
意外にも古い電車の多く残る京都界隈。
首都圏なんか遠の昔。地方でも便利なワンマンカーなどに置換されて姿を消したり、あの有名な
國鐵廣島界隈でも塗り替えなどで希少になった昔の電車。
山ほどみられるんですね。
奈良線の
ウグイス色103系電車(写真)は延命工事を施工されているものの、
大阪環状線などで見られた103系などのような
大規模な外観工事も行われていない、
昔山手線などで見られた当時の姿をして未だに走ってます。
さらに、
カボチャと呼ばれていた朱色と深緑のツートン、
113系電車。

(山陰線で運用時代 保津峡駅)
こちらは現在、一部の時間帯だけになっていますが
湖西線や
草津線のほぼ終日で見られます。
が、カボチャ色の純正色は確か1編成か2編成にまで減ってきていたかと。
大半が地域色の抹茶色に塗り替えられてはいますが、
それでも少し待っていれば懐かしい形のが次々やってきます。

(草津線石部付近)
首都圏の若い方には馴染みないでしょうが、
これらが現役時代に通学、通勤で乗った方には、
ちょっと懐かしい雰囲気を味わえます。
来春オープンの京都鉄道博物館にはこの手のは収蔵されませんが、
必要ないんですよねww
現役で走ってますから。
京都方面の観光のついでに移動手段で使ってみて、
ちょっと昭和レトロな雰囲気味わうのもいいのではないでしょうか。
さらに時代さかのぼり、1980年代、まだ電化路線は地方線には少なく、
ディーゼル機関車のけん引する10両以上の客車編成が長距離列車の定番でした。
本数も1時間に1本もないダイヤ。
都会の駅をけたたましい発車ベルに送られ、
長時間の移動が始まりますが携帯電話もネットもない時代。
新幹線などの優等列車は緊急時は
鉄道電話を介しての呼び出しができましたが、
普通列車にはそんなものもなく、
乗車前に公衆電話で10円玉探してかけてしばらく連絡付かなくなる旨を電話。
キオスクで食べ物や熱湯注いでくれる小さな煎茶を買って乗り込みました。
そういえばなくなった風景に、
「公衆で電話かけるんで10円に崩してくるわ~」
今の世代、何それ?ですねww
昔の車に
小銭ホルダが付いているのは、
公衆で電話するときの10円玉や、有料道路を通行する際の100円玉、
それらを置きやすいようにするためだったんですよw
AE111なんて4か所ほどに装備されてましたww
話戻りますが、連絡がつかない・・・今で考えればすごいことですね。
列車に乗る何時間もの間、一切連絡がつかないんです。
新幹線でさえ公衆電話もまだない時代。
時たま
車掌の車内放送で
「○市からお越しの●様、ご家族様からお電話が入っております。
お近くの車掌室までお越しください」
な光景が世の中で一番便利な状況でした。
今はどこでも連絡が付き、どこでも地図やダイヤが調べられ、
どこでもいつでも食材が手に入る時代。
便利になりましたが、その分、自分の行動マネージメントしなくてよくなって、
人間に備わった「
計画機能」が少し衰退してんじゃないかと、
ちょっと気になっています。
昔懐かしい国鉄型車両とともに、
人の大事な機能まで消えてゆくんですかね・・・
Posted at 2015/12/05 19:53:32 | |
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