• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

半ねりのブログ一覧

2021年05月23日 イイね!

ビート、手放しました。13年ありがとう!

ビート、手放しました。13年ありがとう!ビート、手放しました。

2008年8月13日に納車だったので13年一緒に過ごした。

実家にいた頃は毎日のように乗っていた。それこそ平日仕事が終わってから、特に用もなく乗っていた。

東京に出てから乗る機会は減ったが、母親が通勤で使っていた。しかし、その母も仕事が終わり、たまに私が実家に帰る時くらいしか乗る機会はなくなってしまった。

写真で振り返ろう。

納車直後。スパルコのホイール。暑い暑い日に埼玉まで行って買ったのだ。


知人のプレリュードと。仕事が終わった後、しょっちゅう会っていた。


ネコちゃん。シフトノブは知人からの貰い物。ノブが変わるだけでこんなに変わるのかと驚いた。


エアクリのブローバイ戻し口。オイルの減りには泣いた。


ホイール。最初は自分で交換しようとしてネットで買ったが、ネジが外れず止む無くショップに持ち込んだ。そのショップさんとは、その時からの付き合いで、今回手放す時もそちらにお願いした。


チバニアンを見に行った。パンダさんの車はプレリュードからマーチを経てインプレッサへ。


天気がいい日の洗車は気持ちいい。


正直ビートの古さは隠しようもないと思う。もう一台のフィットと比べると、シュルシュルと高回転に届くスムーズなエンジン、クンクンと路面をいなすサスペンション、腰の入ったシートなどなど、フィットの方が圧倒的に快適だった。

しかし、ビートにはそれでも新しい車にない魅力がある。アクセルの踏み込みにダイレクトに反応するエンジン、重心の低さによるフットワーク、3速の3,000 - 5,000 rpmくらいの加速、音などは、フィットでは得られないものだ。

免許を失効して取り直したから初心者マーク。みなさま、引越しで免許の住所変更はお忘れなく...


自転車で里帰り。だんだんと乗る機会が減っていった。


引き取ってもらったショップで。右前輪の空気が抜けていて非常用タイヤ。30年前の車だが、ショップの方によるとまだ引き合いがあるようだ。勝手を言うようだが、いいオーナーに巡り合って欲しい。ごめんね。ありがとう。
Posted at 2021/05/23 22:55:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年12月04日 イイね!

みんカラ引退します 12年ありがとう!

みんカラ引退します 12年ありがとう!みんカラ引退します。

今までありがとうございました。

リア友のパンダさんに誘われて始めたのが2009年の1月なので12年弱続けたことになる。正直こんなに続くと思わなかった。

ざっくり数えると520件くらい投稿しているが、トータルPV数のベスト5は次の様になった。

1. 私にとってのエンゾ早川 2018/05/20 12:13:25
2. ビート ジャッキアップ(だけ) 2009/04/27 00:06:58
3. 『昭和のエートス』 内田樹が嫌い 2014/06/23 00:52:01
4. 初乗り_basso viper 2010/02/07 01:41:01
5. 少女革命ウテナ2 2009/11/08 17:34:34


個人的な思い入れ?でピックアップすると、免許を失効して再取得した体験は、皆様のお役に立つかもしれない。
この免許、期限切れてるってよ?(うっかり失効1)

過去記事をブラブラ見ていると、この10年くらいで考えが変わったなと思う点もある。誰の得にもならないが、本人としては当時こんなこと考えていたのかと思う。
ハケンギリ

昔は本当に個人的な意見を吐きダメの様につらつら書いていたが、最近は本やら映画やらの感想が多く投稿頻度も増えた。

引退の理由は、大したことないがTwitterなんかを埋め込めないことだ。今後は下記でライフログ続けていきます。ヨロシク。皆様の愛車と過ごす時間が、健康で充実したものになります様に。

雑司ヶ谷ワンニャンライフ



Posted at 2020/12/04 02:23:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年09月25日 イイね!

久々の柳沢峠、ドチャクソ疲れた

不意に現れた4連休を、食う寝るスプラ食う寝るスプラを繰り返して最終日を迎えてしまったので、人権回復のために本当に久々に柳沢峠に行ってきた。

いつもの青梅のコンビニ。トンボが飛んでいて秋の雰囲気



奥多摩湖。この辺りまでなら結構来ている。前来たときは非常用の洪水吐から放水していたが、今回は水は少なかった。



丹波山村の道の駅。川まで降りて顔を洗い、鹿肉コロッケを食べた。





わらび餅で有名な、はまやらわ。今回は食べなかったけど美味しい。



到着。標高は1470mくらいで2702mの乗鞍を制した(?)私からすれば大したことない獲得標高に思えるが、ドチャクソ疲れた。塩山駅まで降ってあずさ?かいじ?で帰った。



自宅 → 青梅 6:40 → 9:40(3:00)
青梅 → 奥多摩駅 10:00 → 11:00(1:00)
奥多摩駅 → 奥多摩湖 11:00 → 11:30(0:30)
奥多摩湖 → 丹波山村 11:30 → 12:40(1:10)
丹波山村 → はまやらわ 13:10 → 15:00(1:50)
はまやらわ → 柳沢峠 15:00 → 15:30(0:30)
Posted at 2020/09/25 02:09:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年09月20日 イイね!

[本の小並感 137]音速平和 容赦のない資本とテクノロジーの暴力による音速平和な日常

[本の小並感 137]音速平和 容赦のない資本とテクノロジーの暴力による音速平和な日常最初に水無田気流を知ったのは、何かの新聞記事だったと思う。埼玉に住んでいた頃だったから、もう10年近く前だろう。もうその記事の内容は覚えていないが、普段詩など全く関心のない私が、それがきっかけでこの本を買ったのだ。その後、この本を知人に貸して戻ってこなかったが、改めて買った。

太陽の下では
新しいものは何一つ成立せず
名前のついた私の日常は
呼ばれるたびに消えていく


ライオンは名付けられる以前、悪鬼の様な恐るべき超自然的存在であった。だが、ライオンと名前をつけられた途端、それは人間の征服可能な単なる野生動物へと変換せしめられた。世界はこの凄まじい強度と速度を誇る意味の書き換えの暴力性に恍惚としている。

世界は晴れている
晴れながら凍っている
カタカタと日向は震え
震えながら晴れ渡る


この詩集全体にわたって、太陽がこの意味の書き換えの暴力性を表すものとして設定されており、その太陽の暴力に対地されるのが「雨」である。雨はこの書き換えの暴力の熱波に一瞬の休息をもたらす。

空の青が開けひらく徴の真下で
クダラナイことでできている
砂糖城の天辺から
手を振る私の視界を超え
やがて世界に越境雨が降る
音もなく
水分の匂いをまきながら


しかし、その休息自体もまた、その「かけがえのなさ」ゆえに、より一層の商品価値を与えられて瞬時に書き換えられてしまう。

例えば、PS5が50万円で転売されるのは、(実際、取引が成立したかは知らないが)それだけの価値を見出すに人間がいるからである。そして、ネットによる大規模なマッチングシステムは、ダイナミックプライシングを実質的に可能にするまでに取引コストを低下させ、一層この書き換えを加速している。

そして、それでよいのか?というのが著者の問題提起である。「私の関心は常に、この変換の際に消去されたものにある。」

ビー玉状に固まる世界を切り取り
振り下ろされるボーリング作業の合間
内部に拡散されていく破片風景を痛む

周縁世界が溶ける場所で
開始と終止の二重奏を、痛む


周縁世界では、まるで走っていなければ倒れてしまう自転車の様に、太陽と雨とが交互に意味の書き換えと商品価値の付与を高速で繰り返し加速し続ける。その変換の際に「消去され、こぼれ落ちてしまったもの」とは何なのか。容赦のない資本とテクノロジーの暴力の前に呆然と立ちすくむ音速平和な日常。我々が生きているのは、そんな世界なのだ。

10年前に読んだときは、何となくカッコイイくらいの感想しかなかった気がするが、今回は少し意味がわかった気がする。
Posted at 2020/09/20 19:01:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年09月17日 イイね!

[本の小並感 136]相模原事件 裁判傍聴記 開き直りは葛藤から逃げた植松と同じではないか

[本の小並感 136]相模原事件 裁判傍聴記 開き直りは葛藤から逃げた植松と同じではないかやまゆり園事件の2冊目。

個人的には「植松聖とは、自分自身の一部である」という結論が前の本で出ているので別に読まなくてもよかったのだが、雨宮処凛という人がこの事件をどう見たのかに少し興味があった。断片的にメモしておく。

○家族の限界について

重度障害者の介護は家ではほとんど不可能だろう。自分の子供や親の面倒を自分で見たい。その理想は美しいが崩壊する。本書には

読み上げられた調書には、一緒に暮らすことに限界を感じたという家族の言葉が多くあり、植松被告の主張を図らずも補強してしまう様な危うさがあった。

とあるが、このことを「危うさ」と表現してしまうことに違和感を覚える。事件直後、「大規模施設では、いつかああいう事件が起こるとどこかで思っていた」という福祉関係者も少なくなかったという。植松死刑囚の主張は、それがごく一部であるとはいえ、介護現場の苦しさを表しているのだ。そのことから目を逸らしてはいないか。

◯植松死刑囚の葛藤

重度障害者の介護の現場では「この人は幸せなのか、苦しみに満ちているのではないか、生きる意味はあるのか、死なせてあげた方がいいのではないか」という葛藤が職員を苛む。

植松死刑囚はその葛藤に耐えられず、最悪の答えを導き出した。その通りかも知れない。そしてその様な葛藤に周囲が正面から答えられなかった。植松死刑囚が周囲に殺害の計画を話すとき、それは植松死刑囚からのSOSだったのではないか、というのそうかも知れない。

しかし、上記の様に一緒に暮らすことに限界を感じたという家族の調書を「危うさ」としてしまう著者でも彼の葛藤に正面から答えることはできない様に思う。

○社会背景との関係

著者は「役に立たなければ生きている価値がない」という価値観が社会を覆っており、だから植松聖は「役に立ちたい」と考えて犯行に及んだ、と言いたい様だ。そして、役に立たなくても生きてく、という開き直り系運動に参加している。

それは結構なことだし、特に就職氷河期と言われた世代は硬直的な労働力市場の煽りを受けほとんど身分制度と言っていい様な状況を強いられている。しかし、それを犯行の原因と直接的に結びつけるのは短絡的だろう(本書でも迷っている様に感じる)。

前の本では森達也が、命が平等であるなら出生前診断は認めないのか、という矛盾に植松は合口を突きつけ、答えられない私たちは綺麗事を掲げ直すしかない、としている。開き直りはある意味逃げであり、それは葛藤から逃げた植松と同じではないか。
Posted at 2020/09/17 21:31:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「ビート、手放しました。13年ありがとう! http://cvw.jp/b/410066/45136597/
何シテル?   05/23 22:55
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/7 >>

  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

愛車一覧

ホンダ ビート ホンダ ビート
2008年8月13日に納車しました。私にとってはこれが始めての車の購入でした。当時の私は ...
その他 その他 その他 その他
2月7日に納車のBasso Viper。本体120,000。ペダルと空気入れで総額130 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation