2015年08月30日
よくありますね。
偉い人が何かと理屈付けて自分の正当化を主張して、
相手の意見を聞き入れなくなる現象。
自称偉い人の場合は何かと理由を付けますが、
それは大抵が屁理屈で突っ込みどころがあり、
私の先日の法闘争で見られるように、
最終的には自称偉い人が無知の恥を晒して終結します。
これら、社会組織でよく見られる現象ですが、
なぜこんなことが起きるのか、こう思います。
この手の人たちは多種多様な情報を持っており、
それらを瞬時に分析して自己の都合のよい事例を引き出し、
相手を否定する回答を導き出せる、のではないかと。
すなわち持っている情報量に起因するのではないかと思うのです。
一方で、何か困難に直面してとことん落ち込んでしまうとき。
これも実は同じように情報を多く持ちすぎているからではないかと思うのです。
落ち込んだとき、一度はこう思ったことないでしょうか。
「こうしたいけど、こうするとこうなるはずだし、そうなったらいやだし、
だけどこうしたい、できない、どうすればいいんだ~」
という堂々巡り。
さらに他人と相談して違った意見や価値観を見出し、
何かスッキリして解決みたいな感じで帰宅しても、
独りになって振り返ると
「やっぱりこう言ってたけど、こういうこともあるしやっぱり自分には無理・・・」
みたいに勝手に負の理由を見つけて納得させて再び負に戻してしまいます。
これらは先の内容とは逆に、自分を否定するための
余計な情報
を多数いつの間にか蓄積していて、
それを今の負の状態の自分に合った事例と無理に結び付けて、
勝手に負の方向に結びつけてしまう心理が働くからだと思います。
その負の情報はインターネットで多く溢れています。
ネットが無かった時代は人から聞いた情報ばかりでしたので、
それは「会話」によって正しい情報と共に理解されていました。
しかし「テキスト」によって感情もなく勝手に色々解釈できる状態で
いつの間にか知識として蓄積されるので、
それが負の状態にあるときに負の事象だけを引き出して一致させ、
悪い方向に考えてしまうのでしょう。
これら2つの現象、実は同じように多くの情報を持っているからこそ、
その時々に合わせた理由を無理やり引っ張って来て都合よく解決する、
そんな心理によるものなのかもしれません。
しかしそれは単に簡単に解決したいと言う気持ちなだけで、
根本的な解決や成長には繋がらないのです。
本当に解決したいときはこうやってみるといいのではないでしょうか。
それは、他人の目で肯定と否定と両方引き出してみる、ということです。
自分を元に繋げようとするから誤った方向に進む場合があるわけなので、
自分と違う立場、例えば正反対の立場からも見てみるわけです。
そうすることで自然に考えにバランスができて来て、
短絡的に答えに直結しない思想ができてくるのではないかと思うのです。
これが習慣づいたら、
どんな時でも自分をうまくコントロールできるのではないでしょうか。
いかが思います?
ちなみにこれは自分自身でずーっと実証実験していますww
難しいねww
Posted at 2015/08/30 03:34:41 | |
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