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まるしのブログ一覧

2018年11月09日 イイね!

40年前、オタクの萌芽

40年前、オタクの萌芽ずいぶん前に、中高生の頃に描いた鉛筆画イラストを紹介しました。



久しぶりに発掘してみると、紙がさらに黄変してました😢

朽ちてしまうと寂しいので、今回スキャナーで取り込んでフォトアルバムに再掲載します。



これは次なるオタクネタへのプロローグです😨

本編はお友達限定で近日公開予定😅
Posted at 2018/11/09 23:51:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | ノスタルジー | クルマ
2016年05月19日 イイね!

大いなる土産・最終回

大いなる土産・最終回S師匠に頂いたロータスF1ミニカーシリーズも、いよいよ最終回です d(*・ω・*)b



17個のうち4個重複車種がありました。じつは、17個のうち16個はすでに開封されていました。そのため、頂いた時点で一通り中身の確認は出来ていたのです(紹介するときはまたシャッフルしましたが)

コレは唯一の未開封、最後の一個です。
今回は、中身が何か、私にも全く分かりません。
さて、最終回は・・・        

















ロータス72Eでした。やはりダブりました

タイプ72は1970年から実戦投入され、75年まで使われました。72Eは1973年のマシンです。
栄光のカーナンバー1、前年チャンピオンのエマーソン・フィッティパルディのマシン。


冷静に考えれば、ロータスF1ミニカーシリーズは12車種しか無いので、この結果は必然でした(^_^;)

しかし、最後にロータス最多勝のタイプ72、それもワールドチャンピオンのマシンが出てきたのは、このシリーズを締めくくるにふさわしい幕切れと思います。
(人´ω`*)


S師匠から頂いたロータスF1ミニカーのおかげで、半年あまりも続くブログネタになりましたし、何より、チームロータスの歴史を勉強する良い機会を与えて頂きました。

S師匠にはあらためてお礼申し上げます<(_ _)>




過去の記事を、年代順にリンクを並べました↓

ロータス72E
ロータス78
ロータス79
ロータス81
ロータス88
ロータス91
ロータス97T
ロータス98T
ロータス99T
ロータス100T
ロータス101
ロータス102
Posted at 2016/05/19 22:32:10 | コメント(7) | トラックバック(0) | ノスタルジー | 日記
2016年04月06日 イイね!

大いなる土産12・終焉

大いなる土産12・終焉S師匠に頂いたロータスF1ミニカーシリーズも、第十二弾です d(*・ω・*)b




17個のうち残り4個です。ランダムに選ぶので何が出るかはそのときのお楽しみ。


さて、第十二回目は・・・


ロータス88でした。ダブりました
カーナンバー12、ナイジェル・マンセルの幻のマシン。


さて、もうひとつ。次は・・・


ロータス91でした。またまたダブりました
カーナンバー12、これもナイジェル・マンセルのマシン。



さすがに終わりが近いのでダブりも多くなります。気を取り直してもう一つ。残り2個です。
さて本当に第十二回目は・・・



ロータス102でした。
カーナンバー12、マーティン・ドネリーのマシン。

Wikipediaより抜粋
ロータス102は、チーム・ロータスが1990年のF1世界選手権参戦用に開発した。
1990年の開幕戦から全16戦に投入された。前年のマシン101をベースに開発され、エンジンは、V型8気筒のジャッドCVからV型12気筒のランボルギーニ3512に変更された。ロータスとしては唯一のV12エンジン搭載車である。シャシーは改良を加えつつ1992年序盤まで使用された。


1990年シーズン
ネルソン・ピケと中嶋悟はチームを去り、デレック・ワーウィックとマーティン・ドネリーというイギリス人コンビがドライブした。第14戦スペインGP予選中に、ドネリーが大事故を起こし重傷を負ったため、以後の2戦は代わりにジョニー・ハーバートがドライブした。最終獲得ポイントは3ポイントで、最高位は5位、コンストラクターズランキングは8位と低迷した。このポイント数はチーム参戦以来もっとも少ないものであった。
また、この年をもってメインスポンサーのキャメルが撤退した。チームは存続の危機に陥り、チームマネージャーのルパート・マンワーリング、チーフデザイナーのマイク・コフラン、テクニカルディレクターのフランク・ダーニーなど主要スタッフの離脱が続いた。


ロータスの終焉。
1991年はキャメルというメインスポンサーを失い、日立製作所とか田宮、小松、塩野義製薬といった日本企業の小口スポンサーを集めた緑/白のようなカラーリングとなりました。資金難でろくにマシン開発は行えず、1994年を最後にチームロータスは消滅しました。
ミカ・ハッキネンという後のワールドチャンピオンを飛躍させるきっかけとなったのが名門たる最後の意地だったでしょうか。

1992年ロータス107のハッキネン

いよいよ次回は最終回です<(_ _)>



ネットで拾った画像も掲載しています。問題があれば削除します。
Posted at 2016/04/06 22:13:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | ノスタルジー | クルマ
2016年03月23日 イイね!

大いなる土産11・黒美

大いなる土産11・黒美S師匠に頂いたロータスF1ミニカーシリーズも、第十一弾です d(*・ω・*)b


17個のうち残り5個です。ランダムに選ぶので何が出るかはそのときのお楽しみ。




さて、第十一回目は・・・



ロータス79でした。ついに キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ !!!
カーナンバー5、マリオ・アンドレッティのマシン。


Wikipediaより抜粋(歴史的マシンのため、長いのはお許しください)
ロータス79は、チーム・ロータスが1978年のF1世界選手権参戦用に開発した。ロータスにおける呼称はジョン・プレイヤー・スペシャル・マークIV (John Player Special Mk. IV) 。
79は、前年型マシンで「ウィングカー」と呼ばれた78をさらに発展させたグラウンド・エフェクト・カーである。
78ではアウトボード式のリヤサスペンションや排気管が気流の通路に露出していたが、サスペンションをインボード式とし、排気管を上方排気に変更した。ベンチュリ構造をさらに後方に伸ばし、内部を気流がスムーズに通過することで、多くのダウンフォースを得られるようになった。ダウンフォースの発生する負圧帯を後方寄りに修正したことで空力バランスが整い、リアウイングを小型化したことでドラッグが減った。
79の開発作業は1977年シーズンの序盤に始まった。チャップマンはイースター休暇中にまとめたアイデアスケッチをもとに、ピーター・ライトら技術陣を指揮した。デビューして間もない78の熟成を望む声もあったが、チャップマンは独自の先見性とワンマンぶりによって計画を推進した。
1977年12月に1号車が完成し、ポール・リカール・サーキットでシェイクダウンが行われたが、飛躍的に増大したダウンフォースに対してシャシーの剛性不足が判明したため、改修作業が行われた。1978年3月のノンタイトル戦「デイリーエクスプレス・インターナショナル・トロフィー」には2号車が出走した。ボディワークは完成型に近いものになったが、レース中にアンドレッティがクラッシュしてしまったため、グランプリへの投入はさらに遅れた。


1978年シーズン
ドライバーはM.アンドレッティとR.ピーターソン。
第5戦モナコGPでは予選のみ試走し、実戦投入は第6戦ベルギーGPからとなった。デビューレースではアンドレッティがドライブし、見事にポール・トゥ・ウィンを飾った(ロニー・ピーターソンは78に乗り2位)。
79は圧倒的な速さを見せた。出走11戦中、フランスGPを除く10戦でポールポジションを獲得。アンドレッティとピーターソンはスペインGP、フランスGP、オランダGPの3回にわたってワンツーフィニッシュを達成し、リアウィングには勝利数を示す月桂冠のウィニングマークが誇らしげに貼られた。他チームのマシンより1周2秒も速いため、予選では手加減して走ったほどだった。
第8戦スウェーデンGPでは「ファン・カー」ことブラバム・BT46Bに敗北を喫したが、ドライバーズランキングではアンドレッティがチャンピオンとなり、ピーターソンが2位を獲得。ロータスは16戦中8勝(78で2勝、79で6勝)を挙げ、1973年以来のコンストラクターズチャンピオンも獲得した。これがロータスにとって最後のタイトル獲得となった。
第13戦イタリアGPでは、78に乗るピーターソンがスタート直後に発生した多重クラッシュの影響で事故死した。

1979年シーズン
ドライバーはM.アンドレッティとC.ロイテマン。
ロータスは1979年、さらに効率よくグラウンドエフェクトを発生させる新型車80をデビューさせた。しかし、これはあまりにも姿勢変化に敏感なマシンとなってしまい、ダウンフォースを安定して発生させることができず、第5、6、8戦でアンドレッティが出走した以外は79が使用された。もう一人のドライバーであるカルロス・ロイテマンは年間を通して79を使用した。
1979年は他チームがこぞって79のアイデアを模倣し、より進化したグラウンド・エフェクト・カーを開発したことで、79の輝きは失われ未勝利に終わった。カラーリングはJPSが一時的に撤退したために、マルティニがメインスポンサーとなり、ジム・クラークのファンだったロッシ伯爵の希望でブリティッシュグリーンに塗られた。


今もってF1史上最高に美しく速かったと評される、ブラックビューティです +。:.゚(*゚Д゚*).:。+゚
シャシー、タイヤ、エンジンの性能に加え、空力という要素が非常に大きくなった時代。その先鞭をつけた78、79はまさにF1の歴史を変えたと言っても過言で無いでしょう。
勝利のウェイトがドライバーの技量よりもマシンの性能に移り始めた時代でもあります。


このマシンはJLD2012で見ました。79年バージョンのマルティニ/ブリティッシュグリーンです。

この色もきれいですが、やはりJPSカラーこそ、ロータスの絶頂を体現するものです。



ネットで拾った画像も掲載しています。問題があれば削除します。
Posted at 2016/03/23 22:15:17 | コメント(7) | トラックバック(0) | ノスタルジー | クルマ
2016年03月16日 イイね!

平成7年

平成7年ネタが無いので、プリントゴッコ年賀状第三弾です。早くも最終回 (;´∀`)










平成7年は1995年・亥年。
何を思ったか、この年のモチーフはこちらになりました(^_^;)

地味ですが、手書き原稿、二版重ねで手間はかかっています。

突然のセヴン登場、その原因はこちらにありました。

平成5年に刊行された「I LOVE SEVEN2」です。

この中に元絵がありました。


この頃はセヴンのMook本を繰り返し読んでましたね。



まだ新婚の頃、当時の奥様は「マイホーム買ってくれたらカエルさん(編集部注:セヴンのことです)を買ってもいいよ」と言ってたはずなんですが・・・


この6年後に現在の自宅マンションを購入したのですが、もうお忘れのようです |ω-`*)
Posted at 2016/03/16 23:28:20 | コメント(5) | トラックバック(0) | ノスタルジー | クルマ

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「ロータスの力 ・・・職員旅行3 http://cvw.jp/b/346614/48581781/
何シテル?   08/06 22:20
私はいわゆるスーパーカー世代です。「サーキットの狼」「赤いペガサス」でロータスへのあこがれを刷り込まれ、いつかはロータス...と夢見て、ようやく07年6月、エリ...

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