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スピスタのブログ一覧

2017年01月28日 イイね!

ポルシェとヒット

ポルシェとヒット土曜日はシビックでFSWに行ってきました。

エンジン乗せ換え後の初走行は10月30日
その時は、最高速180kmまでのクラスを走って、
7000回転位のシフトチェンジを心がけて慣らし運転しました。



次は12月24日で、いつも走ってた2分以上のクラスを走行
シフトチェンジは8000回転位を目安に走りました。

そして今年は1月4日に走行
この時は、正月明けでめちゃくちゃ混んでました。
前が詰まって渋滞になった時はすごく危険なので、
ピットインかクーリング走行に切り替え

今回は、2分10秒以下のクラスを走行
このクラスは、スーパー耐久やポルシェのカップカー、R35とかの
超速い車しか走ってないこともあり、
タイムも1分40~50秒台の時もあるので滅多に走らない。

でもまだレースシーズンでないので、大丈夫だろうということで走行
コース上は、スーパー耐久の車は皆無だったけど、
ポルシェGT3のカップカーや新旧ポルシェがたくさん走ってました。
日本車はR35、Z33/34、NSX、ランエボ、RX7など

このクラスの利点は、走ってる車がストレート、コーナー全てにおいて速いので
ダンロップコーナー先で詰まることがなく走りやすい。
でもレーシングカーはすごく速く、どこでも追いついてくるので
常に後ろを気にして、タイムがあまり落ちない所で抜いてもらう
場所を考える必要があります。
自分の場合は、コーナー侵入前にアウト側に行った時に少し待って
インから抜いてもらうようにしてます。

しかし今回は、最終のパナソニックコーナーでポルシェGT3のカップカーと接触
予想ではインから抜いてくるものと思い、アウト側に寄ったのだけど
さらにアウト側から追い抜いてきて、目の前に急に出現したので
ポルシェのリアフェンダーとフロントバンパーが軽くヒット

その時は間一髪で避けれたと思ったけど、駐車場で何気なくバンパーを見たら
黒くなっていたので、接触したことに気づいた。

幸い、バンパーやボディへの損傷は無かったので良かったです。



帰りは、三国峠に行って富士山と山中湖を見てから
また引き返して御殿場ICから東名高速に乗って帰りました。



Perfume 「TOKYO GIRL」 Full Version
Posted at 2017/01/30 00:44:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | 富士スピードウェイ | 日記
2016年08月05日 イイね!

富士スピードウェイ50周年

富士スピードウェイ50周年富士スピードウェイが今年で50周年を迎えました。

富士スピードウェイは1966年1月3日に営業を開始。
3月12, 13日にオープンイベントとして2輪レース
3月26, 27日には初の4輪レースが開催された。



そして5月2~3日には、第3回日本グランプリが開催。
1969年まで続いた日本グランプリは、今でも伝説として語り継がれている。

当初FSWのコースレイアウトは、アメリカのストックカーレースを持ち込むためにオーバルコースが計画されていた。
ところが、1964年に日本を視察しにきた当時F1でも活躍したスターリング・モスが
「日本ではオーバルコースのレースは適さない」との助言を受けて計画が大幅に見直された。

最終的には、アメリカのオーバルコースとヨーロッパのS字やヘアピンの要素が組み合わされ
以前の30°バンクがあったコースが出来上がったそうだ。

日本グランプリは、1963年に鈴鹿サーキットで始まり、1964年の第2回まで鈴鹿で開催された。
そして1年おいて
1966年に第3回日本グランプリがオープンしたばかりの富士スピードウェイで開催される。
決勝日には9万5千人という大観衆を集め、トヨタ、日産、プリンス、ポルシェなどが熱い戦いを繰り広げた。

しかし、日本グランプリは第6回大会で時の環境問題などを考慮して終焉となった。
最後の年の優勝車が写真の日産のR382で、元さんこと黒沢元治氏がドライブした。

FSWのレストランでは、月替えで往年のレーシングカーを展示
写真は7月に行った時に撮ったもので日産のR382です。

ニッサン R382 黒沢/砂子組


日産製 6リッター V12エンジンを搭載


迫力のリアビュー


他の年のは、以前趣味で収集していたミニカーで紹介

◆1963年 第1回日本グランプリ 鈴鹿サーキット
 第1回のは持ってないです。たしかミニカーでも発売されていなかった。
 メインレースでは、ポルシェ904が日本車を圧倒し優勝したとのこと。

◆1964年 第2回日本グランプリ 鈴鹿サーキット
 プリンス スカイライン 2000 GT-B 2位 生沢 徹 (エブロ 1/43)

 スカイラインの2L直4エンジンをグロリアの2L直6エンジンに乗せ換え、ボディも200mm延長
 一見ノーマルと見える外観から「羊の皮を被った狼」と言われた。

 優勝間違いなしとの前評判だったスカイラインGT-B
 ところが急遽、式場 壮吉氏のポルシェ904(カレラ4)が参戦する。
 ポルシェ904は生粋のレーシングカー
 さすがにかなうわけもなく、念願の日本車の優勝は果たせなかった。

 しかし生沢 徹氏のスカイラインGTが1周だけポルシェを抜いてトップを走行した。
 その瞬間、大観衆は歓喜した。日本車でもポルシェの前を走れるのだと
 これが後のスカイラインGT-Rが残した49連勝と通算50勝という金字塔
 「スカイライン伝説」の序章となったである。

◆1966年 第3回日本グランプリ
 プリンス R380 優勝 砂子 義一 (エブロ 1/43)

 日本初のレーシングプロトタイプカー
 エンジンは2L直6を積み、200PS以上を発生
 車重は、わずか660kgしかなかった。
 ポルシェ906を抑えて1-2フニッシュ、念願の日本車初の優勝を飾った。


◆1967年 第4回日本グランプリ
 ニッサン R380Ⅱ 2位 高橋 国光 (エブロ 1/43)

 この年から、前年に日産がプリンスを吸収合併したことで日産R380となった。
 4台体制で挑んだこのレース、3台体制のポルシェ906(カレラ6)との接戦を繰り広げる。
 
 しかし結果は、前年R380を運転した生沢 徹氏がプライべーターとして参戦した
 ポルシェ906が優勝、R380は2,3,4位に甘んじたのであった。


◆1968年 第5回日本グランプリ
 ニッサン R381 グループ6 プロトタイプ (エブロ 1/43)


 ニッサン R381 優勝 北野 元 (エブロ 1/43)

 シボレー製5.5L V8エンジンを搭載
 リアウィングが左右独立で稼働する独走的な発想から「怪鳥」と呼ばれた。 
 ポルシェ910(カレラ10)を抑えて見事優勝する。
 

◆1969年 第6回日本グランプリ
 ニッサン R382 優勝 黒沢 元治 (エブロ 1/43)

 この年も、日産、ポルシェ、トヨタの三つ巴の戦いとなる。
 レースはトップがトヨタ7、ポルシェ917と目まぐるしく入れ替わる展開
 そして接戦を制したのは黒沢 元治氏が運転する日産のR382だった。

 これが日本プランプリ最後の年となり、日産は貴重な優勝を手に入れたのである。
Posted at 2016/08/10 00:08:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 富士スピードウェイ | 日記
2016年04月09日 イイね!

FSWでロードスター危機一髪

FSWでロードスター危機一髪土曜日はロードスターで富士スピードウェイに行ってきました。
ミッションの慣らしが終わったので、サーキットでどんな感じなのか試走です。

今回も午後からなので、比較的空いている圏央道を使いました。

ところが、中央道との分岐地点で長い渋滞が発生
抜けるのに30分ほどかかり、結局3時間ほどかかりました。

白NAさんも渋滞にはまり、予想よりだいぶ遅れて到着
最近、圏央道が東北道とつながったのが原因じゃないかと言ってました。

この日は、40分走行を一本走行
気温:20℃位
水温:95℃
減衰:F2段戻し、R2段戻し

ミッションの慣らし後、初サーキットなので最初は様子見でゆっくり走行
徐々にスピードを上げていきました。

シフトチェンジは、アップ、ダウンともにスムーズに入る。
でもシフトミスだけはしないように注意

途中、レース屋さんに追いかけられ焦ってブレーキミス
ダンロップコーナーで痛恨のスピン

GZRコーナー(旧称、第1コーナー)でも、タイヤロックしてスピン
後ろの車には迷惑かけちゃった(^^ゞ


その後
100Rを抜けてアドバンコーナーの侵入で、前の車とあわや衝突しそうに
ほんともう駄目かと思ったけど、どうにか止まって良かった~


こういう微妙なシチュエーションでは
いつもだったら安全重視で、前車がコーナーを過ぎるまで待つんだけど
100Rの出口でスピードが出てたこともあり、判断を誤ってしまった。

しかし事故にならなくて良かった。
サーキットでは、油断は禁物
次からは、もっと慎重に運転しなくては

そういえば走行待ちでピットに並んでいる時、
GT12とリアエンブレムが付いている車が前に止まってました。
外車には詳しいほうだけど、今まで見たことも無かった。
一緒の枠をゆっくりと走ってました。

後でネットで調べると
なんと「アストンマーチン Vantage GT12」という
世界限定100台の車でした(^^ゞ

•エンジン:V型12気筒 5.9L
•最高出力:600ps
•4570万円

ほんと富士は、公道では絶対に見られないすごい車が走ってます。
Posted at 2016/04/12 00:42:48 | コメント(3) | トラックバック(0) | 富士スピードウェイ | 日記
2015年10月24日 イイね!

富士スピードウェイにて

富士スピードウェイにて10月24日はシビックでFSWに行ってきました。
脚のオーバーホールとバージョンアップの確認走行です。

脚はカヤバの車高調にBADMOONのアシストスプリングとワイトレキット仕様
フロントはタイヤが少し外側に、リアはキャンバーがだいぶ付きました。

フロントは舵角キャンバーで直進時は起きているので
255タイヤだとハンドルを最大に切るとフェンダーに少し当たります。
今は臨時でフラットスポットのできた255タイヤを履いてるけど
通常は245なので、また戻せば大丈夫です。

今回の目的は
コーナリング時に255タイヤだとフェンダーに当たるか
リアのキャンバーで1コーナー出口で滑らなくなるかなどの確認

走行枠は8時40分と早い時間を走ったけど、けっこう台数が多く
一度ピットアウトしたけど、まんべんなく走ってる感じで
なかなか自分のペースで走れませんでした。

1コーナーではリアが流れなくなりました。
これはリアのキャンバーの効果ですね。

100Rは以前のように160km近くまでスピードを出すと
出口側でアウトにどんどん膨らんでいって戻れないことが

セクター3のパナソニックコーナーから最終コーナーにかけても
以前よりアンダー気味に
なので若干早めに曲がるようにしてクリップにつけるように調整

今回、ベストタイムは
100R旋回中に前に車がいたので大回りできなくて小回りで走った時でした。
スピードもメーター読みで158km位出てたので、
わざわざタイヤの減る大回りにする必要もないかも

最高速は、フラットスポットの255タイヤだと4kmほど落ちました。
赤いラインの車は、ニュルで7分54秒を出したルノーメガーヌRSトロフィR!!

気温:17℃
水温:87℃
パワー:226ps
スピード:218km
ベストラップ:2”6”600


走行が終わって駐車場に入る時に問題発生
1速にシフトチェンジしようとしたけど全然入らない。
エンジン止めても駄目でした。

フェンダーは完全に当たってました。
早めに245タイヤにチェンジです。

シビックは点検に出して、1速が壊れたようなら修理
なので当分は乗れなくなるかも
今は2速発進で大変です(^^;
Posted at 2015/11/01 01:09:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 富士スピードウェイ | 日記
2015年09月05日 イイね!

久しぶりの富士スピードウェイ

久しぶりの富士スピードウェイ土曜日はFD2で富士スピードウェイに行ってきました。
シビックでサーキットの走るのは5月末以来です。

走るのは9時近くだけど、首都高と東名高速は遅くなると混むので5時に出発して7時過ぎには到着。

ゆっくり準備していると珍しいビビットブルーのFD2が近くに到着
いろいろと話をしていると、みんカラユーザーの方でmasaさんでした。
同じFD2なので訪問した記憶があります。

1走行目
タイヤの空気圧を調整しないで走行
ブレーキは、7月にローターを研磨してパッドも変えたので良く効きます。
100Rも徐々に速度を上げていき、最終的に161kmまでメーター読みで確認
でもタイムはなかなか短縮しないで8秒台

いつもはうまくいくダンラップコーナーと最終コーナーへのターンインの
タイミングが合わず、立ち上がりで速度が乗らない感じ。

気温:24℃
水温:88℃
パワー:224ps
スピード:220km
ベストラップ:2”8”230


走行後、フロントタイヤを確認すると
右側の内側と左側の外側の溝がまったくなくスリック状態になってた(^^;

こんなに編摩耗したのは初めてなので
たぶん前回もそうだけど、100Rでの速度の上げすぎと
LSDを入れてトラクションがかかるようになったせいかも

2走行目
空気圧をいつものように250まで上げる。
ところが1走行目よりもさらにタイムは落ちて9秒台
ガソリンも減って軽くなってるので、いつもならタイムは上がるのに
最高速まで落ちてました。

たぶんタイヤの摩耗のせいだと思うけど
ドライビングにも問題があるのかも

とりあえずフロントタイヤは、以前FSWでフラットスポットを作った
255タイヤに変えてみます。以前ほど振動も少なくなったので
予定していたショックのオーバーホールも来週になりました。

その後は、masaさんとシビックとサーキット走行談義
実はビビットブルーは、最初買おうとした色なんだけど
ロードスターと色が一緒になるのであきらめた経緯があります。
Posted at 2015/09/07 23:37:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | 富士スピードウェイ | 日記

プロフィール

「シビックタイプRがまもなく販売終了に」
何シテル?   08/07 00:05
ロードスターでサーキットを走るのが大好き。 NA8シリーズ1(ラグナブルー)を新車で購入したが、4年目に事故で廃車。 その後、同じ色の中古を捜して購入、現在...
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