人の繋がりって何だろう?
リアルの繋がり。
ネット上の繋がり。
色んな形があると思うが、繋がりを継続したいのなら注意すべき事もあるはずだ。
昔から言われていて、皆が良く知っている言葉…。
《親しき仲にも礼儀あり》
逆に言えば、初対面やさほど親しく無い間柄ならば相手に対してある程度の礼儀を持って接するのが昔から日本の社会の常識なのだ。
SNSの様に短い文章の少ない情報の中から相手の意を汲み取るのは難しい。
しかし逆に誠意さえあれば、時間こそかかれど自分次第でいくらでも好意的にお互いの情報交換ができる様になるのだ。
リアルでもネット上でも、相手の話を全く若しくは最後までしっかりと聞かずに自分の考えだけねじ込んでしまえば誤解が生まれる。
自分が他者に不快な思いをさせても認めず、持論を展開して常に自己肯定し相手をねじ伏せて挑発して悦に入る様であれば、その相手との良好な繋がりなど到底維持できるはずはない。
本当に繋がりたいと思うのならば相手を尊重して接すれば良いだけだ。
世の中には妬みや僻みや逆恨みから悪意を抱き、相手にレッテルを貼ろうとする迷惑な人も存在する。
憶測とその辻褄合わせのこじ付けで、まるで合わないジグソーパズルのピースを無理矢理力尽くで嵌めていくかの如く…。
その迷惑な存在が仮にどんな人間であろうとも、本来責任ある立場の存在ならば人は簡単に信用し誘導尋問や幼稚な探偵ごっこで自分勝手に納得するのだ…。
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SNSは誰でも、場合によっては簡単な一定の条件を満たすだけで閲覧できる世界だ。
良くも悪くも情報の垂れ流し…。
コンプライアンスに反しない限り情報のやり取りは自由だが、とはいえ自分が発信した内容には責任も伴う。
私は少なくともそれを理解した上でSNSを利用するのが大人だと考える。
会った事も無い相手とのコミュニケーション。
それでも長い付き合いともなればまた違うのだろうか?
では一度でも会えばその枠は外れるのか?
私はそうは思わない。
相手との繋がりを失いたく無いのであれば、少なくとも私は自分なりに発信する内容に注意する。
短い文章は誤解も生みやすい。
誤解から判断を間違えることもあるだろう。
しかしもし何らかの形で間違えに気付いた時にまず何をすべきかは誰でも知っているはずだ。
意図せず相手を怒らせてしまったのならば、誠意を持ってそれをする事で大抵の場合は相手の理解と許容を得られるだろう。
しかしもしそれをしないのてあればその時点で信頼は低下し、相手にとって価値がないものと認識されてもしょうがない存在になるのだ。
身勝手な悪意があれば尚更に…。
よほど傲慢で幼稚で無い限り、人との付き合い方は生きていく過程で学び進化していくものだ。
長く生きていれば尚更に…。
しかし慎重にゆっくり時間をかけて良好な繋がりを築き上げたとしても、やはり悪意を持った他の誰かの無責任な言動や行動で一瞬のうちにいともあっさりとその繋がりを断たれてしまう。
何がしたいのか?
誰かに自分を構って欲しいだけならば、時間をかけ誠意を持って相手にアピールすれば良いだけだ。
誰かに自分を評価して貰いたいのならば、ただ己の魂を磨けば良いだけだ。
他人を利用して何を得たいのか?
他人を叩く事でその相手の評価を下げれたとしても、自分自身の評価が上がる訳ではない。
何を勘違いしているのか?
人との繋がりを求めるなら、その相手と自分の共通点を探り類似性の法則から徐々に親近感を得て、相手の優れた点をリスペクトしつつ悪い点は許容するか歩み寄るか…本来は時間をかけてゆっくり深める物なのだ。
何を焦っているのか?
自分が常にイニチアティブを取りたい為なのか、相手の粗探しをし人格を否定し(嘘つき呼ばわりし)ておいて、常に上から目線で物を言いマウントをとろうとしてくる様な人とは誰も自分から繋がりたいとは思わないだろう?
歳が上だろうが下だろうが関係無い。
性別が同じでも違っても関係無い。
収入が多かろうが少なかろうが関係無い。
生まれた国や地域が違っても関係無い。
お互いに尊重し合い対等に向き合うべきだ。
両者間で納得した周知の主従関係でも成立していない限りは…。
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真実を自分の都合の良い形に捻じ曲げ、全て知っている訳でも無い相手のキャリアや人格を否定し、勝手に他人に吹聴する存在。
信仰宗教の洗脳じゃあるまいし、何の権限があって相手を全否定するのか?
自らの間違えを省みる事も無く、自分では責任も取らず、相手に歩み寄る事も無く、ただただ自分の正当性を主張しそれを承認してもらう為に周囲を利用して組織化し、自分に邪魔な存在を陥れ排除する為に孤立化させようとする…。
ナンセンスだ…。
そんな存在は承認など到底できないし繋がる必要など皆無だ…。
だから私はリアルの身近にあったそんな迷惑な繋がりを絶った。
迷惑な存在の側に立つ繋がりも絶った。
自ら繋がりを絶てば時間と共に少しずつその柵から解放される。
時計はもう完全に壊れてしまったのだ…。
そしてゆっくりと、本当にゆっくりと新たな時計は動き始めた。
残された時間はあまり無いかもしれないが焦っても仕方がない。
遠い場所の繋がりであっても心で繋がっていれば良い。
もう邪魔されずに、ゆっくりと慎重に自分に必要な繋がりを見極め、そして温めたい…。
文:コーコダディ
画:AI描画アプリ
Posted at 2024/05/02 14:35:30 | |
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