
秋っぽくなってきましたね。
この季節になると、この写真の感じがとても懐かしく思い出します。
朝方ヒンヤリする日々。昼間の暖かからウソのように冷え込む夜間、そして遅い夜明けにヒンヤリした色づいた木々。
EGシビックと過ごした関東時代の毎週末の光景でした。
あの頃は遠恋で出かける週以外は関東近郊の友達らと終夜走行。関東各地をEGシビックやその他古参中古車軍団で行脚してました。
夜中の観光なんで景色なんて全くわからんw
ファミレス入って晩ご飯食べてひとっ走り。さらに隣県まで。
気づけば数県またぎの遠征に。
夜明け前に解散して住処まで戻る。
戻ってくると慣れた地に愛車EGシビックと2人。
このまま家にさっさと帰っても独りなのでと早朝の景色とEGの撮影と・・・
ま、
車しか遊び相手のいない独身族の定番でしたww
そんな関東時代を2001年6月に終え、EGシビックは2年6万キロの役を終えて余剰に。
それもつまらないのでと地元でEG仲間を探し・・・
その頃に現れたのが今もEGシビック仲間としての腐れ縁の
現、
俺のEGシビック後継人
であります。
2001年9月8日京都府亀岡市内
これは会った当時のEG6と。現存せず。
EG6などとEGのみ3台で会った日ですが、
これがなければ今はEG4はとっくにいないわけです。
この後、乗り換えられた黒EG6が
今もなお一緒に過ごしているシビックになります。
2002年3月21日京都府亀岡市内
両端が今でも赤穂車両基地に残る2台。
この時から運命を共にしてゆく2台のEGシビックです。
15年間になるんですねw
その後、この白EG4と黒EG6改は各地を一緒に走ります。
しかし、EG4の老朽化を理由に、2006年12月3日、大阪能勢の妙見山にて
サヨナラしたのでした。
出会ってから4年9ヶ月でした。
最後のツーショットと
なるはずだったこの写真。
この後、黒EG6改は現役を続けますが、我がEG4は廃車となり、家の片隅でゴミ倉庫として3年間留置されました。
しかし、ご存知の方も多くなりましたが、2010年年明け、仕事で車が必要になり、急遽苔むしていたEG4の再生話が浮上。
1か月間、休みごとに分解洗浄、整備を繰り返し、砂だらけだった車内は全部洗浄され、苔っぽかった車体もエンジンルーム内もきれいに磨かれ、機関系の整備を近所の整備屋に委ね、4月に再び公道を走るようになり・・・
2010年4月17日大阪能勢妙見山。
3年前に別れた妙見山に再びこの2台がいたのです!
遅い桜満開のもと。
生き続けていた黒EG6と今度は
落ち葉の中ではなく桜の舞う中、劇的な再会を。
そして1年間業務兼用として2万キロ以上を走行。
この黒EG6とも何度か走り・・・
当初の予定通り1年間が経過すると言うことで、元々老朽化が激しかった車体なために
本当の廃車。
長く交流いただいてる方は何度も見てますねww
この写真ww
こうなりました。
解体工場送り。
が・・・
色々不祥事が明らかになって・・・
詳しくは横の「リンク・クリップ」から辿ってくださいw
帰って来てしまい・・・
どこにいますか?
積まれてるわけで・・・
そこから
出戻り。
解体工場で
積み上げられた愛車が戻って来るっての。
しかもリサイクル法で処理が進んでた車の
法的処理の巻き戻ししてww
リサイクル券が
9990という特番で始まってますよww
お手元のリサイクル券をご覧ください。
9990というのは手続きミスなどで
一度解体処理に入ってしまった車の救済番号ですのww
そうそう見れません。この番号のリサイクル券ww
そんなメチャメチャな経歴を経て1999年から2011年。
2001年に出会って16年経過した今、
そんな2台のEGシビックは今日も肩を並べて、遥か遠く、
赤穂車両基地に現存しているんです。
今は同じオーナーの元に。
1台のボロイ何の価値もない車ですが、こんな経歴を持ってるのって、そうそうないですねw
不思議な経歴を辿る白EGと、それを支えてきた黒EGのものがたりはまだ続いています。
Posted at 2017/10/08 01:03:51 | |
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