時は8Jとリム幅が狭かったうえに、空気圧も温間230KPa程度と、Sタイヤのメリットを生かせないセットアップだったのがデータや情報を仕入れた事でレベルアップを達成。

またアライメントや気温の影響とかも細かく気にし出したのもこの頃からでした。当時のアライメントは前後ともトーイン、キャンバーは当初フロントをリアに対して大きめにしたら、ド オーバーになって乗れたもんじゃなかったので、リアをフロントより1度ほど増やしたセットアップに変更。自分で数値を決めて平塚のショップで調整してもらうといったスタンスでした。

この頃は空力に関してはマツスピバンパーが付いている位で、リアウイングレス。それでも最高速は真冬でも210は出ていないようでした。いない様と言うのも、当時はGPSロガーとかは無くて、YU2さんお手製のマイコンを使ったロガーで車速パルスを取っていたので正確性は?でしたもんで。

しかしウイングレスで210行かないってことは、俺カーは伝統的に遅いんだな(笑)。

その後も練習有るのみと富士を走り続けますが、2006年12月に再びクラッチブローに見舞われます。一度目はYU2さんに牽引してもらいましたが、(家族総出で来ていたので、子供とカミさんはインプレッサに乗車 笑)この時はローダーで御帰還。その後友人にやはりDまで牽引してもらいました。

この12月、新規空力パーツとしてリアアンダーディフューザーとフロントアンダースウィープパネルという、まだエイトではあまり試されていないパーツを装着。結局、フロアの空力を安定させようとすると、ロールを許容しないし車高もより低くないと効果的ではないと後の勉強で分かりましたが、この時はそんな事とはいざ知らず。あと、この頃クスコの1.5WayLSDを導入しています。曲がりにくかったなあ。




そして2006年1月にベストを出してから、2008年1月まで2年間もベスト更新が出来ないという、長いスランプに陥っていく事になります。

真冬にしかスーパーラップが出ない事はもう解ったので、冬場の一発タイムアタックで有ればそれまで使用していたMコンよりもG/Sコンの方が向いているだろうと考え、2007年シーズンは245/40のG/Sコンを投入。これで富士は勿論の事、筑波も一気に4秒台とか出て、ブッチギリだぜと皮算用していました。しかし現実は甘くなく、新品バリヤマのG/Sは富士では1周持つか持たないかギリギリ。今考えるとA048の方が050よりタレが早かったように思います。

そんな訳で休暇まで取って平日アタックしようが何しようが、6秒93を破る事が出来ず、その間に某E氏に記録を破られてしまうなど、良い所なくこのシーズンが過ぎて行きました。

そんな状況を打破したもの。一つはやはり上物の空力パーツが欲しいという事で投入したR魔のGTウイング。そしてもう一つのそれは皮肉にもタイヤでした。2008年シーズン投入したのは前年の失敗を踏まえてMコン、しかしサイズは255/40R17+9.5JのSSR鍛造ホイール。この頃からいよいよ頭がおかしくなってきました。フェンダー加工無しで入る目いっぱいのサイズとして投入。
投入の効果は凄まじく、2008年1月にタイムは一気に2分05秒04に。不思議な事に最高速も殆ど落ちていないか、少し伸びている位。

そして翌シーズンの2008年12月には新しいSタイヤで有るA050、タレに対しても強くなったとのことで今度こそ使いこなす意気込みで投入したG/Sコンで見事2分3秒53を出し、王座へ。後にこの記録は僅か20日で破られはしますが、この頃は某E氏と拮抗していましたね。

この2009年仕様が第一期ミセガワ号の完成形と言えるでしょう。

さてさて、この後脚の見直しやサイドポート加工など第二期ミセガワ号に繋がっていきます。

つづく。
Posted at 2014/05/05 00:01:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年05月03日 イイね!

Before RX-8 のミセガワ

Before RX-8  のミセガワRX-8でドップリサーキットうましかライフに浸かっている訳ですが、じゃあみんカラもやっていなかったそれ以前の私はどんなカーライフをしていたのかについてお話ししたいと思います。

もともとうちの親は乗り物は好きだったものの、専売公社勤めの兼業農家の長男で、私を含めて5人の家族の生活を支えなくてはならず、母親は家事と野良仕事に専念していた事もあって自分勝手に好きな車を買えるような境遇には有りませんでした。

そんな訳で私が運転免許を取得した時に家に有ったのは三菱の軽自動車、ミニカ アミ55。

五人家族なのに4人乗り…。家族全員で出かけた事は無かったです。

ミニカは4MTでエアンコなんか無く、でもFRという今では考えられないパッケージング。タイヤもバイアスタイヤでした。
でも免許取りたての私にしてみれば、どんな車でも楽しいもんでした。

全然速くないけれど、軽くてMTだから思ったようにトルクが伝わりこの車で走りまわった事が私の原点。軽い車で田舎道を走っていれば、当時だってリッター20kmとか走ったもんでした。だから実質的に軽自動車の燃費って、あんまり変わっていない。

その後、大学4年の一年間だけ一世を風靡したBD5ファミリアを遠隔地への通学の為に20万で購入。錆があったり、ハブがダメだったりでボロかったですが、そんな事は重要じゃない。はじめてのマツダ車との出会い、4気筒エンジン、そしてひょんなことから手に入れたトランピオ4D-RというSタイヤ。工学部機械工学科だったので、当時の車好きの悪友たちにそそのかされて早くも峠を走りまわる日々が始まった訳です。当時は茨城県日立市に住んでいたので、本山と言われる地元の峠に暇さえあれば行っていました。

1988年、社会人になって某タイヤメーカーの乗用車用タイヤ設計部に配属。念願かなった仕事に就けました。大学の同級生の多くがバブル直前の好景気で自動車メーカーに就職するなか、色覚障害が有った私はカーメーカーには入れず、黒いだけのタイヤを作る事になった訳だが、怪我の功名、何でも好きな車種に乗れる権利を得た。そしてそんな仕事が今車を速く走らせる事に凄く役立っている訳です。

そして1988年7月、初めての新車の愛車となったのがFC3S RX-7です。新人研修の工場実習3ヶ月間の夜勤手当や残業代をせっせと貯めて、頭金を作りましたね~。

今私がRX-8に乗っているのも、サーキットを走っているのも、この車との出会いが有ったからです。独特の排気音、ブーストが掛った時の突き抜けるような加速、機敏なハンドリングや当時としてはかなり頑張ったスタイリングなど、私をRXシリーズの虜にする要素がたくさん詰まっていました。

この車で毎夜のごとく地元神奈川の峠道を走り、チューニングの楽しさを知り、初歩的な整備やメンテナンスの仕方も覚えました。ガソリン代は月5~6万、手取り13万くらいだったから、殆ど車の費用で稼いだ金は消えていましたね。

とにかく本格的に走り始めたこの頃はサーキットなんて殆ど無縁の世界、夜中の峠をまるで自分の物の様に走りまわっていました。何しろ金も無かったし、峠、そう、夜のミセガワ商店の駐車場(現在はラーメン屋になってしまっていて現存しない)に行けば、いつも楽しい走りの仲間達が居たので、サーキットに足は向かなかったですね。

しかし会社の仲間に誘われて走った富士での走行の魅力、そして峠で起きた数多くの悲惨な事故、特に大学の同級生が彼が大学院の時にバイク(400γ)で峠で亡くなった事はショッキングで、自分はたまたま運が良くて大きな事故を起こさないだけだと気付かされ、徐々に峠から遠のいて行きました。

RX-7も故障している時間が長くなり、段々スキーとかにのめり込んでいった事も有ってサーキットをたまに走る程度にシュリンクしました。

スキーに行くのがメインなら、シャコタンで切符切られるRX-7に乗っている理由は何もない。。。

そう考えてより当時の現状に合致していた三菱ランサーエボⅡに鞍替え。この車、人生最高価格で最高出力を持っていたにもかかわらず、もっともナンパな使い方しかしない車でした。サーキット走行歴0。

で、その後結婚や子供が出来たのをきっかけに、ATでカミさんも運転出来て俺もそこそこ満足できる車を物色した結果、スバル インプレッサワゴンWRXを購入。


この車、かなり使えたし、運転も楽しかった。唯一不満だったのはノーマルでも酷い乗り心地。子育てカーでしたが、やはり基本ラインはキープして、藤壺レガリスR(斜めだしのやつね)マフラーとテインの車高調、マインズのROMは入っていましたね。

で、ある時またまた職場のからみでFISCOを走ってみないかと誘われ、5000円と格安だったので特に追加のチューンもせずそのまま走ってみたら、並居る若手をなぎ倒し、かなり上位だったヲレ。さすが天才(笑)。

これですっかり火が付いてしまい、Sタイヤの導入やATFクーラー、STI用の4podブレーキへの換装などチューニングもエスカレートしましたが、さすがにこんなに小さな子を残して谷に落ちる訳にもいかないので、YU2さんとFISCOライセンスを取得してスポーツ走行を戦いの場としました。
旧コースでのこの車でのベストタイムは1分55秒位だったと思いますが、記憶が定かで有りません。最高速は230キロ位出ていたか。

この頃はYU2さんちの子もうちの子も小さくて交代で子守しながら走るみたいな、今考えるとほほえましい状況でしたね。

もう子供たちは二人とも毛がボーボーになってしまいましたが…。

そしてインプレッサは速くなりすぎたラップペースに音を上げて、ATが滑りだしたり限界を感じたので、改修とタイミングを合わせて新兵器を迎える事になった訳です。

つづく。
Posted at 2014/05/03 20:08:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年05月02日 イイね!

筑波サーキットへのチャレンジとN田S一君との出会い

筑波サーキットへのチャレンジとN田S一君との出会い富士でサーキットウマシカライフを再開したミセガワですが、当時富士を走っていたエイトと言えば元パーティーレーサーの風来坊さんくらい。

でもFISCO時代から一緒に楽しんできた旧知のYU2さん達とそれはそれで楽しくやっていました。

比べる相手も無く、ただ自分の中で向上を確認しながら走る日々でした。

そんな時、ネットで目に留まったのが「第二回エイトリアンカップ」の募集記事でした。2005年の12月の事です。

エイトリアン!? なんてふざけたハンドルネームのやつだ。。。

筑波かぁ。1992年頃に当時乗っていたFC3S RX-7で2度ほど走った事が有るけれど、果たしてどんなものなんだか。

でもCAR TOP誌とかで盛んに清水和夫氏がアタックしていて、自分の到達点の尺度としては新しくなった富士よりも遥かにデータが豊富である事に凄く興味をひかれ参加する事にしました。

筑波への行き方すら分からなかった私は、風来坊さんに連れられてエイトで初めての筑波サーキットに向かいました。

当時はSタイヤなんてエイトユーザーで使っている人はいなくって、殆ど走った事のない私がフレッシュタイヤを投入して1分06秒39のタイムを記録して、第一次ミセガワモテ期を迎えました。当時としてはちょっとしたサプライズのタイム。
当時はHANA号がRE雨宮セミワークス的存在で、当時のラジアルとしては驚異的な7秒フラットを出していて、Sタイヤ履いて負けなくて良かったと胸をなでおろしたものです。

そして何を隠そう、それから1年も筑波を走る事は無く、次に走ったのは2006年12月。

やっぱり筑波はラジアルでないとと言う事で245/40のAD07を8Jに組むと言う、今考えると失敗パターンの組み合わせで思ったようにタイムが伸びず、初のラジアル筑波は1分9秒395と、実に平凡なタイムに終わりました。たまたまご一緒していたさわじぃさんは7秒台出していたんで、随分な敗北感でした。まあ当時は10秒切れたら速いと言われていましたから、ギリギリセーフと言うところでしたね。

もともと職業柄タイヤの取り扱いに関しては注意をしていたつもりですが、この頃よりそれ以前にも増して傾倒していく事となり、今日エイト乗りがアホみたいなタイヤサイズやリム幅、使いこなしをするキッカケが始まったのだと思います。

しかしあれから10年、当時の某E氏は30歳位だったはずだから、随分と長い事やっていますなぁ(笑。彼との出会いが無ければ、今の私の人生も変わっていただろうし、ここまでのスピードを得る事も無かっただろうし、こんなに楽しくて濃厚なカーライフも過ごせていなかったと思います。
ちょっと大げさですが、私の人生に大きな影響を与えた出会いで有りました。

さてさて次はMSCTやJRSCC、FSSTなどの公認競技へのチャレンジを書こうか。

はたまた富士ラジアルチャレンジについて書こうか。四連休だから色々書けそうです。

Posted at 2014/05/02 23:52:21 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記
2014年04月29日 イイね!

2004年2月11日 RX-8というナンバー付きレーシングカーを購入する。

2004年2月11日 RX-8というナンバー付きレーシングカーを購入する。2004年の2月11日日曜日の夜、家族でスキーに行った帰りに秦野のマツダに立ち寄り、念願のレーシングカーが納車された。

2003年9月まで富士の旧コースをATのインプレッサワゴンWRXで走っていたが、トルコンATでのスポーツ走行に限界を感じていたのと、時代はNAと思ったのと、あのロータリーが素晴らしいパッケージングで復活し、妻子持ちの私にも手が届く姿で登場した事など重なって、購入と相成りました。

カミさんには申し訳ないが、ファミリーユースにも使えると言うのは口実で、はなからサーキット走行専用的な位置づけで購入、納車から富士のリニューアルオープンの2005年5月までは車高調を組んだり、オイルクーラーやメーター類、リミッターカットやフルバケなど一通りの準備を整えた上で開業の日を迎えました。

迎えた2005年4月17日、気温は17℃誰も走った事のない新しい富士を多分世界で初めてエイトで走りました。

タイヤは当時からSタイヤで235/45R17 のA048Mで8Jのホイールに組み込み。今思うと随分控えめなサイズでした。

タイムですが、世界で初めてFSWに刻まれたエイトのタイムは2分11秒20。ここから-10秒ロマンが始まった訳です。

この年、早速6月にクラッチバーストなどの洗礼を受けましたが、シーズンベストは2006年1月29日に245/40R18までタイヤサイズを上げて2分06秒93と1年で4秒短縮と大きな伸び示す事が出来ました。

そして翌シーズンにはラジアルアタックが敢行されていきます。

つづく。
Posted at 2014/04/29 22:07:26 | コメント(6) | トラックバック(0) | ミセガワ アーカイブズ | 日記

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