
11月5日(土)、今回はRZ350RのHD先輩と単身赴任中のSM先輩と3人で
ヤマハ・コミュニケーションプラザ歴史車輌デモ走行見学会に参加してきましたので報告したいと思います。(
ニュースはこちらから) こちらのほうが詳しいです
この日は結局、
袋井まで2往復した大変な一日になりました。
ヤマハの歴代のバイクが登場しますのでバイク好きな方には大変面白いと思いますので頑張って撮ってきたバイクの数々をお楽しみください。
まずはバイクで
定点観測!
今日は11月にしては暖かくツーリング日和になりました。
やっぱ青空の下をバイクで走るって気持ちいいですよね(^ー^
インターカラーって目立ちすぎるかなって思ってましたが秋はちょうどいいですねw
まずは会社の朝掃除
ハウチワカエデの前でパシャリ
今年は霜が降りないので葉が縮れず綺麗です。
朝日が差して本当に綺麗~
今日も無事に帰れますように(願)
(この時は今日がこんなに長くなるとは思ってもいませんでした・・・)
道を間違え(集合場所も)20分遅れてひまわりの湯の道の駅に集合
HD先輩の
RZ350R仕上がったんですね(@@
確かフレームから業者に出してRZを3個イチにして、シリンダーもボーリングしてもらい慣らしやってました。
塗装も業者に出してやってもらったり完璧ですね!
11諭吉のステンレスチャンバー、すごく輝いてパリバリといい音していました。
でいきなり袋井のSAです。
ここでちょっと問題が起こりました。
第2東名をゆっくり流していたのですが天気もいいし暖かくなって調子に乗ったHD先輩は何を血迷ったか
レッドゾーンの1万回転で走行したようです(ーー;
本人曰く、チャンバーつければ11000回転までいけると思ったんだけどとおしゃいますが・・・高速道路上で止まらなかったのはいいですがSAにてエンジンが掛からなくなってしまいましたOrz
早速プラグを外し始めるHD先輩、自分で組み立てたので作業は早いのですが(ちゃんと工具も持ってきていますね)
こちらのプラグがちょっと灰色っぽいといことは燃料薄かったのでしょうか?
本人曰く、
メイン#115、ニードルはN-80Gの上段2段、スロージェットは#42と・・・薄くないはずなんだけどと頭をかしげています(::
プラグに火が入っているか確かめて・・・
ちょっとしてエンジンはかかったものの問題の左のエンジンは
バスバスパンパンと完全に異常なエンジン音でした(ーー;
え~もしかして・・・・・・・・ここにバイクおいていくのですか(@@;
JAFとか呼ばないの??
結局エンジンを焼き付けてしまったようです。
後で聞いたのですが
ピストンリングが溶けていたんだそうです(((゜Д゜;)))
ちょうどSM先輩がチェーンロックを持っていたので借りてレストランの裏のところに結びつけておいていくようです。
それでもヤマハ行くのですね(なんという執念)
私も12年ほど前に
NSR250Rを富士山で焼き付けて置いてきて、HD先輩と引き上げに来たことがあります。
そのときは高速道路はタンデムできなかったので全て下道で帰り真っ暗な杖付峠が怖かったのを思い出しました。
確かそのあとハイエースを借りて引き上げに行って、帰ってきたら夜中の3時で、諦めてそのまま仮眠して岡谷のフリマに参加したのを思い出しました。
まさか同じようなことですよね(´-ω-`)
まあ
12年前の借りがあるので最後までお付き合いしますよ!!
まずはSM先輩にシートバックを預け、タンデムできる準備をします。
ヤマハまではSM先輩のワゴン車にHD先輩乗せてってもらいますが、向こうで会えなくなる可能性があるのでまずは預けます。
今回SM先輩は東京の単身赴任先に泊まって、明日は
筑波でフリマに参加するとか・・・こんなにたくさんのガラクタ・・いやいやお宝を積んでいてRZは乗りませんでした。それでもなんとか助手席は空いていたんだそうです。
それにしてもこれ全部売ってこれるのだろうか?(こちらレンタカー)
そして
ヤマハの袋井テストコースに到着、すごいバイクと人です(@@;
「ヤマハの歴史を物語る名車が大集合
歴史車両デモ走行見学会2016」
8年ぶりのイベントなんだそうです。昨年来ようと思いましたが雨で中止になったんです。
2008年の時は1400人だったそうですが今回は
3000人(@@との発表、人が多いわけですね(ーー;
歴史的バイクが動くということで白髪の年配の方も多く来場していました。
HD先輩の焼付騒ぎがあったので予定より1時間遅れで到着、敷地内にはバイクでは入れず、門の前に置かさせてもらい歩いて入場しました(注意を無視してすみません、反省)
今回は入場無料ということですがヤマハのお姉さんたちによる受付がありました。
こちらで頂いたのは記念ステッカーと注意書き
え~動画撮っちゃいけないんですねorz
アウトレットのヤマハのTシャツやジャケットが売っていましたがもう大きなサイズしか残っていませんでした(残念)
それでは歴代の
ヤマハのレース車両を紹介していきたいと思います。
1959年のYDS-1
浅間火山レースって今も続いている5月下旬に開催されるあれですかね?
アマチュアレースなのでこんな感じなのでしょうか?
いやいや1959年ですからねえ~
1965年RD56
第一回全日本選手権ロードレースなんですね
両タイトルとは当時はすごいバイクだったんですね。
カフェレーサーでかっこいいですもんね!
1968年 RD05A
1969年 RF302
50ccで170キロとは(@@;
1974年 YZR500(0W20)
1978年 YZR500(0W35K) インターカラー
私と同じ黄色のインターカラー最高です!!
1979年 YZR750(0W31)
1985年 これですね平選手が3連覇した車両は!覚えていますよ~
1985年 FZR750 (0W74)
これ大好きです!!8耐のTECHカラー
これらの車両は本社(磐田市)内にある企業ミュージアム
「ヤマハコミュニケーションプラザ」で見ることができますが、今回はその走行を見ることができるのです!
TOYOTA 2000GT
LFA
最高のエンジン音でしたよ~

写真お借りしました。
ヤマハOX99-11
V-12
SM先輩に撮っていただきました。
こんな感じで寝そべって今回はバイクを激写しましたよ~(ハズカシイ)
バイクではYA-1、YDS-1、DT-1、RZV500Rなど30台が走行予定です。(展示は60台)
YD-1(1957年)…排気量247cc、14.7ps。ヤマハ製2ストローク初の2気筒エンジンを搭載。コンパクトなボディサイズと躍動感のあるデザインも魅力。
パイロンのところでUターンするので減速して撮りやすい~(ラッキー
2ストなのか白煙がすごい(@@;
YA-1 通称赤とんぼ
YA-1(1955年)…排気量123cc、5.6ps。ヤマハ発動機製品第1号。1955年7月の第3回富士登山レースなどで上位を独占し、走行性能の高さも目立った。
Uターン倒れそうだけど・・・
なんでも今回はヤマハ社員だけじゃなくてボランティアライダーもいるとか。
YDS-1(1959年)…排気量246cc、20ps。国産バイク初の5段変速機やタコメーターを内蔵したコンビネーションメーターなどスポーツを意識した仕様になり、レースでも活躍。
YDS-3(1964年)…排気量246cc、24ps。YDSシリーズ3代目。分離給油システムの「オートルーブ」の採用や低中速域での性能向上など市街地での扱いやすさも狙った。
YM-1(1965年)…排気量305cc、27ps。より高性能を狙ったスポーツモデル。オートルーブ機能やツインキャブレター、5段変速機装備で、0-400m加速は14.7秒。
R1(1967年)…排気量348cc、36ps。排気量は当時のヤマハ最大。0-400m加速は13.8秒で最高速度は173km/hに届いた。
DT-1(1968年)…排気量246cc、18.5ps。「トレール」という新しいジャンルを切り開いた本格オフロードモデルで、アメリカで爆発的にヒット。
XS-1(1970年)…排気量653cc、53ps。ヤマハ初の4ストロークエンジンを搭載し、バイクの大型化と高速化に対応。しかし、軽量・スリム・コンパクトという扱いやすさも追求。
HT-1(1969年)…排気量89cc、8.5ps。DT-1とAT-1に続き、90ccクラスのエンジンを搭載。オフロードを始めようとする若者から人気を集めた。
DX250(1970年)…排気量247cc、30ps。同年発売されたRX350の250cc版。当時のレース車両に用いられる高張力鋼管ダブルクレードルフレームなどを採用した。
TX750(1972年)…排気量743cc、63ps。ヤマハ初の”ナナハン”モデル。直列4気筒エンジンが主流の大型クラスにあえて2気筒エンジンを採用。独特のトルクや鼓動感が魅力。
RD250(1973年)…排気量247cc、30ps。YDSシリーズやDX250を経てさらにスポーツ性を追求。エンジンにはトルクインダクション機構を採用し、トランスミッションも6段となった。
TX500(1976年)…排気量498cc、48ps。当時は最先端の技術であったDOHCエンジンをヤマハで初めて採用。対向ピストンキャリパーのブレーキなど独自の思想も与えられていた。
GX750(1976年)…排気量747cc、60ps。DOHC3気筒エンジンや、メンテナンスフリーのシャフトドライブなど、独自性を求めたスポーツモデル。そのハンドリングの良さから「ハンドリングのヤマハ」と呼ばれるきっかけに。
XS1100(1977年)…排気量1101cc、95ps。ヤマハ初の1000ccを超えるモデル。そのエンジンの圧倒的パワーが欧米のファンの心を掴んだ。
SR500(1978年)…排気量499cc、32ps。オフロードモデルのXT500のノウハウをつぎ込んだオンロードモデル。この普遍的なスタイルは現在のSR400に継承されている。
RZ250(1980年)…排気量247cc、35ps。リッターあたり140psを発揮する高出力2ストエンジンと、軽量な車体で上のクラスをも追い回せる異次元の運動性能を発揮。未だに根強いファンを持つ2ストストリートスポーツの金字塔。
XT250(1980年)…排気量249cc、21ps。レース車両に用いられたモノクロスサスや当時最先端のエンジン部品、電子部品を搭載し、本格的なオフロードレースも楽しめた。
XJ750E(1981年)…排気量748cc、70ps。欧米でヒットしたXJ650に日本の規制に合わせた750ccエンジンを搭載。国内4気筒エンジン随一のスリムなエンジン幅も特徴。
XZ400(1982年)…排気量398cc、45ps。並列4気筒エンジンが周流の中にVツインエンジンを搭載して登場。バックボーンフレームの採用など独自のメカニズムも追求。
Venture Royale[XVZ12TD](1982年)…排気量1198cc、90ps。当時ヤマハ最大排気量を誇るV4エンジンを搭載。アメリカ市場向けに開発された大型ツアラー。
トレーシー 懐かし~
Tracy[CZ125](1983年)…123cc、16ps。高出力エンジンや前後重量配分が最適化された車体など、スクーターその高いスポーツ性能が目立った。
RZ250R(1983年)…排気量247cc、43ps。RZ250の後継として登場。市販モデル初の可変排気バルブ「YPVS」の採用やクラス最高馬力のエンジンなどスポーツ性をさらに昇華。
FZ400R(1984年)…排気量399cc、59ps。当時ブームとなっていたレーサーレプリカ市場に初参入したモデル。レーサーさながらのスタイリングやクラス最高馬力のエンジンなどが人気を呼ぶ。
RZV500R(1984年)…排気量499cc、64ps。ヤマハファクトリーレーサーのYZR500のイメージを再現したレプリカ。V4エンジンの前後シリンダーで異なる給気方式を採用するなど独自の技術もふんだんに盛り込まれた。
SRX600(1985年)…排気量608cc、42ps。軽量・スリム・コンパクトな車体にビッグシングルエンジンを搭載した随一の個性を持ったスポーツバイク。
セローの一型
SERROW225[XT225](1985年)…排気量225cc、20ps。フレンドリーさや走破性の高さ、その楽しさにファンを増やして人気車種になり、現在もセロー250として販売されるロングセラー。初心者からベテランまで幅広く支持されている。
免許取ったとき買うか迷った
SDR
結局ホンダ
BROSを買ったんです。
SDR(1987年)…排気量195cc、34ps。シンプルな車体構成で高いスポーツ性を持つが、メッキパーツとトラスフレームなど見た目が美しいのも特徴。
R1-Z(1990年)…排気量249cc、45ps。トラスフレームや2本出しマフラーなど独特のスタイルを持つ。2ストロークモデルが消えていく中、10年以上販売が継続した。
VMAX(1990年)…排気量1197cc、97ps。1985年にアメリカで発売され爆発的な人気を獲得し、1990年にようやく国内モデルが発売。そのマッスルなスタイルは現在にも多くのファンを持つ。
お次は車の走行会だ~
スピードが速すぎて、いきなり後ろ姿の
トヨタ2000GT
コースを一周してきてやっと撮れた
ヘッドライトつけてるし
やったね(パチリ)
LFA
全開のエンジン音は素晴らしかったですよ~
OX99-11,13,12
まずはOW99-11
12気筒エンジン素晴らしい音でした。
こんな爆音ここでは許されるのか?
お次はOW99-13
11とはエンジン音が違ってちょっとバタついていました。
最後はOW99-12
一番レーシーなエンジン音で綺麗な音でした(爆音ですが)
こうやって歴代のヤマハのレーシングバイクが夕日を浴びて整列してみられるなんて、なんて幸せなんだろう(^ー^
旧車も(^ー^
いくらで売れるんだろう?
一度乗ってみたい!
一人では乗り降りできないようです
よいよ登場!RD56
元ヤマハファクトリーライダーの
本橋明泰氏や元ヤマハ開発ライダーの
河崎裕之氏(シャケさん)が運転してくれました。
RD56(1965年)…排気量249cc、50ps。1962年の第1回全日本選手権でデビューし、翌年から海外レースでも活躍。1963年~1965年の世界GPでは通算15勝を記録。
速すぎてピントが合わなかった(::
それにしてもすごい音と白煙(@@;
写真お借りしました。
1985年の鈴鹿8耐で活躍した
FZ750 OW74
FZR750[0W74](1985年)…排気量749cc、130ps。市販のFZ750をベースに開発された耐久レース仕様。同年の鈴鹿8耐ではリタイヤを喫するも、ケニー・ロバーツ氏と平忠彦氏ペアによる圧倒的なパフォーマンスで強烈な印象を残す。
やっぱり速くてピンが合わない
SM先輩がなんとスマホで撮ったという写真(シャケさん素敵~)

写真お借りしました。
大満足な一日でした!
予定になかった
YZR500も走行したようでした。
ということでそろそろ帰らないと後が大変なので・・・(一番見たかった)
YZR500[0W81](1985年)…排気量499cc、140ps。新設計の2ストV4エンジンを搭載。世界GPでエディ・ローソン氏とクリスチャン・ロナウド氏が2位と3位を記録。全日本選手権では、平忠彦氏が1983年から1985年まで3連覇を達成したマシン。
写真お借りしました。
ということで家に帰るためにHD先輩を乗せて、もちろん
おじさん二人のタンデムです(;;
おっとっと~足がつかないので倒れそう(ーー;
さあなんとか行けるか~
それにしても
HD先輩80kgは重いよ~(池中玄太と同じとは)
ということでSM先輩に撮っていただきました。
記念というかなんともといった感じですね(仲良さそうですね(自爆)
カミさん以外でして・・・HD先輩とのタンデム
ここでHD先輩と運転を変えて後ろに乗ると結構暖かくて振動が心地よくちょっと
居眠りしてしまったのはここだけの話です(^ー^;
タンデムで3時間かけて高速道路だけを使い伊那まで帰りました。そして会社のハイエースを借りて8時頃出発します。
そして11時頃袋井のSAでRZを回収し、第2東名を鳳来狭まで走り、国道151号線の下道を走り、中央道に乗り伊那につきました。
結局家に着いたのは
夜中の2時(@@;
でも今日はヤマハの
袋井テストコースで歴代のバイクやレーシングカーが見れて本当に満足な一日でした。
ちょっと代償が大きかったHD先輩ですが、また一緒にTRG行きましょう!(ピストン溶けて治るのだろうか?)
後日、HD先輩からメールが届きました。
そこにはエンジンを降ろし溶けたピンストンの写真が(@@;
仕事も早いですがまた10数諭吉かかってしまうようです。
頂いたメールの内容は
「TAB君へ
エンジンを下ろし、ヘッドを開けたら、ピストントップはグレーになってたけどそれほどひどくはなかった。
しかし、排気ポートを覗くと、片側はリングの溝がほとんど溶けて埋まってる。
色々と心配なので、名古屋の専門ショップに持ち込み、確認したら、見事完全な焼き付き。
原因は、ワイセコピストンはシリンダーとのクリアランスが微妙で、焼き付きやすいとの事。
それとヘッドを0、5mm面研したのを忘れてた。orz
圧縮が上がっているので、高温になりやすく、ラジエターがノーマルだとレースガスを使わないと、デトネーションが起きやすいとの事。
今回はプラス全開走行で、悪条件がかさなって起きたと思われる。
腰下洗浄、腰上OH確定。」
いやあ~それにしてもそこらへんのバイクショップよりも
知識と経験があるんじゃないかぐらいすごい人ですね!!
ならもうちょっと我慢して走ろうよ!
以前撮ったキャブ調整中のHD先輩
確かに右のピストンヘッドはグレーですね。
クランクなんかは大丈夫そうですかね?
こちらは大丈夫だった普通のピストンですね。
本当だ(@@; リングが溶けてる(ゾク)