![[回顧]楽しくなかった2001春 [回顧]楽しくなかった2001春](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/045/035/915/45035915/p1m.jpg?ct=0266f702a340)
ネタ尽きたのでいつものボヤキ回顧。
写真は2001年4月14日。東名海老名。20年も前になるんですね。
この年は
大迷惑な事業所引っ越しで最低な春でした。
北関東の田舎町から東京日本橋に。独身だったので単身寮が東京中野に。
無能な上司の命令で
休日無報酬出勤の労基違反を黙認させられた上に、自己の引っ越しはたった1日で完結せよと。
仕方ないので移動後の4月6日に狭苦しい寮に移転になったために入りきらなくなった荷物を実家に500km移動して転送。
その後、やはりこの会社バカバカしいと踏ん切り付けて
脱走の準備にと、残りの荷物を運ぶべく、この14日、また高速を走らせていたのでした。
当時は
最低な春。
でも今となってはこれが
きっかけで、今の
労働に関する法律専門に進むことになった(第1のきっかけ)でもあるんです。
いた会社は
シミだらけ汚マスクで有名になった「K社」
製薬で有名ですが、当時売り物にならん、とある画像処理のソフト開発やってる金食い部門があり、そんなところ希望もしていないのに履歴書も見ずに配属されたのでした。
俺はハードウェア関連を専攻。ソフトなんて一度も触ったとなかったのですがね。
当時人事部の管理職が、
「あそこの部長のとこは何かと大変だけど、社長のお気に入りだから諦めて」
と新入社員で右も左もわからぬ自分に意味深なことを言っていました。
また、本来配属されるはずだった部署の、採用面接で気に入ってくれた事業所長は
「相変わらず何も売上出してないくせに好き勝手やってくれる!」
と文句言ってましたね。
相当嫌われてる男だったようで。
その部長という、歴史に残る金もうけできない
「偉大なる将軍様マンセー1号」
当時の出来事を振り返ると、今の俺なら
パワハラや不当労働行為で何件提訴してたでしょうかね。
暴言
有給拒否
毎日22時までのサービス残業
パワーハラスメント
部下の過労死を威圧して労災事故回避
・・・
今の俺でなくて良かったねって感じですが。
今このようなことがあったら
毎日楽しくて仕方ないかもです。
この1号のおかげで俺に
火がつき、15年後に現れるバカ校長2号、3号が
法廷に引きづり出されて大恥かかされることにもなったのでお気の毒にww
それくらい、
管理職の癖に法律知らない
世間知らない
ヤカラで、年間何億も使って売り上げ数百万という恐るべし部長でした。
管理職とは仕事の管理ができればいいとというのではなく、
法的知識を備え
コンプライアンス
リスクマネージメント
が当然にでき、
更には
心理に精通し
部下の心理を読み取った有効的な人材活用術
などを多数備えて初めて管理職と言えるのですが、このオッサン、何も持ってませんでしたww
優秀だったのは口から出まかせで社長をペースに乗せる技。
典型的な日本のダメ組織のパターンです。
ここ辞めてから翌年に俺一人で普通に仕事して人事、人材コンサルティングで年間億近く売り上げていたのだから、いかにこの男が
使えない管理職だったかということがわかります。
この男の
悪行の数々は以後の俺の本業の大きなネタとなって、クライアントから支持を受けて成功させていただきました。
この「偉大なる将軍様マンセー1号」の詳細エピソードは過去に執筆した連載記事で有名ですが、この男が写真の何年か後に社を去ったのちの社内懇親会では相当この男の悪口で盛り上がったそうです。俺は行かなかったですがね。忙しかったので。
今ではその筋の専門として色々やってきているだけに、
少々のこういうダメ管理職には驚かないどころか、
先手打って八方塞ぎに封じ込めるのが常ですが、当時は20代、そんなことも知るはずもなく、毎日が
地獄の世界でした。
何が楽しくて毎日朝起きていたのか。
1日がとても長かった。
サービス残業が終わって22時に会社を出るときが一番ほっとする。
そこにいても教わることは何もない。
必要なことは
土日に出かける先で知り合う、大手メーカーやベンチャー企業のエンジニアから得る。
(このバカ上司は休日の俺の外出をドライブと認識していたからお笑い)
平日の狂った世界を土日で修正する日々でした。
課長、係長は中間管理職として活躍するのではなく、毎日9-12時まで部長席前に椅子を持ってこさせられ、大声で恫喝されまくる。
この光景は併設部門の誰からも「狂ってる」と
陰口が。
居るだけで頭がおかしくなりそうな世界。
「開発本部」ならぬ「下位発本部」
この異様な世界からの
「脱国」決意は、この写真を撮影したときからそう遠くはありませんでした。
この写真のシビックについても、そのバカ部長は散々けなし続けましたが、この車は転職後、自分の
営業兼用車となり何かと顧客先の大手企業、法人で話題になり、これがきっかけで
大口顧客を何件もつかんだことなど、わかりゃあしないでしょうね。
そしてその車の当時の主の俺は俺で、こういうバカな世界を少しでも無くすべく、以降は
労働法政にかかわる身としてやってきているわけです。
最終的に、こういう連中の登場で今の自分の進むべき道がわかったので、結果的には良かったのかもしれません。
また、そんな連中の「悪い見本」がいっぱいあったことで、後に相談を受けた企業、個人などへの適切な解決法の指導、助言が実現して、職場改善につながったことも多々ありました。
でもそのダメ部長1号が大勢に撒きまくった悪害は消えません。
そんなピークだったのがこの2001年4月だったのでした。

★大変似ていますが「悪徳」側が1号、2号、3号ということではないと思います。
本当に似ていますが。
★制作:やーかーん様(2015年)
Posted at 2021/04/20 22:42:21 | |
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