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2016年12月09日 イイね!

37年前と今。そしてそのとき、その後。

37年前と今。そしてそのとき、その後。 ネットでは某有名俳優がなにやら引退するというニュースが流れ、ちょっとした騒ぎになっているようだが、世界的には「F-1ワールドチャンピオンが突然の引退!」のほうが騒ぎとしては大きいだろう。

ロズベルグの後任は未だに決まらず、噂が噂を呼び、挙句の果てには冗談か本気かAMGメルセデスがAUTO-SPORT誌に「求人広告」まで出す始末。

当分の間はこの話題に楽しませてもらえそうだ。

 しかし当事者たちはそんな呑気なことは言っていられないようだ。
AMGメルセデスの内部にいるラウダも「ニコはまったくなんてことをしてくれたんだ!」とインタビューで不満を漏らしていた。

 そんな中、ちょっと面白いニュースを見かけた。
みなさんもご存じの元F-1ドライバー「ゲルハルト-ベルガーがラウダに喝!」というもの。
読んでみるとどうってことのないニュースなのだが、
早い話、ラウダが1979年のシーズン途中で1回目の引退したときのことを指して
「あなたのほうがよっぽどひどいことをしたじゃないですか!?」とベルガーが言ったらしい。
拡大解釈の域を出ないけれど、恐らく同郷(共にオーストリア出身)のよしみで
重鎮ラウダにもベルガーならモノを言いやすく
「なあニキ、アンタそう言うけど、79年のアンタのやり方もひどかったじゃないか~?」
くらいの感じだろう。

 当然ネット上では
「ラウダがロズベルグのことをとやかく言える筋合いじゃない」
「自分はもっとひどいことをしたのに」
「ベルガーGJ!」などなど・・・。
  
 しかしラウダファンとしては黙ってはいられない。
ここでちょっと当時のことをお話したい。
今回のロズベルグの引退と、37年前のラウダの引退は
どちらも電撃引退であること以外は、実はあまり共通点はなく、
そしてラウダの引退はロズベルグノそれより混乱を招くものではなかった。

 1979年、ブラバムは時代の潮流に乗るべく
前衛的な意欲作BT48を投入した。
エンジンサプライヤーであるアルファロメオは
それまでのボクサー12気筒から、V12エンジンを用意した。

 しかしBT48は同じく時代の最先端を行くはずのロータス80と共に
予想外の低迷を余儀なくされた。
ただ、当時のGPの映像をよく観ると、このBT48は決して遅いマシンではないことが分かる。
チャンピオンマシンのフェラーリや、トップコンデンターに躍り出たリジェなどに対しても
遜色のない走りを見せたレースもあった。

 しかし信頼性においてはまったくダメダメだった。

とうとうバーニーエクレストンとゴードン-マレーはアルファエンジンとの決別をすることに。

 そして迎えたシーズン終盤の第14戦カナダGP。
このレースはアルファエンジンからコスワーズDFVにスイッチした最初のレース。
ところがラウダはフリープラクティスを数周走っただけで
ヘルメットを置き「辞める。引退だ。」という言葉を残しサーキットを去った。
このレースではピケが予選でフロントローに並ぶなど
DFV搭載の新しいBT49は素性の良いマシンであることが証明された。

 しかしラウダは引退してしまった。

ここまで書けば、「やっぱりラウダのほうがロズベルグよりタチが悪いじゃん」と言われそうだが、
問題はこのあとである。

 実は引退前にラウダは、他のチームと交渉をしていたと後年認めている。
それをエクレストンが裏で手を回し、阻止していたというのだ。
(ラウダはこのエピソードをエクレストンとの対談で話している)
それで辞めたわけだが、今のように後釜問題は一切発生しなかった。
そのことは後にゴードン-マレーが語っている。

「ニキが抜けたことで混乱はなかった。
既にピケが急成長していたし、彼をNo1ドライバーにしてやっていけるという手応えがあったからね。」


エクレストンとマレーの見立ては正しく、
ラウダが抜けた後ピケはブラバムのNo1ドライバーとなり、
翌80年にはジョーンズとタイトル争いをし、81年には見事チャンピオンとなった。


 さらに、このとき既にリカルド-ズニーノというドライバーが
今で言う第3ドライバーのような立場で控えていたので問題はなかった。
現にラウダが引退した直後、なんと場内放送でズニーノは呼び出され
カナダGPにも無事に出走している。

 ただ、興味深いと思ったのは、79年カナダGPの金曜朝まで、
ラウダは引退しようかと思ったものの、
「何をバカなことを考えているんだ。仕事、仕事・・・」と自分に言い聞かせたという。
それでも走ってはみたものの、「なんの感動も起こらなかった」と思ったとき
引退を決意したという。

 そんなわけで、ロズベルグの引退に比べて
表面的に見ればラウダのときのほうがはるかに「お騒がせ」に思えるが
実情はまったくその逆なのである。

 もちろんラウダは2度目の引退の際には
ちゃんと事前に公表し「普通の引退」をしている。
F-1ドライバーに限らず、トップにいた人ほど引き際というのは難しいと聞く。
トップのまま辞めるのか、それとももう少し・・・
限られた者、選ばれた者だけに訪れる苦悩なのかも知れない。


Posted at 2016/12/09 21:07:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | 70~80年代F-1 | 日記
2016年12月08日 イイね!

Racing on ウイングカーの時代

Racing on ウイングカーの時代 先日『Racing on DTM/ITC BTCC』を購入した際に、「実はもう1冊・・・」と書いた。
そのもう1冊がコレ、同じく『Racing on ウイングカーの時代』である。
書店で見つけたとき「おお~っ!コレだ!」と感激していると、それが思い切り顔に出ていたらしく、家内が「いいよ、それも」と買ってくれた。

 まさしく私にとって「どストライク!」、もうツボの中のツボである。
これは語ってしまう!語ってしまうぞ~!

 とは言うものの、私はこの時代のF-1に詳しいフリをしているだけで、分からないことが実はたくさんある。そんな疑問の数々を、確かめもしないまま大人になったので、こんなにもメカに詳しくないクルマ好きになってしまった。

 しかし何かを知ったり学んだりすることに遅すぎることはないと、何か本で読んだことがあるので、今後もこういった文献を読んで「ほほ~」「なるほど!」と理解を深めていこうという意欲はある。

 そして本書で、実に数十年ぶりに解決した疑問がいくつもあった。

 なぜ79年に無敵を誇ったロータスはわずか1年で陥落したのか?
究極のウイングカーであったはずのロータス80は何故たった3戦で消えていったのか?
そもそもウイングカーはどういう経緯で誕生したのか?
全車ウイングカーになった1979年、なぜもっとも「ウイングカーに不向き」と言われたフェラーリがタイトルを獲ったのか?
リジェとウイリアムズはなぜ一夜にしてトップに躍り出るような躍進を見せたのか?

 こういった疑問の数々が、本書を読み進めていくうちに次々と解消されていった。

 まず、この時代を語る上で絶対に外せないのはこのチーム。
John Player Team LOTUSである。
 今見てもため息が出るほど美しいマシン、ロータス79。
JPSカラーをまとったロータス79は史上もっとも美しいF-1マシンだ。
この79の前に、F-1史上初のウイングカーである78があった。

 その78が誕生する経緯が詳しく書かれているが、
その詳細はライターの腕もあるのだろうが、
まるで小説を読んでいるかのようなドラマチックなものだった。
ラウダVSハントのような映画になるようなストーリーではないが、
小説ならば十分にアリだ。

 そしてこの、ピーター‐ライトが発見した「車体の下面を流れる空気に着目する」
という視点は今なお継続されているものだ。
それが風洞設備すら満足になかった時代に世に登場した。
それもたった一人のデザイナーによって。
これがドラマチックと言わずになんと言うか、である。

 もちろんロータスだけではない。
ロータスとは違った視点で、鬼才ゴードン‐マレーが送り出したのが
かの有名なファンカー、ブラバムBT‐46Bである。(写真はBT46)
こちらに関しては、以前入院したときにEVO黄色さんが差し入れして下さった本のほうが
そのメカニズムに関しては詳しく書かれていた。


 ただ、この本の価値は認めた上で書くのだが、
ここまで詳細にこの時代を解説したものであっても
それでも語りつくせないほど、この時代は混沌そのものだった。

 ウイングカーは危険極まりないものだった。
偶然にも同時代に起こったターボの台頭も相まって
F-1はさらに「どこへ向かっているのか分からない」ものになった。
ラウダも著書の中で、この時代のことを次のように語っている。

『グランプリレースはギアを上げた。
突然により速く、より危険に、より気狂いじみたものになってきた。
~中略~ごく最近まで、出来上がったものはいささか不自然であり、
悪魔のマシンであった。』

 そして当時はまだ現在のようにFIAという組織がなかったがために、
今では信じられないほど、その運営もずさんだったと言わざるを得ない。
もちろんそんな時代だったからこそ生まれたものもあるのだが、
同時に失われたものもある。
そんな時代背景も本書には書かれており、メカだけでなく
今とは違ったF-1というものも知ることができる。


 コーリン‐チャップマンをして
「79(78年のチャンピオンマシン)なんて、80に比べたら戦車みたいなものだ」(戦車のように遅い)
と言わしめたロータス80。
しかしその致命的な欠点は、当時のF-1雑誌ではあまり紹介されていなかった気がする。
詳細は本書をお読みいただくとして、
恐らくロータス80並みに革新的だったブラバムBT‐48も
同様の理由で初期のコンセプトを大幅に変更せざるを得なかったのかも知れない。

 今に比べると、驚くほどに技術が未熟だった時代。
しかしそこから感じられる熱さは今と何も変わらない。
いや、ほとんどすべてがシミュレーションできてしまう現代にはないものが
間違いなくあの時代にはあった。
そこに人々は感動し、少なくとも自分はあの時代に熱狂した。
しかも本書ではあくまでマシンにスポットを当てているため、
ほとんど触れられていないが、ドライバーの顔ぶれも豪華絢爛だった。
ニキ‐ラウダを筆頭にロニー‐ピーターソン、ジェームズ‐ハント、マリオ‐アンドレッティ、
ジョディー‐シェクター、ネルソン‐ピケ、ケケ‐ロズベルグ、アラン‐プロスト、パトリック‐デパイエ、
アラン‐ジョーンズ、カルロス‐ロイテマン、そしてジル‐ヴィルヌーヴにディディエ‐ピローニなどなど。

 技術革新の時代などとも言われていたが、
実はまだまだ手探りの時代でもあった。
未完成だからこその美しさ、
未熟だからこその感動。
そんなものが凝縮されていた「ウイングカーの時代」だったのではないだろうか。
ああ~やっぱりこの時代のF-1が好きだな~。
 
Posted at 2016/12/08 21:32:14 | コメント(5) | トラックバック(0) | 70~80年代F-1 | 日記
2016年12月06日 イイね!

Racing on DTM/ITC BTCC

Racing on DTM/ITC BTCC toby-mさんのブログを見た家内が「コレ買う~!」と言い出したので、久々にクルマ雑誌を購入したのが先週の土曜日。

手にしたのはRacing on DTM/ITC BTCCである。

 しかも今号にはBTCCの統一戦(?)のDVDまで付録で付いているから、お買い得感満載である。
早速家内と自宅に戻って視聴。
お目当てのアルファロメオは155のタルクイーニが後半に見せ場を作るなど、なかなか見応えのあるものだった。 
 
 クルマ雑誌を買うなんて、一体いつ以来だろうかと思いながらページをめくったが、これが思いのほか面白い!ホントに面白いのである!

DTMやITC、もちろんBTCCも、当時はカーグラフィックTVやモーターランド2などのテレビ番組でも取り上げられていたから割とよく観ていたけれど、
どういった経緯でシリーズが開催され、どのような経過を経て各メーカーが参戦したかなど
知る由もなかった。

 知識はあって困るもんじゃない。
かつては知ろうとも思わなかったことが分かるのは、実に楽しいものである。

詳しくは手に取ってお読みいただくとして、
改めてレーシングカーを作り上げるということは
多くの人たちの情熱や知恵や、そして数々の事情が交錯していくことでもあると思い知らされる。
アルファロメオが155でツーリングカーレースに参戦することと、
ランチアのラリー活動が結びついていたことや
今のDTMと昔のそれとは大きく違う点などは、
ズッシリと読み応えのある内容だ。

 当時トップにいたメルセデスのベルント‐シュナイダーや
女性唯一のDTM優勝者であるエレン‐ロールのインタビューなども面白い。
特にエレン‐ロールの話はなかなか興味深い。


 もちろんメカのほうも期待を裏切らない。
アルファロメオもメルセデスも、最後のITCでタイトルを獲ったオペルもしっかり取材されている。
まだ全部を読んだわけではないが、それでもイタリアとドイツの
レーシングカーにもある「雰囲気の違い」が垣間見えて面白い。

 さらに、こういう雑誌ならでは記事を少しだけ紹介。

この手の記事はいつの時代もワクワクすると共に
ちょっと切ない気持ちにもなってしまう。
なんと、幻のカリブラである!
詳細はここでは言わないでおくが、なんともドラマチックな感じがして
やっぱりレースというのは人間がやっているものなんだと改めて思う。

 かなり長い間、自動車雑誌というものを読んでいなかったが
やはり紙媒体(この言い方はあまり好きではないが)というのは
それにしかない良さがあると再認識した。
普段はついつい簡単便利なネットの情報に頼っているが、
やはりちゃんと取材をし、「書いた側の責任」を明記している紙面には説得力がある。

 そして今回の特集を読み、自分はやはりイタリア車が好きで
アルファロメオでレースをしたいのだと再認識した。
DTM/ITCもBTCCも、あれだけ盛り上がったのは
ファンがそれぞれ自分の応援するクルマやドライバーがいたからこそだろう。
DTMはコストが高騰し、ドイツVSイタリアという図式になったけれど、
BTCCに至っては英、独、伊、日、瑞典、仏など、
ナショナリズムを刺激する要素が全面に出ていたと言ってもいい。
自分も気が付けば、NHGTにもっとユーロ車が増えてほしいと思いつつも、
日本車の中に混じっている少数派を楽しんでいる。

 このオフは昨年と違ってクルマに触る時間がありそうだ。
このRacing onを参考にできるわけがないが、
せめて純レーシングマシンの雰囲気だけでもどこかに頂戴しようかと思っている。

PS:実はもう1冊買った(正確には家内に買ってもらった)のだが、それがまた・・・・詳細は後日・・・

Posted at 2016/12/06 19:52:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2016年12月03日 イイね!

それでいいんじゃないか・・・

それでいいんじゃないか・・・ ビックリである。
既にご存知の方も多いと思う。

『ニコ‐ロズベルグ 電撃の引退表明』

 今朝、いつものようにPCの電源を入れ、いつものようにF-1関連のニュースを見ると
そこには信じ難いニュースがあった。

 記事を読むと、そこにはロズベルグの心境が綴られていた。
「これ以上家族を犠牲にしたくない」というのが主な理由のようだ。
まったく寝耳に水のような引退劇だが、
このニュースを目にしたとき真っ先に思ったことは・・・

それでいいんじゃないか・・・。

 もちろん、あくまで推測の域を出ないという前提で書くけれど
ロズベルグという人は「イイヤツ」なんじゃないかと思う。
そのレースぶりもどこか危なげな感があるのも、
他人を蹴落としても前に出るということが元来できない人だからなのではないか。
良い悪いは別にして、ハミルトンとは対照的に見えてしまう。

 そして、現代のF-1がいかにストレスのかかるスポーツだということも
如実に語っているようにも思えた。
さらに、ロズベルグはこれまでほとんどメディアを批判するイメージはなかったが、
数限りない「雑音」があったことは間違いないだろう。
「マシンが良いだけ」
「ハミルトンにトラブルがないと勝てない」
「万年2位」
などの情け容赦ない言葉がロズベルグの耳に届かないはずがない。

 話は飛ぶが、ニキ‐ラウダの最初の著書「ニキ‐ラウダ F-1の世界」には
冒頭にジャーナリストのヘルベルト‐フォッカーのインタビューが載っている。
そこにはいかにマスコミが辛辣なものかが綴られている。
『例えば片腕のない人に向かって「ひどい恰好だな。腕はどうしたんだ?」とは言わないだろう?
ところがみんなニキ‐ラウダ相手となると、とたんに自制心をなくすんだ。
「そんな顔で人前に出てきて恥ずかしくないんですか?」なんて平気で聞いてくる。
「そうですね、こんな顔で生きていたくありません」などと言って
ボクが首を吊って死ぬとでも思っているのか。
失礼な質問にはそれ相応にズケズケと答えてやったよ。
すると次の日の新聞には「傲慢なラウダ、同情寄せ付けず」なんて書くんだ。
誰も質問したリポーターの非礼には触れはしない。』
と、こんな具合である。
どこの国でもマスコミというのは辛辣だ。

 しかしその類のことには一切触れず、あくまで家族のためと言い、
チームやファンに感謝の言葉を残して引退するあたり
ロズベルグらしいという気がする。
あのナイジェル‐マンセルでさえ
「嫁さんも子供もいるんだ。昔のようには走れない」と言ってたことがあった。

 そんな中、希望も含め「復帰するのでは?」という声もある。
しかし、私は「それはない」と思えてならない。
過去に一度は引退し、復帰したケースはあるが、
今回の引退劇は過去のそれとは違うように感じる。

 それにしても驚きである。
この驚きはちょっと懐かしい感覚をもたらしてくれた。

1979年カナダGP、フリー走行を走るラウダのブラバム。
このときラウダは数周を走っただけでピットに戻り
「辞める。引退だ。」という言葉と、ヘルメットを残してサーキットを去った。

 そして2年半後の1982年、マクラーレンで復帰を果たした。
確かに79年の引退では「同じところをグルグル回ることに興味を失った」と語っていたが、
ロズベルグはもっと根の深いところで引退を決めたように思える。

 そして最後に、これは多くの人が興味を持っていること・・・・。
今頃トト‐ヴォルフの携帯電話は鳴りっぱなしだろう。
一体誰がAMGメルセデスのシートに収まるのか?
これはもう、このオフ最大の関心事だろう。
AMGメルセデスは、どうか新人ドライバーでお茶を濁すようなことはしないでもらいたい。
私としてはやっぱり、是非この人に乗ってほしい。

未だ「現役最高」と言われるこの人、フェルナンド・アロンソである。
ハミルトンと二人で、是非とも21世紀のセナVSプロスト対決をやってもらいたいものである。
ケンカ上等、罵り合いけっこう。
この二人ならコース内外で壮絶な闘いが観られるだろう。

 退屈なF-1と言われてから3年が経った。
いつまでもこんな状態は続かないのは歴史が物語っている。
来シーズンはレギュレーションも大きく変わる。
大いに変化が期待できる2017年になるのは間違いなさそうだ。
Posted at 2016/12/03 21:20:30 | コメント(3) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2016年12月02日 イイね!

ノスタルジー

ノスタルジー 私がモータースポーツに夢中になっていた10代の頃は、今と比べて情報量が限られていた。
AUTO-SPORTやauto-technicのような専門誌しか、F-1やその他のレース情報を得る手段はなかった。さらに10代の少年が毎月そういった専門誌を買えるわけもなく、必然的に得られる情報量はごくわずかなものに過ぎない。

 あれから数十年、世の中は大きく変わり、かつては手に入らなかった情報や、目に見えるシーンが容易に得られるようになった。
ネットを徘徊していると、思わず見入ってしまう画像に出会うこともしばしば。

 TOP画像もそのひとつで、1977年以降ずっとBELLユーザーだったラウダが、珍しくGPAのヘルメットを使っている1枚。ヘルメットのロゴから恐らく1985年のものと思われる。(ラウダはこの年をもって、本当に引退)

 そんな中、思わずうなってしまう画像もある。
話には聞いていたが、実際に画像で見せられると感激してしまう類のものだ。
こちらの画像をご覧いただきたい。


 ランチアベータモンテカルロのGr5に乗り込む、あのジル‐ヴィルヌーヴ!
ヴィルヌーヴがランチアをドライブした、という話は何かで読んだ記憶はあるが、
こうして画像で見ると、はるか35年以上前のことなのにまるで最近のことのように興奮してしまう。


 BELLのヘルメットであることから、恐らく1978~79年のものであると思われる。
アリタリアカラーのベータモンテカルロをドライブするヴィルヌーヴ・・・
ある意味歴史に残るワンショットかも知れない。

 そしてもう1枚。
こちらも同じくベータモンテカルロ。


 ドライバーが誰かお分かりだろうか?
なんとリカルド‐パトレーゼである。
パトレーゼやアルボレートはランチアのドライバーとして80年代前半は
WECに参戦しており、来日して富士のコースも走っている。
しかしベータモンテカルロをドライブしていたなんて知らなかった。

それにしてもGr5のベータモンテカルロは、ホレボレするほどカッコイイではないか!

 しかし、私がこういった情報に感動するのは、
時間の経過からしても、もはやノスタルジーとなってしまった。
そのこと自体に何も悲観的な要素はないが、一抹の寂しさはある。
でもそれ以上の感動、便利な時代になって「当時」に触れられる喜びは確かにある。

 自分が今レースを趣味としているのは、
10代の頃にモータースポーツに熱中していたこととは、直接的な関係はない。
当時は見るだけのものだったからだ。

 ただ、一方で今サーキットを走る上で、じゃあまったく当時の感情と無縁かと言えば
そんなことはなく、むしろ気持ちの上ではまったく当時のままである。
70~80年代のモータースポーツが大好きという気持ちのまま
自分は大人になったようなものだ。
純粋にサーキットでのタイムやドライビング技術の向上を追い求めるなら
15年落ちのアルファロメオになんて乗っていない。

 今の自分のサーキットライフと、昔の自分の気持ちはオーバーラップしており、
それが私を幸せな気分にさせてくれる。


 ラウダがドライブしたブラバム アルファロメオBT48。
ラウダの歴史の中では「勝てなかったマシン」の部類ではあるが、
なぜか私はこのBT48が好きだ。



 ヴィルヌーヴとフェラーリ126CK。
F-1史上、初めてモナコで勝利したターボエンジンのマシン。
120度V6というのも、フェラーリ独自のレイアウトだった。
やっぱりフェラーリにはAgipやspeedlineが似合う。


 こちらも好きなマシンだった。
リジェJS11。
GITANESのロゴがシャープになった1980年仕様がカッコイイ。
ピローニのヘルメットとの相性も抜群だった。

 当時のF-1はグランドエフェクトカーだったため、
フロントウイング無しが流行していた。
最初は違和感があったが、見慣れてくるとなかなかカッコイイと思ったものだった。


 フォルムとカラーリングの美しさはルノーも負けていない。

 アルヌーがブルーで、ジャブイーユがレッド、という色違いのゼッケンというのも
なかなか洒落た演出だったルノー。
イエロー、ホワイト、ブラックの配色が絶妙!

 北海道はすっかり冬となった。
気温も0度前後となり、今日は雪も降っている。
しばらくはサーキットを走ることはできないけれど、
オフにはオフの楽しみがある。
自分のスタンスを確かめる意味でも、ノスタルジーに浸るのも悪くない。







Posted at 2016/12/02 20:20:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | 70~80年代F-1 | 日記

プロフィール

「@ぼうんのう さん、バッテリーとエアコンまでやれば、走り出してすぐに効果を体感できますよ(^^)」
何シテル?   06/04 11:05
アルファ156 2.5V6で走ってます。 家内用にGTV3.0V6。
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