
ご存知の日本最長を走っていた寝台列車、トワイライトエクスプレスが廃止になったのがダイヤ改正前の12日から13日にかけてですが、その後にも色々この列車を走らせるための苦労があったようです。
マニアの世界では追っかけが行われていたようですが、その情報から。
一部間違いがあるかもしれませんが
私は専門ではありませんのでご容赦ください。
12日 札幌から大阪行き
この列車は9日に大阪を出たものだったようです。
10,11日発は天候不良で残念ながら運休。
そのために
大阪に戻っているはずだった列車が最終便となったそうです。
青森から9日に牽引していった
EF81-113号機が敦賀まで帰ると
敦賀で機関車交換がされ、
44号機が大阪まで牽引します。
13日に大阪行きの最終列車が大阪に戻ると機関車は敦賀まで単機回送となったようです。
大変なのはここから。
12日 大阪発札幌行き
回送でかえり 札幌→五稜郭→青森
大阪を発車した最終列車は
EF81-43号機が牽引して
青森まで。
そこから2回の機関車交換を経て、客車は
札幌に13日着きます。
ここからが大変。
客車は
JR北海道のディーゼル機関車に牽引され、
通常のダイヤで
返却回送として空車で札幌を後にします。
青森→新潟
そして通常通りの五稜郭などで機関車交換を経て
青森で
札幌行きでここまで牽引してきた43号機に交換し、
新潟まで回送列車として走ります。
通常ならこのまま敦賀で機関車交換して終着の大阪に翌日昼には着いていました。
しかし
13日限りで、この先の北陸新幹線との並走区間が
JRから第3セクターに変わってしまうため、
JR西日本としては走らせることができないのです。
新潟でとおりゃんせ・・・→長時間留置
13日から14日にかけての夜中に到着したトワイライトの回送列車、
このまま他社の線になってしまった線路を走れません。
そのために
JR貨物のEF510機関車に牽引されて通り抜けることになります。
JR貨物の機関車にEF81-43・客車第2編成の12両編成で通り抜けます。
が、このまま行くと、
第3セクター路線の営業開始時間に被ってしまいます。
「邪魔」になってしまうために
14日の夜までここで留置となります。
新潟→南福井
14日夜、やっとJR貨物により
新潟貨物ターミナルを発車。
第3セクター区間を甲種輸送で通過します。
越後宮内 14日21時半頃
呉羽 15日0時40分頃
貨物南福井駅 15日2時45分頃~午前3時半頃
南福井→敦賀
貨物の南福井駅に着いた回送列車は
JR貨物からJR西日本に引き渡されます。
そして
EF81-43で牽引してゆくのではなく、
迎えに来たEF81-44号機で牽引して敦賀まで走ったそうです。
これは新潟で一度貨物扱いにしちゃったからなんでしょうか。
敦賀→京都
敦賀に着いた回送列車はこのまま大阪まで・・・とは行かなかったようです。
敦賀で
無動化されたEF81-43と牽引した44号機は、
EF81-113号機に交換されます。
113号機は最終の大阪行きで敦賀まで走った機関車です。
札幌を13日の14:05に発車した回送列車は15日の未明に湖西線を通過します。
在来線のまだ少ない時間帯です。
そして
6時前に京都の向日町操車場に到着します。
到着すると機関車を切り離し、客車は車庫奥に収容されます。
すでに
発車から2日弱。ここでまた1日ほど休みます。
京都→大阪
15日の未明に向日町に入った回送列車は、
16日の未明まで1日近くここにとどまります。
大阪まであと一歩ですが
朝のラッシュ時に掛かってしまうんです。
京都大阪間の他の列車や回送電車に邪魔にならないように、
午前4時前再発車、最後の区間大阪までの東海道を走ります。
そして
6時前に出発から2日半以上かけた長旅を終えて
やっと
車庫の宮原に戻ったということです。
北陸新幹線の開業ばかり取り上げられていますが、
あの天候や維持に大きな力がそそがれた日本最長の列車には
最後までこんな大きな苦労があったんですね。
しかし、あれだけ華やかだった列車が、
廃止後にまるで邪魔なように他の列車に影響のない時間を走って帰る事実。
なんか切ないもんですが、
この便利な時代にこれだけめんどくさいことをやって走らせていたことは
逆に何かすごさも感じさせられます。
あまりニュースなどで流れていない、 舞台裏のお話でした。
Posted at 2015/03/16 22:34:54 | |
トラックバック(0) |
地域・鉄道・都市交通 | 旅行/地域