![[EG4再生への道3]05-俺らのシビックは生かす・生かされるシビック [EG4再生への道3]05-俺らのシビックは生かす・生かされるシビック](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/039/294/027/39294027/p1m.jpg?ct=cb8865d1bffb)
3度目の再生が決まった俺のEGシビック。
新たなオーナーの元で試行錯誤の改造が始まっている。
このシビック、というか我がシビックの仲間のシビックはすべて乗り手だけが支えてきたものではない。
https://minkara.carview.co.jp/userid/434586/car/621298/profile.aspx
以前、EGシビックの維持について異論を言ってた人がいるらしい。
実はEGのこれまでの投資はアホかというほどの巨額修繕費。
その言ってた人はそんなこと知らない。
教えてない。
あの車のことはわかる人にしかわからないし、わからなさそうな人には最初から多くを俺は話さない。
それにその人に言っていた様々なことは、別の観点から俺らのコンセプトを何気にわかってもらうべく、これから俺らの世界でシビックと付き合うならばとあえて言ってたこと。
結果、やはり主旨がわからずその行間を読めなかったようで、何かと一方的に異論を唱えていた。
それはそれでその人の価値観で俺らの価値観でないので仕方ない。
それぞれの車との付き合い方ってのがある。
あえて言うとあのEGシビック、というかあのEGシビックの仲間のシビックはどれも関わった人の互いの持ちつ持たれつな助け合いで生かされた車ばかり。
その人は残念ながら助けてもらってただけの人。関わる相手をその人から助けることは最後までなかった。
俺らは古いシビックは互いに助け合って互いのシビックを生かしてきた。
あれだけ古くなると金積むだけではどうにもならない。金積んで直すだけでは維持できない。
だから昔から仲間同士で相互のやりとりを当たり前のようにやってきた。
自分の車は相手から大事に思われ、相手の車も自分にとっても大事に思う。
そう思えるから自然な流れでお互いのEGシビックに困ったことがあったら自然に手が出たわけ。
相手のシビックに問題が起きたら頼まれなくても調べてアドバイスした。
楽しみのツーリング、山奥の現地で困りごとを話したら全員が工具持ってきていきなり分解工事始めた。
(もっともそのオーナーが女の子だったってこともあって下心丸見えな奴もいたがww)
部品が手に入らないとつぶやけば頼んでなくても使ってくれと互いにやってた。
壊れたと知ると先を急ぐにもかかわらず牽引のために時間かけて駆け付けた/駆けつけてもらった。
そうやって仲間のシビックはそれぞれの人の生活の中で限界まで生かされていったわけ。

基本的に富士山背景にやることではないw
緊急修理は自然に全員参加だったw
俺のEGシビックもそんなメンバーの一人に最高の危機に面した時に「居場所」を与えてもらって25年も生きている。
もちろん助けてくれた人もしくは助けてくれている人に俺から十分な恩返しができているかといえばまだ不十分。
だけど自分の得意な分野、できることでせめてと思い関わってきている。
いちいちメンバーの誰も、他人に誰から世話になってるとか言わないから誰がどうしてるかわかるはずはない。
むしろ世話しっぱなしだよとか言って適当に流すことが多いみたい。
こういう価値観の世界を理解できなければ、あの車は希少だから改造なんて!などとなる。
しかしそうではない。そういう価値観で支え合って来た人だからこそ、生かすための改造は理解できるようになる。
コレクション的観点であの車を見ると反対意見はもっともだろうけど、あの車はコレクションされて走ってきた車ではなくて、仲間みんなと暮らして来た車なわけ。
仲間のシビック同様、自己の管理限界値を過ぎようとしている今、最終的に居場所だけでなくオーナーという過去最高の助けまで出して来たEG仲間の時期オーナー。
これからは元自分の車を自分の車のように思って他人の車を助けられるかどうかということになるw
ここまでの関係がそれぞれの愛車EGシビックにあるってのは、みんなの車なかなかいい持ち方、できた結果じゃないですかね。だから長く乗って来れたって。
Posted at 2017/02/09 23:31:20 | |
トラックバック(0) |
EG4再生への道3 | クルマ